#182 Elio Villafranca エリオ・ヴィジャフランカ
90分以上に及ぶ2枚組大作『シンケ』(チンクェ)は、数奇な運命を辿った奴隷シンケを中心にカリブ海の奴隷問題と、彼らが持ち込んだ宗教と音楽のネイティヴのそれらとの混淆により生まれた独自の音楽が焦点。
続きを読むJazz and Far Beyond
90分以上に及ぶ2枚組大作『シンケ』(チンクェ)は、数奇な運命を辿った奴隷シンケを中心にカリブ海の奴隷問題と、彼らが持ち込んだ宗教と音楽のネイティヴのそれらとの混淆により生まれた独自の音楽が焦点。
続きを読むどなたか、朝隈賢治さんの消息をご存知の方はおられないだろうか。
続きを読む日本のリスナーは、リトアニアでもそうですが、われわれの演奏しているインプロ系の音楽はリスナーがいてこそ成り立つということを理解しているのですね。
続きを読む還暦記念『月刊 藤井郷子』第12弾
続きを読むアレックス80歳、高瀬70歳、『Iron Wedding』を誇るふたりにとっては記念すべきリリースとなった。
続きを読む願わくば新たなスペースにおいて「Jazz Art」が継続されんことを。
続きを読むリューダスは4日間を通じ気力、実力ともに充実し切っており胸を借りるつもりの日本勢をインスパイアしつづけ、それに応えた日本勢と素晴らしい演奏を展開した。
続きを読むサブタイトルに「音楽で生きていくために」とあるが、決して「音楽家」を目指す者だけに限られた内容ではない。
続きを読むジャズ・プロデューサーにとって自分のレーベルを持つことは夢である。
続きを読む周年に過去を振り返るのではなく、次の周年に向かって若い世代とともに前進する、金 徳洙師の意図は充分伝わってきた。
続きを読む宮沢明子は菅野沖彦さんを<音の神様>と呼んだが、僕は<音の匠>と名付けた。
続きを読むカナダとの提携も始まり、まさかこのイベントが中止されるなどとは想像だにしなかった。
続きを読む早々にエストニアを離れたものの当然のこととはいえアイデンティティとしてはしっかりエストニアンなのだ。
続きを読む結局、Nadjaレーベルは内外のアーチストの音源を中心に40タイトル以上の作品をリリースし、アーチスト自身によるいわゆるインディ・レーベルの台頭とともにその役目を終えたのだった。
続きを読む今回の企画のポイントは、jazz concerto。オケ(ビッグバンド)とソロイストの協奏だ。しかも、ノンPAでワンポイント録音に挑戦するという。
続きを読む「高齢者、障がい者、そして赤ちゃん連れ、と色々な人が一緒に楽しめるコンサート、が実は私の理想でもあります」と横田さんは言う。
続きを読むクラーベを理解することが世界の音楽との共通言語を習得する早道なのです。
続きを読むジャズは鮮度が一番です。ジャズの伝統を尊びながらいつ、何回聴いてもあきることなく、古さを感じさせないアルバムを揃えることができたと思っています。
続きを読む「体感する現在進行形ジャズ」が写真とエッセイで綴られ、NYのジャズシーンの熱気に手が汗ばむほど。
続きを読む豊住さんはたしか東京芸大を卒業しているはずだが、それも確かではない。彼にとっては(多分)どうでもよいことだから直接聞いたことはない。
続きを読むkokotobの凄いところはそこだよね。誰かが曲を持ってきて、自分の考えを固持しようとするのではなく、意見を出し合い、それをみんなで試していくみたいな。
続きを読む自作のピアノ協奏曲のオーケストレーターを探していた山下は挟間へのテストとして山下とセシル・テイラーのデュオ演奏のオーケストレーションを課したというからその突飛な発想に驚き、感心した。
