#917 「東京都交響楽団・定期演奏会Bシリーズ エリアフ・インバル」

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2016年9月20日  サントリーホール
text by Masahiko Yuh  悠  雅彦

1.ヴァイオリン協奏曲第3番ト長調 k.216 (モーツァルト)
2.交響曲第8番ハ短調 op.65 (ショスタコーヴィチ)

オーギュスタン・デュメイ(ヴァイオリン)
東京都交響楽団  w. エリアフ・インバル(指揮)

この評文では、聴く者を鼓舞したかと思うと何を訴えようとしたのかとしばし考え込ませる、ショスタコーヴィチの交響曲の不思議な面白さを中心に書いてみることにする。なぜそんな気分になったかというと、ショスタコーヴィチの謎めいた2つの交響曲を、あまり間を置かずに聴くことができた結果、プログラムの楽曲解説とは違った楽曲の捉え方やショスタコーヴィチ音楽の面白さがあることを発見し、批評家や曲解説の執筆者の判で押したような解説を飛び越えてイメージを思う存分膨らます楽しさを久しぶりに味わったからだ。

ショスタコーヴィチとの再会の旅は奇しくもちょうど1ヶ月前に遡る。たまたま京都で聴く機会を得た演奏会のプログラムをここに再現することから始めたい。

京都市交響楽団・第604回定期演奏会
2016年8 月19日 京都コンサートホール

1.ピアノ協奏曲(三善晃)
2.交響曲第4番ハ短調 op. 43(ショスタコーヴィチ)

京都市交響楽団  w. 沼尻竜典(指揮)& 石井楓子(ピアノ)

最初に、両コンサートのコンチェルトのソロイスト、ヴァイオリンのオーギュスタン・デュメイとピアノの石井楓子の讃美から。素敵な演奏だった。特にデュメイは現在、指揮者としての活躍が大きくクローズアップされつつあり、5年ほど前からは関西フィルハーモニーの音楽監督を務めていることを承知の上で敢えて言うが、ヴァイオリン奏者としての演奏の機会を犠牲にしてまで指揮棒を振って欲しくない。それほど優美で気品豊かなモーツァルトだった。これを聴いたら誰だって彼が現代ヴァイオリン界最高の巨匠であることを認めざるを得ないだろう。

お次は石井楓子。三善晃のピアノ協奏曲はこの1曲だけだが、1962年の芸術祭賞を射止めた作品。もっと演奏の機会があってもおかしくない優れた協奏曲だが、故人の追悼演奏会(2015年2月)で演奏したのが石井楓子で、1年半前のことだった。そのときの指揮者が沼尻竜典(桐朋学園大学オーケストラ)だったと知れば、当日の両者の息の合った呼吸の秘密が納得できた。オープニングのカデンツァといい、第3楽章のカデンツァといい、すべてに吹っ切れた情熱と闊達さで心地よく印象づけた石井のこのコンチェルトを、ぜひもう一度聴きたいものだ。

さて、いよいよ肝腎のショスタコーヴィチ。

まずは、京都でびっくり仰天したことから。このプログラム(上掲)では会場がいっぱいになることは絶対にありえないだろう。と、高をくくった私の浅はかな予想をあっけなく裏切って、会場(1839人収容)の客席はみるみる人で埋め尽くされていく。休憩時に京都市交響楽団のスタッフに訊ねると、チケットは完売です!、と。正直にいって驚いた。このプログラムではたとえ東京でも満杯とはいかないだろうと何度も思った。

