Reflection of Music Vol. 99 ジョエル・レアンドル
ジョエル・レアンドルが19年ぶりに来日した。
続きを読むJazz and Far Beyond
ジョエル・レアンドルが19年ぶりに来日した。
続きを読むIntakt Records の第1作となったシュヴァイツァーの『Live st Taktols』が録音されてから40年、その制作姿勢は世代交代後も受け継がれていると言っていい。今後のアルバム・リリースにも注視していきたい。
続きを読むパーカッシヴでありながらもピアノの音色を生かした演奏をする稀有なピアニストだった。また、女性即興演奏家の草分けであり、ローカルとインターナショナルな活動でも特筆すべき音楽家だったといえる。
続きを読むもはやカーラ・ブレイ作品への取り組みは、吉田のライフワークと言っていいのかもしれない。
続きを読むことばの間合いと音の間合いから『源氏物語』という古典が現代人の感性で物語として立ち上がってくる、そんなひとときだった。
続きを読む白石かずこもまた、天国へ行ってしまった。
続きを読む今年のメールス・フェスティヴァルで国としてクローズアップされていたのは日本とナミビア。これまで日本からこれほど多様なバンドやミュージシャンが招聘されたことはなかった。
続きを読む高瀬アキとダニエル・エルトマンのデュオ・アルバム『ELLINGTON!』(enja yellowbird) に続いて、エルトマンも参加する高瀬のプロジェクトJAPANICの新譜『FORTE』がリリース。
続きを読むクリスチャン・プリュヴォとピーター・オリンズが久々に来日、藤井郷子と田村夏樹とのユニットKAZEにモリイクエを加えた編成でツアー、公園通りクラシックスでの2 daysでは与之乃(琵琶)と石川高(笙)をそれぞれ迎えてライヴを行った。
続きを読む1970年代後半から1980年代、ヨーロッパ即興音楽シーンでは女性の演奏家が多く活躍するようになった。その動きをフェミニスト・インプロヴァイジング・グループ、イレーネ・シュヴァイツアー、カネイユを中心に振り返る。
続きを読む訃報を目にした時にまず思い出したのは、彼と初めて言葉を交わした時のことだった。指で宙に?マークを描いて「即興は、永遠に『?』である」と開口一番に言う。「それはある種のプリパレーションでもあり、インプロヴィゼーションでもある」と。
続きを読む今年最初に出かけたライヴは、実験音楽家ピエール・ベルテ Pierre Berthet、ロンドン在住の彫刻家中島吏英そして坂田明による即興パフォーマンス。続いて「田村夏樹・藤井郷子 あれもこれも2024」と第16回JAZZ ART せんがわへ。
続きを読むミュージシャンの演奏が主体にあるが、即興音楽のクォリティの高さを際立たせているのも、録音・マスタリングの宇都宮泰の存在があってこそ。彼もまた音楽創造の一端を担っている。本作は、場を作ったギャラリーノマル、演奏したミュージシャン、宇都宮泰による録音・マスタリング、それらの協働によって創られた作品と言っていい。
続きを読むジャズピアノについての本は世界中にゴマンとある。だが、本書はそのどれとも違う。アメリカでの調査、膨大な文献、資料をあたり、様々な音源を聴いて書き上げられた労作だ。
続きを読むイギリスの即興演奏家ジョン・ブッチャーソロ・アルバムでは、サックスという楽器による表現をとことん追求して到達したひとつの境地、音世界がここにある。
続きを読む熱海未来音楽祭はこのライヴから始まった。ちょうどハマスのテロに端を発したイスラエルとハマスの戦争が始まって間もない頃だっただけに、『復讐から愛への肌触り』というテーマがグサリと心に刺さった。
続きを読むメールスでアレクセイ・クルグロフに再会できたことが嬉しかったと同時にカリーナ・コジェーヴニコワを知ることが出来たのは大きな収穫だった。
続きを読むペーター・ブロッツマンだけではなく、東ドイツ出身のエルンスト・ルードヴィッヒ・ペトロフスキーやヨスト・ゲーバースは、いずれも60年代以降のドイツのフリー・ミュージック・シーン、そしてFMP (Free Music Production) 語る上で重要な人物だった。
