オーネット・コールマンとホレス・シルヴァーーの<ロンリー・ウーマン>—— 曖昧さの回避
text by Artur Moral/AAJ アルトゥール・モラル/AAJ
現実は混乱と誤解に満ちている。それらは示唆に富むものや創造的なものもあれば、失望させるもの、さらに悪い場合には悪意に満ちたものもある。ジャズ界では前者のタイプは珍しくない。特定の楽曲が混同されたり、同一視されたりすることが頻繁にあるのだ。通常、これは類似したメロディや、時に完全に同一のタイトルが原因で起こる。今回取り上げる二つのテーマも同名だが、音楽的には全く異なる。一つは荒涼として生々しいオーネット・コールマンの作品、もう一つはノスタルジックで内省的なホレス・シルバーの作品である。しかしジャズ史には、1959年にベニー・カーターが書いた少なくとも三つ目の作品が存在し、この意図せざる混同に拍車をかけている。形式的・様式的な差異にもかかわらず、ここで論じる二曲は「ダーク・バラード」と呼べるカテゴリーに属する。その陰鬱で影を帯びた雰囲気は、この形式に通常結びつけられるロマンティックな動機付けとは大きく異なる。
コールマンの破壊的な<ロンリー・ウーマン>は、アトランティック・レコードから発表された彼の最初の、超越的とも言うべきアルバムの冒頭を飾った。一方、シルヴァーのこの作品は、父に捧げられた評価の高いアルバムのラストを締めくくる楽曲であり、その音楽的基盤は、年代的にもコールマンのそれよりはるかに古い様式的正統性に根ざしている。これから始まるのは、両者を明確に区別するための旅であると同時に、特定の解釈においては、その相違が、二つの主題をほとんど不可分なものとして結びつける形式的類似性のもとで、いかに溶解していくかを明らかにする旅でもある。
二つのオリジナル・ヴァージョン
オーネット・コールマンの場合

『Ornette Coleman/The Shape Of Jazz To Come』(Atlantic Records 1959)
<Lonely Woman> (O. Coleman)
オーネット・コールマンを理解することは、熱心な愛好家ではない聴き手や、彼の解釈芸術にある程度以上魅了されていない人にとって、決して容易な作業ではない。相当なジャズ・コレクションを所有していながら、このフォートワース生まれの音楽家の録音を3枚以上持っている、あるいは徹底的に聴き込んだことがある人がどれほどいるだろうか――思い当たる人は手を挙げてほしい。
彼の作品は、あたかも並行宇宙の流動的な境界をすり抜けるかのように存在している。そこでは、一般的なリスナーの嗜好や好感度における彼の位置づけが、専門批評家たちの喧噪や、多くの音楽家の間での評価とは反比例の関係にあるように見える。もちろん、このような状況に置かれた人物は彼一人ではないが、最も悪名高い存在である可能性は高い。
キャリアのごく初期から、ジョン・ルイス、ガンサー・シュラー、ギル・エヴァンスといった、一見すると彼の探究とはかけ離れていそうな人物たちが、すでに熱烈な賛辞を捧げていた。一方で、ハービー・ハンコックは彼を「缶切り(can opener)」と呼び、ジョー・ヘンダーソンは「バードがそうであったように、彼自身が一つの音楽運動だった」と評した。同時に、セロニアス・モンクやディジー・ガレスピーといった、それ以前の自由思想家たちは、彼に対して公然と異議を唱えていた。
いずれにせよ、コールマンは、別種の音楽が可能であることの正当性を体現していた。それは、(とりわけ和声やリズムにおける)形式的自由に基づくだけでなく、感情、アイデア、そして確信がそのメッセージに注ぎ込まれていさえすれば、理論的な複雑さや楽器に対する高度な技巧が、必ずしも完全な演奏家となるための前提条件ではない、という考え方に立脚していたのである。
このような民主化/脱神聖化の具体例としては、彼が用いた質素な白いプラスチック製のアルト・サクソフォン、通常求められる専門的技量を欠いたまま使用されたトランペットやヴァイオリン、さらには息子を複数の録音に参加させたことなどが挙げられる。最初の例である『The Empty Foxhole』(BlueNote,1966)では、彼の息子はわずか10歳であった。
