カンザスシテイの人と音楽 #59. オーニソロジーの新たなアドヴェンチャー『バード・イン・カンザスシテイ』
新しくリリースされたチャーリー・パーカーの1941年〜1951年録音のアルバムについて。
続きを読むJazz and Far Beyond
新しくリリースされたチャーリー・パーカーの1941年〜1951年録音のアルバムについて。
続きを読むカウント・ベイシーの口述による自伝『グッド・モーニング・ブルース』を読んでいると、第二次世界大戦前の記述にミュージシャンたちが帽子を着用している様子がよく描かれている。
続きを読むビリー・ホリデイ、それが私にとって初めてのジャズだった。
続きを読む1920年代にファッションと音楽が密接な関係にあった頃に戻り、最初の黒人ビッグ・スターとも言える『黒いヴィーナス』の異名をとるジョセフィン・ベイカーについて。
続きを読む前号#68で扇子について取り上げた。カウント・ベイシーの妻であったキャサリン夫人は、結婚前はショウガールであり、『ファン(扇子)ダンサーとして働いていた。』という記述があったことからだった。今回はそのアメリカに於ける『ファン・ダンス』『ファン・ダンサー』について、焦点を当ててみる。
続きを読むバックグラウンドの全く違う二人の会話がとても新鮮。
続きを読む2024年はカウント・ベイシー生誕120年没後40年にあたる。カウント・ベイシーの夫人の話から始まって、少し幅広いジャンルで扇子、舞踊、音楽の関係ついて見てみようと思う。
続きを読む2015年に、カンザス・シティ出身のトランペット・プレイヤーのハーモン・メハリが日本に初来日し、このコラムで初めて日本のジャズファンに紹介した。メハリはその後、パリを拠点にしてヨーロッパで演奏活動をし、彼自身のスタイルを確立しつつある。今年、2023年11月に8年ぶりに日本に訪れたメハリへのインタビュー。
続きを読む私の知る悠さんは、とても思いやりのある紳士だった。
続きを読む1940~1950年代のジャズ・ミュージシャン達の着ていた『体を寒さから守る』オーバーコートについて。
続きを読むホレス・シルヴァーの『6Pieces of SILVER』(1956年)のアルバムカバーに、シルヴァーがトレンチコートを着て公園のベンチに座り、新聞か譜面か何かを読んでいる姿がある。
続きを読む2023年7月21日に逝去した、今世紀最後の偉大なジャズ・ポップ・シンガー、トニー・ベネットを偲んで。
続きを読むジャズ・ミュージシャンなら誰でもボウタイの1つはもっているだろう、ボウタイについて。
続きを読む美しいアニタ・オデイの代表的スタイル、特にスリーブレス・ドレスと白い手袋について。
続きを読む淡々と、静かに奏でる二人の音に温かい響きと力強い生命力を感じる。
続きを読む1940年代後半から女性シンガーたちが、ステージでも着るようになったブラウスについて。
続きを読む2023年年頭にあたり、昨年9月にアルバム『ボルドー・コンサート:Bordeaux Concert』をリリースした、現在療養中のキース・ジャレットを、彼の回復を祈って取り上げる。
続きを読むホリデイ・シーズンに相応しい、グリッター(光り物)・ファッションについて。
続きを読む『ブルーノート・イヤー、ザ・フォトグラフィー オブ・フランシス・ウルフ』という写真集に出てくる多くのミュージシャン達が、ボタンダウンカラー・シャツを着ている。
続きを読むMJQのメンバーたちは、間違いなく皆、アメリカン・トラッド・スタイルを素敵に着こなしている。
続きを読むUMKCのチャック・ヘディックス氏からチャーリー・パーカーの愛娘、プリー・パーカーの墓石の写真が送られてきた。
続きを読む1930年代に流行した『モンキーバック・スーツ』とカウント・ベイシーのバンドリーダーとしての装い。
続きを読むビリー・ホリデイの数あるドレスの中に、胸に巨大なボウがついたドレスがある。
続きを読むジュディ・ガーランドをはじめとし、多くの女性ジャズ・ミュージシャンたちに愛されてきた『リトル・ブラック・ドレス』について。
続きを読むブランドの元祖『グッチ』とオスカー・ピーターソンのファッションについて。