続きを読むイギリスの即興演奏家ジョン・ブッチャーの最新作はソロ・アルバム。サックスという楽器による表現をとことん追求して到達したひとつの境地、音世界がここにある。
続きを読む音楽はテクニックでもないし、複雑なことでもない。人生のようなものなんだ。人生を語るものだ。どのように感じたか。何が出来るか。演奏する時に悲しい気持ちならば、そう伝わる。
続きを読む巻上公一プロデュースによる熱海未来音楽祭に足を運んだ。今年のテーマは「誰も、気づかなかった。温泉と音楽。」
続きを読むエヴ・リセールの活動を通して見ると今世紀のジャズ/即興音楽の動向もまた見えてくる。現在の活動にはフリージャズの時代とは異なった社会性もまた反映されているように思う。今後も彼女の活動に注視していきたい。
続きを読むメールスで再開したアレクセイ・クルグロフはCDを見せながら、近年の活動について話をしてくれた。
続きを読むダブリン在住のピアニスト木村泉が、7月にジェリー・ヘミングウェイとの新作『Kairos』 (Fundacja Słuchaj) をリリースした。木村に即興演奏との出会いや現在の活動などについて話を聞いた。
続きを読む新たな創造を常に追い求めているというガネリン、イマジナティヴで開かれた音楽感といい、他に類例を見ない唯一無二の音楽家である。
続きを読む本作は音と音楽の狭間での集団即興を行う特異なプロジェクト、マージナル・コンソートのライヴを捉えた作品性の高いドキュメントだ。
続きを読む第52回目となったメールス・フェスティヴァル、本会場、屋外ステージ、またセッションが行われたアネックス、教会やメールス市内でのライヴなどを含めると軽く100を超えるコンサートが行われた。
続きを読む4年ぶりにメールス・フェスティヴァルに出かけることにした。第50回には出かけるつもりがコロナ禍のためにストリーミングでの閲覧になり、50周年という節目の年であった昨年も出かけることは叶わなかったのでリベンジである。第一報として歩き回った界隈やステージをスライドショーにまとめた。
続きを読むJazzTokyo 301号の拙稿を書くにあたって、改めて第1号に書かれた悠雅彦主幹の巻頭言を読み返してみた。
続きを読むコンテンポラリーなジャズのビッグバンド作品は数多くあるが、間違いなく最高作の一つだ。
続きを読むJazzTokyo300号記念特集が「ECM: 私の1枚」ということなので、この連載もECMゆかりのミュージシャンにしようと考えた。2月に福盛進也 と韓国のサックス奏者ソンジェ・ソンによる「EAST MEETS EAST 2023」公演に出かけたので、それを取り上げることにする。
続きを読む新宿ピットインで吉田隆一の”プレイズ 3デイズ” が行われた。タイトルは「The Thrid World of Jazz “プレイズ” 3 デイズ」で、取り上げたのはガトー・バルビエリ、カーラ・ブレイ、チャーリー・ヘイデン。
続きを読む田村夏樹と藤井郷子による毎年1月恒例となった感がある昼夜ぶっ通しのライヴが1月15日に新宿ピットインで行なわれた。その様子をテキストとスライドショーで。
続きを読む間もなく2022年も終わろうとしている。
コロナ禍以前の「日常」に戻りたい/戻ろうという強い気持ちが、人々の行動パターンから強く感じるこの頃である。
今井和雄カルテットのCD『HAS THE FUTURE BECOME THE PAST』(Jinya Disc)がリリースされた。藤堂勉(藤川義明)の最近の演奏が聴けるCDである。
続きを読むそこで聴いたのは、これまでの経験から導き出された幾重にもアップデートされた音表現の現在地である。それでこそ追悼演奏なのだ。
続きを読むまた一人、巨人が旅立った。9月24日、ファラオ・サンダースが家族や友人達に見守られながらロサンゼルスで永眠したとLuaka BopがTwitterで伝えた。享年81。