続きを読むジャズ・ライヴには珍しく文字通り身体いっぱい元気をもらった一夜だったが、いちばん楽しんだのはかつてのロック少年、藤原清登だったかもしれない。
続きを読む日本のツアーでは仕掛けやグルーヴの指定のある書き譜を基にした演奏と即興の両面を披露します。
続きを読む福盛進也トリオを生で聴いて、宮沢賢治も<愛燦燦>も<満月の夕>を含めすべてのレパートリーがすでに彼らの血肉と化しており、何の違和感もなく胸に響くことを知った。
続きを読むヴァネッサは、3歳の頃からピアノに慣れ親しんでいるとはいうものの、どこかピアノを畏怖するような接し方である。
続きを読む70年代のセシルの音楽には、都節(みやこぶし)音階という日本の音階がふんだんにでてきます。(中略)あれだけ強烈に自在に弾き倒しておいて、最後が能楽の「音取り」のようになって終わる。おおっ!と思いましたね。
続きを読むベテラン今田勝のアルバムだから随所に名人芸を聴きどころとするハイ・センスのジャズ・フュージョン・アルバムを世に出す必要がある。
続きを読む4月17日、東京・渋谷、ひとりの才能溢れる若き女性音楽家の翔びたつ姿を僕らは目撃することになる。
続きを読む多分3歳の時だったと思うけど、両親に連れられてNYCに行き、スイート・ベイジルで父(ポール・ブレイ)がジミー・ジュフリーと演奏するのを聴いた時ね。
続きを読む「鯉沼さん、プロモーターとしてやり残したことはないでしょう?」「プロモーター? 俺は興行師だよ!」。大興行師・鯉沼利成と音楽人としてのキャリアの一部を共有できたことは光栄かつ名誉なことである。
続きを読むちなみに、「I ❤ Vinyl 」のVinylは「ヴァイナル」と発音し、アナログレコードのこと。欧米では一般にアナログレコードの原料がビニール樹脂であることからVinyl ヴァイナルと呼ぶ。
続きを読むなんと言ったら良いか、“日本が世界に誇るべき国際的な名ジャズ・ファン”とでもいうしかないですね。
続きを読むトリオレコードが初めて全社一丸となって制作したアルバムが完成した。
続きを読むこの1本だけLPリリースがなくCDだけで終わっているのは、想像を超えるダイナミック・レンジの広さと予期せぬ音の跳躍にカッターヘッドがトレースできないという物理的理由による。
続きを読む現実にはFukushimaを共有していないニューヨークのミュージシャン達にここまで深く共感させ得たのはひとえに藤井のスコアの力だろう。
続きを読む今年聴いた中で海外編として3本取り上げたが、いずれもJazzTokyoがらみで気がひけるが、音楽にかけるひたむきさ、真摯な態度が共通してみて取れ、心打たれた。
続きを読む艱難辛苦の連続だったろうがある意味で贅沢極まりない10年間の主宰を終えて杉田は後継者にバトンタッチするという。
続きを読むメンバー各人の「演奏力」、バンド全体としての「一体感」、バンドの個性を生かした「アレンジ」、ステージの「全体構成(選曲/MC )」の4点を評価基準とし「グランプリ」のみが選出された。その結果、「関西大学ジャズ研究会」がグランプリを獲得した。
続きを読むシンセが叩き出すポリリズミックなリズムにジャックがシンセでイントロのメロディを乗せる。いつのまにかスタジオに入ってきたレスターがテーマを吹き出す。背筋に電流が走った。
続きを読む近藤等則、サムルノリ、姜泰煥ソウル・ジャズ・トリオという、いわゆる東アジアのミュージシャンたちが初めて一堂に会した画期的イベント。
続きを読むユッスー・ンドゥールが高松宮殿下記念世界文化賞の「音楽部門賞」を受賞した。
続きを読むペテルスブルグではジャズ・フェスは2つある。ペトロジャズ (Petrojazz) からは僕らの音楽はサイケ過ぎるという理由で出演を拒否されたんだ。
続きを読むJT: 新作をジャズと呼んでほしいですか?