続きを読むスポーツウエアとしてのスキーウエアが登場する以前のビリー・ホリディとルイ・アームストロングのスキー・ウエアについて。
続きを読む2月21日はニーナ・シモンの生誕89年の誕生日にあたる。
ニーナ・シモンと言えば、ユニークなヘアスタイルの、強く、気高く、神々しい姿が思い浮かぶ。
ニューヨークのピアニスト・ヴォーカリストの実力派、チャンピアン・フルトンがスカンジナビアン・リズム・セクションをバックに歌う、ロマンチックなアルバム。
続きを読むベッシー・スミスはブルースを唄うシンガーであったが、新しいファッションで新しいパフォーマンスを披露する新しい時代を牽引する女性の一人だった。
続きを読む1940年代後半から~1950年代にかけ、女性ジャズシンガー達の間でまるでお姫様が着ているようなステージ・コスチュームが流行った。
続きを読むローリング・ストーンズのドラマー、チャーリー・ワッツはロッカーであるだけでなく、ジャズ・ミュージシャンであり、高い美意識を持つエレガントなベスト・ドレッサーだった。
続きを読む1923年、若きカウント・ベイシーが故郷レッドバンクから初めてニューヨークに行く前に購入した『モンキーバック・スーツ』について。
続きを読むジャズのスタンダードナンバー<ポルカ・ドッツ・アンド・ムーンビームス:Polka Dots and Moonbeams>からファッションの話を一つ。
続きを読むワイルドでマッチョな雰囲気の男性がよく似合う『ヘンリーネック・T-シャツ』とジャズ・ミュージシャンについて。
続きを読む2021年チャーリー・パーカーの生誕101年に向けて、パーカーの生涯がUMKC(ミズーリ大学カンザスシティ校)ライブラリーのホームページ用に作られ公開された。
続きを読むフランク・シナトラのイメージカラー『ブルー』と『オレンジ』について。
続きを読む眼鏡、サングラスの歴史とスタイル、ジャズ・ミュージシャン達が流行させたと言われるサングラスについて。
続きを読む4月7日のビリー・ホリデイの106歳の誕生日を祝し、彼女の美しく独特なスタイルを称えたい。
続きを読むスタイリッシュ度は極めて高く、現役のミュージシャンの中では抜きん出ている、ソニー・ロリンズのビッグ・サイズ・ファッションについて。
続きを読むスウェーデンのジャズ・シンガーで女優でもあるモニカ・ゼタールンド のエレガントで洗練された’60年代調ファッションについて。
続きを読む世界中の人達に愛された超一流ミュージシャン、ルイ・アームストロングの白いハンカチーフとソックスについて。
続きを読む史上最高のエレクトリック・ベース奏者ともいえるジャコ・パストリアスのファッションは、9月にCOVID19の感染により亡くなった日本人ファッション・デザイナー高田賢三がルーツ。
続きを読むアストラッド・ジルベルトは彼女の女性像、ファッション共に、1960年代そのものだった。
続きを読むチャーリー・パーカーに関するカンザスシティ・パブリック・テレビジョン制作のドキュメンタリー映画のビデオ公開について。
続きを読むファッションにはほとんど興味のなかったジョン・コルトレーンのファッションについて。
続きを読む1940年代から1950年代のチャーリー・パーカーのネクタイと彼のファッションについて。
続きを読むチャーリー・パーカー生誕の地、カンザスシティでの『チャーリー“バード”パーカー生誕100年祭』の様子。
続きを読む最新チャーリー・パーカー評伝、チャック・へディックス著『バード:チャーリー・パーカーの人生と音楽』の邦訳に携わった翻訳者、川嶋文丸氏へのインタビュー。
続きを読むモリコーネは、映画とはどうあるべきかを知り尽くし、真に映画を愛した偉大な芸術家だった。
続きを読む偉大なバンド・リーダとして活躍したカウント・ベイシーと、トレード・マークでもあったキャプテンズ・ハットについて。
続きを読むチャック・へディックスによるチャーリー・パーカーの評伝、『バード:ザ・ライフ・アンド・ミュージック・オブ・チャーリー・パーカー/bird : The Life and Music of Charlie Parker』(2003年発行)の日本語訳版発売。
