Jazz and Far Beyond
エリック・アレキサンダー(ts)もテナー一本でテナーをテナーらしく鳴らすことに専念していることが音からも演奏態度からも伝わってくる一人である、
こうした多方面にわたる活躍が評価され2014年にはNEAのジャズマスターに選出されている。
ジョセフ・ジャーマンは2019年1月9日ニュージャージー州イングルウッドで亡くなった、享年81。
キャノンボールは一夜にして希望の星、パーカーの再来と讃えられ、シーンに衝撃を与えるニューヨーク・デビューを果たした。
アート・ブレイキーは、はじめピアノ弾きとしてクラブで仕事をしていたが、ひょんなきっかけでドラマーに転向する。転向のきっかけは意外にもエロール・ガーナーであった。
<我々がプレイするとみんなダンスを始めようとする。それが興奮というもので、人々の心の奥底に触れるからだ>ディジー・ガレスピー。
これだけは間違いなく言える。彼のような奴は、後にも先にも、一人もいない。本当にただただすごかった…
ターレはこのようにトロンボーン、ほら貝の演奏者としての活動にとどまらずトランペットやテナーの魅力を引き出すなど発想も豊かでプロデュース力にもたけている。
マレットさばきのしなやかさ、ブラシの軽さ、思ったよりもシャープで大きな音のシンバル・ワーク、そしてその敏捷な身のこなしはレコードを聴いて頭に描いていたクールなイメージそのもの
<自分に自分を許せないタイプですから死ぬまで吹き続けます>。井上敬三さんはまさにジャズに生きた人であった。
放り出されたヘレンはコートを取りに店に戻るといきなりリーがもの凄い形相で詰め寄ってきた。
その瞬間、ヘレンの手にしていた拳銃から放たれた銃弾がリーの胸を貫いていた。
精妙で機知にとんだバッキング、つやっぽいウォーキング、ゆったりとした寛ぎのあるソロはいまだに色あせていない。
レイ・ブラウンはまさにスーパー・ベースであった。
類は類を呼ぶ、板橋文夫、林栄一そして後藤篤、みんなエネルギーの塊である。
1957年のある夜、場所は伝説のカフェ・ボヘミア。マイルスのセットにドーハムがやってきて飛び入りで吹き、マイルスより目立つ演奏をして意気揚々と引き上げていった。そしてその翌日もドーハムがやってきて今夜も吹かせてほしいとステージに立った。今度はマイルスがドーハムを完全にねじ伏せたという
41歳という若さで3管同時演奏という世にもまれな演奏方法と誰とも違った音の世界を探求し続け、命を絶つ直前まで演奏をし続けたカークの音への意欲は想像を絶する。
また、別のステージでは渡辺貞夫 (as) とアルト・マドネスを展開、生まれも育ちもパーカー派の二人はバードゆかりの<コンファーメーション>や<デクスタリティ>を気持ちよさげに吹き上げた。
ポールのフレーズをなぞらえるミュージシャンは結構いるがポールのニュアンスまでも引き出すことは出来ない。
常に唯一無二の存在であり続けたポールの音は永遠に不滅である。
ジェリー・マリガンは一般的にはウエスト・コースターと云われているがマリガンほどノー・コーストの人はいない。
最近、マリガンの発掘盤が何枚か出てきてマリガン再認識の機運が出てくるような気配を感じる。
ソニー・ロリンズは大の親日家で1963年の初来日から2010年の80歳記念ツアーまでしばしば日本を訪れている。 写真は1968年、2度目の来日時のもので、まだこの頃はサックスにマイクを着けていなかったので生の音が聴けた。ロリンズは興が乗ってくるとステージ中央のマイクから離れ、舞台の端から端まで吹きながら歩くのが常であったがノン・マイクでもロリンズのテナーは美しい音で客席を満たしてくれた。
ジャズ・ミュージシャンは日々演奏の場で昨日演奏した曲を今日も演奏する。同じ曲でも昨日の演奏と今日とでは全く違うところがジャズとクラシックの大きく異なるポイントである。そして明日もまた次なる極みを求めて演奏の場に向かう。
松風鉱一は、アルト、テナー、バリトン、クラリネット、バスクラ、そしてフルートにいたるまでそれぞれの楽器の特性にあわせて自らの語り口を変えうる稀有な個性の持ち主であり、ドルフィーと肩を並べるマルチ・リード奏者である。
ドン・チェリーは生き方、考え方、そして音の出し方のすべてがナチュラルで自由な人であったと思う。
蒸し暑い夏の一夜、なんとなく胸騒ぎがしてカメラを手に新宿へと出向いた。多分「ポニー」の帰りだったと思う。予感が的中、歌舞伎町のコマ劇場近くの天麩羅屋さんでコルトレーンの一行とぱったりとであった。敬愛の念をこめて挨拶をすると、コルトレーンは優しい眼差しで迎えてくれた。
1980年10月18日、ドナウエッシンゲンの会場での一音は原田の<Bitte>から始った。透徹した原田のピアノ・ソロから始まり、やがて梅津がアルトで絡む。二人のヴォルテージは異様に高かった。二人の緊張が高みに達した時、二人は突然唄を歌い始める。完全な即興による<Danke>である。ここで持ち時間は終了するが興奮した会場からは口笛がなり、アンコールの拍手が鳴り止まなかった。
常にジャズの本道を歩み続け、その強靭なタッチと前のめりのドライヴ感がうまくかみ合って強力なスイングを生み出す辛島文雄、その顔にはジャズを演奏する喜びが満ち溢れている。
マイルスは、自分はいつの時代でもブルースをやっているんだといい、胸に手を当て、ここにブルースの魂が宿っているんだと言っている。
自分のいのちを解放し、システムの中に飲みこまれずに生きていく、誰に何と言われようが、自分のいのちに忠実に生きるという自我にたいする過激な姿勢
囲碁好きのミシャは、来日すると帰国の前日に、よく渋谷毅さんのところに電話がかかってくることがあったという。これから囲碁をやらないかという誘いだった。碁会所につめた二人は夜を徹して囲碁を打ったという。
ただただ痛快そのもの、狂気の一歩手前と言いたくなるほどその瞬発力は時を忘れさせてくれる。しかし、その内奥には優しい呼びかけ、訴えがある。
そしてこれ以降の富樫さんはフルセットのドラマーよりも艶っぽいフォービートを叩いたかと思えば先鋭的でイマジネイティブな世界を放射するという、あたかも異次元を漂っているかような独自の展開をはじめるのである。
カーラ・ブレイはなんとも形容しがたいほどかわいいチャーミングな女性である。そして、ファインダーでみるカーラは天真爛漫で純粋、シャイのかたまりである。
森山さんのタイコはひと一倍音が大きい。スネアにしろ、バスドラにしろ、シンバルにしろ、音の洪水である。しかし全くうるさくないばかりかむしろ爽快である。
ハンの領域はドラム・セットだけではおさまらず床から壁まであらゆるところを叩き、こすり色彩豊かなリズムを生み出す。
楽器としての個性をそのまま表面に出すのではなくて、どんな楽器でも自分の言葉として音にしているんだ” とレオは語る