平林: いろいろな要素が入っていると思います。ジャンルにはこだわっていません。
元彦さんは皓正さんを「兄貴」と慕い、皓正さんは元彦さんを「トコ」と何かにつけ目をかけていた。二人はとても生真面目で真摯に音楽に立ち向かい、自らを厳しく律していた。
続きを読むとりあえず、10年間お疲れ様でした。機会があればまたレコード・ジャケットの撮影をお願いしたいね。
続きを読むバディ・リッチで幕を開け、ベイシーで閉じる、アメリカの豊穣なジャズ文化だ。白人隊員中心の軍楽隊だが、アフリカン・アメリカンのバリサックスもいる、女性隊員のトロンボーンとヴォーカルもいる。
続きを読むジェリは、純な心と芸術性を映し出す極上のプリズムとして輝いていたし、今も輝き続けている
続きを読むこのギター・ファンが狂喜すると思われたフェスは半ば成功、半ば失敗に終わった。
続きを読む9月にグループ「Time is a Blind Guide」での来日との情報に接しましたが、すでにマンフレート・アイヒャーのプロデュースで2作目のアルバムも完成しているという。
続きを読む今となっては、当時のリサイタルそのままに、カルテット、ソロ、オケのすべてを聴いて見たい気がする。
続きを読む2007年8月22日、富樫雅彦が逝って早くも10回目の夏を迎えようとしている..。
続きを読む池袋を本拠地とするムジカフォンテが、豊島区の歴史に取材したミュージカルを上演するのは今回で4度目だという。「あの川、そこの川〜谷端川の物語〜」。
続きを読むその布で、ミシャはピアノを、ハンはドラムセットを被せ、紐で縛り始めた。聴衆は固唾を飲んで見守るばかり。楽器を縛りおえた二人は黙って会場を後にした。残された聴衆は一瞬の間ののち大きな拍手と指笛で彼らのパフォーマンスを讃えた。
続きを読む背筋を伸ばし上半身を直立させて弾くラリーに対し、背中を丸めギターのボディに覆いかぶさるようにして弾く山下。この姿勢はおそらく大きなギターを抱え込んで弾いていた幼少の頃の癖が抜けきれないのだろう。
続きを読むデコラティヴな奏法ながら全体としては設計のしっかりした構成美に富んだ横田の演奏からはどこかガウディの建築が想起されたといえば言い過ぎだろうか。
続きを読むその潔さとみずみずしさはジャズの本場からアウェイでいられることの大いなるプラスの面に違いない。
続きを読む観客は、橋本がホステスを務めるTVジョッキーに中村がゲスト参加した番組を生で観ている風情。ボサノバらしいなんともインティメートな雰囲気に満たされた、しかしとびきりゴージャスなひとときだった。
続きを読むその人の音楽上のアイデンティティは、多少の差はあってもあれこれのミュージシャンの無数の影響が集積されたものではないでしょうか。
続きを読むG-Modern 25号を開いてみると、灰野敬二、JOJO広重、非常階段などの固有名詞があちこちに踊っている。表4の広告は灰野敬二のドラム・ソロのアルバムだ。そう、G-Modernは言ってみれば彼らの牙城だったのだ。
続きを読む編集に注力する末富とITを駆使する河合、この名コンビが実現した電子ブック/オンデマンドによる「フリー・ミュージック」の刊行はスタートを切ったばかり。今後どのような企画が飛び出すかまったくもって目が離せない。
続きを読む尻込みする西村の尻を叩いた村田マネジャーに連れられて大阪府立体育館のかぶりつきに座る。3番手の田村潔司の場面で流血、血しぶきが飛んでくる。常連と思われる前列の客が開いた傘で血しぶきを避けながらの観戦となった。
続きを読む盤面には「Limited Edition」(限定盤)と表記され、ジャケットには「124」と刻印されている。おそらく、年始用に200枚くらいプレスされたうちの124番目ということだろう。
続きを読む1978年5月、NYサウンド・アイディア・スタジオでのジョージ大塚「マラカイボ・コーンポーン」をプロデュースする菊地雅章。多くの “ECMアーチスト” が参加した。
