R.I.P. 坂本龍一 『千のナイフ』以前の思想 by 金野Onnyk吉晃(コントリビューター)
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坂本龍一23歳の<環螺旋体>設営と「学習団」からのアピール
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ジミヘンがいきなり世界中からロックスターとして注目されたのと対照的に、タジはひたすらブルースを追求し、その中で革新を試みた。
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アドリブを記憶するほど聴き、ぼろぼろになって買いなおしたのはこれくらいです。
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さよなら、ドレイク。こんにちは、ドレリ。
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河崎の旅はユーラシア各地の巫を求め歩く旅であるともいえる。
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元々曲ごとの構造性を明確にするのがガリオの特徴だったが、その傾向はこのヴァーサタイルなトリオで顕著になった。
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なんだかライブの印象が壊れそうで、私は松本の尋常ならざる執念の作品『無常』を買わなかった。
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このCDの演奏の印象をもし一言でというなら、まさに朝焼けの空にたびく雲の静けさかもしれない。
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サブ豊住。パワーもテクニックも若いときを凌駕している。つまりこの人はまだ発展途上なのだ。
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アイヘンベルガーとガリオは、ユニゾンに歩み寄りながら、着かず離れずの距離で、束縛された即興を楽しんでいる。
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『アルケウス』が齎(もたら)す、誰も見なかった、そして誰もが見る夢の残像は、しかしまた私の物語になりきれず、虚空に消えて行く。
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もしかつて宗教芸術が、神を描いたり、宇宙の仕組みを解いたりしていたのだとすれば、池田の方法論”datamatics”はまさにそれを引き継いでいるのではないか。
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ここにはCON TONたるスープ「フリージャズ」がある。フリーであり、ジャズであること。それが騒乱武士の矜持だ。
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河崎の夢「ユーラシアン・オペラ」とは、失われたグラン・レシ=大いなる物語の断章を拾い集める作業ではないのか。とすればそれに接するものは、自分でその物語を想像することが許されるだろう。河崎純は我が夢の導き手である。
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とにかくトリオの新しい試みは、スウィンギーな細密画のような印象だ。それは例えば「オルタナティヴ・ロック」を彷彿とさせる。
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MORGUEのUは2号ではユートピアではなく、アンダーグラウンドに変更されている。彼が垣間みたフリーミュージックの向こうには、地下の死体置き場があったのだろうか。
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フランソワはいつもリアルタイムのアタック、強度、速度を追求している。これが音楽を牽引している。
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アンサンブルで演奏するよりソロ多重録音のほうが、このミュージシャンの資質を良く映し出していると感じる。
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そして私は、英語というフィルターを通す事で、意味と文脈を回避し、海原純子の「声の肌理」だけを味わっていた。
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私は、本アルバムにおいて、ドラムのパワーとビート感の専制としての「魔」を有する<日本のジャズ>が頂点を極めたことを確認した。
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しかしリックは64にして無伴奏ソロを完成した。貴方はまだ登り続けるのか。
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しかし、それでもなおブラクストンの諸作品が歴史的に残る理由はと言えば、その非歴史性、ジャズの伝承を超克する故だろう。
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これら全て「自宅の超狭い防音室で」録音した巣ごもり、手作りの、多重録音無しの即興演奏である。世界を股にかけて演奏して歩くトランぺッターが、世界の圧力によって軟禁されたとき、其の表現力は圧縮されてかくなる形をとった。
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流麗、枯淡ともいえる過不足ない音の美にしばし酔った。(中略)日本の無伴奏サックスは「仮名文字の音楽」であると。
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え、なんだかんだと牽強付会したところで、つまりはフリージャズだろうって。そうだ、これこそ「真性のフリージャズ、ニュー・シング、新しきもの」だ。
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しばらくは、この三者の相互反応がいかに発生するかを観察するつもりで構えていた。 しかし時間が経過しても、何かそれ以上の変容が起きる気配はなかった。
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しかし、(高柳が)井野や菊地と過ごす時間は、もはや直接行動あるのみという覚悟を裡に秘め、陰腹を切ってステージに上がり、さあ丁々発止の即興妙技をお聞かせしようというほどの和やかささえ感じる。
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ペレルマンも、マルツァンとのデュオでは、かなり微分音を意識して演奏している。が、ジョー・マネリの軟体動物、蠕動の如きフレージングではなく、やはり彼らしい勢いのある水流が迸る。
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自らの死を予期しながら、若き日の思いで、ユーモアも交え、そして「ジャズをレコードで聴く」という事を一つの道、戦い、創造的手段として選んだ人がいたという事実を強く感じ、老いた青年の僕はこの書を閉じた。
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若く、ナイーヴな近藤等則がここにいる。71歳の老水夫のなかに、即興演奏の大海に漕ぎだしたばかりの若者がいた。さようなら。いやボンヴォヤージュ。
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阿部のソロは、やはりジャズのスタンダードを、そして日本の歌謡曲や古い歌をモチーフにして展開した。その意味では全くテーマの無いフリー・インプロヴィゼーションであるより、フリージャズの伝統に根ざしていると言っても良い。
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しかしむしろこれはジャズ的な問題を一切排したところに成立した日本、アメリカ、マレーシアのハイブリッドな音楽であり、そのテーマは、まさに「変化して行く未来」に期待するべきだろう。
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高円寺百景のキーボード奏者としても活躍する矢吹卓が、自らのプロジェクトとして世界中から30名以上の手だれを集め、梁山泊さながらの世界を作った。実に華麗、壮麗、絢爛である。
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しかし、モリコーネの音楽だけは、映画という物語性を伴う視覚メディアのお陰もあって、真に大衆の中に息づいているのは疑いない。これまでも、そしてこれからも。モリコーネが再来する事はないだろう。
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それだけならまだしもジェネシス・P-オーリッジは、性転換してしまったのだ。それを非難するつもりは無い。僕だって時々オンナだったらなと思う事がある。
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DEDICATED TO YOU, BUT YOU WEREN’T LISTENING…(1971) だって?とんでもない!僕はいつでも君を聴いていたんだ!
