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ヒロ・ホンシュクの楽曲解説No. 289

ヒロ・ホンシュクの楽曲解説 #78 Charles Mingus <Pithecanthropus Erectus:直立猿人>

今日4月22日はチャールズ・ミンガス(Charles Mingus)の生誕100年祭だ。ミンガスの残した遺産は測り知れない。


Charles Mingus & Dannie Richmond (Photo: Sue Mingus)
Charles Mingus & Dannie Richmond (Photo: Sue Mingus)

“My drummer, Dannie Richmond is… I will not play without him. It’ll take a long time to replace him. Most people, some people even don’t understand what we have together. We have the beat like a railroad track that isn’t a straight line. We don’t play a straight line. We suggest a straight line. We have bass and drum off the line. You may think the tempo is staggering but it’s not. It’s playing down to the center. Instead of playing on each time, plays down, pushes up, playing on, playing infront of and back of it, and suggest a smother line.”
「ドラマーのダニー・リッチモンド、彼なしでは演奏しないんだ。代わりを探すなんてほとんど不可能だ。彼と作り出してることは簡単に理解してもらえないかもしれない。俺たちには真っ直ぐじゃない線路のようなビートがあるんだ。俺たちは真っ直ぐな線路で演奏しない。真っ直ぐに感じるように演奏してるだけだ。俺たちのベースとドラムの関係はその線路上から外れているように演奏するんだ。テンポがズレてるように聞こえるかもしれない。でもそうじゃない。テンポの中心と等間隔なんだ。線路の上じゃなくて、そこを引き下げたり、押し上げたり、前で演奏したり後ろで演奏したり、それでも滑らかに聞こえるように演奏してるんだ。」


Charles Mingus: Triumph of the Underdog (1997)
Charles Mingus: Triumph of the Underdog (1997)

ミンガスは20世紀アメリカ代表作曲家のひとりとして歴史に名を残したが、上記のインタビューでわかるように、ビバップ以降のジャズを位置付けた重要な演奏家だということを忘れてはならない。詳しくは後述するが、本誌No. 269、楽曲解説 #58でチャーリー・パーカーを取り上げた時の記事も参照されたい。ちなみにこのインタビューは、1997年にリリースされた『Charles Mingus: Triumph of the Underdog』(YouTube→)というドキュメンタリーに含まれていたものであり、今回はこのフィルムから画像取り込みも含め活用させて頂いた。ご紹介できなかった興味深い話もたくさん収録されているので、機会があったら是非ご覧頂きたい。

筆者のミンガス

筆者はアメリカ移住までほとんどジャズに無知だったが、中学生の時Creamからブルースに魅せられ、同級生の兄からベースを頂戴してブルースバンドを始めた。その同級生の兄は大のジャズ好きで、ベースを頂戴したその日に色々なものを聴かされたことを鮮明に覚えている。まずチャーリー・パーカー(Charlie Parker)。これはもう音の洪水という印象で、筆者の狭い了見で理解できるものではなかった。ベースをやるなら、と聴かされたのがビル・エバンス(Bill Evans)のモントルー(『Bill Evans at the Montreux Jazz Festival』1968年)。この時に聴いたエディ・ゴメス(Edie Gomez)のカッコいいベースは強烈な印象として筆者に焼きついた。そして、ミンガスだった。ミンガスは実にブルースの曲が多いから聴かされたのだと思うが、クラプトン(Eric Clapton)やジェフ・ベック(Jeff Beck)やバディ・ガイ(Buddy Guy)がブルースと思っていた筆者にとって、ミンガスのどこがブルースなのか全く混乱した。だが、その時聴いた『Pithecanthropus Erectus(直立猿人)』は、ジャケットのインパクトも含め、一生忘れられないものとなった。