一方、9 月20日のサントリーホール(2006席)。デュメイがモーツァルトの名曲を演奏する一事を聴き逃すまいとホールに足を向けるファンが相当いるとは承知の上で言っても、ショスタコーヴィチの8番をお目当てにやってくる観客がそう沢山いるとは考えにくい。ましてこの夜は台風が九州に上陸したあと東進する予報もあり、夕刻から夜にかけて風雨が激しくなることを誰もが予想できた。ところが、この悪天候にもかかわらず、ショスタコーヴィチをメインにしたプログラムに少なくとも7割のファンが席を占めて熱心に、それこそしわぶき(咳)ひとつせずにエリアフ・インバル指揮の東京都交響楽団の演奏に聴き入った。インバル効果か、東京都交響楽団人気か。この熱気を目の当たりにして、脳裏によみがえったのは先に触れた京都市交響楽団のショスタコーヴィチだった。確かに、8番は最近とみに演奏される機会が増えつつある。しかしそれを考慮に入れても、台風が接近しつつある日に、目勘定で広いサントリーホールを約1400人余の人々が埋めた光景を見回して驚かざるを得なかった。その第1の理由。最近の東京都交響楽団のオーケストラとしての充実と躍進ぶり。この日のコンマスは山本友重だったが、9月15日の矢部達哉や、以前聴いた四方恭子(彼女は兵庫芸術文化センター管弦楽団のコンマスでもある)のもときちんとしたまとまりに加えて、洗練されたしなりが光るスケール豊かなオーケストラへと進化しつつある姿に感心させられる。

それはしかし、京都市交響楽団にもいえること。2015年にミュージック・ペンクラブ音楽賞やサントリー音楽賞の受賞で、このオーケストラが今や日本のトップの座を争うまでの存在となったことがはっきりした。常任指揮者の広上淳一がミュージック・アドヴァイザーとして腕を振るい、下野竜也らのタクトで京都の音楽愛好家の心をつかんだ京都市交響楽団の活躍ぶりは注目の的だ。ショスタコーヴィチの4番と三善晃でチケット完売を達成するオーケストラは恐らく我が国ではここだけだと思うがどうだろう。

ショスタコーヴィチは生涯に15曲の交響曲を書いた。その中でこの4番と8番の交響曲には最も有名な第5番との関連性を指摘したくなる要素が幾つかある。両作ともハ短調(5番はニ短調)で、ベートーヴェンの「運命」、ブラームスの第1交響曲、マーラーの第2番「復活」などのハ短調交響曲との類似性も指摘できないことはない。旧ソ連の政治体制と芸術家(特に作曲家)との関係ではよく引用されるショスタコーヴィチの述懐が色々な意味で興味深い。第5番が体制側からも称賛される大成功を収めた初の交響曲となったが、これについて作曲家が指摘したこと。「フィナーレ(第4楽章の)を長調のフォルテシモにしたからよかったんだ」と。これは「もしこれが短調のピアニシモだったら、逆の結果を招いたかもしれない」との含意を暗に含んでいる。こうした懸念が脳裏から離れなかったからこそ、ショスタコーヴィチは俗に「レニングラード交響曲」と呼ばれる交響曲第7番を人々の歓喜に沸く作品に仕立て上げたのだろう。すなわち、「ドイツ・ファシズムに対する戦いとその勝利を我が故郷に捧げる」として、当初の構想ではレーニンに捧げることにしていたこの曲に彼の故郷の名を冠し、ソ連の民衆が勝利に沸く壮大なフィナーレを用意させたのだ。

4番も8番も演奏時間1時間前後という長大な交響曲だが、5番のフィナーレを飾った長調のフォルテシモはなく、むしろ消え入るように終わる第8番に顕著な終幕といい、第4番でも最後の第3楽章がラルゴで始まり、コラールのあと冒頭の葬送行進曲とともに静寂な回想風景が綴られ、最後はあたかも死者の魂の軌跡を思わせるチェレスタの音で締めくくられるあたりといい、意表を突く終わり方。一方、第8番はアレグレットで始まるが、最後は死者をそっと抱きしめ、黄泉の世界へと優しく送り出すように、弦楽器の祈りで静かに幕を閉じる。8番のこの最後は4番の回想風景の静寂さ以上に、印象深いピアニッシモである。生者と死者が出会い、再びそれぞれの世界に帰っていく沈黙の光景を、ショスタコーヴィチはスコア化したのではないだろうか。

