追悼 川添象郎 by 竹村 淳
YMOや荒井 (松任谷) 由実などのアーティストらを世に送り出す
続きを読むJazz and Far Beyond
YMOや荒井 (松任谷) 由実などのアーティストらを世に送り出す
続きを読むセルメンを軽んじるムキもあったが、そこらのジャズメンやポップスターを寄せ付けない鋭いセンスを持っていた。
続きを読む『Love Supreme』のコルトレーンでしられる黒人写真家チャック・スチュアートの回顧展とライヴ。
続きを読む完全に今を生きたものであり、即興音楽の枠組みを超えた新しい表現だった。
続きを読むDai Kimoto & His Swing Kidsは10月に日本全国10カ所以上を回るツアーが組まれている。
続きを読む芸術性の高い音楽と最高の録音技術が重なった時にしか味わえない、貴重な瞬間の連続。様々なシーンの描写も美しく、どこを切り取ってもECMのジャケットを彷彿させるような、創造性に満ちたものであり視覚でも楽しませてもらった。
続きを読む彼の非常に特別な感覚の深みと精密さ、バンド全体のサウンドに奉仕する決意
続きを読む『My Song』でのパレの演奏は、色々な事をしているにも関わらず、何故か耳にはシンプルに聞こえます。全ての音が正解になっています。本当に不思議です。
続きを読むパレ・ダニエルソンほど剛柔を兼ね備え様々なミュージシャン、アンサンブルに溶け込むベーシストは稀有な存在だ。
続きを読む忘れもしない5月18日「池袋ジャズ」終演後の居酒屋で、ベーシスト甲斐正樹にパレがいかに素晴らしいか熱弁をふるった。パレがその日に亡くなったことを翌日知った。
続きを読むパレというプレイヤーは語弊を恐れずに言うと、楽器を「弾かない」。ベースを弾き過ぎない、のではなくその場の音楽に必要とされる音以外を全く弾かないのだと自分は考える。
続きを読む芯のある太い音が素晴らしく、ソロの歌い方も大好きでした。速弾きもやらないけど、確かなテクニックを持ち、バランス感覚が本当に素晴らしいベーシストでした。
続きを読む揺るぎない独自のサウンドが実に心地よく、愛に溢れた来日コンサートだった。これが僕が音楽に向かう確信となり、それだけでパレは僕にとってヒーローであり続ける。
続きを読むパレがパレである特筆すべきところはコントラバスの音色。パレの奏でる美しく個性的な音色が忘れられない。
続きを読むパレ自身の名は知られなくても、ヨーロッパジャズ、という演奏スタイルを作り上げてしまったほどの影響力は今後も失われることはないでしょう。
続きを読むスカンジナヴィア半島から来た屈強で優しい男。キース・ジャレット”ヨーロピアン・カルテット”を支えた北欧三人衆の一人パレ・ダニエルソン。彼の音楽はバンドの要となる”強靭なる足腰”だったのだ。
続きを読むパレのベースサウンドとグルーヴは特徴的で、ほぼ一聴してパレだと分かる。強靭でありながら柔軟かつウォームで、優しい人柄が見え隠れする。
続きを読むこれだけの職人技を持っていて、バンドを後から支えプッシュする演奏はベーシストとしてある意味理想である。
続きを読む数々の名盤での演奏を通して彼のあたたかく懐深いベースが、ピアノやドラムとの会話や距離、音楽の物語を進めるには、ということを私に教えてくれた。
続きを読むKeith Jarrettのヨーロピアンカルテットなど、その高い芸術性をもって数々の名盤を支えたスウェーデン出身のベーシスト、Palle Danielsson。繊細で豊かな表現力、時にソウルフルでアバンギャルドなプレイ、その存在感はどのアルバムを聴いても絶大だ。
続きを読むJazzという音楽で最も衝撃的な体験は、社会人になって聴いたキース・ジャレットの「ケルン・コンサート」でした。
続きを読む初来日したジャズ・メッセンジャーズのコンサートに大興奮した。
続きを読む初めて買ったジャズ・レコードはラムゼイ・ルイスの『The In Crowd』
続きを読むオリーの演奏を聴いていて、 ぼくは無性にニューオ リンズに行きたくなった。
続きを読むやはり始まりはSociety盤の「オーニソロジー」ですね。
続きを読む高校を出てすぐにのぞいたのは、ピットインのティールームです
続きを読む10代の終わり(1970年代始め)にジャズ喫茶の門を叩くようになった。
続きを読む和服姿のすさまじい美人を目当てにジャズ喫茶に通うになりました。
続きを読むあの時『DIG』に行っていなかったら今の『いーぐる』は無かった。
続きを読むFM大阪の音楽番組でマイルス・デイビスを聴いたのが始まりですかね。
続きを読むドットエス結成が2009年秋。セッションを数回した頃にタカちゃんがLiveを決めてきました。
続きを読むモノクロが主の映画に馴染んだ子どもの耳にはノリのいい、ノスタルジックなひびきがジャズと認識された。
続きを読むやっとの思いでブラスバンドを抜け出した私はこのビッグバンドに参加した。