その後筆者はどんどんブルースにのめり込み、ロバート・ジョンソン(Robert Johnson)、ライトニン・ホプキンス(Lightnin’ Hopkins)、マディー・ウォーターズ(Muddy Waters)、ブラインド・レモン・ジェファーソン(Blind Lemon Jefferson)等の方面に進んだのに、なぜかミンガスだけは聴いていたのだった。何を聴いてもさっぱり理解出来ないのに、バイトの金をアルバムに注ぎ込んでいた。まるで取り憑かれたように、だ。当時所有していたアルバムは以下の通り。

『Mingus Dynasty』 (1960) 
『Mingus Dynasty』 (1960)

ミンガスに出会ったアルバムから、1枚ずつほぼ年代順に購入して行って『​​Mingus Dynasty』で止まったのには理由があった。当時レコード店では視聴が可能であり、ミンガスは自分でもなぜ購入するのかよくわからなかったので(これもブルース、と自分に言い聞かせていたのだと思う)必ず視聴した。このアルバム、2曲目の<Diane>で引いたのだった。当時筆者は3歳から始めたクラシックから遠いところでブルースに憧れていたので、このミンガスのクラシックっぽい曲に拒否反応を示してしまったのだ。そしてあのジャケット・・今こうしてこのアルバムを聴くと、自分はとんでもない過ちを犯したことに気が付く。このアルバムにはこの後発展して行く、ミンガスにしか出来ないミンガスの音楽の起源が凝縮されているではないか。

グルーヴ好きの筆者としては、基本的に急にテンポが変わったり、リタルダンドやアッチェレランドでグルーヴが中断されるのを好まない。フュージョンのキック(俗に言う仕掛け)でグルーヴが中断されるのさえ好まないほどだ。ところがミンガスだけにはなぜか惹かれる、その理由はミンガスの恐ろしいほどドライブするオン・トップ・オブ・ザ・ビートのタイム感と、『The Clown』以降ミンガスが他界するまでパートナーだったダニー・リッチモンド(Dannie Richmond)の特異なタイム感だ。通常のジャズ・コンボと違い、ダニーもオン・トップ・オブ・ザ・ビートなのだが、冒頭のミンガスのインタビューでわかるようにミンガスはそのもっと前でドライブしているので、ダニーがライドとハイハット両方で追い上げているというのにタイムの幅がしっかり作られていて、恐ろしいほどのスイング感を醸し出しているのだ。ミンガスにとってダニー以外のドラマーは考えられなかった理由がこれだ。蛇足だが二人とも56歳で若死しているというのも感慨深い。ミンガスは10万人に1〜2人という奇病であるALS(筋萎縮性側索硬化症)で、ダニーは心臓発作だ。このALSは奇病にも拘らず、スティーヴン・ホーキング(Stephen Hawking)などの多くの著名人が亡くなっていることから知名度が高い。話を戻す。ベースとドラムのトレード(4小節、または8小節交代でソロの掛け合いをする)のも、この二人が始めたのだと思う。いや、トレードという概念自体ミンガスが始めたという説もある。残響の多いホールでの対策として発案したと言われる。別のインタビューで、ベースとドラムのトレードはまるで会話ですね。どんなことを会話してるのですか?と聞かれて、口の悪いミンガスは「ぶっ殺すぞ、クソ馬鹿野郎、オマエの母ちゃん最悪、それから時々、心から愛してるよ、とかだな」と答えていた。ダニーは別のインタビューで、「ミンガスから受けた最初のドラムレッスンは、言いたいことを全部喋るな、だったよ。自分の音楽を決定させてくれた言葉だった。」と話している。

ミンガスという人

ミンガスの生い立ちは非常に複雑だ。父親は陸軍の軍曹で、また、ミンガスを虐待した。その影響かミンガスは怒りっぽい性格で「The Angry Man of Jazz(怒るジャズマン)」と呼ばれ、そして躁鬱病も患っていた。ミンガスには黒人、中国人、英国人、ドイツ人、スウェーデン人、そしてアメリカインディアンの血が混ざっており、黒人社会からも白人社会からも差別を受けて育った。

