#04 仲野麻紀&野口UFO義徳 Live at Bitches Brew 白楽
リアルでは丸の内Cotton Clubでの nagaluフェスと白楽Bitches Brewでの仲野麻紀の2回公演が白眉。
続きを読むJazz and Far Beyond
リアルでは丸の内Cotton Clubでの nagaluフェスと白楽Bitches Brewでの仲野麻紀の2回公演が白眉。
続きを読むこのバンドほど一流の音楽性とエンタメ性を兼ね備えた例を他に知らない
続きを読む様々な土地やシチュエーションで演奏することで、それぞれの息を感知し、それ自体がわたくし自身の息(呼吸)になる=命である.。
続きを読む今、自分に出来ることは人々を勇気づける、あるいは疲弊した心を癒せる音楽を作りだすことだと思いました。
続きを読む好きな歌がたくさんあって、誰かが歌い継いでいかないと、という気持ね。
続きを読む手作りの「ワールド・ジャズ・ミュージアム 21」のプレ・オープニングが 12月26日まで開館中。12月19日には外山喜雄とデキシーセインツが出演。
続きを読む彼はひどく病んでいたのです。音楽が彼を支えていました。私が何かを足しても、彼が音楽から受けるエネルギーにはかなわなかったのです。
続きを読む「働き方改革」「多様性の時代」...呪文のように唱えるだけでなく、誰もが「刀」や「わらじ」を自由に使える時代の到来を急ぎたい。
続きを読むジョージ・ムラーツとミロスラフ・ヴィトウス、同時代のジャズ・シーンを生きながらそれぞれが独自の道を歩んだ二人の偉大なチェコ・ジャズ・ベーシストのひとりが地上から姿を消した。
続きを読む彼は、私に対する気持ちをとても率直に伝えてくれて、彼が私と一緒になることが重要だと感じている、というものでした
続きを読むジョージ・ウィーンは1950年地元ボストンにジャズクラブStoryvilleを開店、翌51年レーベルStoryvilleを開設した。
続きを読む当誌悠雅彦主幹とは同窓でお互いに肝胆相照らす友人同士だった。
続きを読む30年以上にわたるコンテンポラリー・ミュージシャン、マイルス・デイヴィスとコンテンポラリー映像作家・内藤忠行の魂の触れ合いの記録。
続きを読むパラリンピックを観ていると左半身の自由を失ったキース・ジャレットにもいろいろな可能性が見えてくる。
続きを読むこの著書は、サッチモに関するバイブルであると同時に音楽人としてどう生きるべきかを気付かせてくれる人生のバイブルでもある。
続きを読むジャズにそれほど精通していなかったバート・スターンが心に響いた音楽を中心に編集したユニークなドキュメンタリー映画だ。
続きを読む私達はミュージシャンですが、同時にサッチモとジャズの黄金時代に憧れジャズの故郷を体験した、ある意味生き証人、だと思います。
続きを読む今から思えば、結果的にあのテーマ曲「Merry Christmas Mr. Lawrence」を含むサントラ全てが作曲される現場に、僕24歳のフリーランス録音エンジニアとして参加していました。
続きを読む彼らと同等の才能と影響力を持つピアニストは果たして今後現れるのだろうか。チック・コリアのレガシーを前にしてあらためてその感を強くした。
続きを読む20世紀最後の20年間に芒洋と広がる音楽の大海に自分なりの航路を見出すための羅針盤となるのがこのディスクガイドの役割ではないだろうか。
続きを読むメンバーの顔に浮かぶ笑みが何より彼ら自身が演奏を楽しんでいることを実証していた。
続きを読む機が熟すのを待って制作した12年ぶりのソロ・アルバム。ichiko ワールドが全開。
続きを読むアンサンブルが難しい2本のフルートでありながら、こんなに二人のスタイルが違うのに、なんの苦労もなく合ってしまうという相性に何か見えない力で引き合わされているという感が強いです。
続きを読むソニー・シモンズはサックス奏者として知られているが、ソニー自身は最初の楽器、イングリッシュ・ホルンあるいはコーラングレ奏者と自認している。
続きを読む本人の口から語られる様々なエピソードを歌手で著作家でもあるベン・シドランが書き綴ったオーラル・バイオグラフィーである。