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この音楽は、その地の精霊とフリージャズのホーリーゴースト(聖霊)が共に歌い上げる声なのだ。東南アジアだからこそ生まれた新生フリージャズに栄えあれ!
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我々はかくもウィルスの影響を被っている。そしてその負債をなんとかするために郵便的なるもの〜ポスタルな方法(デリバリーのロジスティクス)も考えている。
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私は、焼け野原となった地に芽吹くものを聴くだろう。それがどんな音楽なのか。育ててみないと、花が咲かないとわからない。
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もう一度心理的深淵の周縁、「終着の浜辺」に打ち寄せる、誰も知らない郷愁を誘うレクイエムに聴こえてくる。
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さて、そんな些末な事はさておき「圧倒的」という言葉を、いざ使うのはこんな音楽に接した時だろうか。
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エヴァンとリットンがロンドンで1969年に邂逅して半世紀、シカゴで2019年に録音されたのが今回リリースされたアルバムだ。
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この音の決して鈍らない強度、そして延々持続する意志の燃焼。これは他でもないサム・リヴァースという「妥協しなかった男」「最後の硬派」の、今我々が接し得る全てではないのか
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エヴァンのサウンドは30年前に比較すれば、油のよく乗った歯車がゆっくりと回転しているような、滑らかな時計のメカニズムを感じさせるのであった。
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サブ(豊住芳三郎)とカントリーマンは、フィリピンで「ジャズの十月革命」を起こすだろうか。
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ECMは想像力のこのうえない触媒である。ECMの音楽は空と海の間、消失点から響いてくる。
「フリー・アット・ラスト」。我々は、聴く自由によって解放される。
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今回上梓された『増補改訂版ECMカタログ』を手にすることは、私が食べて育ってきた料理のメニューを懐かしく眺めるような気持ちである。
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デレク・ベイリーは、少なくとも自らの即興演奏のイディオムを、ブルーズ、ブルーノートから脱却させた。同時にクリシェとしてギターサウンドを変更した。
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この快感、耽溺を肯定する事は危険だ。この音楽に拝跪してはならない。私はこの音楽の強度に立ち向かわなければならない。それが真にこの音楽を聴く事だ。
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片山広明を愛する立花秀輝が、生前彼に提供した曲「酒屋が閉まる前に」がアルバムタイトルにされている。片山へのレクイエムなのだろうか。
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ただ、そのローカリティの底を突き抜けて、グローバルというべきか、ヒトという構造の、精神という機能の共有領域まで連れて行ってくれる「こえ」なのだ。
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もし比較してみるなら、ボーカルの代わりにサックスがいると言ってもいいだろう。私はプラスティック・ドッグズをメタルバンドとして認識してしまいそうだ。
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まずはこのディエゴとエディクソンを発見しただけでも、ある意味、生でホリガーを聴いた以上の甲斐があったというものだ。
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ベイリーはヴェーベルンを研究し、自らの語法とサウンドを確立した頃、それを確認するかのように幾つかのソロを録音した。それらは決して冗長なものではなく、曲ごとの意識の違う短い演奏を編集したものだった。
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演奏は終わった。しばしの沈黙、そして会場は大喝采。こんなオルガンの響きを誰も聴いた事が無かった。
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作曲者の死後も存在し続ける楽曲と、演奏者の消滅とともに消え去る即興。しかし、その両者の目指すところは永遠性として合致していた。両者の合間にデレク・ベイリーはいた。
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しかしはやり「鎌鼬」(かまいたち)だ。あの写真集の迫力に<騒乱武士>はどこまで迫れたのか。
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デレク・ベイリーは、西欧音楽の理念的発展と、抑制しがたい即興性の葛藤の間に出現し、その「引き裂かれた音楽」を他の誰よりもそれを如実に示している。
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温故知新などと言う前に、今、この二枚を聴け。いや、そんじょそこらの「なんちゃってフリー」ではない。二十世紀後半の波濤をかいくぐり、さらに自らの船を繰り出す2人の船長の声を。
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エヴァンはこのアルバムを深夜に、小さく再生し、睡眠中に聴くよう促している。残念ながらこのライヴ録音時の聴衆は謹聴し続けていたようであるが。少なくとも鼾は聞こえない。
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いずれ、受精後40年、大抵の事は演奏自体で出来る自信があると自負するバンドに成長したヒカシューは、極めて正気の沙汰のまま変態を達成した。
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ベイリーは、「曲」がほんの数小節まで凝縮されてよいのなら、即興演奏もまたそうあっていい筈だと思ったのではないか。
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彼はどこにも帰属すべき場所やレーベルを残さないし作らないのである。作品においては凝縮し、存在においては拡散する、それが彼のスタイルであろうか。
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貴方が聴くのは、フレッド・フリスが十年かけて作曲し、自ら指揮した三楽章からなる3時間半の即興的狂詩曲
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力技ではない。あたかも棋士の対決を見るように、互いの意思を図るべくサックスとドラムは感応する。
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リューダスは己自身の中で管楽器の演奏の「進化」と「根源」を同時に見せてくれる。これは音で聴く50分弱の生命史か?