ミンガスはなんと、憧れのエリントン楽団に雇われて1日でクビになっている。その原因は、良かれと(またはベースがちゃんと聞こえるように?)譜面より1オクターブ上で演奏したところ、<Caravans(キャラバン)>や<Perdido(パーディド)>の作曲者で知られるエリントン楽団のトロンボーン奏者、ホアン・ティゾル(Juan Tizol)に譜面が読めないのかと言われたことに腹を立てて、殴りかかりそうになったところを抑え込まれたらしい。その他にも、ミンガス・バンドでトロンボーン兼写譜屋を勤めていたジミー・ネッパー(Jimmy Knepper)に、本番直前にバックグラウンドを書けと要求し、断られたことに憤慨して殴りつけ、前歯を折られたネッパーは致命的な打撃を受けたという話も有名だ。

1960年にオーネット(Ornette Coleman)の音楽に触れ、否定するような発言をしたにも拘らず同年エリック・ドルフィー(Eric Dolphy)を引き入れて大々的に前衛的な活動を始めた。ところが、1964年にドルフィーが急死すると5年間鬱状態に入って音楽までやめてしまう。なんと写真家として仕事をしていたほどだ。家賃も払えないほど貧窮し、警察に強制退去させられる模様が『Mingus: Charlie Mingus 1968』(YouTube→ ポルトガル語字幕)というドキュメンタリー映画に収められている。退去前のアパートでは、ベースはなんとゴミの山に埋まっており、ケースから出して見て割れ目が入っていることに驚いていた。しかも強制退去時では、ベースは裸で道に放置されていた。なんとも心が痛む。筆者にとっては、アメリカに来て久しぶりにミンガスに触れてみたくなって、ルームメイトが持っていたVHSで観たのがこれだ。あのショックは忘れられない。

ミンガスは暴力的で恐れられていたが、反面恐ろしく真面目な性格だったと筆者は確信している。まず、あのベースのテクニックは並大抵の努力では身につかない。ヤクには一切手を出さず、ヤクを打つミュージシャン、特にチャーリー・パーカーを軽蔑していた。パーカーが他界する1週間前のステージで、こういう人間と自分を一緒にしないように、とミンガスがアナウンスした話は有名だ。ワインは飲んでいたようだが、インタビュー中に牛乳を片手に自分はこれさ、と言っているものもあった。

10代ですでにかなり高度な作曲を始めていた。筆者の母校、ニューイングランド音楽院の院長だった、また、マイルスの『クールの誕生』を初め『ポーギーとベス』に参加した後、作編曲家及びジャズオーケストラの指揮者として活躍したガンサー・シュラー(Gunther Schuller)のインタビューによると、シェーンベルク(Arnold Schönberg)の名前なんて誰も聞いたことがなかった30年代に、ミンガスはすでにシェーンベルクの音楽を研究していたという。

しかし、なんと言ってもミンガスの作曲する音楽は常にブルースが基盤で、ニューオリンズ・ジャズの集合即興演奏が頻繁に挿入されるところが特徴だと思う。もちろん数々の名曲から生まれた、あのキャッチーなテーマのアイデアも特筆されるべきだろう。

ミンガスの演奏

From『Mingus: Charlie Mingus 1968』
From『Mingus: Charlie Mingus 1968』

教会音楽しか許されない家庭で育ち、隠れてラジオでエリントン(Duke Ellington)を聴いてトロンボーンを初め、すぐにチェロに転向するが、黒人がクラシックの世界に入れないと断念して高校からベースに転向する。シンフォニー・オーケストラのコントラバス奏者に5年間師事したということからミンガスの真面目さが窺える。

ミンガスの奏法で特筆すべきを箇条書きにしてみた。

  • 前述のドライブするタイム感。
  • 通常、レイ・ブラウン(Ray Brown)をはじめとするオン・トップ・オブ・ザ・ビートでドライブするベーシストは自分のソロに入るとレイドバックするが、ミンガスはオントップ・オブ・ザ・ビートのままソロに入る。
  • ベースラインはウォークするよりも、根音を連打するのが重要なスタイル。
  • どんな速いフレーズでも人差し指だけで弾く。
  • 恐ろしいほどの力で弦を強くはじく(写真参照:弦の歪みの度合いが半端じゃない)。
  • ソロイストに反応する時、ラインではなくリズムで応える。
  • ソロイストに対するカウンターラインを大声で歌う。

