Jazz and Far Beyond
RIP Lyle Mays
不穏な時代だ。だが、音楽は音楽であり、音楽なしの世界はやはり想像できないのである。
2013年に演奏活動から引退した、最後のジャズ・イノヴェーターの一人、ソニー・ロリンズ。その最終章で時間を共にした、写真家/ライターのTak. Tokiwaこと常盤武彦が、巨匠の勇姿と素顔に肉薄したソニー・ロリンズ讃歌。
ライルが死んでしまったという想いで、あらためて彼がかかわった曲を聴いている今、どうしても 喪失感で涙がこみあげて来そうになってしまう。
ライル・メイズのピアノは、いや、音楽は、普通の一流の人がそうである以上にオリジナリティに溢れていた
流麗で叙情的なスタイルでありながらリズミックなアイデアやスキルが半端じゃない、という点はビル・エバンスに匹敵する凄さだけれど、ライルの方がテクノロジーを駆使し、ジャンルを超え、リスナーや後進ミュージシャンの感性を広げてくれた。あまりにも早くあの世に行ってしまったけれど、あちらの世界でクリーム色に輝き続けています。
ライルと創造的な冒険を共にできた幸運にいくら感謝してもし過ぎることはありません。
パットとライルを追い続けて30数年、僕はずっとこの「心地良さ」に支配され続けてきた。ライルはいつも僕のそばにいた。その音楽に触れることは、僕自身の人生を再体験することでもある。
Einsteinが普通の学者が考える遥か高次元において真理を探り当てたように、Lyleは音楽の真理を自然の法則として理解していたのではないか、彼の作る現代音楽の手法による不協和音に潜む圧倒的な「美」を感じる度に思います。
ソロ名義作品では『Street Dreams』が特に好きなのですが、一曲目「Feet First」のオープニングの十数秒。ここが特にLyle Maysしかできない、アイデアに溢れたポイントなのではないかと思っています。
ライル・メイズほどそのプレイスタイルを間接的なかたちで様々なミュージシャンに影響を与え続けた人もいないようにおもう。
手元は余計な上下の動きが無く滑るようで且つ鋭いです。ピアノの音色は水のような透明さを感じました。
言語化し時間の流れに杭を打って固定しようとしたそばから、スルスルと抜け落ちて行くような流麗さこそが、優れた音楽家の特徴なのかもしれない。
13歳でライルの音楽に出会って以来、その輝ける魂は私の人生におけるインスピレーションの源です。
Lyle Mays from early years (1978~1981)
偉大なチーム・プレイヤーに徹し、バンドリーダーとしての野心を持たなかったクリステンセンにもECMに1作だけ自身の名前を冠したアルバムがある。
ヨンはその演奏が必要としているものを瞬時に直感し、瞬時に対応できる極めて稀な魔法のような能力を持っていた。
そこから僕の音楽の方向性は変わり、「ドラム」という概念を捨て去ることができた。
北欧の共演者が多かったが、Keith Jarrettのヨーロピアン・カルテットの一員として、替えの効かない存在感を示した。
ヨン・クリステンセンが空の彼方へ旅立った。一つ年上のヤン・エリック・コングスハウクが旅立った 3ヶ月後に、というのはいくら神の思し召しとしてもいささか出来すぎていやしないか?と思う。
貴方がいなかったら今のジャズの形はないと思います。
北欧の巨匠が、世界中のドラマーに身をもって示した新たなアプローチと哲学。
Jon Christensen from early years (1974~1978)
偉大な音楽の建築家、ライル・メイズが死んでしまった。引退して10年も経つのに、その惜しまれ方に胸が熱くなった。ライルの偉大さを語るのは容易でない。あまりにも特殊すぎるのだ。まずライル自身の人物像と、そしてライルのパット・メセニー・グループでの貢献とソロアルバムと比較し、ライルの音楽を探求してみた。
暦の上では春。ビリー・ホリディのファー・コート(毛皮のコート)と春を象徴する花『スミレ』を歌った『コートにスミレを』について。
脳梗塞の後遺症による半身麻痺の不自由な巨躯を1本のステッキに預け今日も巡ります東京近郊のライヴ・スポット。
さて、そんな些末な事はさておき「圧倒的」という言葉を、いざ使うのはこんな音楽に接した時だろうか。
「存在と生成」というタイトルの通り、多くの者に共有されるジャズ的な音要素を使ったサウンドから、よりシンプルで強靭な音要素をいちから使ったサウンドへの変貌。ジョエル・ロスら若い才能の突出にも注目すべき作品である。
エヴァンとリットンがロンドンで1969年に邂逅して半世紀、シカゴで2019年に録音されたのが今回リリースされたアルバムだ。
音色の連続的な変化をひたすらに追求するトランぺッターのジョー・モフェットがチューバのダン・ペック、パーカッションのカルロ・コスタとともに組んだトリオ。そのサウンドは楽器を演奏する個人の音の足し算にとどまらない。聴く者の内奥空間と現世とをつなぐ橋が現れ、音の断片がそのつど聴く者に個人的なものを幻視させる。
だから定型リズムでソロアルバムを創るというのは相当にユニークだ。
今回はオーケストラのアレンジが、ポップさといいますか「聴きやすさ」に大きく貢献しているように感じました。
押しつけがましさのない、エゴの斜め上をいく流動性。シューベルトという人間から溢れて止まぬ歌心も、意志を超えた衝動だったはずだ。詩(うた)は、気づいたらそこに「在る」もの。そんな思いがふとよぎる。
この4人でなければ成立しない物語世界だ。表現とは代替の効かぬものなのだ、という峻厳だが疎かにされがちな事実—それが刃のように突きささってくる。
バランスの良さが光る。さらに、各パートのサウンドの良さには驚嘆。
明瞭で弦の響きに特徴が。エッジの効いた高域に艶のあるサウンドは特筆もの。
透明感に満ちたピアノの響きと低音域の重々しい音に、ピノ録音の視点を提供される。
サックスの効果には音像の明確さに重点を。透明感と音色の艶には感動する。
力強いボーカルの肉質なサウンドがダイナミックに収録されている。
音楽活動を続けることに残りの人生を費やしたい。
路上生活者によるダンスカンパニー「新人Hソケリッサ!」のドキュメンタリー映画がこの3月に公開される。主宰でありダンサー/振付家のアオキ裕キに、ソケリッサ!立ち上げまでの道のりについて聞いた。
スケジュールを組んで練習に取り組んだことは一度もないよ。教則本やメソッド類に取り組んだこともない。