続きを読むいま思えば、これこそ私のジャズ事始、ビッグバンド事始だった
続きを読むそう、あれは私が桐朋音大の学生の時、『TOHO SWINGERS 』というビッグバンドが作られた。
続きを読む毎晩楽しくラッパを吹いてお金まで貰える!こんないい事はないと思い音大受験はすぐにやめた。
続きを読むジャズの歴史の流れには逆行する結果ではあっても、なかなか面白いジャズとの関わりだと思っている。
続きを読むジャズは常に動いている音楽で、今が第一に面白く、なによりも今を追っていくべきものだ。
続きを読むFMラジオで『Return To Forever』を偶然聴いて、「ジャズ」という音楽に関心を抱いた。
続きを読むこのジャズ特有の不思議な高揚を知り,私の音楽に対する違和感は一気に解消された。
続きを読む私がジャズを楽しみ、深掘りをする端緒に大橋巨泉の存在があったことは間違いありません。
続きを読むこれが今に至るムレさんとの事始め=僕のJazz事始めになるのだと思ってい
続きを読むEvansの「枯葉」を耳にした瞬間は、同時に私がジャズにハマって一生ジャズを聴いていこうと決意した瞬間であった。
続きを読むキャバレービッグバンド、そしておそらく私がキャバレーのバンドで演奏した最後の世代。
続きを読む客席からは としこちゃんコールまで飛び交う大声援。
続きを読むコルトレーンの「スピリチュアル」か「チェイシン・ザ・トレーン」か?
続きを読む結局、私にとって、ジャズとの出会いは単なる音楽体験の域を遥かに超えるものであり、生き方そのものに深遠な影響を及ぼす存在である。
続きを読むカーラ・ブレイ『Escalator Over The Hill』はとても異様なアルバムです。それは音楽の指向がポール・ヘインズによるテキスト=現代詩の抽象性と完璧に嚙み合った結果だと私は考えています。音楽単体でこの異様さに辿り着いたのではないはずです。
続きを読むサックスをロックギターのリード版に変えた男デイヴィッド・サンボーン。
続きを読むライヴに行くと、出演者じゃない音楽家の方をよく見かけます
続きを読む世界各国から参加する気鋭のミュージシャン達の奏でる音楽は、その国の情景や情勢をも想像させ、エネルギーと希望に満ち溢れる。ジャズを通して世界を旅した音楽漬けの3日間!
続きを読むそれがサンボーンのミュージシャン魂に火を付けたのか、ティム・バーンよりもさらにとんがったソロで圧倒された。
続きを読むミュージシャンと同じくらい人間的にも素晴らしい人だった。
続きを読むデイヴの最も偉大な音楽的才能のひとつは、どんなコード・チェンジにもブルースを聴き取ることができ、どんなに複雑なソノリティの中にもブルースを見出すことができるということだった。
続きを読む今回の元テープは、高柳さんが75年8月26日に聴き返してチェックした内容を記したメモに従い修復された
続きを読む《ほぼ完全に修復できたと確信してます。間違いなく高柳昌行の最高作の一つです。》と大友良英さん誇らしげです。
続きを読むベニー・ゴルソンは1929年1月25日生まれで、95歳の今も健在。
続きを読む日本公演全体を通して、オープニングのシングルノートを淡々と繰り返す新曲「Rita」から激しい「Rush Hour」や「Truco」まで、非常に多彩な内容で観客を飽きさせない構成だった。初めての人でもドミニク・ミラーがどういうミュージシャンかよく伝わったと思う。
続きを読む最初にCDで聴いた時には前情報は何も知らずに聴いたのだが、一聴してミクスの集大成的な作品という印象を強く受け感動しました。
続きを読む3日間にわたるペーター・ブロッツマン追悼コンサートの最終日の模様を、ロンドンの Cafe OTO からリポート。
続きを読む私の役割は、楽器の演奏者というよりも作曲家だと思っています。ECMのレコーディングに必要とされる重要な資質は、エゴが全く無いという事です。
続きを読む3日間にわたるペーター・ブロッツマン追悼コンサートの2日目の模様を、ロンドンの Cafe OTO からリポート。
続きを読むアート・ブレイキーの『Mosaic』に収録されているフレディ・ハバードの〈Down Under〉の手書き写譜。
続きを読むジュデイの若き日の著名なエンターテイナー達とのデュエットを楽しめるアルバムだ。
続きを読むユニバーサルな耳、と言ったらいいのだろうか。新しい表現を模索する人の応援団だったのだろうなあ。
続きを読むカーラにはサティやモンポウ、あるいはセロニアス・モンクの作品と同じくらいよく練られた作品がたくさんある。(マンフレート・アイヒャー)
続きを読むCarla Bleyを初めて聴いたのは、大学のビッグバンドの先輩が部室に持ってきたカセットテープに録音された『Live!』でした。
続きを読む彼女の死はあまりにも悲しいけれど、本当に素晴らしい曲と演奏をたくさん残してくれてくれた彼女に尊敬と感謝しかない。
