Jazz and Far Beyond

ECMアーチストによるアジア発のこの手作り公演がアジアにおけるECMの今後の展開を示唆していると言っても過言ではないだろう
彼(アイヒャー)が僕のところへ来て選んで行った写真は、日本では使われないようなものばかりだった。
それが両スピーカーから発散したとたん脈々と血が通った、よりリアリティに満ちた演奏の場を再現してくれる。これはまさしく再生音楽の偉大なる進歩であり所産だ。
現代に生きるマンフレート・アイヒャーという人間、ジャズ・プロデューサーの内面が表現された音という意味にそれを勝手に解釈しなければいられないほど、その音は個性的であった。
ECMの音ってどんな音?—−−という問いに対して正確に答えるためには、そこできける音楽のことにふれざるをえない。
彼アイヒャーのジャズに対する愛情、時代を先取りした鋭い洞察、クラシックや現代音楽に対する深い造詣がそのひとつひとつに裏付けされていることがわかる。
耳から映像が入ってくる。目から音楽が入ってくる。それが私のECMだ。
今回上梓された『増補改訂版ECMカタログ』を手にすることは、私が食べて育ってきた料理のメニューを懐かしく眺めるような気持ちである。
そう、K氏こそ我が国を代表するデザイン界の開拓者・清原悦志氏。彼が亡くなってすでに30年が経つが、氏が私に残してくれたものは余りにも大きい。
このカタログはその偉大な男マンフレート・アイヒャーの正確な軌跡を綴るべく心がけた。
この夏、タワレコ冊子『intoxicate』にお声かけいただいて、50周年を祝す小文を書かせていただいた、
ECM 50周年記念コンサート「ECM Records at 50」が、ニューヨークで32人のミュージシャンを集めて開催された。
僕のソロを “作曲” として見て一作選べと問われれば、僕は『ラディエンス』を推す。
だから「インプロヴィゼーションを最優先して、これからの人生を過ごそう」と誓ったんだ。年を取りすぎて演奏できなくなるまでね(too old to play)。
あなた自身の責任で「沈黙」を創り出すんだ。待っていても「沈黙」はやってこない。望んだだけでは「沈黙」は訪れてはこないんだ。
たとえば、キース・ジャレットが好きなファンは誰も菊地の歌に滅入ることはないさ。