続きを読むメーメトはこのアルバムを通して、西欧とイスラムが対立する中、それぞれ出自の異なるミュージシャンが出会い、トルコ(イスラム)の音楽とジャズの融合を通してお互いをより深く理解しあうことが大切であることをアピールしたいという。
続きを読むブラジル色を強く打ち出してきたRacha For a(ハシャ・フォーラ)が今年はジャズに重心を移し、自由に動けるようにとフルート、ギター、パーカッションのトリオ編成を基本としてチャレンジしてきた。
続きを読む僕のジャズ・キャリアの中でAACMとECMに出会えたことはとても幸運だった。AACMのCMは Creative MusiciansだがECMのCMはContemporary Musicだ。Creative MusiciansとContemporary Music、これ以上、何を望めばいいのだろう …)。
続きを読む“Dr.Jazz”こと内田修先生の訃報と時を同じくして届けられた。岡崎市制100周年の記念事業として編まれたものだから、刊行が先生の死と相前後したのはまったくの偶然だろうが、先生はこの労作の完成を目にされたのだろうか。
続きを読むさらに、今後も藤井のアーティスト活動を支援していくという。かつてのパトロンのような存在だが、動機は極めて純粋だ。
続きを読む身を以てジャズの伝統、スピリットを次世代に伝えるべく献身するディジョネットの心意気に打たれる。
続きを読む意欲的、かつ挑戦的なプログラミング、大ホールを満員にする集客力、その満員の聴衆に有無を言わず自分の世界に引きずり込む技量と説得力、たいしたものだ。
続きを読むダーク系のコスチューム(小橋は黒のドレス)で登場した3人が演奏したのはチェンバー・ジャズとでもいうべきか、かつてのMJQを彷彿させるような雰囲気を醸し出す。
続きを読む沼袋のオルガン・ジャズ倶楽部の存在は知っていたが足を踏み入れるのは初めてだ。B3(ハモンド)とレスリー・スピーカーに加えピアノも常設という稀有な存在。
続きを読むこの高倉健の特別展はプロジェクターや大小さまざまなデジタル・モニターを駆使したデジタル時代の新しい形態の美術展のひとつと言えるかも知れない。
続きを読む多くの場合、神やキリストは「あなた」に置き換えられるので、とりようによってはラヴ・ソングとしても充分通用するだろう。
続きを読むこの日もツアーの最終日とあり、ふたりのパートナーシップは水も漏らさぬ緊密さをみせた。
続きを読むチンのカンミンソク師の顔がなかったのは寂しかったが、まさにレジェンドとしてのサムルノリがそこに存在してあった。
続きを読む1936年11月18日生まれのドン・チェリーが11月18日に生誕80年を迎える。
続きを読む2面は、詩人の八木忠栄と北沢邦方のエッセイ、「新宿を危険でいっぱいにする」「ニュージャズに期待する」。
続きを読む紙名:Modern Pals新聞 Vol
続きを読む100席ほどの教会の会堂で開かれた手づくりコンサートにも妥協はもちろん、遠慮や手加減は一切なし。セットリストを一瞥すれば本気度は一目瞭然だ
続きを読む何れにしても、東大安田講堂封鎖が象徴する学生運動華やかなりし1969年(昭和44年)にジャズの月刊誌を創刊した杉田誠一の英断は高く評価されて然るべきだろう。
続きを読む「日本のミュージシャン〜〜今、我々は...」と題された二人の若手アルトサックス奏者へのインタヴューも出色の企画。ひとりは、高柳昌行「ニュー・ディレクション・フォー・ジ・アーツ」在籍中の森剣治。もうひとりは軍楽隊を率いていた頃の阿部薫。
続きを読む最後の音が消えフェーダーが下された瞬間、緊張から解放されたバンドから大きな笑いがはじけ、ずっと神妙な表情を続けていたルディの顔から初めて笑みが漏れた。ケイコさんと僕は拍手で彼らの健闘を称えた。ラッカー盤にルディが自分の名前を刻み込んですべてが終わった。