筆者がベース奏者だったらまずミンガスをコピーするだろう。世の中にミンガスのスタイルを継承するベーシストが殆どいないのは、余程高度な技術を要求されるからなのかもしれない。ただ単に根音を連打しても、あのミンガスのグルーヴ感がなければ却って逆効果だ。ミンガスは基本的に目立ちたい性格だと思うのだが、彼の演奏自体からは無駄な見せびらかしなど一つも聞こえてこない。ミンガスのベース演奏の凄さを言葉で言い表せないもどかしさを感じる。

『Pithecanthropus Erectus』

The Charles Mingus Cat-along for Toilet Training Your Cat
The Charles Mingus Cat-along for Toilet Training Your Cat

このアルバムのライナーノーツはミンガス本人が書いている。ミンガスの文才も半端ではない。そうそう、そう言えばミンガスが書いた『Beneath the Underdog(邦題:敗け犬の下で)』という、自伝と称した小説があった。高校の時に、これはあたかも春本ではないか、と隠れて読んだのを記憶する。その他にもミンガスは『The Charles Mingus Cat-along for Toilet Training Your Cat』という、猫に人間の水洗トイレを使わせるトレーニング法を書いたものがある。メールオーダーで配布していたらしい。これがなんと真面目な解説書で、自分が猫を飼っていたら是非試したいと思った(筆者は猫好きだが、2代つらい別れをしたのでもう飼っていない)。興味のある方はこちらをご覧頂きたい。

話を戻す。このアルバムのライナーノーツで明かされる興味深い事実があった。ミンガスはミュージシャンに譜面を渡していないのだ。譜面で渡した時、”….inevitably introduces his own individual expression rather than what the composer intended.” 「作曲家の意志に反して、必然的に演奏者の個人的な感情が込められてしまう。」

“…I lay out the composition part by part to the musicians. I play them the “framework” on piano so that they are all familiar with my interpretation and feeling and with the scale and chord progressions to be used. Each man’s own particular style is taken into consideration, both in ensemble and in solos.”
「それぞれのパートをピアノで弾いてミュージシャンに記憶させる。使用するスケールからコード進行、それにどういう感情を込めろとかだ。もちろんそれぞれのミュージシャンのスタイルを考慮して指示を与える。」

ミンガスはエリントン同様、参加ミュージシャンに合わせてアレンジを変えることも周知だ。このアルバムでは、ロリンズのスタイルを継承するJ.R. Monterose(J.R.モンテローズ)とパーカーのスタイルを継承するJackie McLean(ジャッキー・マクレーン)の二人を掛け合わせるという作業をしたそうだ。

タイトル曲は後述するが、このアルバムでもう一つ特筆すべきは2曲目の<A Foggy Day>だ。ガーシュウィンの有名なスタンダードだ。この曲をミンガスは見事に映画の1場面の様に展開した。ライナーノーツによると、本人はロンドンに行ったことがないので、サンフランシスコの波止場に置き換え、男が徘徊するストーリーをしっかりとミュージシャンに覚え込ませたと言う。実によく出来た作品で、場面展開に気を取られるがよく聴くとコード進行や曲の構成もかなりオシャレな施しが行き届いている。なるほど、これはそれぞれのミュージシャンがミンガスが描く場面展開と同期していなければとても実現しなかっただろう。

<Pithecanthropus Erectus>

さて、このタイトル曲だ。20歳の時から14年間温めたアイデアだそうだ。ミンガス本人の説明に耳を傾けてみよう。

“This composition is actually a jazz tone poem because it depicts musically my conception of the modern counterpart of the first man to stand erect – how proud he was, considering himself the “first” to ascend from all fours, pounding his chest and preaching his superiority over the animals still in a prone position.”
「この曲はトーン・ポエム(音で綴った詩)だ。4つ足だった猿人が初めて2本足で立ち上がり、得意になって胸を連打し、4つ足の動物たちに対して優越感を感じる、そんな直立猿人と現在の人間との対比を音楽的に表現したかった。」

