Jazz and Far Beyond
エルヴィンの死を信じられないけい子さんはエルヴィン亡き後も二人分の食事を作り続けていたという。
田村夏樹と藤井郷子による毎年1月恒例となった感がある昼夜ぶっ通しのライヴが1月15日に新宿ピットインで行なわれた。その様子をテキストとスライドショーで。
ケイコさんにはエルヴィンの素晴らしいキャリアに尽力したことに対して本当にお疲れ様でしたと言いたい。
「絶対に辞表は出さない。クビになるまでただただハンストを続けるだけ」
10代の若者が感染するような病気であのジェフ・ベックが突然死んでしまった。全てのギタリストのヒーローだった彼は、エレクトリック・ギターの限界に常に挑戦していた。親に反対されたエレクトリック・ギターとホットロッドと、叔父さんに禁止されたブルースに一生を捧げた彼だった。ジャズを理解していた彼の凄さの解説を試みた。
巡る季節を進むLAL。’22/1 No285にて連載通算200本を達成して以降まさにコロナ禍の中を駆け抜けたLALも通算300本間近。今月号も引き続きジャズのフィールドを離れた音紀行を含む霜月から師走に巡った充実の現場12本をご紹介。
「音楽は自分の魂と体から出てくるもので、聴く人の体と心に働きかけるものだ。」
昨年末、ブラジルのペレの逝去を知った。一年間に聞いた数多い訃報のなかでも、とりわけ強く時代の終わりを感じさせた。
巷に溢れる万人向けのガイドブックには飽きたらない中級以上のリスナー向けか?
品行方正がクラリネットの特徴なのかどうかはわからないが、作曲と即興の交差点/自然と音楽の接点に位置する自制のとれた作品として成り立っている。
本盤には馴れ合いに堕することのないぴりぴりとした空気が張りつめている。たしかにこのサウンドはライヴそのものだ。
PhotayとCarlosは、きっと「地上の生の光景」そして「存在」を水の存在を通してわたしたちに、ある生きる祝福の記録として、音楽という贈り物を残した。
元々曲ごとの構造性を明確にするのがガリオの特徴だったが、その傾向はこのヴァーサタイルなトリオで顕著になった。
コンテンポラリーという名の目新しさ云々よりもまず先に、卓越したメロディストとしての抒情性、音楽創りのセンスそのものである当意即妙な身体能力、といったコア部分が充実の漲り(みなぎり)で抜かりなし/They go beyond the notions of novelty associated with descriptions like “contemporary”, delivering a rich core of melodic lyricism tied together with excellent musical taste and playing full of wit.
コペンハーゲン拠点の若手女性ピアニスト、マルゴー・オズワルドがデビュー盤となるソロピアノ作品をリリースした。タイトルの『Dysphotic Zone』とは、深海と呼ばれながら、かろうじて光が届く層・水域を指す。本作が描くものについて、フランス文学・映画に詳しい原智広氏とともに考えてみた。
ウクレレでジャズ!粋だ。
彼の最新作を聴き終わり、音の余韻の中で立ち現れた言葉は、TAOだった。
はじめての手合わせに近い面々、そしてこの人数での集団即興は噛み合わない結果となるか空中分解するかという不安がなくもなかったが、実のところ、それが杞憂に終わるだろうことははじめからわかっている。
フランス(大島祐子)、ドイツ(齊藤易子)、日本(藤井郷子)と、それぞれ異なる都市に活動拠点を置く女性3人が結成したTrio SANが日本ツアーで神戸を訪れた。2022年6月のトリオ欧州ツアーで、その実力は既に証明済み。さて、神戸では…
何年もの間、東京のシーンにおいてギタリスト・細井徳太郎の名前をみない日はほとんどない。かれの活動は多岐にわたっており、バンドも、デュオも、ソロでの弾き語りもある。そしてかれをジャズギタリストと呼ぶことは難しいかもしれない。それは活動領域ではなく指向性のゆえである。
2000年に行われたECMギタリスト、ジョン・アバークロンビ~のインタヴュー Part 1。