菊地雅章 77th Anniversary 3 稲岡邦彌

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菊地雅章 77th Anniversary 特集

菊地雅章 77th Anniversary特集 3

菊地雅章  ギル・エヴァンス 本誌編集長 稲岡邦彌

菊地雅章が逝って2度目の命日を迎えようとしている。仏式では3回忌にあたるが、永らくNYに住んだ菊地には77歳(喜寿)の誕生日がふさわしいだろう。

1972年6月の菊地のリサイタル、終生師弟にも近いリレーションを築いたギル・エヴァンスとの深い縁を結ぶことになったコンサートになった。終演後、僕は公演の実現に大きなサポートを果たした評論家の瀬川昌久先生にバックステージで立ち話をする機会があったが、先生の興奮冷めやらぬ上気した面持ちが鮮明に記憶に残っている。五木寛之や武満徹など錚々たる面々がコメントを寄せたコンサート・プログラムで瀬川先生は、「今日東京できく彼のオーケストラの音色が、たとえ昔のそれと同じであっても、私は少しも構わない。この世にこのようなサウンドが存在するだけで、私は幸福なのだ」と激白している。先生によれば、ギルの譜面をこなせるホルン奏者やチューバ奏者としてN響と日フィルに応援を頼んだということだった。最近ではわが国でも即興にも強いホルン奏者やチューバ奏者は珍しくはないが、当時はクラシックのオケから助っ人を頼まざるを得ない状況だったのだ。その他に、ギルの意を汲むソロイストということで、ギルはNYからビリー・ハーパー(ts) とマーヴィン・ピーターソン(tp) を帯同してきた。当時ビリーはギルに作品も提供するキー・メンバーの一人で、マーヴィンは日本ではバンマスの役を仰せつかったという。

主催者のあいミュージックが制作したコンサート・プログラムでは別掲の山下洋輔と杉田誠一のエッセイに加え、NYでコーディネーター役を務めたジャズ評論家の蔡垂炳(サイ・スイピン)さんの「ギル・エヴァンス日本公演実現の瞬間」と瀬川先生の「ギル・エヴァンスのすべて」という読み応えのあるエッセイが収録されている。蔡さんのエッセイによると当初はビリー・ハーパーとチューバのハワード・ジョンソンを連れてきたかったようだ。クラシックの奏者には読譜力と技術はともかくジャズ特有のリズム感は求むべくもないからだ。ギルがヨーロッパ公演で体験した実感によるものだ。蔡さんのエッセイを読んで胸打たれるのは、当時の菊地のマネジメントの代表・鯉沼利成氏の自ら手がけるアーティスト菊地雅章に対する思い入れの深さである。それこそがギルの心を動かし来日実現の原動力となったのだ。それを思うと、後年、ボタンのかけ違いから菊地と鯉沼さんのトラブルが日米にまたがる訴訟にまで発展したことが残念でならない。80年末期から5年間、僕が菊地のマネジメントを担当することになったが、菊地の扱いに手を焼いた電通に僕を推薦したのは他ならぬ鯉沼さんだったのだ。1994年に僕が菊地、ゲイリー・ピーコック、富樫雅彦からなる「Great 3」の録音に携わった時、ゲイリーと富樫さんとも親しかった鯉沼さんが陣中見舞いに訪れたが、それに気づいた菊地がすっと席を外した。二人は顔を合わせることを避けたが、鯉沼さんは電通に力を貸すことで間接的に菊地を助けたことになる。法廷では争った二人だが、才能を見込んだアーティストに対する鯉沼さんの変わらぬリスペクトの念に感じ入ったものだった。

 

 

菊地のマネジメントを担当したおかげで、僕は何度もギルと身近に接することになった。ブルックリンの菊地のスタジオからマンハッタンのギルのロフトまで車で迎えに行ったこともあれば、火傷の世話をしたこともある。当時、映画『ケニー』の音楽制作で菊池とコラボレーションしていたギルはブルックリンのスタジオを訪れることが多かった。菊地がピアノで紡ぎ出す音楽をDATに収録、心に響くパートを見つけては当時ギルの内弟子だったマリア・シュナイダーに採譜させていたのだ。ポール・モチアンdsとジュニ・ブースbを呼び寄せ採譜したメロディをテーマにトリオで展開させることも試みた。ギルと身近に接して感じたのは、僕らが崇拝してやまないアーティストがこれほどのつましい生活を強いられている現実が、蔡さんが目撃して驚いてから20年経っても変わってはいない辛い事実だった。僕ができることは美味しい食事をご馳走することくらいしかなかったが、それでもギルが嬉しそうに舌鼓を打ってくれるのが嬉しかった。マイルスが菊地のロフトを訪れたり、録音セッションに菊地を呼び出したのはギルの推薦による。それだけに菊地とギルに提供された創造の場を成功に導くために必死の努力をしたつもりだった。ギルはテーマソングにスティングの起用を口にしたことさえあった。しかし菊地は「作曲」することを頑として拒んだ。ストーリーに感動して内から滲み出るメロディを模索し続けた。しかし、この映画はマイルスの『死刑台のエレベーター』やミンガスの『アメリカの影』のように映像と即興演奏のいわばぶつかり合いから相乗効果を求めたものではなかった。監督は観客の琴線をふるわす劇伴を望んでいたのだ。

ところで、来日時に吹き込まれた『菊地雅章+ギル・エヴァンス』(Philips) だが、当初の東京コンサートのライヴ録音が菊地とギルのたっての希望でキャンセル、改めてスタジオで録音されることになった。この要求は招聘元とレコード会社の懐を大いに痛めたことだろう。リハーサルにスタジオを無償提供するという日本放送の好意があったとしてもだ。なんといっても22人編成の大所帯だ。久しぶりに聴き直して、まず、菊地のオリジナルが1曲(<糠雨>)しか演奏されていないことに大いなる失望感を抱かざるを得なかった。しかし、リサイタルが菊地のカルテット、ソロを含む3部構成であったことを考えると、やむを得ないのだろうか。あるいは、ギルとのコラボレーションという一大プロジェクトであることを考えると、オケに集中しても良かったのでは、と考えられなくもない。ピアノの椅子には御大ギルが座っているので、菊地はエレクトリック・ピアノに徹することになる。これは、後年菊地がギルのオーケストラに参加した時も同じ布陣であった。演奏は、当時の日本の実力そのままだが、やはりマーヴィンとビリーの実力が群を抜いて素晴らしい。CD化に際して、ビリーの<クライ・オブ・ハンガー>とギルの<ラヴ・イン・ジ・オープン>のアウトテイクが追加収録されたが、この2曲がボーナス・トラックの期待以上に面白かった。当時の状況としてはやむを得ないのだろうが、菊地とギルの双頭アルバムにしては菊地の存在感が薄すぎるのがなんとも惜しまれる。今となっては、当時のリサイタルそのままに、カルテット、ソロ、オケのすべてを聴いて見たい気がする。

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稲岡邦彌

稲岡邦彌

稲岡邦弥 Kenny Inaoka 兵庫県伊丹市生まれ。1967年早大政経卒。音楽プロデューサー。著書に『改訂増補版 ECMの真実』編著に『ECM catalog』(以上、河出書房新社)『及川公生のサウンド・レシピ』(ユニコム)共著に『ジャズCDの名盤』(文春新書)。Jazz Tokyo編集長。 https://www.facebook.com/kenny.inaoka?fref=ts

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