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音の見える風景 望月由美No. 229

音の見える風景 Chapter49 後藤篤

photo & text by Yumi Mochizuki 望月由美
撮影:2016年2月7日、西荻窪「アケタの店」にて


トロンボーンは長いU字型の管を伸ばしたり縮めて音をつくる楽器である。
もちろん、ボブ・ブルックマイヤーやステュ・ウィリアムソンのようにバルブ式のトロンボーンを吹く人も中にはいるがジャズの世界ではジャック・ティーガーデン以来、大方は管を伸縮するスライド式である。
後藤篤もそのスライド派の一人。
マウスピースも朝顔もトランペットよりも大きくそのぶん音も大きいがそのなかでも後藤の音は一段と大きい。

音の密度が濃く、音に重みがある。
その重い音を軽々と出す。
しかも人一倍大きく太く高々と鳴らす。
だから、聴いていると浮世の憂さも吹っ飛んでしまう。

後藤はA.A.C.M.の雄ジョージ・ルイス(tb)を好んで聴いているということだが仮に後藤とジョージ・ルイスの二人が並んでトロンボーン・デュオ、つまりJ&KならぬG&Gを頭に描いてみると、想像しただけで鼓膜がどうかなりそうな気分になる。
実際、スライドの先端が鼻先に来るくらいの至近距離で後藤の音を聴くと鼓膜への刺激は相当なものである。
もちろん、後藤の音はただ大きいだけではない。太くたくましく豪放的な反面、やわらかく開放的でユーモラスな一面も併せ持っている。
スティーヴ・トゥーレ(tb)が剛柔あわせもっているように。

後藤篤は自分のバンド「後藤篤カルテット」の音楽のイメージと伸縮自在の楽器構造をタイトルにしたファースト・アルバム『Free Size』(DOSHIDA, 2016)を昨2016年末に発表した。
メンバーは後藤篤(tb)、石田幹雄(pf)、岩見継吾(b)、服部正嗣(ds)の4人で2011年以降「後藤篤カルテット」として活動を持続している。
離合集散の激しいライヴ・シーンで6年もの間レギュラー・グループを維持するのは大変なことで、音楽的な志向にプラスしてリーダーとしての熱意や人柄が兼ねそなわってのことである。
後藤のまさにトロンボーンのサウンド・イメージそのものの、ホンワカした茫洋な個性のもとにメンバー4人が音を目いっぱい楽しんだ結果が作品『Free Size』を生んだのである。
アルバムの冒頭は華々しく<Grand Open>。別にパチンコ店の新装オープンではない、曲名を奥様に相談したところ、たまたま近所のショッピング・モールが開店したのでタイトルにしたらどうかとの発案で曲名にしたのだということであるが、まさに「後藤篤カルテット」の新装開店であり活力にみちた楽しい演奏である。
この曲は板橋文夫FIT+MARDSの『アリゲーターダンス 2016』(MIX DYNAMITE,2016)でも演奏しているがこちらは4管編成でショーティー・ロジャース(tp)の「ジャイアンツ」のようなクールなアンサンブルがなかなかお洒落で格好いい。

このグループのピアニスト石田幹雄はすでに当コラム「音の見える風景#39」でご紹介させていただいているが後藤篤4での活躍も素晴らしい。
音への入り方が尋常でなく、ピーンと張り詰めた一音で会場のテンションを異次元にまで高める異才である。
トロンボーンの図太い中音域とエッジの立ったピアノの打鍵とのコントラストは互いをマスクすることなくそのどちらをも引き立てる相乗効果を発揮している。
後藤と石田のコンビネーションは抜群でライヴの現場ではあたかもジョージ・ルイス(tb)とセシル・テイラー(p)がデュオをしているかのような尖がったシーンがしばしば発生する。

互いの才能を認め合う間柄の石田幹雄は後藤について、
<トロンボーンに関してはストイックにやっているなと思うんですよ>
<トロンボーンという楽器は毎日吹かないとちょっともたない、維持できない楽器だから...ちゃんと吹いているんだなあと思って、普段の練習がよく見えるというか、ええ>
<あと、音楽との距離感みたいなものが面白いというか気持ちがいいなって感じでいつも集まっているんです>
と語ってくれた。

後藤篤は1974年1月3日、東京で生まれ、育つ。
3歳からピアノを始めるがいわゆる習い事としてやっていた程度でそれほど熱心に身を入れて弾いていたわけではなかったようである。

12歳、中学校でブラスバンドに入り、トロンボーンと接する。
<最初は母親が日野皓正(tp)さんのファンだったもんでラッパをやろうかなと思いまして...でもブラバンで楽器がこなくてトロンボーンをやったんです>

中学時代、つまり‘80年代の中頃、図書館で借りて読んだジャズのガイドブックなどを参考にB.エヴァンスの『Waltz for Debby』(Riverside,1961)、ジャズ・メッセンジャーズの『MOANIN’』(Blue Note、1958)を買ってジャズを聴き始める。
最初に買ったトロンボーンのアルバムはJ.J.の『STAN GETS AND J.J.JOHNSON AT THE OPERA HOUSE』(Verve,1957)というからまさにジャズ・トロンボーンの王道から入っている。

