菊地雅章 77th Anniversary 1 山下洋輔

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菊地雅章 77th Anniversary 特集

菊地雅章 77th Anniversary 特集
アーカイヴ1

「かかわりのある人間—菊地雅章」 ジャズ・ピアニスト 山下洋輔

*菊地雅章リサイタル — 「菊地雅章+ギル・エヴァンス・オーケストラ」(1972年6月27日〜7月2日) のために制作されたプログラムより筆者の許諾を得て転載

 

菊地雅章とはじめて知り合ったのはもう10年程前になる。しかし、以来今日までぽくと菊地は延べ10時間と会っていたことはないし、ちゃんと話をした時間はおそらく5時間以上にはならないだろう。それ程、彼とぼくは互に没交渉で過して来た。まあしかし、これは別にめずらしいことではないので、同じ楽器を演奏する者同士というのは大体そんなにべ夕べ夕付き合ったりしないものなのだ。それよりも演奏者にとって最もキビシイ付き合いをしなければならない相手というのは、自分の共演者に他ならない。そして、同じ楽器の演奏者というのは――管楽器同士はまだチャンスがあるが、特にビアノ弾き同士は――共演の機会というのは滅多に無いのである。

菊地とぼくがつい最近まで没交渉であった最も大きな原因は、やはりこの点だけであると言ってよいのではないかと思う。たとえば、彼とぽくの音楽のやり方が誰が見ても或いは聴いても違うとか、月に何度かレギュラーで出演するジャズ喫茶、つまり互いの日常の演奏活動の根拠地が全然別の場所である(菊地はこの数年間銀座の「ジャンク」を主な演奏場所にしており、ぼくは新宿の「ビットイン」でそうしてきた)とかいうことはたいした理由にはならないのである。

たとえば、音楽上のことを言うなら、ここにも「内ゲバの法則」とでも呼ぶべきものがあって、演奏方法が似ていればいる程、ジャズマン同士は警戒しあい、ある場合はにくみ合い、さらには罵倒し合うということがあり得るのだが、そういう意味でなら菊地とぽくはまったく、あいつはあいつ、おれはおれ、という関係であり得ていたといえる。また、演奏場所のことについてだって、何も同じ場所に出演している連中が皆仲良しになるなどということはない。ぼくの考えでは、同じ場所に出演しているグループ同士はむしろ仲が悪くなって当然なのである。何故なら、彼らは一定の数のジャズの聴衆(もはやその数が今後飛躍的に増えるということは残念ながら考えられないと言わざるを得ない)を互に奪いあわなければならないからなのである。

このように、つい最近まで菊地とぼくはごく当り前の没交渉を続けて来た。つい最近までといったのは、つい最近その状態がやや変ってきたからである。

ぼくもスタッフの一人になっている「都市音楽」というロック・フォーク・ジャズ雑誌で菊地とぼくの対談を企画したのだが、彼は快く引き受けてくれ、それで前に書いたような10年間の内の5時間程の話し合いが実現したのだが、この機会にぼくはあらためて菊地とぼくの違いをそれこそ「再確認」することが出来た。

彼は実に真面目なのである。音楽に限らず全てのことに対してひたすら真面目な人間なのだ。ぼくが毎晩新宿で飲んだくれたり、「都はるみを囲む会」にのこのこ出かけていってズタブロの伴奏をやって大恥をかいたり、といった馬鹿なことをしている間にも彼は一心に自分の音楽のことを考え続けているのである。そして菊地のこの真面目さと彼の演奏(というのは即ち彼のグループの演奏)のやり方とはやはり密接な関係がある。そのことについてのぼくの意見を前出の雑誌の対談から菊地の言葉もろともここに引用することを、多分菊地は許してくれるだろう。

 

前略――

山下 オレが菊地を見てるとさ、菊地のグループっていうのは、一種の-この言い方は、悪くだけとってもらうと困るけど、ワンマン・バンドだと思うんだよ。菊地イズムってのがあって、それをメンバーに浸透させるっていうやり方をしていると思うんだ。メンバーは、それぞれに、菊地のやり方を身につけてやる。菊地は、最初から、手とり足とり教えていくって形をとっていると思うんだけど、どう?

菊地 オレそうなんだよね。それが、幣害なんだよ。

山下 勿論、いいところもあるし幣害もある。-

菊地 いいとこ、無いんじゃないかね。

山下 いいとこってのは、全体として、シッカリしたものが出てくることだ。つまり、独裁だろ。独裁ってのは、独裁者が良ければいいんだよな。悪いところが出るとすれば、独裁者のもってる以上のものは出てこないってことだな。可能性は、独裁者の中にある可能性にとどまるっていう-――。

菊地 だからね、オレがワンマンであって、相手に押しつけたり、自分の音楽に参加できるなにかを引き出すけどさ、そういうことに、夢中になっている間は、オレは、いいんだ。ところが、ワンマンに嫌や気がさした時に、ヤバイわけよ。

後略――

この短い引用でも分るようにこの対談全体を通じて菊地は実に自分自身と音楽に対して謙虚であり真剣だった。逆にぼくは非常に傲慢であり独断的だった。立派な人の前に出るとわざと悪いことを言ったりやったりするという子供じみた心理からそうなったのかもしれない。まあそのことはそれとして、ここで話題になっている「ワンマン性」というのが菊地の演奏方法の重大なポイントであるらしいのだ。このことは、前にセロニアス・モンクが来た時にもぼくは感じた。

この「ワンマン性」について最も真剣に考えているのは勿論菊地自身である。しかし、あえて余計なお節介を言わせてもらうなら、理想的なワンマン・バンドとは、共演者全てがワンマンであるグループのことなのだと思うのだ。菊地がエルビン・ジョーンズとの共演を喜ぷのはこのことについての一つの示唆である。またまた独断的なことを言わせてもらうなら、菊地は本当は共演者にのり越えられたいのだ。

そして「ワンマン性」という自分自身にとっても今や束縛となったひとつのフォームから解放されたいのではないのか。エルビンの例に象徴されるようにそれはまずドラム奏者によってなされるはずである。かつての菊地のグループのツードラムシステムをぼくはそういう意図の現われとしてうけとっていた。なにしろ――何度も言うが――ジャズとはまずドラムのことなのだから。

今回のコンサートをぼくは期待を持って聴きに来るだろう。本来なら商売がたきのコンサートなど期待を持って聴きにくるぼくではないのだが、対談以米、どうもぽくにとって菊地は「かかわりのない」人間ではなくなってしまったような気がしているのだ。


菊地雅章リサイタル
菊地雅章+ギル・エヴァンス

第1部 菊地雅章カルテット
菊地雅章(ピアノ/ エレクトリック・ピアノ)
峰厚介(テナーサックス/ソプラノサックス)
鈴木良雄(ベース/エレクトリックベース)
中村よしゆき(ドラムス)

第2部
菊地雅章ピアノソロ

第3部
菊地雅章+ギル・エヴァンス・オーケストラ
菊地雅章(エレクトリック・ピアノ)
ギル・エヴァンス(ピアノ/編曲・指揮)
ビリー・ハーパー(テナーサックス/フルート)
マーヴィン・ピーターソン(トランペット)
オーケストラ

6月27日   新宿厚生年金会館大ホール
6月30日  大阪フェスティヴァルホール
7月   1日   和歌山県民文化会館
7月   2日   名古屋市公会堂

後援:アメリカ大使館/アメリカセンター/スイングジャーナル/ニッポン放送
プロデューサー:鯉沼利成

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