続きを読むステイ・ホーム中のファンにナマの臨場感を味わっていただこうとクラブ・ライヴを編集無しでCD化しました。
続きを読む2021年3月17日付けニューヨークタイムスにピアニスト/コンポーザー藤井郷子のインタヴューが掲載れた。
続きを読む被写体のキースが2度にわたる脳卒中でリハビリ中であることは周知のとおりだが、撮影者のロベルトも病床で白血病と闘っている。
続きを読むぼくのバンド The Marvel (ザ・マーヴェル)が誕生したこと自体が Marvel(奇跡)なんだ。
続きを読む楽曲ありきで音楽をしているので、ギターのサウンドが必要であれば入れるし、とくに要らなければ無理には入れないようにしてます。
続きを読む多くの人々の前で演奏するのではなく、限りなくインティメイトな関係性の中で、音を放つことができれば。
続きを読む自分にとって自然に表現できる完全即興のソロで演奏したいという気持が強くなったので、ソロで演奏を再開し、アルバムも作りました。
続きを読む関根みちこMichiko Sekine
続きを読む総じて、とくに企画者の細田成嗣につながる新世代のトークとライヴに脳のシワにたまった澱(おり)をきれいに洗い流すことができた。
続きを読むストラータ・イーストからリリースされるアルバムは、レーベルの意向を受けることなくミュージシャンが本来志向する音楽をストレートに表出することができた。
続きを読む絶頂期にあった3者がテーマから予断を許さない展開を見せるスリルと傑出した内容に何度聴いても惹き込まれるのだ。
続きを読む高柳が没する半年ほど前の井野信義、菊地雅章との演奏だが長年連れ添った井野がコントロール・タワー的役割を演じている。
続きを読む開催直前に病没した沖至の姿は会場には見かけられなかったが、沖至のソウルと音楽はまちがいなく会場にみなぎっていた。フェスティバルのプロデューサ−3人が組んだユニット「Jazz Art Trio」に沖はスクリーンから参加した。
続きを読む僕の長いジャズとの関わりのなかでも知り得たジャズ・トリオの演奏としては5指に入るのではと自負している。
続きを読むここで取り上げた「Great 3」のHS-DAT2作は、パイオニアのHS-DATデッキD-05用に製造・販売されたソフト。
続きを読む日本のミュージシャンと共演して世界に通用するミュージシャンが多いことを知りました。
続きを読む海外ミュージシャンの招聘活動も積極的に行い、その数はのべ23名にも達する。特に82年には、オランダを拠点にするインターナショナルグループ「ICPオーケストラ」を招く。
続きを読む彼が終生名乗っていた IMAは International Music Activity のイニシャルで(僕は密かにIMAは故郷の今治市の今と、現在の今にも通じると思っているのだが)、まさに音楽事業も彼の音楽活動の一環であることを表しているとおもう。
続きを読む心療内科医でジャズ・シンガーの海原純子が立ち上げたシリーズで、医療だけでは手の届きにくいこころの隙間に音楽という手段を通じて手を差しのべようとする試み
アルバム『アニヴァーサリー』のバンドメンバーで日本をはじめヨーロッパや北米、南 米など世界中をツアーで回ることが夢です。
続きを読む沖さんは時と場所、相手にかかわらずいつでもどこでも沖至でいられる稀有な音楽家だった。おそらく体幹にしっかりとメインストリームを蓄えているからだろう。スピリットはつねにフリーであったとしても。
続きを読むゲイリー・ピーコックにつながる僕個人の最大の軌跡は、1994年の菊地雅章、ゲイリー・ピーコック、富樫雅彦のトリオによる「Great 3」である。
続きを読むジャズ・ファンは、“マカロニ・ウェスタン”や“ダーティー・ハリー”の稼ぎを「バード」に注ぎ込んでくれたクリント・イーストウッドに感謝の念を忘れてはいけない。
続きを読むそこまで苦労をして聴きたいのか。聴きたいのだ。皆、そういう思いで猛暑を厭わず会場に足を運んでいるのだ。