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小杉は、アノニマスな音が良いのだという。だから求心性を否定して、多面性のある音を選択する。
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「ジョン・コルトレーンだ。よろしく」。相手は、それが誰だか分かると、さっと立ち上がり手を差し出した。「アルバート・アイラーです。お目にかかれて光栄です」。
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「音楽における即興性—比較音楽学的考察—」というのが、小杉の卒業論文のタイトルで、指導教官は小泉文夫だった。
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その彼がカルテットでのライブ。私は山内のフリージャズを初めて聴いたように思う。トラック4が特にそう思えるし、このアルバム内でもベストだ。
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一曲目「月食の夜」が圧巻だ。タイトルチューンにしたのも納得する。ベースの紡ぐ網目に管楽器各自の伸びやかな音(と声)が絡まり合い、風通しが良い景色が見える(蓮根だから穴があいている?)。
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彼女はシャーマンであるよりもまず表現者であり、現代世界のノマドであろう。「時間、空間を選ばず、遊弋(ゆうよく)しながら思想を伝える人」という解釈をしたい。
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「音楽が穏やかならば、人も穏やかになる 音楽がなくなれば、人もなくなる」
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彼らは何も声高に「これが俺のジャズだ」とは主張しなかった。彼らの存在自体がジャズの現在形だった。彼らはことさらにフリーであることを主張しなかった。
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そして、あたかも荒野の向こうから座頭市がのそのそと歩いて来るような、映像を想起させる演奏。いきなり、抜き身を構えた連中が襲って来る。しかし、十秒もかからず、皆倒されてしまう。
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一聴、その音楽に驚嘆し、多様式主義だのポストモダンだのと言葉を探したり、ゲーム、アニメの音効を思い出したり、落ち着いた顔で内心慌てている。
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「世界の歴史は偶然の積み重ねなのか、目的があってこうなったのか....」
「貴方はその問いを解かなければならないわ」
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この過程はテイラーだけのものではない。日本に孤高のギタリストが居た。ボサノヴァでプロデビューし、トリスターノの研究からクール派の演奏を成就し、タンゴを異形な演奏で示し、漸次投射/集団投射の方法論で日本独自のフリージャズを顕現させ、遂にはそのギターソロが轟々たるノイズの壁を屹立させるに至る。高柳昌行、その人である。
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しかし、この「オーケストラ・ニューヨーク」の面々に、3.11の向こうに9.11が、そして、チェルノブイリ(86年)やスリーマイル島(79年)もイメージされていたとしてもおかしくはない。
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1957年に生まれた私ができるのは、過去の物語を語り継ぐことであり、記憶の彼方にかすむ、幻影の歌う電子の声に耳を澄ますのみなのだ。
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二度とこの演奏には出会えない。この録音以外では。つまりこのライブが企画され、録音されていたことが、そしてこのように届けられたことが僥倖である。
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無言歌がロマン主義の賜だとすれば、『For 2 Akis』においては、まさにどの曲もネオロマンチシズムの情緒に満ちあふれている。いや、過剰とさえ思える程だ。
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この小説は、実在した「吾妻婦人音楽連中」(邦楽をやるときには東婦人音楽連中と表記)という芸妓のブラスバンドをモデルにして書かれました。
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まあ即物的と言えば言えますが、ここまでのアナログ・サウンドを今、どれだけの人がやれるでしょうか。
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エイブラムスのピアノは決して硬質ではなく、無機的でもない。全く其の逆で、どんなに激しい演奏においても、共演者のサウンドを生かす事ができる。
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