続きを読む内橋はベルリンと東京を拠点として活動するようになってから十年以上経つ。現在もヨーロッパと日本を往復して活躍しており、9月2日からは内橋和久とドイツ人ミュージシャンとのバンドSUKで日本ツアーを行っている。
続きを読む6月17日に今年の京都賞の受賞者が発表され、思想・芸術部門は音楽でザキール・フセインが選ばれた。
続きを読むニルス・ヴォグラム「MUSE」が昨年発表したアルバム『Nils Wogram MUSE』(Nwog Records)がドイツジャズ賞 Deutscher Jazzpreisesインストゥルメンタル・アルバム部門で受賞した。ちょうどいい機会なので「MUSE」を含む彼の最近の活動について尋ねてみることにした。
続きを読む昨年の文化庁の補助金「Arts for the future!(AFF)に続き、Arts the future 2(AFF2)の受付が開始されてから約2ヶ月経つ。
続きを読む昨年から今年にかけて、高木元輝のCDが国内外のレーベルから数多くリリースされた。彼の奇跡を辿るよい機会だろう。奇しくも今年は没後20年に当たる。
続きを読む河崎純によるユーラシアン・ポエティック・ドラマのCDが、3月に発売された第一作目『 HOMELANDS』に続き、第二作目『STRANGELANDS』もBishop Recordsから間もなくリリースされる。両作品共、河崎のユーラシアンオペラ等での活動が基盤となって制作されたCDだ。独自の発想で創作を続けてきた彼の言葉を引用しつつ、これらの作品の成り立ちについて書き留めておきたい。
続きを読むジョン・ラッセルはMopomosoでの自身の役割を「プラットフォームを提供することで即興演奏の発展を促し、そして可能であれば人々に知識と理解を深めるのに役立ててもらう」と語っているが、その意味においてもジョン・ラッセルを追悼するにふさわしいMopomoso的な企画だった。
続きを読む1月中旬、令和3年度補正予算566億円を投じた「コロナ禍からの文化芸術活動の再興支援事業」が「ARTS for the future!2」として募集を行う予定だということが公表された。
続きを読む本田のエネルギッシュなドラミングも音色がクリアで、箏とのサウンドの絡みが絶妙だ。道場というユニット名で活動を継続させているだけある。フリージャズでも、ここまでパワフルに、そしてハイレベルの交歓を体験することは滅多にない。
続きを読む第50回を迎えたメールス・フェスティヴァルだが、直前に4つの野外コンサートの許可は下りたものの大半はオンラインでの開催となった。とはいえ、ありきたりのインターネット・コンテンツにしないための様々な創意工夫がなされていた。
続きを読む即興的なパフォーマンスを繰り広げるが、いわゆるインプロとは趣が異なり、主体となるのはサウンドであり、4人の演奏者によって編み上げられるというよりは重ねられるサウンド、音響によって立体的な音空間が変化していく。
続きを読む第21回アルバート・マンゲルスドルフ賞の授賞式がベルリン・ジャズ祭期間中の11月5日に行われた。今回の受賞者は高瀬アキである。これは彼女にとって大きなプレゼントだったに違いない。
続きを読む14回目を迎えた「JAZZ ART せんがわ、今年は万全のコロナ対策をとり、会場キャパシティの半数に入場者数を制限しての開催となった。
続きを読む歴史学者として著名なエリック・ホブズボームはジャズ愛好家でもあった。1959年に初版が出た『The Jazz Scene』を改訂した1993年版の邦訳が出版された。
続きを読む我々は文化政策に対してもっと関心をもつべきだ。と同時に、身近な音楽の現場を大事にすることが、明日への創造に繋がるということも忘れてはいけない。
続きを読むもう一年前になる。いわき市立美術館で鈴木昭男のパフォーマンスを行うというので、ふらりと出かけることにした。
続きを読むこのサウンドの新鮮さはなんなのだろう。21年前の録音なのに…。
