ヒロ・ホンシュクの楽曲解説 #103 David Sanborn<Lisa>
この5月12日にDavid Sanborn(デイヴィッド・サンボーン)が前立腺がんで死去した。享年78、ひとつの時代が幕を閉じた。前立腺がんは日本と違い、アメリカでは発生率が1位、死亡率が2位と高く、ほとんど死の宣告扱いだ。サンボーンは発病から6年生き、演奏活動もしていた稀な例だった。1年半前のBlue Note New Yorkでのライブに出かけなかったことが悔やまれる。
今回は趣向を変えて、稚拙ながら趣味のイラストをタイトル画に使用してみた。サンボーンの顔は特徴があったわけではないし、時代によって髪型も眉毛も違うのだが、あの特殊な姿勢からイラストを描くのは比較的楽だ。身体は小さめ、少し内股でアンブシュアの角度を下げて演奏する。彼は3歳の時に小児麻痺にかかり、首から下が麻痺した。リハビリを続け、11歳の時に肺の機能を向上させるために医師が管楽器を始めることを指示した。アルト・サックスを選んだのは大好きなRay Charles(レイ・チャールズ)の歌い方を模倣するためだったそうだ。あの姿勢は始めた時にベッドに寝たまま練習したからだと言われているがそれは間違いだ。1991年にNPR(米国公共ラジオ放送)のTerry Gross(テリー・グロス)が行ったサンボーンのインタビューによると、小児麻痺の後遺症から左手と右足が自由に動かないそうで、そのために独自の運指を編み出さなければならなかった。だから自分の姿勢やフィンガリングなどを真似ないように警告していた。この記事のタイトル画にジャケットを使用しなかったのは、例のマイルスのシルエットに似たようなサンボーンのイラストを描いてみたかったことと、今回取り上げた彼の作曲作品、<Lisa>が数回録音され直されてアルバムを限定したくなかったことと、もうひとつ、実は筆者は現在療養中で演奏が出来ないため、イラストで気晴らしだ。
サンボーンと言えば筆者の80年代だ。正確に言えば、1987年にアメリカ移住し、ジャズを勉強し始めて耳にした「The Brecker Brothers (ブレッカー・ブラザーズ)」の第一作、『The Brecker Bros. (1975)』の6トラック目に収録されていた<Rocks>に登場した、当時必死に聴きまくっていたMichael Brecker(マイケル・ブレッカー)と壮絶なサックス・トレードを繰り広げたサンボーンに魅了された。当時全く知らなかったのだが、筆者はすでにサンボーンを耳にしていた。中学の頃からBuddy Guy(バディ・ガイ)をアイドルとしてブルース・ギタリストになりたかった筆者は、白人ブルース・アーティストであるPaul Butterfield(ポール・バターフィールド)に妙な親近感を持っていた。彼の『In My Own Dream (1968)』の1トラック目、<Last Hope’s Gone>でサンボーンは耳を惹くソプラノ・サックス・ソロを披露しており(YouTube →)、また、『Sometimes I Just Feel Like Smilin’ (1971)』の<Drowned In My Own Tears>では最高のブルース・ソロをアルトで披露し(YouTube →)かなり印象に残っていた。ちなみに2015年に発表された、お蔵入りになっていた1970年のNYCでのライブ・アルバム『Live: New York, 1970』ではサンボーン大活躍だ。もうひとつ相当後になって知ったのが、Stevie Wonder(スティーヴィー・ワンダー)のあの名盤、『Talking Book (1972)』の<Tuesday Heartbreak>でフィーチャーされているアルト・サックスがサンボーンだ。これらの活躍がサンボーンの20代前半に始まっているばかりか、驚いたことに彼は、あのブルース3大「キング」のひとり、Albert King(アルバート・キング)のバンドに14歳で参加していたそうだ。つまり、筆者のサンボーンはブルースなのだ。
Sunday Night / Night Music
筆者のサンボーンはブルースだと叫んでみたものの、実は1988年から1990年にかけて毎週日曜の夜遅くに放映されていた音楽番組、『Sunday Night(シーズン1タイトル)/ Night Music(シーズン2タイトル)』が筆者にとってのサンボーンだった。毎週覚えたてのジャズの勉強ができるばかりでなく、聞いたことがないアーティストを知る最高の機会だった。また、ディジーやロリンズなどのゲスト・アーティストの古い掘り出し物映像も披露してくれた。そしてサンボーンは多岐にわたるジャンルの豪華なゲスト・アーティストの演奏のほとんどに参加し、どんなジャンルの音楽にも味のある演奏で貢献できる彼の音楽性に感嘆した。一番驚いたのはTim Berne(ティム・バーン)のグループがゲストで登場した時だった。サンボーンはフリー・ジャズのイディオムもすごく、顎落ちだった(YouTube →)。お気付きの読者もいらっしゃるかも知れない。筆者が描いた冒頭のイラストはまさにナイト・ミュージックで目の裏に焼き付いたそのサンボーンの姿だ。だが、なんと言っても一生忘れられないのは、Sony Rollins(ソニー・ロリンズ)が、あのLeonard Cohen(レナード・コーエン)と共演した時だった。しかもWas (Not Was)(ウォズ (ノット・ウォズ))がバッキングコーラスだった。蛇足だが、ウォズ (ノット・ウォズ)はR&Bでフルートをフィーチャーしていた特殊なグループだった。話を戻す。この曲の最後でのロリンズのアカペラがあまりに凄すぎて身震いしたことをよく覚えている。是非ご覧頂きたい。