続きを読むクラブ側の対応は上記の通りで採算を度外視した最大限の配慮がなされているとみるべきだろう。バンドも編成を縮小して臨んだ。
続きを読むModern World Symphonyでは、ジャズであったり、プログレッシブロック、フュージョンといったジャンルの枠には囚われない形で自分の音楽を表現したいと思っています
続きを読むキース・ジャレット(1945年5月8日 -)生誕75周年。
続きを読む映画のストーリーに没入しながらこのメロディが流れてくると男性でも涙腺が緩むのではないだろうか?女性のピアノ弾きが競ってマスターしたがるのも容易にうなづける美しい曲だ。
続きを読むやはり、人間が生きていく上でナマの楽器の音、音楽は欠かすことができない絶対必要条件のひとつであることを確信した瞬間だった。
続きを読むジェフ・コスグローヴが敬愛するポール・モチアンに続いて取り上げるウィリアム・パーカー作品集。
続きを読むCovid-19 がパンデミック化した状況下、Stay Homeを余儀なくされたジャズ・ミュージシャンは3密を良しとする職場を奪われどのような対応を見せたか?
続きを読むフリーランスのミュージシャンという職業があるということを知らない役所の方がいっぱいいるらしいです。フリーランスとフリーターの区別がつかないらしくて、まずは就職活動してくださいと。
続きを読むこの状況で4月半ばにはフェスを決行する決断をし、そしてそれを実現したディレクター、フェスチームに脱帽です。なかなかできることではないし、ミュージシャンとして彼らから勇気をもらえました。
続きを読む違反なのでポリスが来て調書を取られた。名前を聞かれたコニッツは「フィル・ウッズだ」と答えるんですよ。真面目な顔して。
続きを読むこの時点でコニッツの異彩を見抜き、3枚のアルバムを制作したジョージ・ウィーンの慧眼はさすがというべきだろう。
続きを読むジャック(ディジョネット)のドラムはよく歌い、しなやかさが特徴だがジョージさんもまったく同じ。スケールが大きいところも共通している。
続きを読むうまい、へたはさておいて、これが彼女の心からの「音楽という贈り物」なのだ。今年古希を迎えたベニシアさんへの日本の仲間たちからの贈り物でもある。
続きを読む僕の夢は今まで以上により意義ある音楽を創り続けて、世界にポジティブな貢献をしていくことだ。
続きを読む対決や優劣ではない。むしろ相手を抱え込む懐の深さだ。しかし、そこに張り詰めた緊張感は只者ではない。
続きを読むベテラン・トリオが聴衆と即興の醍醐味を共有する巧みさを発揮した秀作。
続きを読む藤井郷子の多作家ぶりはつとに知られたところだが、その成果が見事に現れたデュオとトリオのコンサート。
続きを読むECMからデビューした福盛進也は日韓を中心にアジアに新しい地図を描こうとしており、こういう新世代の台頭をたいへん心強く思い、できる限りサポートしていきたい。
続きを読む偉大な父、ポール・ブレイの支配から逃れて、封印していたピアノを弾けるようになったヴェネッサだったが。
続きを読むふたたび音楽に光明を見出し自立するまで、時に痛ましく、時に愛おしいひとりの女性の生きざまがむしろ淡々と語り継がれていく。
続きを読むジャズのメインストリームを半世紀以上にわたって走り続けてきた男が世代の架け橋になるというミッションに燃えた。
続きを読むLPアルバムの復活があちこちで聞かれる昨今だが、藤岡にとっては作品発表の場としてまたとないチャンス到来といえるだろう。
続きを読む11月に『ECM catalog 増補改訂版』の上梓で「ECM50周年」が一段落したと思ったら、続いて「山下洋輔トリオ 50周年」が巡ってきた。
続きを読むECMアーチストによるアジア発のこの手作り公演がアジアにおけるECMの今後の展開を示唆していると言っても過言ではないだろう
続きを読むECM録音の特徴となる「鮮明」で「透明感」のある音はマンフレート・アイヒャーとの近しい共同作業を続けながら確立していったのだ。
続きを読むオスロのレインボウでの録音が少なくなてきたのは、やはりヤン・エッリクの体調の問題が関わっていたのではないだろうか?