続きを読むヨハン・ヨハンソン監督・脚本・音楽の映画『最後にして最初の人類』が公開されたので観に出かけた。
続きを読む古希を迎えるにあたって、再びソロCDをリリースした田村。トランペットだけではなく、防音室には持ち込めないドラムセット代わりに持ち込んだ中華鍋やボウルを叩いたり、ヴォイスを発したり、歌らしきものを口ずさんでみたり、ピアノまで弾きはじめる、と実にやりたい放題。それがなんとも楽しげでいい。
続きを読むダブリン在住のピアニスト、木村泉によるフィールド・レコーディングとの即興演奏によるコラボレーションというこれまでにない試みによる作品。それぞれのトラックが映画のシークエンスのようで、イマジナティヴな音空間が浮かび上がってくる。
続きを読む50回目という節目の年を迎えたメールス・フェスティヴァルだったが、今年もコロナ禍の中での開催となった。ライヴ・ストリーミング+有観客でのコンサートで、ストリーミングもまた他にない手法によるものだった。
続きを読む最近作『CHAT ME』(NOMAT)、楽音を排したノイズから立ち上がるサウンドに、コロナ禍が続く中で擦り切れそうになっている今この時代の感受性が共振しているように思えた。
続きを読むメールス・フェスティヴァルが今年50回目を迎える。日本でもよく知られており、日本人ミュージシャンも数多く出演してきただけに、このフェスティヴァルと日本の繋がりについて振り返ってみたい。
続きを読む今年で第50回を迎えるメールス・フェスティヴァル、そこで最も観客を沸かせた日本人グループは渋さ知らズだ。ヨーロッパでは全く無名の彼らが1998年に初登場し大成功する、その先駆けとなったのが第25回、1996年のフェダインのステージだったと私は思う。
続きを読む『近代日本の音楽百年』は音楽史としても側面も持つが、文化受容を多角的に捉えることで日本の近代を音楽面から捉えた本といえる。
続きを読むこの3ヶ月ぐらいに出版された音楽本のなかで、幾つか目ついたものを取り上げてみたい。ここで取り上げる3冊『スティーヴ・レイシーとの対話』『阿部薫2020』『AA 50年後のアルバート・アイラー』は単著ではなく、複数の著者による編集本で、編集者の意向が強く反映された書籍だ。
続きを読むイギリスのギタリストで、即興演奏のコンサート・シリーズ Mopomoso での活動で知られるジョン・ラッセルが亡くなった。
続きを読む音楽の聴取形態が変わったとしても、そのベースとなるミュージシャンのリアルな音楽活動なくしては音楽は成立し得ない。まだ先は見通せないが、コロナ禍が収束する時期がくることを願うのみである。それまで生き延びれるように必要な支援策をとってほしいところだ。
続きを読むピアニストの林正樹は公園通りクラシックスの存続を願い、オンライン・イベントを3回に亘って主催した。コロナ禍で海外ミュージシャンのとの交流がリアルでは難しくなっている昨今ゆえ、出演者は日本在住ミュージシャンがほとんど。プログラムからもわかるようにローカルシーンの豊かさと日常の大切さを改めて気づかせてくれた。
続きを読む今年(2020年)の元旦、林栄一が古希を迎えた。それを祝して、新宿ピットインでは「俺たちの栄ちゃん Happy 70th Birthday Live」と題した 2 days が1月10日と11日に行われ、そのライヴCD『林栄一 Mazuru Orchestra / Naadam 2020』も秋にリリースされた。
続きを読む即興音楽が最高のエゴの音楽、サウンドの主観性に立つ音楽だったとするならば、まさしく阿部は当時の即興演奏家の中でも最高峰のひとりだったと言える。阿部にまつわるエピソードには事欠かないし、彼についての言説もまた多い。しかし、いったん雑念を取り払って、純粋にそのサウンドに向きあって聴くことが、21世紀の今求められていると思う。
続きを読む最後の数年間は、毎年のようにJAZZ ARTせんがわに出演していたので、フェスティヴァルや場所と結びついて沖至が思い出される。いつもどこかで会う度に、沖至はパリの空気を纏っているような気がした。