この番組のハウス・バンドがまた最高だった。ギタリストに憧れていた筆者にとってHiram Bullock(Bullockをビューロックと読む場合もあるが、サンボーンはボロックと発音していた。日本ではハイラム・ブロック)が涙が出るほどカッコ良かった。あのオープニング・ソングでのサンボーンとハイラムのハモリに痺れた。ハイラムは2008年に52歳で他界してしまったが、その数年前に筆者はNYCまで行って念願の彼のライブを観た。あの憧れたカッコいいハイラムの面影は全くなく、肥満してクスリとアルコールでデロデロだった。そして心臓麻痺で死んでしまった。心の底から残念だった。話を戻す。この「Sunday Night Band」のベース兼バンド・リーダーはマイルスの相棒も勤めたあのMarcus Miller(マーカス・ミラー)だ。この3人の絡みはサンボーンの白黒スタジオ・ライブ・ビデオ、『Love and Happiness (1986)』でも最高で、当時何度も観てシビレまくっていた。その他にもハウス・バンドのドラムはOmar Hakim(オマー・ハキーム、日本ではハキム)、キーボードが唯一地味なフランス人、Philippe Saisse(フィリップ・セス)だったが、George Duke(ジョージ・デューク)が何度も参加していたのを思い出す。2シーズン目になるとマーカスの入れ替えでTom Barney(トム・バーニー)、そしてDon Alias(ドン・アライアス)がパーカッションに加わった。歌ったりアップライト・ベース(日本ではウッドベース)を弾いたりして普段観られないマーカスを観られなくなって悲しかったが、バーニーのグルーヴはマーカスと全くスタイルの違う、これまたご機嫌なものだったし、アライアスが加わったことで大きくサウンドが変わったことを歓迎した。しかし、何よりも1シーズン目より遥かに進行が向上し、おしゃべりより音楽が多くなったのが嬉しかった。『Love and Happiness』のDVDと『Sunday Night / Night Music』のDVDボックス・セットが出たらどんなに良いだろう、とずっと思っている。幸い『Love and Happiness』のVHSは持っていたが、観過ぎてテープをダメにしてしまった。YouTubeで観ることはできるが、画像も音質もかなり残念なものしかアップされていない。
デイヴィッド・サンボーンの音楽
サンボーンはスムーズ・ジャズの先駆者と言われているが本人はそれを嫌う。筆者も彼の音楽がスムーズ・ジャズと言われたくないことに深く共感する。むしろR&Bだ。だが彼の演奏のスタイルは記述しにくい。コルトレーンやモンクやマイケル・ブレッカーやコリアや、その他多くの成功したアーティストたちのような独自のリック(日本ではパターンまたはフレーズ)を演奏しないからだ。彼はRay Charles(レイ・チャールズ)の歌い方のコピーから始め、レイ・チャールズ・バンドでアルトを吹いていたHank Crawford(ハンク・クロフォード)をアイドルとした。そこから彼のスタイルが築かれたわけだが、それはバック・バンドのホーンセクションを目標としたということで、あちらこちらでソロイストとして器用されたのは彼の追従を許さない才能だ。例えば、1971年から72年まで彼はスティーヴィー・ワンダーのツアー・バンドのメンバーだった。彼が26歳の頃だ。スティーヴィー・ワンダーのそのツアーはなんと「The Rolling Stones」(ローリング・ストーンズ)の前座で、サンボーンはそのままストーンズに引き抜かれたのだ。
技術的な面で言うと、彼はスプリット・ノートの達人で、しかもGrowl Noteも(筆者はこれを日本でどう呼ぶのか調べきれなかった)自由自在に操る。スプリット・ノートとは、リードをアンブシュアで締め付けて音の歪みを混ぜてソウルフルな音色を出すことで、また、グラウル・ノートとは、吹く時に自分の声を同時に出して音の歪みを生み出す奏法だ。サンボーンはどんな速いフレーズの演奏中でもこれを自由自在に操る。小児麻痺で自由にならない左手を超越して速弾きの達人でありながら、それを必要な時にしか出さない、その音楽性もあちらこちらから呼ばれる理由だろう。
そう、サンボーンは超絶技巧のタンギングと速弾きの技術を絶対に見せびらかさない。彼はセクションの一員としてのアンサンブルを楽しむ。70年代最初にすでに商業的に成功して忙しいスケジュールをこなしている中、サンボーンはGil Evans(ギル・エヴァンス)のギグを優先した。前述したNPRのインタビューの一部をご紹介しよう。
Well, I know that one of the oddest situations I can remember was I played – the last show of Bowie’s tour was in Madison Square Garden, and I played the show in Madison Square Garden and left there, got on a plane and flew to Italy. And the next day, I was in Perugia, Italy, playing with Gil Evans, and that was – the juxtaposition of that was very odd.