続きを読むアメリカ文化とフランス文化の関係をシドニー・ベシェとエルメスのスカーフを通してみる。
続きを読むジャズ史上極めて重要なピアニストであるビル・エヴァンスの1970年代の変身ぶりについて。
続きを読む1950年代に流行した『ニュールック』のエラ・フィッツジェラルドとマリリン・モンローの関係について。
続きを読むカンザス・シティ出身のトランペット・プレイヤー、ハーモン・メハリが挑んだパリ・コレクション『オム・プリッセ・イッセイ・ミヤケ』のショウとパフォーマンス。
続きを読む暦の上では春。ビリー・ホリディのファー・コート(毛皮のコート)と春を象徴する花『スミレ』を歌った『コートにスミレを』について。
続きを読むキャブ・キャロウェイといえば誰もがステージ上で燕尾服を着て歌い踊る姿を想像するだろうが、何故、彼がホワイトの燕尾服を着るようになったのだろうか?
続きを読む1990年年に来日したジェイ・マクシャン・トリオの日本公演が素晴らしいマスタリングで蘇ったアルバム。
続きを読む“これまでにない新しい形のジャズ、一見に値する”という触れ込みで来日した『ラ・ファミリア・ロペス・ヌッサ』。
続きを読む新しい年の幕開けには、明るく楽しく、お目出度い、ルイ・ジョーダンでスタート。
続きを読む1960年代半ばから、どんどん派手で過激に歳を重ねていくのと同時に俄然面白くなってきた、オーネット・コールマンのファッション。
続きを読むヘイゼル・スコット。女性ジャズピアニストの草分け的存在でもあり、ジャズ、クラシックのピアノニストであったと同時にシンガー、女優でもあった多才なアーティストだ。
続きを読む1960年代後半から1970年代にかけ、アメリカのジャズ・ミュージシャン達の多くが露骨にアフリカン・ファッションを身に纏ってステージに立つようになってきた。
続きを読むソニー・ロリンズとマイルス・デイヴィスのレッドは特にヒップだ。
続きを読むパット・メセニーというとすぐに『ボーダーストライプのT シャツ姿』が思い浮かぶ。
続きを読む『ジェイ・マクシャン・ライブ・イン 東京 1990』のCDをリリースした経緯と、CDを巡るカンザス・シティのジャズシーンの話。
続きを読む自立した女性がブラック・ファッションに身を包む、アビー・リンカーンならではの装い。
続きを読むビリー・ホリデイのガーディアの花でもなく、華やかなローブ・デコルテのロングドレスの話でもない。ビリー・ホリデイの愛犬の話について。
続きを読む1956年Verveレコードの『ELLA AND LOUIS : エラ&ルイ』のアルバムカバーに見られる2人のファッションについて。
続きを読むカンザス・シティで活躍していたビッグ・ジョー・ターナーとジミー・ラッシンッグ。
体が人並みはずれて大きいが、粋でおしゃれなシンガー達だ。
2018年の2月号#238に、『 チェット・ベイカーのミニマリズム』として彼のT-シャツスタイルについて取り上げた。ちょうど1年後、また<My Funny Valentne>の季節である。今回は、チェット・ベイカーのセータースタイルについて見てみよう。
続きを読むミズーリ州、ジャクソン郡において、公民権運動に貢献した功績を称えられた3人のミュージシャン。
続きを読むメルバ・リストンは女性であることを全く媚びず、インテリジェンスをひけらかす事もなく、常に控えめなファッションに身を包み、あくまで男性陣の中に巧く溶け込み、やるべき事を完璧にこなして行った。そこに『メルバ・リストンの真のエレガンス』がある。
続きを読む9月の初めからカンザスシティに滞在した。私がこの街を訪れ始めてからこの20年、ミュージシャン、ジャズ・サポーター達の交代、ジャズ・コミュニティの在り方なども含めて、カンザスシティのジャズシーンは大きな転換期にあると、と強く感じた。
続きを読むタイム・ライフ社が1998年に出版した『remembering SINATRA- A life in pictures 』という本が本棚に眠っていたのを思い出し、改めてそのカバーのフランク・シナトラを見て、何とも粋にハウンドトゥース・チェック(千鳥格子)のジャケットを着こなしているな、つくづく思う。