続きを読むあらゆる声による表現を駆使し千変万化するサインホのヴォイス に、循環奏法とマルチフォニックスを駆使しつつも、ブルージーな楽音や尺八も交えるローゼンバーグ、そこにDieb 13がノイズやサウンドをレイヤーのように重ねることで、音宇宙が広がったといえる。このステージで繰り広げられたのは音による即興無言劇とも言えるかもしれない。
続きを読む公園通りクラシックスのような小規模なヴェニューが実は音楽活動の現場では重要な役割を果たしてきていることは中々認識されていない。しかし、ライヴ・ミュージシャンにとっては演奏する場があってこその音楽なのである。この状況下、苦境に立たされているところも少なくないと思う。事情が許すのなら、出来るだけライヴに足を運ぶということ、それはヴェニューにとってもミュージシャンにとっても助けになるということだけは確かである。
続きを読むライヴの現場がコロナ以前に戻るにはまだまだ時間がかかるだろう。ライヴストリーミングやオンライン上での音楽活動の試行錯誤はこれからも続くといえる。実演の代替としてのオンライン・セッションよりも、オンラインで現代のテクノロジーだから制作出来る音楽、あるいはバーチャル空間でしか出来ないミクスト・メディア的なものを含めた新たな試みが行われることを寧ろ期待したい。
続きを読む多くの音楽イベントが中止または延期を余儀なくされる中、ドイツのメールス ・フェスティヴァルはプランB、つまりライヴ・ストリーミングによるフェスティヴァルを決行した。スローガンは “new ways to fly”、プランBによる開催はその言葉通りの試みだった。
続きを読む渡辺白泉のよく知られた句に「戦争が廊下の奥に立ってゐた」というのがある。それを今に例えるならば廊下の奥に立っていたのはコロナだが、その向こうのポストコロナはまだ見えない。その全ては現在の試行錯誤なくしてあり得ないだろう。それも生き延びてこそ、なのである。
続きを読む幸い音楽ファンには、ライヴに行くことは出来なくても自宅でCDなどを聴く楽しみはある。もし余裕があるならば、CD(ダウンロード)を購入すれば幾ばくかミュージシャンあるいは音楽関係者の助けになるということを付け加えておこう。
続きを読むアレクセイ・クルグロフは、Leo Recordsのレオ・フェイギンに「クルグロフはガネーリン・トリオの真の継承者だ」とまで言われたミュージシャンだ。クルグロフの表現はロシアの前衛ジャズ/フリージャズの特色を引き継ぐものといえる。
続きを読む2019年はフェスティヴァルによく足を運んだ年だった。6月7日〜10日に開催されたドイツ、メールス ・フェスティヴァルに行ったのを皮切りに、結果的に11月までの間に野外フェスから小規模なものまで7つのフェスティヴァルに出かけた。それを振り返る。
続きを読むチューバ奏者、高岡大佑と2人のドラマー/パーカショニスト、石原雄治と藤巻鉄郎によるインタープレイは「即響」という言葉が似つかわしい。公園での録音だが、環境音や蝉などの鳴き声と演奏の絶妙なバランスといい、その取り込み方はまさに借景だ。2019年に聴いたCDの中で一番の異色作。
続きを読む観たのは東京ドイツセンターでの最終日のみだが、会場のあちこちに位置した複数の出演者によるパフォーマンスがノンストップで、しかも様々な組み合わせで変化しつつ、同時進行で繰り広げれられる様は刺激的だった。
続きを読む世界的に近代の枠組み、リベラルな価値観が崩壊しているとしか感じ得ない日々、それに伴う漠然とした不安感、不穏感が漂う現在のリアリティ、それを体現したステージだった。
続きを読む第14回アルバート・マンゲルスドルフ賞(ドイツ・ジャズ賞)の受賞者はパウル・ローフェンス Paul Lovens に決まり、ベルリン・ジャズ祭会期中の11月3日に授賞式が行われた。「ジャンルの境界を再定義した独創性のある即興演奏家」であることが評価された。
