Jazz and Far Beyond
11年継続した「JAZZ ART せんがわ」がこのまま終了してしまうとしたら非常に残念である。「JAZZ ART せんがわ」存続に向けてJAZZ ART 実行委員会が立ち上がり、4月17日にイベントを行い、現在Web上で署名活動を行っている。
こうした多方面にわたる活躍が評価され2014年にはNEAのジャズマスターに選出されている。
さて、浦邊が一方的に挑発し続けるという関係性が、一瞬にして崩れるのは、ラストの15分足らずのことであった。
実直な会社員のような風貌で、笑顔を絶やさず優しく喋るが、超人的なテクニックをもって余裕の演奏で自由自在にグルーヴしまくるクリス・ポッターの新作は、ECM以前のUndergroundの時代に戻って、ベースレスでガンガングルーヴしまくる。Underground時代より進化した、デイブ・ホランドに鍛えられた変拍子でのグルーヴとポッターやこの新トリオのキーボーディスト、若干23歳のジェームス・フランシーズの新鮮なインプロ方法を解説。
ローマ教皇の御前で演奏したあの曲が30年後の今、エストニア国立合唱団により東京のホールで演奏されている...
ビリー・ホリデイのガーディアの花でもなく、華やかなローブ・デコルテのロングドレスの話でもない。ビリー・ホリデイの愛犬の話について。
私はこの作品集を聴いていつしかまるで現代にシューマンかグリーグが蘇ってきたような錯覚すら覚えた。
ドラムレスだが鈴木の懐の深いベースがバンド全体に安定感をもたらし、ベテラン揃いの演奏にヒューマンな香りさえ漂わせる。
マーシャル・アレンたちの宇宙規模の自由な音楽が、たった30センチのレコード盤をターンテーブルに乗せるささやかな儀式を通じて我々の現実世界と繋がる。これこそ真の癒しであり祝福である。
レパートリーへの理解と解釈が驚異的に深化し、まさに彼らにとってのスタンダード・ナンバーとなっている。あまりに堂々とした演奏は本家ZEPにも負けない王道の風格がある。
普通のソロピアノではない。ピアノ全体が鳴り響いていることに、あらためて驚かされる。鍵盤を叩き、内部の弦をさまざまなやり方で鳴らし、それがピアノというひとつの楽器をしてオーケストラルなサウンド発生器たらしめている。
トランペットの可能性を押し広げるアクセル・ドゥナーと、ノー・インプット・ミキシングボード奏者・中村としまるのデュオ2作目。前作と併せて聴くことを強く勧めたい傑作。
このオーケストラとネルソン・ゲルナーの演奏を目の前で聴けたというだけでも、幸せとしか言いようのない演奏会であった。
エネルギーの放出、大暴れ、哄笑や皮肉、ダダイスティックな騒乱を美学とするタリバム!が、はじめて日本の伝統楽器との共演に臨んだ。相手は箏の今西紅雪である。そしてセカンドセットに至り、見事な化学反応が起きた。
沢井一恵は「書かれていない音」「聴こえない音」を、齋藤徹は「出さなかった音」「効果を剥ぎ取った音」を、音楽にとって重要なものだと言及した。そしてトータル・ミュージックとしての即興が驚くべき強度をもって展開された。
去る3月23日、ダンサー・矢萩竜太郎の活動を追ったドキュメンタリー映画「ぼくのからだはこういうこと 〜根をもつことと羽をもつこと・弱さの力〜」の完成を記念した上映会&ライヴが京都市中京区で行われた。
演奏者のチュウニングで得られたサウンドを見事に収録。
オンマイクの高音質録音に、思わずオーディオ道の血が騒ぐ。
Live to 2track analog とあれば、興味津々を通り越す
ベース低音の迫力は恐怖感さえ感じる飽和の勢い。
内部演奏によるピアノの響きは、マイキングの腕で表現力が違ってくる。
それぞれの楽器は近接なサウンドで構築されて、しかも音質がいい。
トゥッティでの濁りのない収録は見事。