ボウイ(David Bowie:デヴィッド・ボウイ)のツアーの最終日がマディソン・スクエア・ガーデン(マンハッタン)だったんだ。その足で飛行機に乗ってイタリアに飛んで、次の日ペルジアのギル・エバンスのギグに出たんだ。あれが(音楽的に)最も頭がぐちゃぐちゃになった経験だったなあ。
(中略)
I can think of so many great things about Gil’s music, you know? And it was like – when you were playing in the ensemble, every part was like a melody. And so you really – you kind of wanted to play. And, you know, you felt like, you know, the part you were playing was so melodic, yet it fit with everything else that was going on. And I don’t think there – to my ears, there was never an arranger that had, you know, that kind of ear for color and texture and the atmospherics as Gil.
ギルの音楽のすごいことっていっぱいあるんだ。例えば、アンサンブルのパートを演奏してるのに、それぞれのパートが独立したメロディーなんだ。独立してるっていうのにアンサンブル全体にしっかりフィットしてる。カラーやテクスチャーに対してあんな耳を持っている編曲家をギル以外に知らないなあ。
サンボーンの音楽を説明するのもこれまた難しい。サンボーンのデビュー作は1975年の『Taking Off』だ。前述の『The Brecker Bros.』と同年で、Steve Khan(スティーヴ・カーン)による1トラック目の<Butterfat>と3トラック目の<Duck Ankles>はブレッカー・ブラザーズかと錯覚した。意外だったのは5トラック目のDon Grolnick(ドン・グロルニック)による<The Whisperer>と、6トラック目のRandy Brecker(ランディ・ブレッカー)による<It Took a Long Time>。それらは彼ら独自の作曲手法を維持しながらも全くブレッカー・ブラザーズのサウンドを出していなかった。このアルバムの最後3つのトラックはDavid Matthews(デイヴィッド・マシューズ)によるストリングの入ったR&Bだ。このように取り止めのないスタイルが羅列しているアルバムという印象を受けるかも知れないが、音楽的にしっかりまとまっていることに驚かされる。つまり、成功し始めたサポート・ミュージシャンのデビュー・アルバムに「やりたいことをぎゅう詰めにする」ような作品を耳にすることがあるが、サンボーンのこのアルバムからはそう言う印象をひとつも受けなかった。上述のNPRのインタビューで語っていたが、彼はプロデュサーを慎重に選び、自分のやりたい事を説明してプランして行くらしい。翌1976年に発表された第二作目、『David Sanborn』のプロデューサーも一作目と同じJohn Court(ジョン・コート)だが、ブレッカー・ブラザーズの面影は完全に消えたR&Bアルバムだ。ちなみに、サンボーンが誰をプロデューサーに選ぶかの理由のひとつに、どのミュージシャンを引っ張って来られるかという要素がある。この二作目でのバッキング・コーラスのメンバーのすごいこと。Phoebe Snow(フィービー・スノウ)やPatti Austin(パティー・オースティン)に加え、なんとPaul Simon(ポール・サイモン)にまでバッキング・コーラスを歌わせていることに驚かされる。蛇足だが、このアルバム3トラック目の<Mamacita>でのサンボーンのソロは必聴だ。なんと、アウトするバップ・フレーズ満載で、こんな演奏は彼の後年のジャズアルバムでも聴けない。いつ頃から彼はこういう演奏をしなくなったのか、興味深いところだが理由は理解できる。彼はブルースをサックスで歌いたいのだ。だから万人の心に届いたのだ。