“Overcome with self-esteem, he goes out to rule the world, if not the universe, but both his own failure to realize the inevitable emanicipation of those he sought to enslave, and his greed in attempting to stand on a false security, deny him not only the right of ever being a man, but finally destroy him completely.”
「自信満々で世を支配しに行くが、自分が抑圧した(奴隷にした)人たちはやがて必然的に解放されるということに気が付かず、また、欲望に目が眩んで自分の支配力が持続しないということに気がつかずに人間としての正当性を失い、ついには完璧に崩壊させられるのである。」

“Basically the composition can be divided into four movements: (1) evolution, (2) superiority-complex, (3) decline, and (4) destruction.”
「この曲は4楽章形式だ。(1) 進化、(2) 優越に対する欲求、(3) 衰退、(4) 破滅」

この曲をそれぞれのミュージシャンに口移しで覚えさせるのは大変な作業だったと思うが、成果ははっきりと現れている。この広大なストーリーもそうだが、作曲作品としてもかなり高度だ。このビバップの時代に、これだけの作品を具現させたミンガスの力に感嘆する。まずヘッド(テーマ)の採譜をご覧頂きたい。

ヘッド
ヘッド

出回っているこの曲の譜面で正しく採譜されているものを見たことがないが、実はこれを採譜するのはかなり難しい。まずフォームだ。ミンガス本人の前述の説明によると、彼が4楽章形式と言っているのはヘッドが4つのセクションに別れているということなのだと思う。つまり【A】【B】【A】【C】形式だ。そして【A】はフレーズ的に2セクションに分割できるが、【A1】は半端な10小節、【A2】も半端な6小節だ。一見順当な8x2小節と錯覚するかもしれないが、1小節目の第一モチーフは中継点の9小節目ではなく、その2小節後の11小節目で再現されていることに注目されたい。

さて、多くの譜面はこの最初のコードをF-7としているが、実は間違いである。長短を決定する3度音が欠如していることから引き起こされる間違いだが、ソロセクションを聴くと明らかにF7だ。但し、この曲はFマイナーが調性なのでかなり混乱する。ミンガス恐るべし。

次にメロディーとベース音の不協和音オンパレードに注目したい。4小節目のCとD♭の音程が、和音を破壊する短9度だ。6小節目のDとD♭は長7度で不協和音ではないはずなのに、もう耳がこれも不協和音と聞いてしまう。続く7小節目のE♭とEナチュラルも短9度だ。8小節目のストップタイムは、なんとトライトーン、悪魔の(最も不安定な)増4度。9小節目の弱拍のDはメロディーのE♭とまたしても短9度。10小節目のD♭はドミナントのテンション♭9、E♭は#9なので驚きはしないが、やはりまたしても短9度だ。とことん調性を濁している。ミンガス凄すぎ。ちなみに、なぜドミナントに限り短9度音程が許されるかと言うと、ドミナントに含まれるトライトーンの音程が強力な解決感を示唆するからだ。つまり、トライトーンは最も強力な音程なので短9度音程に勝つ、ということだ。ドミナントという言葉は、全てに勝るという意味だ。

驚くのは11小節目からは全く不協和音がないということだ。最初の10小節で思いっきり不安感を与え、続く6小節で次に展開する準備をしている。それにしてもこの13小節目と17小節目に対するピックアップの16分音符のかっこいいこと。モンテローズとマクレーンはものすごいスピード感でこのフレーズを吹いている。ずっと静かに伸ばす音だけだったヘッドでいきなりこれだ。なんとかっこいいのだろう。前述のミンガスのそれぞれのセクションの意図を参照してみと、二度登場するこの【A】セクションの1回目の「進化」がドラマティックに表現されていることがわかる。