続きを読む<Guess Who I Saw Today ?>の人である。自分に何が似合うかを、どうしたら自分らしさを、自分の美しさを見せる事が出来るか、よく知っているナンシー・ウィルソンは歳を重ね、更に洗練され、優美になっていく。
続きを読む<Feel So Good>の美しいメロディーとフリューゲルホーンの音色は、チャック・マンジョーネの完璧さ、爽やかさ、クリーンさそのものを見事に反映した演奏、と彼のファッションからも言えるだろう。
続きを読む「ソウルの女王」というのもよく解ったが、ジャンルを超えたシンガーだと痛感した。私は彼女に比較的近い良い席にいてよく見えたが、私と同じ人間とは思えない程の存在感とオーラがあった。
続きを読む1960年、27歳のクインシー・ジョーンズは自己のバンドを率いて、ヨーロピアン・ツアーを行っている。この時、彼とバンドメンバーがユニフォームとして着用していたセーター・ルックが当時、如何に画期的なものであったか、この奥の深いテーマを探ってみた。
続きを読むエラ・フィッツジェラルドとサラ・ヴォーン。ジャズ史上最も有名な女性トップ・ジャズ・ヴォーカリスト達である。レディ・エラとディヴァイン・サラ。ジャズシンガーの女王達の数ある写真の一部から、彼女たちの存在感溢れる姿とファッションを見て欲しい。
続きを読むホワイトシャツはスーツを着用する男性にとっては基本必須アイテムだ。今回は、ジェリーマリガンのホワイトシャツ姿がいかに魅力的か、見てみる。
続きを読むディジー・ガレスピーとベレー帽、角縁眼鏡スタイルほど、新しいスタイルの音楽とスタイルが密接な関係にあり、あるジェネレーションのシンボルになった例はないだろう。
続きを読む『4.スタイリッシュなバンドリーダー達』で初期のバンドリーダーやメンバー達が、如何にお洒落に気とお金を使っていたか、という事を書いた。
ほとんどのバンドが専属シンガーを抱えていた。シンガー達は一際目立ち、個性的でユニークなファッションでバンドに花を添える存在だった。
ビリー・ホリデイというと誰もが髪にさした白いガーディニア(梔子)の花を思い浮かべるだろう。私はビリー・ホリデイについては、彼女が晩年よく着ていたシンプルなニットセーターがゴージャスなドレス姿よりもさらに彼女を美しく素敵に表現していると思う。
続きを読むレスター・ヤングのポークパイ・ハットはあまりに有名で、彼のトレードマークとなっている。ポークパイ・ハットを被った姿多くの写真が残されており、アルバムカバーにもなっている。
続きを読むT-シャツ1枚のチェット・ベイカーがセクシーでクールだと感じる。
無駄なものはない、彼のミニマリズムなのだ。
『アイビー・ルック』というと、20世紀に最も流行ったファッション・スタイルの一つである。誰がファッション・アイコンだったか、という事にはいくつかの説がある。マイルス・デイヴィスを中心としたジャズ・ミュージシャン達だ。ジャズ関係者ならほとんどの人が、マイルス・ディヴィスが『アイビー・ルックのファッション・アイコン』という事に異議を唱えないだろう。
アイビー・ルックについて。そして、どうしてマイルス・デイヴィスが、なぜ彼を中心とするジャズ・ミュージシャンにまでアイビー・ルックが広がったかについて探ってみた。
メリー・ルー・ウィリアムス(Mary Lou Williams:1910年5月8日〜1981年5月28日)は女性ジャズ・ミュージシャンのパイオニアであり、ジャズシーンに最も貢献した女性ピアニスト、コンポーザー、アレンジャーの一人でもある。
彼女のミュジシャン活動の初期、1930年代に活動していた頃のファッションに注目したい。
初期の多くのジャズミュージシャンたちは服装に凝っていた。パリッとした服装は成熟と成功を意味していた。
続きを読むアニタ・オデイ、というとほとんどのジャズファンが1958年のニューポート・ジャズフェスティバルでブラックにホワイトのオーストリッチのついたドレスを着て<Sweet Georgia Brown >と<Tea for Two >を歌う姿を思い浮かべるのではないだろうか?
