#4 鈴木浩二(レコーディング・エンジニア)
6、7歳の時に「自分はレコーディング・エンジニアになるんだ!」と決意したまま、今日までまっしぐらです。
続きを読むJazz and Far Beyond
6、7歳の時に「自分はレコーディング・エンジニアになるんだ!」と決意したまま、今日までまっしぐらです。
続きを読む「もう学校なんかやめてジャズ・ミュージシャンなっちゃおう!」と思ったのが25歳のとき。それがプロとしての「事始め」ですね。
続きを読むそれまでクラシックの先生にここは間違いだとかフォルテだとかピアニシモだとか言われてきたのに、ジャズなら好きにピアノを弾けるんだ!と知ってしまった
続きを読む私が最初にジャズを意識したのはマイルスでもプーさんでも洋輔さんでもなく、テレビ業界の重鎮だった大橋巨泉氏だった。
続きを読むECMカタログの私的ベスト作品という以上に、プーさんの膨大な作品群の中でも指折りの名盤だ。
続きを読むこの夜、MMB3+大友&仲野の5人によって紡ぎ出された音は、まさに「フリー・ジャズ」と「インプロビゼーション」が高度の次元で融合したものであり、そのプロセスを同じ空間で共有出来たことはまさにLIVEの「至福」そのものだった。
続きを読むこの『コンプリート・セッションズ1994』は文字通りジャズ史における「世界遺産」に認定をされて然るべきだとまで、私は考えている。
続きを読む彫りが深く、長い眉毛や睫毛、見開いた大きな眼を持つ近藤等則の骨相は、まるで快慶作の仏像彫刻のようだった。
続きを読むプーは私と一緒に音楽を通じて、菊地雅章とは誰かということを証明したがっていた。一緒にやることによって、自分自身を証明し、同時にプーは“ゲイリー・ピーコックは誰か”をも音楽を通じて見抜こう、探り出そうとしていた。(ゲイリー・ピーコック)
続きを読むあのギル・エヴァンスがジミ・ヘンドリンクス死後に『プレイズ・ジミ・ヘンドリックス』のギタリストにRyoさんを抜擢した。
続きを読むそちらではプーさんや富樫さん、高柳さんらが待ち構えていたのでしょうね。録音機材はお持ちになりましたか?
続きを読む『Tokyo Music Joy ’91 / 矢野顕子 with ビル・フリゼール、ナナ・ヴァスコンセロス』。往時「Live Under The Sky」と並んで私たちに音楽の「喜び」と「驚き」を体験させてくれたフェスティバル「Tokyo Music Joy」。そのラインナップの中でも一際異彩を放っていたのが、この公演だった。
続きを読むマイルスとプリンスが交錯した時期、同じマイルスDNAの継承者である菊地雅章もプリンスを強く意識していたことは非常に興味深い。プーさんもその意味で、私にとっては to be continued….な存在だ。マイルスを軸としたプリンスと菊地雅章のトライアングル。未知の音への興味は尽きない。
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