続く【B】セクションは24小節のヴァンプだが、なぜ24小節なのか。恐らくミンガスはブルースの12小節枠を想定し、二人のサックス奏者たちにニューオリンズ形式の合同ソロを取らせている。コード進行は I7 – IV7 というブルースのヴァンプだ。ここが「優越に対する欲求」の部分で、デカダンスを示唆している。痺れるほどかっこいいのが、最後に付け足された2小節でのサックスのターンアラウンド(回帰)のラインだ。狂気のあとに【A】に戻るための施しで、実にドラマティックだ。

この後に続く2回目の【A】セクションが、今度は「衰退」として再現され、続いて【C】である「破壊」が登場する。このセクションは【B】の変形だが、「破壊」となる工夫が施されている。採譜をご覧頂きたい。

【C】セクション
【C】セクション

【B】と同じだが、2拍3連を利用して4分の4拍子を6等分のビートで演奏し、カオスを描いている。実に効果的だ。そして、【B】と同様、24小節演奏した後、今度はいきなり止まる。ここでのハーモニーが奇抜だ。まずピアノが単純なB♭マイナーコードの展開形を演奏し、そこに加わるテナーはAeolianコードの♭6音、つまりG♭音を演奏するのだが、ベースは展開形のFだ。つまり、またしても不協和音の短9度だ。徹底している。続くコードが興味深い。ヴォイシングは全音音階から派生しているので、このコードは増5度和音だ。実に不安定なサウンドを出し、そして最後のストップタイムのコードが、なんとこの曲の調性であるF-7コードが基本系で、まるで裸で晒されるように打ち付けられる。このアイデアのすごいこと。感嘆するばかりだ。

最後に冒頭10小節のコード進行の分析を試み、ミンガスの頭の中を覗いて見ることにしよう。

1 2 3 4
F7 D♭Mj7 G-7(♭5) C7(♭9)
I7(Fマイナーのモーダルエクスチェンジ) ♭III Maj 7 II-7(♭5) V7(♭9)
5 6 7 8
F7(♭13) B♭7(#9)/D E♭7(♭9) A♭7(#11)
I7(♭13)(Fマイナーのモーダルエクスチェンジ) IV7(#9) 第一展開形(F7のブルースIV度コード) ピボット
♭VII7(♭9)(F7のブルース♭VII7度コード)と次のA♭コードに対するドッペルドミナントと両役
♭IIIコードだが、ドミナント音であるG♭を挿入してFへの解決期待を促す
9 10
E♭/G C7(♭9)
♭VII第一展開形 V7(♭9)

繰り返しで恐縮だが、ミンガスの偉大さを言葉で表すのは実に困難だと再認識したのであった。

ヒロ ホンシュク

本宿宏明 Hiroaki Honshuku 東京生まれ、鎌倉育ち。米ボストン在住。日大芸術学部フルート科を卒業。在学中、作曲法も修学。1987年1月ジャズを学ぶためバークリー音大入学、同年9月ニューイングランド音楽学院大学院ジャズ作曲科入学、演奏はデイヴ・ホランドに師事。1991年両校をsumma cum laude等3つの最優秀賞を獲得し同時に卒業。ニューイングランド音楽学院では作曲家ジョージ・ラッセルのアシスタントを務め、後に彼の「リヴィング・タイム・オーケストラ」の正式メンバーに招聘される。NYCを拠点に活動するブラジリアン・ジャズ・バンド「ハシャ・フォーラ」リーダー。『ハシャ・ス・マイルス』や『ハッピー・ファイヤー』などのアルバムが好評。ボストンではブラジル音楽で著名なフルート奏者、城戸夕果と双頭で『Love To Brasil Project』を率い活動中。 [ホームページ:RachaFora.com | HiroHonshuku.com] [ ヒロ・ホンシュク Facebook] [ ヒロ・ホンシュク Twitter] [ ヒロ・ホンシュク Instagram] [ ハシャ・フォーラ Facebook] [Love To Brasil Project Facebook]

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