続きを読むチャーリー・パーカーが好んで着ておりよく似合っていた、と思うのはペンシルストライプの間隔が少し幅広で地の色が濃いスーツだ。ダブルブレストの4つボタン6つボタンで襟は幅広のピークドラペル( 襟先が尖ってシャープなもの)。トラウザーはゆったりしたで幅広のシルエットで裾はシングル。バードの写真の中にシャツに皮のサスペンダーをしている写真をよく見かけるが、サスペンダーを着用していたに違いない。
続きを読む1958年のアメリカ東海岸ニューポートで催された第5回ニューポート・ジャズ・フェスティバルを記録した『真夏の夜のジャズ(Jazz on A Summer’s Day)』(1960年公開)は出演者の顔ぶれ、演奏のみならず、編集、映像も素晴らしいドキュメンタリー映画だ。ダイナ・ワシントンもこのフェスティバル出演者の一人だった。この映画の中には、何人かの素晴らしい女性シンガー達が登場するが、今でも個人的に一番ショッキングで好きなのはダイナ・ワシントンだ。
続きを読む全コラム# 51, マット・ケインとカンザス・シティ・ジェネレーション・カルテットのメンバーの一人、ハーモン・メハリが新アルバム『ブルー:Bleu 』をリリースした。
カンザス・シティ期待の星、ハーモン・メハリにその後の活動の様子や新アルバム『ブルー:Bleu 』について聞いてみた。
マット・ケインと、ハーモン・メハリを始めとするカンザス・シティの若い世代のミュージシャン達を巡り、カンザス・シティのジャズシーンに見られる動きに注目。
続きを読む2016年の大晦日。カンザス・シティの女性ヴォーカル・グループ、ワイルド・ウィメン・オブ・カンザスシティのシンガー、ジェネヴァ・プライス(Geneva Price)からギフトが届いた。37年前の彼女のファーストレコーディングのコンテンポラリー・クリスチャン・ミュージックの<A Touch of Love>。新しい年、2017年に向け、大きなモチベーションになった。
続きを読むカンザス・シティ・ジャズ華やかなりし1930年代、アフリカン・アメリカン達と多くのミュージシャン達にとって重要だった『12th 通り』、『パセオ(Paceo)』と『ザ・ボウル(The Bowl)』について紹介。
続きを読むジェイ“フーティー”マクシャン(1916.1.12〜2006.12.07)。若きチャー リー・パーカーの異才を見出したカンザス・シティを代表するミュージシャン。
続きを読むこの2016年はカンザス・シティ・ジャズの大御所、チャーリー・パーカーを見いだしたジェイ・マクシャンの生誕100周年にあたる。ジェイ・マクシャンは1930年代にカンザス・シティから生まれたブルースピアニスト、バンドリーダーであり、チャーリー・パーカーの才能を理解した人でだった。彼の人生はブルースと共にあり、2016年の今もカンザス・シティの総てのミュージシャン達の最高の指導者だ。
続きを読むキム・パーカー はジャズシンガー。サックス奏者チャーリー・パーカーの義娘。
今回のインタビューは、昨年2015年8月27日にミズーリ州カンザス・シティの郊外、カンザス州オレイサで行った。
“オーニソロジーPart 2” は、カンザス・シティの街で、チャーリー・パーカー(以下バード)が関わっていたクラブやエンターテインメントの場所を中心に、カンザス・シティ・ジャズを語るに欠かせない場所を紹介していく。
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