J.J.から始まって数多くのトロンボニストの演奏を聴いている。
関心のある(tb)プレイヤーを聞いたところ、すぐさま数十人のリスト・アップしてくれた。
スティーヴ・トゥーレ、ゲイリー・ヴァレンテ、ブルース・ファウラー、ジョージ・ルイスそしてジョー・ボウイ、ハウル・ディ・ソウザ、スライド・ハンプトン、ラズウエル・ラッド、レイ・アンダーソン等々フリーからメイン・ストリーム、ブラジルまでと興味の対象は広い。

スティーヴ・トゥーレは後藤の中ではメイン・ストリームの代表的な存在だという。カークの晩年を支え、カークのスピリッツを今に伝承するトゥーレは今もニューヨークのシーンで精力的に活動しているが目下67歳、近年は風格をも漂わせる。
ゲイリー・ヴァレンテについて後藤は、
<やはりカーラ・ブレイのバンドでの演奏に尽きます>
トロンボーンのスタイリストとして比類ないプレイヤーだと思います。カッコいい!です>と語ってくれた。

そして、会話の中で真っ先に話してくれたのがジョージ・ルイス。
ジョージ・ルイスのソロ、『Solo Trombone Record』(SACKVILL,1976)への熱い想い、そしてジョン・ゾーン(as)との2枚のアルバムの『News for Lulu』(HatHut,1987)『Yankees』(Celluloid,1983)について興味深い分析を行っている。
ジョージ・ルイス、ジョン・ゾーンの二人に『ニュース・フォー・ルル』はビル・フリゼール(g)が、『ヤンキース』にはデレク・ベイリー(g)が加わっている。
同じ楽器編成のトリオでもギターが変わっただけで全く別の音楽を演奏するジョージ・ルイスについて、
<即興演奏のバックボーンにジャズを感じつつノイズやいろんな要素が混じっているのが魅力です>

こうした会話の中から後藤がメイン・ストリームからフリーまでトロンボーン界全体を俯瞰して把握、理解したうえで自分の演奏スタイルの確立を目指していることがくっきりと浮かび上がってくる。

<グッとくる音楽は飽きるまで聴きますし、自分のモノにしたいアイデアがあれば研究してみるのですが、好きなものと必要なモノは違うと言いますか、好みで聴いているものと自分に必要で聴いているもとは乖離していると感じています>
後藤は冷静に音楽と接し自己の立ち位置をしっかりと確立しているからこそ「板橋文夫オーケストラ」や林栄一の「ガトス・ミーティング」といった個性の塊のようなグループから信頼を得ているのである。

高校2年のとき親にトロンボーンを買ってもらい自分の楽器を手にする。
高校時代には野球の応援歌や、吹きたいけど譜面のない曲を採譜をするなどして音楽の勉強をしていた。
そして高校を卒業するころから漠然と将来プロになるという意識はあったという。

日本大学の文理学部に進んでビッグバンドのサークルに入り編曲もこのころから始めている。
アレンジは先ず演奏を耳で採譜してサークルのみんなに演奏してもらって、さらにそれを修正するという方法で勉強したという。
学生時代は当時学割があった「ブルーノート東京」でもっぱら海外のアーティストの生を体験していたそうで、日本のミュージシャンはあまり聴いていなかったと言う。

卒業後は六本木の「バッシュ」などのクラブでジャム・セッションに参加し演奏活動を始めるが、この頃のミュージシャン同士のつながりで20代の半ばにして次々とビッグ・ネームのバンドに参加することになる。

後藤は20代にアメリカへ3回行っている。
最近のミュージシャンの間では日常的になったいわゆる音楽大学への留学ではなく単身で半月から10日程度ニューヨークの街、空気、音楽を直に触れるためのいわば後藤篤のニューヨーク探訪であった。
ミンガス・ビッグバンドやサド&メルを聴き、ボストンではジャッキー・マクリーン(as)のところのスティーヴ・デイヴィス(tb)等を聴いたというが、
<日本で聴くジャズのイメージとあちらでのジャズのイメージが大分差があった気がしました>と認識を新たにしている。
渡米2回目の時にはニュージャージーで楽器を購入し、ミンガス・ビッグバンドやヴァンガード・オーケストラで知られるルイス・ボニーラ (tb)からレッスンを受けている。レッスンの内容はほとんど基礎の基礎であったという。
当然のことであるが基礎の基礎がしっかりしていると聴く方も安心して音楽に入ることができるのである。

プロとして活動しはじめて2年ほどで佐藤帆(ts)のバンド「yellow card orchestra」の結成にかかわり、バンドのスコアを担当しアレンジの腕を磨く。
「yellow card」には発足当時TOKU(fh,vo)や丈青(p)など現在第一線で活躍しているミュージシャンがかかわっていたそうである。