続きを読む私は「渋さ知らズ」をジャズや日本のアンダーグラウンド文化に深い根をもつ舞台装置だと表したい。出入り自由の(側から見ればかもしれないが)風通しのいい空間であればこそ、これほどの創造的パフォーマンス集団を維持出来たのだと思う。もちろん、ダンドリスト=段取り屋さんとしてこの集団を仕切る不破大輔の器量と才覚があってこそだが。
続きを読む即興音楽を聴く/聴いてみようと思う人のためのガイド本。ターゲットにしているのは、コアなファンだけではなく、むしろ即興音楽の周辺で入口を見つけられずにいるリスナーや、即興音楽に接したことはあるがどう聴いてよいかわからないでいる人たちだ。著者は聴取行為をバード・ウォッチングに喩えながら、軽快な筆致で即興音楽に馴染みのないリスナーにも聴取のポイントを解き明かし、即興音楽の深い森に入っていく。
続きを読む存続が危ぶまれていた「JAZZ ART せんがわ」だったが、関係者有志が立ち上げたJAZZ ART実行委員会の粘り強い交渉により、調布市の共催を得て、開催に漕ぎ着けたのは特筆の値する。所感と各ステージの模様をスライドショーにて。
続きを読む『姜泰煥+高田みどり/永遠の刹那』(NoBusiness Records)がリリースされた。1995年の姜泰煥と高田みどりとのデュオのライヴ録音である。今年4月来日時に姜泰煥の演奏を観ているだけに、90年代半ばの彼の姿を懐かしく思い起こしながら聴いた。
続きを読む2019年度のベルリン・ジャズ賞 Jazzpreis Berlin はアクセル・ドゥナーに決定。一般的なジャズとは異なった方向性で独自の道を探求してきたアクセル・ドゥナーにジャズ賞が与えられるのは、国籍を問わず様々な背景を持ち芸術家や音楽家が多く住み、交流しつつ未来へと繋いでいるベルリンならではなのかもしれない。
続きを読むメールス・フェスティヴァル現音楽監督ティム・イスフォートの「フェスティヴァルを当初の精神をもって続けていきたい」という言葉に背中をおされ流ように十数年ぶりにそこに足を運んだ。
続きを読むメールス・フェスティヴァル1日目と2日目のステージをスライドショーで。
続きを読むメールス・フェスティヴァル3日目と4日目のステージをスライドショーで。
続きを読むメールス村を始めとする会場周辺をスライドショーで。
続きを読む齋藤徹の軌跡は私の記憶の中でさまざまな事象にシンクロしながら、その時々の音楽動向、即興音楽を取り巻く変遷と共に蘇ってきた。それは「音をさがして」の旅だったのではと今にして思う。
続きを読む11年継続した「JAZZ ART せんがわ」がこのまま終了してしまうとしたら非常に残念である。「JAZZ ART せんがわ」存続に向けてJAZZ ART 実行委員会が立ち上がり、4月17日にイベントを行い、現在Web上で署名活動を行っている。
続きを読むフレッド・フリスの3枚組CD『All Is Always Now』を聴き終えて、作品に彼の世界観がよく現れていると思った。音楽的な戦略は以前からの一貫したもので、その強度は一層増している。それにしても、All is always nowとは。絶妙なタイトルをつけたものだ。
続きを読む音楽業界ではサブスクリプション方式のストリーミングが伸びているというが、実際のところはどうなのだろう。
続きを読むフリージャズ特有のダイナミズムと緩急自在な表現によって、今日的なアクチュアリティを表出させる「ARASHI」の演奏はフリージャズの今日的な有効性をよく表していると言っていい。
続きを読む昨2018年11月13日に亡くなった片山広明への追悼の意を込めて。無類のサックス吹きに献杯!
続きを読む今年出版された数多いジャズ関係の書籍の中でも特に注目に値する2冊の本について、英語での出版物であるが画期的な出版物だったので、敢えて取り上げることにした。
続きを読む2016年11月、ベルリン・ジャズ祭でのグローブ・ユニティ・オーケストラ50周年記念コンサートのライヴ盤。
続きを読む3者それぞれ、名匠にふさわしい技量があればこそ、超越した音楽観があればこその演奏だった。
続きを読む