続きを読むジャズ喫茶で名盤に耳を傾け、新譜を追いかけたファンにはあの肉迫するスリリングでダイナミックなヴァン・ゲルダー・サウンドがまざまざと蘇ってくるだろうが、ヘッドフォンやイアフォン主体のデジタル世代の若者にはゲルダー・サウンドはどのように響いているのだろうか。
続きを読む天候の懸念もあり1stセットでB♭を後にしたが、この時代に東京の赤坂でノルウェーの若い世代が牽引するクール派ジャズを堪能できるとは夢にも思わなかった。
続きを読む”クール派ジャズ” の本質とは、「コントロール。自分が欲する音を演奏する能力を持つこと」、「エモーションは必要だがコントロールされていなければならない」「コンテンポラリー・ミュージックの作曲された要素とブルースのラジカルなエネルギーとがブレンドされたものだ」。
続きを読むある日の菊地 Poo 雅章(1987年3月22日@NY ブルックリン グリーンポイント クラッカー・ジャップ・スタジオ)
続きを読む「チョビ渋」に収録された8曲は全てメンバーのオリジナル、中に<三角大福中>なんて、70年代の自民党総裁選のキーサードがあったりして驚くが、ジャジーなビツグバンドから和製ファンクに行きそうなナンバーまで。楽想に共通してどこか「和」のテイストが感じられるのはやはりどっぷりジャズにはつかっていない中高生ならではだろう
続きを読む彼らに共通する視点は高倉健をひとりのアーチストとして捉え、つねにリスペクトの眼差しを湛えていることである。そして俳優.高倉健のみならず、人間・高倉健についての分析の的確さ、分析力の高さは、ひいては映画人としての彼らのレヴェルの高さを物語っている。
続きを読む唯一、鮮明に覚えていることは『What’s New』に関する質問への答え。「あの、セッションは計画されたものではなかったんだよ。
続きを読むトロントを中心に活躍する若手ジャズ・フルーティスト、ビル・マクバーニーの新作。多彩な選曲のジャズ・フルートに酔う
続きを読む同時期を生きたスタープレーヤー松本英彦 (1626~2000) の陰に隠れがちだった宮沢昭だが、その実力は衆目の認めるところで、このアルバムのリリースで彼の存在が再認識されるに違いない。
続きを読むここに登場するのは、そのスマッグラーの中でもなんら組織を背景としない一匹狼。ノルマや規律にしばられないフリーランスの運び屋だ。草兵、41歳。国際前科4犯。身長180センチ。彼はみずからのことを、プライベート・マフィアと呼ぶ。
続きを読む一転、豊住の二胡の演奏から始まった2ndセットは、すぐNicoがアルコで和し、川口も尺八で寄り添ってアンサンブルとなった。豊住の二胡から旋律めいたものが生まれたので、Nicoが付け、コレクティヴ・インプロヴィゼーションではあったが、うまくアンサンブルと化したのだった。
続きを読む“鎌倉の竹林を渡る風”が“野分”に変貌していくさまを目の当たりにして織茂の可能性に驚くとともに、織茂の可能性を引き出した鬼山師の技量と懐の深さに感銘を受けた一夜だった。
続きを読む一聴、シンセの合成音と聴き紛うかも知れないが、かすかなブレスのノイズにディジリドゥの吹奏だと確認できる。何れにしても民族楽器1本で新しい音楽世界と創り出したChapaに乾杯だ!
続きを読むナナが大地に還った。
3月9日。突然。4月20日の東京での一夜限りのコンサートを控えながら。
上海のECM ジャズ・フェスではエグベルトとのデュオの録音が予定されていたという。デュオのライヴ・アルバムも惜しいとは思うが、『Dança das Cabeças』(輝く水 ECM1089 1976)以上の演奏とはどういうものなのだろう。
AAOBB-All Night All
続きを読むLive Report で「僕の胸を締め付けたのは<オルフェ>と<リトル・アビ>であった」と特筆した2曲が収録されているのは殊の外嬉しい。さらに嬉しいのは、<リトル・アビ>こと愛娘・菊地あびさん撮影のスナップが9点もブックレットに使用されていること。これはこれで立派な菊地さんのフォト・ストーリーになっており、父娘共演の珍しい1作となった。
続きを読む