そして高円寺「次郎吉」を根城に活動していた本田竹広(p,1945.8~2006.1)のグループ「THE PURE」への参加が後藤篤を飛躍させる大きな起点となった。
「yellow card orchestra」の仲間の森田修史(ts)の推薦で2000年から本田竹広(p)の「THE PURE」に加わる。
「THE PURE」は2(sax)、(tb)、(tp)の4管に3(per),2(g)、2(ds)(vo)等々を擁した大所帯のグループで本田竹広自身の歌いたいという気持ちを具体化させるために作った大家族のようなバンドだったという。
後藤はこの本田竹広の歌いたいという気持ち、そして熱量にうたれたという。
<次郎吉を主に7~8年やっていました、いやー見るだけで勉強になりました。ほとんどジャズのバンドではなくて本田さん曰くワールド・ミュージックって言っていました>

同じころやはり「yellow card orchestra」で一緒だった西尾健一(tp)の紹介で金井英人(b,1931.5~1011.4)のユニットにも参加している。
金井Gでの、曲のテーマはちゃんとあるが中身はほとんどフリーに近いという音楽の進め方がとても新鮮に感じたのだという。
<当時の僕はフリーっていうのをそんなに志向していなかったので、こんなのあるんだって思いました、新鮮でした>
『Free Size』に至る道筋はこうして作られていったのかもしれない。

後藤篤は現在、自分の持っているいくつかのグループのほかにジャズ・シーンの強力な牽引者のグループにも加わっていて、その演奏もめっぽう面白い。
板橋文夫(p)と林栄一(as)の二人のもとで自分のソロに集中してバリバリと吹きまくるときの爽快感はジャズの原点、ニューオーリンズをも連想させる。

板橋文夫とは、「板橋文夫オーケストラ」「板橋文夫FIT!+MARDS」に参加。
<音がでかいしね、トロンボーンらしい性格を持っているんだよ>
<根がすごく真面目なので、意欲もあって常に挑戦し続ける人だし、そのエネルギーたるや凄いよ>
<いまはお兄さんが引き継いでいるお父さんがやっていた仕事をしつつも演奏活動もしっかりやっている>
<そういうところもすごく頑張り屋さんなのよ>
<ボリュームもワァッと出つくして大きな音で吹き切るしエネルギッシュだよね>
<これからすごく期待のできる人ですよね!>
日本の熱濤男、板橋文夫の言葉が後藤篤のすべてを語っている。

後藤篤も板橋文夫オーケストラについて、
<板橋オケの面白いところは、まあ凄いメンバーの個性の奔流とでもいいますか、計算なしに自分の全力を出してやる、という一般的なバランスとはかけ離れたバランスでサウンドさせている類を見ないエネルギーのバンド>なのだと敬意を表している。

もう一方の林栄一の「ガトス・ミーティング」は自ら<入れてほしい>と懇願して入った唯一のバンドだと言う。
<林さんは一番影響を受けたホーン・プレイヤーです>
<それとやはり林さんの個の魅力が強いです>
<メンバーが比較的若くて林さんに比肩すべく絶えず新しいものを持ち込むところ> そして、
<林さんは形が決まってくるのがあまり好みではない人で常に変化を続けるところが「ガトス・ミーティング」の魅力だ>いう。
その林栄一は<後藤君、すべて好きだよ、あの音だね、人もいいしね!>

類は類を呼ぶ、板橋文夫、林栄一そして後藤篤、みんなエネルギーの塊である。

現在、自分がリーダーをつとめる『後藤篤4』、『MoonS』での活動と並行して、
「板橋文夫オーケストラ」、「板橋文夫FIT!+」、林栄一の「GATOS Meeting」、石渡明廣(g)の「MAD-KAB-at-AshGate」、「石田幹雄4」、「D-musica Large Ensenble」、「tribal chant」、「サンバブエ・バンド」等々のバンドに参加、もちろん各グループとも連日スケジュールが埋まっているわけでもないし、休止状態のバンドもあるがまさに引っ張りだこの状態。

メイン・ストリームからサンバ、ファンクそしてフリーの近傍まで多種多様で、ジャンルにとらわれずに多方面からの共演を求められているのは大らかに鳴り響く豪快な後藤の音ではないかと思う。
後藤篤の朝顔から噴きあがる音は力強く明快、音楽の基本はこの音なんだよ!と高らかに宣言している。

後藤篤43歳、石田幹雄36歳、成熟へ向かって突き進む二人はライヴ・シーンの牽引役として大きな期待を担っている。

望月由美

望月由美 Yumi Mochizuki FM番組の企画・構成・DJと並行し1988年までスイングジャーナル誌、ジャズ・ワールド誌などにレギュラー執筆。 フォトグラファー、音楽プロデューサー。自己のレーベル「Yumi's Alley」主宰。『渋谷 毅/エッセンシャル・エリントン』でSJ誌のジャズ・ディスク大賞<日本ジャズ賞>受賞。

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