続きを読む僕の中ではぽっかり穴が空いてしまった。カーラの残した美しい宝物のような世界に埋もれ現実逃避して、さらに存在感が増す。しかしこの先は新しいものが生まれてくる事はない。
続きを読む文筆家は言葉で、音楽家は音で世界のありようを表現する。国境も主義も宗教も超えた問答無用の生命への讃歌。それは人の心の深いところで静かにしかし凛然と響き続ける。
続きを読む二人とも派手なプレイはせず、ただただ淡々と音を紡いでいく、でも音楽はじわっ、じわっと温かくなっていく。それはそれは素敵なコンサートでした。
続きを読む美しいサウンドの中には絶妙に配合されたポイズンが彼女特有のエッセンスになり、どれだけの影響を自分に与えてくれたことか。
続きを読む「私の子供のような”Lawns”に新しい命を吹き込んでくれてありがとう」と宝物のメッセージがカーラより届きました。
続きを読むカーラの音楽の最大の魅力は、その本質的なエロスにあり、しかも動物的なものというよりは、毒性を持った熱帯性植物に近いような気がします。
続きを読むプロデュースしていた「東京JAZZ」にカーラに出演してもらうのがずっと夢だった。
続きを読むカーラは真に「独立」した音楽家だった。ジャズに於けるインディーズの在り様を突き詰め、あらゆる困難に対して一歩もひかない怯まない姿勢を示し通した大きな存在だ。
続きを読むカーラの70年代は、様々な音楽のエッセンスや個人の才能を取りまとめ一つの流れの中に消化していくことから生まれるものを音楽にする、実験的な工程で作っていたと思っています。
続きを読む日本では“Brötzmann, Yagi, Nilssen-Love”だけでなく、さまざまな編成でペーターと共演しました。中でも思い出深いのが2007年の春に東京で開催された『ブロッツフェス 2007』と『ポール・ニルセン・ラヴ〜ピット・イン・セッションズ』でした。
続きを読むあと2、3年経って、自分たちの音楽が世の中にパッケージングされる時に「オルタナティヴ・ロックです」「ニュー・ジャズです」という風に評価されたら、それでいいかな。
続きを読むカマシ、グラスパーらに代表される現代ジャズ・ミュージシャンたちの柔軟なスタンスは、「ポピュラリティを恐れない自己表現」という言い方で一括される。
続きを読むこのアルバムの出来の良さに関しては解っていたつもりだが、聴き込むほどに感動する
続きを読む全体にブルース色が前面に出ており特にリズム・パターンにそれは顕著だが、ソロやヴォーカルを支えるアンサンブルはまさしくベイシー・サウンド。
続きを読む私が大好きな彼の表現の特異な面 “ハラワタ” をさらけ出すことだ。
続きを読む土取利行によるトリスタン・ホンジンガーとのデレク・ベイリー&カンパニーでの思い出
続きを読む私の演奏が終わった後、彼は「You are mad」と言い放った。すかさず私も「You too」と言った。
続きを読む超然とした狂気と世俗的な凡庸に揺れて。
続きを読むトリスタンが生涯かけて追い求めた、生命の記憶を辿る音の旅はけして熄(や)まないだろう。
続きを読む“Hello, my little sister.” そう呼んでもらえる事はもう2度とない。イカつい顔のおじさんが初めて私をそう呼んだのは、確かポール・ニルセン・ラヴ(ds)とのトリオの2度目のヨーロッパ・ツアーのために集合した時でした。
続きを読む彼との共演は我が音楽人生で計り知れない素敵な経験でした。
続きを読むあれだけのことをやるだけやって、ストンと逝く生き方は見事だと言わざるを得ない。
続きを読むコロナで多くの可能性を失ったが…生き残った者は、この一瞬の生を精一杯生きるべきだ。
続きを読むブロッツマンの演奏にも室町以前の日本音楽、音階という概念がない時代の音楽、(散楽、田楽、猿楽)を連想してしまう。
続きを読む音楽にとって大切なのは、その人から音に託されるそのものの豊穣な世界、深淵さだ。
続きを読む演奏の質の高さ、森山の好調さなど見逃せない優れたドキュメント。
続きを読む「ジャスミンの香りふたつ」と「子持ち鮎の塩焼き」
続きを読むまさに「即興は砂の城」と言わんばかりの刹那的な美意識だけが持つ高揚感に溢れている。
続きを読む「自然体」「流水不争先」(流水、先を争わず)のRobert Glasper。
続きを読む出演者もリスナーも、自由なスタンスとスタイルで音楽を楽しむ。それがこのフェスの醍醐味.
続きを読むあまりにも多くのことが展開した70年代、間章の死を契機に彼のもとに集まっていた個々の者たちは、80年代に入り独自の道を歩みだしていた。
続きを読む同時代を生きた偉大な存在が、また一人姿を消した。何とも言えない喪失感だ。
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