コールマンは、二つの音楽的地殻プレートを貫く巨大なノミのような存在であり、私たちが今でも誤って「ジャズ」と呼んでいる音楽の進化に劇的な変化をもたらした。作曲家としての彼の影響は計り知れず、半世紀以上経った今でも、様々な世代やスタイルの多くの演奏家が、特に初期の作品から彼の創造的な閃きを引き継いでいる。なかでも、彼の才能を最もよく表し、称賛され、頻繁にカバーされている曲は、おそらく<ロンリー・ウーマン>だろう。この曲は、象徴的な、高慢なタイトルのアルバム『The Shape Of Jazz To Come』(来たるべきジャズの姿)のオープニングを飾り、批評家たちからバラードの構想と演奏における新たなモデルとして高く評価された。非常に若いチャーリー・ヘイデン(コールマンと永遠に結び付けられる人物)とビリー・ヒギンズ(録音時21歳と22歳)による、ほとんど行列のような催眠的でリズミカルなオスティナートは、前例のない鋭く斜めのメロディーラインと同じくらい象徴的だ。2本の管楽器によってはっきりと表現された激しく感傷的でない宣言は、1959年5月23日午前3時30分まで続いたハリウッドのラジオ・レコーダー・スタジオでの録音セッションの夜のムードに満ちている。
ホレス・シルヴァーの場合
『Horace Silver/Song For My Father』(Blue Note Records 1964)
<Lonely Woman> (H. Silver)
シルヴァーは、広く知られているにもかかわらず、重要なミュージシャンとして相応しい評価を受けていないジャズ・ミュージシャンの一人だ。この評価には理由がある。必ずしもこの順番ではないが、彼はアート・ブレイキーと共に「ジャズ・メッセンジャーズ」を共に組織した一人であったが、このバンドを才能あるドラマーであるブレイキーに託したのである。自身はファンキー/ハードバップ・ピアノの揺るぎない支持者として、のちにこの中核ムーブメントの重要人物となった。30年近くにわたりブルーノートと最も密接に結びついたピアニストとして、伝説的かつ歴史的なアルバムを数多くプロデュースしたことでも知られる。ジャズ作曲の新たな形式を創造した革新者であり、彼が育成に関わった多くのピアニストや他の楽器奏者にも影響を与えている。テディ・ウィルソン、アート・テイタム、バド・パウエルの影響を受け、シルヴァーはスタン・ゲッツの下でキャリアをスタートさせ、50年代半ば以降は誰もがレコーディングで共演を望むピアニストとなった。伴奏者、作曲家、編曲家としての彼の並外れた才能は、時とともに、華々しい演奏技術の欠如によっていくぶん影を潜めることになった。おそらく「劣る」かもしれないが、その技術は、伝播力があり、すぐに認識できるスタイル、つまり推進力のある左手で常に支えられてきた。おそらく、これが、彼ほど完成度は高くないが、楽器のスキルはさらに優れた他のミュージシャンが受けてきたような賞賛を彼が得られなかった理由だろう。
ソング・フォー・マイ・ファーザーは、1年間(1963年10月と1964年10月)の隔たりを置いた2回のセッション(後の再発盤では3回)で録音され、2つの異なるグループで演奏された過渡期の作品だが、音楽的には一つのスタイルで貫かれている。父へのトリビュートとして捧げられたタイトル曲や、トリオで演奏された一見控えめな最終曲(ブルー・ミッチェルとジュニア・クックは不在だが、この2人はセッションに参加していた)など、彼の代表作が収録された、高く評価されているアルバムである。ビバップの革新性に由来するメロディの簡素化(巧みなアレンジとハーモニー)、ブルースとゴスペルの深い感覚、そして優雅で控えめながらも魅惑的なソロ・ディスコース。これら全てが、心を揺さぶる夕暮れの雰囲気に包まれている。これらの要素は、この基本的かつインスピレーションに富んだ、みごとなパフォーマンスの本質を定義している。
*初出:2025/7/27
https://www.allaboutjazz.com/ornette-colemans-and-horace-silvers-lonely-woman-a-disambiguation
AAJとの共同プロジェクトにより訳出・転載されたものです。
Aetur Moral アルトゥール・モラル
スペイン・バルセロナ在住。リスナー。2024年よりAAJに寄稿。