第4交響曲が今日、概してプログラムにのらない、言い換えればオーケストラや指揮者が積極的に採りあげようとしないのはなぜか。3楽章で約1時間という長さがある種のネックになっているかもしれないし、凄まじい大音響が何度か爆発するクライマックスとその間を縫うコミカルな楽句、この執拗な反復の扱い方にどの指揮者もこれといった決め手を発揮しえないでいるせいかもしれない。ショスタコーヴィチがこの作曲に着手したのは、「プラウダ」が彼の「ムツェンスクのマクベス夫人」を批判の槍玉に挙げて激しく叩いた直後のこと。一方で、スターリンによる恐怖の粛正が始まりつつあった時代でもある。しかし、ショスタコーヴィチの作曲意欲が衰えることはなかった。1936年4月に脱稿。12月に初演されることも決まって、初演の準備が進んでいたさなか、突如、作曲者は初演の準備を中止した。詳細は不明だが、スターリンら政府の横やりが入ったからだろうことは充分にありうる。何という恐ろしい時代(日本の軍国主義時代もむろん同様)だったことか。翌年、ショスタコーヴィチは第5交響曲の作曲に着手し、一気呵成に書き上げた。この作品は革命20周年の1937年11月21日に盟友ムラヴィンスキーの手で初演され、社会主義リアリズムをを体現した最も偉大な成果との政権からの称賛をも得て、その結果作曲家は名誉を回復した。だがこの名誉回復にもかかわらず、彼の第4交響曲が初演されて愁眉を開く機会は長いこと訪れなかった。この曲がキリル・コンドラシン指揮のモスクワ・フィルで初演されたのは25年後の1961年12月30日であった。

恐らくはそういった一切を理解し、その上でスコアを沈着に読み、京都市交響楽団の金管と打楽器をフル回転させながら、あたかもドラマティックな交響詩を躍動させるかのように、1時間を超えてタクトをふるった沼尻竜典を称えたい。この曲の秀演というべきゲンナジー・ロジェストヴェンスキーとソヴィエト国立文化省交響楽団による、金管と打楽器の咆哮と爆裂が競い合うテンションの高い演奏と互角に渡り合うかのような迫力を体感した。神奈川フィルの現コンサート・マスターで、ネストル・マルコーニと三浦一馬の共演でも両者を支えるタンゴ・ヴァイオリンの華を飾る流麗な演奏を披露した石田泰尚の闘魂みなぎるリードぶりを称えたい。

他方、東京都交響楽団の第8番。当初「スターリングラード交響曲」と呼ばれたのは、ショスタコーヴィチ自身がスターリングラード攻防戦における死者への墓碑として作曲を思い立ったからといわれるが、事実、ドイツの敗走が決定的となり、ソ連の一大反撃が始まったころの43年7月ごろに作曲が開始された。だが、この交響曲には不思議な要素が幾つかある。その1つが第4楽章のパッサカリアをはじめ、アダージョで始まりアレグロの速いテンポの演奏からフランス風序曲への憧憬が感じ取れる第1楽章、スケルツォではなく優雅なガヴォットを思わせるテーマの第2楽章、第3楽章のトッカータ、第4楽章のラルゴを経て田園風な情景を彷彿させるフィイナーレなど、全編にわたってフランス・バロックへの眼差しが独特の風雅を生み出していることだ。この8番でもそうだが、芥川也寸志がショスタコーヴィチの作品に強く触発されたことが感じられて興味深い。1時間5分を超えるこの大曲をエリアフ・インバルは約25年に及ぶ都響との信頼関係に立つ細心にして入念な指揮ぶりで丁寧にまとめあげた。この作品の物語性を単にドラマティックな強弱の対比で描きだすというより、むしろオラトリオの荘厳な劇性とバランスに範をとったかのような作品造形を志向したことで、それだけ最後の消え入るようなピアニッシモがすこぶる印象深く空中に消えていく、不思議な感動を味わうことができた。

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悠雅彦

悠雅彦

悠 雅彦:1937年、神奈川県生まれ。早大文学部卒。ジャズ・シンガーを経てジャズ評論家に。現在、洗足学園音大講師。朝日新聞などに寄稿する他、「トーキン・ナップ・ジャズ」(ミュージックバード)のDJを務める。共著「ジャズCDの名鑑」(文春新書)、「モダン・ジャズの群像」「ぼくのジャズ・アメリカ」(共に音楽の友社)他。

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