続きを読むこのカタログはその偉大な男マンフレート・アイヒャーの正確な軌跡を綴るべく心がけた。
続きを読む文は人なりというが、音もまた人なり。岡まゆみ、Kishiko、海原純子3人のアルバムを聴いてさらにそのことを強く思った。
続きを読むいくらバッシングされようとまた音楽をスタートさせようとしたのが(復活の)きっかけといえばきっかけです。
続きを読むここ15年は本当に人生のすべてを絵と音楽に捧げてきたと言っても過言ではないと思う
続きを読む阿部薫の絶頂期のライヴ演奏を収めた『アカシアの雨がやむとき』から抜粋した<恋人よ我に帰れ>を収録した非売品ミニ8cmCD。
続きを読む声が弱くなるかもしれませんが、しかし、歌心はなくならないでしょうからそれを持ってありのままの私を表現し続けて行きたいものです。
続きを読むそのイベントが26年間、300回続いた、これは行政がらみの地域イベントとしてはほとんど奇跡に近い事例ではないだろうか。
続きを読むロール式ピアノで歴史的演奏を再現することは決して懐古趣味ではなく、文字通り“温故知新”、過去の演奏を聴いて新しい事実を知ることにある
続きを読むサン・ラ・アーケストラのスインギーかつグルーヴィーな演奏は最高で、渋さのややルースな演奏も野外フェスにふさわしかった。
続きを読むカウント・ベイシーのようなまん丸な音が出せたらなぁ〜と日々思っています。
続きを読む今年10月には望月由美さんゆかりの「阿佐ヶ谷ジャズストリート」で、渋谷毅のエッセンシャル・エリントンが「エリントン生誕120周年」を祝うコンサートを行うという。
続きを読む究極の夢は、ヨーロッパやアジア、もちろん自分の国、日本でも定期的に演奏できるもっと国際的なアーティストになることです。
続きを読む僕とボサ・ノヴァとの出会いは、1965年夏に観たMGM映画『クレイジー・ジャンボリー』だった。
続きを読むすべて僕のオリジナル作品。僕はバンドリーダーが適宜買い揃えた編曲を演奏するのではなく、特定の作曲家の作品を演奏するバンドが好きなのだ。
続きを読む今歌っている原動力は、「JAZZは人生を語る歌」なので、人として100%命がけ!何をやっても、いつもいつも100%命がけ!です。
続きを読むマンフレート・アイヒャーの美学に支配されていたレコーディング・トリオから一歩前進、アイヒャーの美学を栄養としながらもアイヒャーの呪縛から脱却した新しい福盛進也トリオが歩みを始めたといえよう。
続きを読む本来なら唇の振動を音にする楽器なのに、唇の振動を最小限に抑えて、息や声を吹き込んでいく、「気息」と呼ばれる演奏法。
続きを読むでも信じてやれば叶うこともあるんだと、自分は間違ってなかった、と胸を張って言えますね。
続きを読む政治がいくら危機を煽り立てても、好きな人は軽く海を越える。情報交流が盛んになった今、日韓は、違いを楽しみ、共通を分かち合える関係になれると思います。
続きを読むローマ教皇の御前で演奏したあの曲が30年後の今、エストニア国立合唱団により東京のホールで演奏されている...
続きを読むドラムレスだが鈴木の懐の深いベースがバンド全体に安定感をもたらし、ベテラン揃いの演奏にヒューマンな香りさえ漂わせる。
続きを読む長い間ジャズを聴いてきたが、これほど充実したビッグバンド演奏は空前絶後である。
続きを読む児山さんは時代が求めた編集者だったのだろう。
続きを読む児山さんのキャリアの成功の源は「スイングジャーナル」という専門誌の権威付けにあったと思う。
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