この時期にNYCミュージック・シーンが大きく動いた。その発祥地が「7th Avenue South」というマンハッタンのグリニッジ・ヴィレッジにあったジャズ・クラブだった。このクラブはブレッカー兄弟によって、スタジオ・ミュージシャンたちが仕事の後に集まってセッションをするために1997年に設立された。残念ながら商業的に持続せず、10年後に閉鎖されてしまったが、このクラブから生まれた音楽がアメリカ音楽の歴史を変えた。黒人のR&Bを白人が黒人を交えてグルーヴする新しい形態のアメリカ音楽の登場だ。レコード会社はこれをフュージョンというカテゴリーに押し込めたが、80年代に西海岸から始まったフュージョンと区別する必要がある。グルーヴが全く違うからだ。また、80年代のフュージョンと違い、この70年代にR&Bを基盤とした音楽は今でも廃れていない。ロックやブルースやカントリー同様、進化しなくても世代を問わず聴衆の心に長く残る音楽形態だ。このクラブに集まり、この新しいアメリカ音楽形態を生み出すことに貢献したアーティストは、ブレッカー・ブラザーズ、Mike Mainieri(マイク・マイニエリ)、Bob Mintzer(ボブ・ミンツァー)、スティーヴ・カーン、ドン・グロルニックなどだ。その特徴は複雑な新しいサウンドのハイブリット・コード(例えばオルタード・テンションをベース音に置く)を使ってバックビートでガンガングルーヴするというものだった。それと、驚異的にタイトなホーン・セクションもここから始まった。ブレッカー・ブラザーズがあれだけ成功した理由のひとつだ。サンボーンの『Sunday Night / Night Music』でも毎週このタイトな演奏が本当に凄かった。この「7th Avenue South」仲間から始まった音楽で代表的なプロジェクトは、「The Brecker Brothers」、「Steps/Steps Ahead」、渡辺香津美の「MOBO」やボブ・ミンツァー・ビッグ・バンドだと思う。サンボーンも当然このグループの仲間なので、彼の初期のアルバムのサウンドの説明がつく。そう言えばどこかのインタビューで、サンボーンはマイケル・ブレッカーに強く影響を受けたと語っていた。
サンボーンが次の時期に入るのが1981年発表の『Voyeur』からだ。前年、1980年の名作、『Hideaway』から参加した21歳そこそこのマーカス・ミラーが本格的にサンボーンの音楽に影響を及ぼし始めた。つまり、サンボーン、ハイラム、マーカスの最強3人組の成立だ。マーカスがマイルス復帰ツアー・バンドに参加したのもこの年で、二つの大きなプロジェクトを進める彼の才能に感嘆する。マーカスについては、本誌No. 244、楽曲解説#33をぜひご覧下さい。ちなみに、マーカスがマイルスに雇われたのは1979年、マイルスが復帰を計画していた時にAl Foster(アル・フォスター)がスタジオ・ミュージシャンとして活躍している少年、マーカスをマイルスに紹介したのだ。普通のミュージシャンならマイルス・バンドのツアーに参加できただけで頭がいっぱいになって他のプロジェクトなど考えられないだろう。だがマーカスは『Voyeur』に4作品書き下ろしただけでなく、完璧にサンボーンの新しい音楽スタイルを築き上げた。このアルバムはもちろん筆者の愛聴盤だ。
マーカスがFacebookで書いていた。上記『Voyeur』の6トラック目、<All I Need is You>はマーカスがサンボーンのために書いた最初の曲で、初めて演奏した時「まるであつらえた背広みたいにピッタリだ」と褒めてくれたそうだ。自分も、サンボーンが自分の想像した通りの音楽に仕上げてくれたことに大満足だったそうで、マーカスがサンボーンとどれほど近い仲だったかったかを回想していた。マーカスの結婚相手との馴れ初めがまた面白い。ツアー中に飛行機に搭乗すると、サンボーンが列17を見ろと言ったそうで、ミラーはそこに座っていた女性に話かけてそれが結婚に繋がり、4人の子供をもうけて38年後の今に至るのだそうだ。
<Lisa>
この曲はサンボーンのあまり多くないオリジナル曲のひとつで、数回録音し直されている。最初の録音は『Hideaway (1980)』、次に、ライブ録音の『Straight to the Heart (1984)』、そして『Inside (1999)』ではもっとアコースティックな仕上がりになっている。だが筆者が一番印象に残っているのはライブ動画、『Love and Happiness (1986)』での演奏だった。なぜそんなに印象に残っているのか、後述する。ちなみに、このLisaというのは誰のことなのか誰も知らないそうだ。特定の人の名前ではないという説もある。さて、まずイントロを見てみよう。
Eメジャーの曲だ。2小節間ポップなサウンドの6thコードの後、Eのドミナント属7音であるD音がベースに移ったインバージョン・コードで動きを付け、次にいきなりハイブリッドコードのサウンドだ。このサウンドはランディ・ブレッカーお得意だった。E-11コードに存在しないB♭音をベース音にしている。このB♭音をブルース音とこじつけることも出来るが、E-の5度音であるBを抜いてのボイシングなのでB♭Maj7(#11) コードとも言える。キーボードのボイシングはどの録音でもモーダルなマイナー11thコードであることに留意。このB♭音の謎は【A】セクションで解明する。続く2つのコードはLydian #5コードだ。つまり4度音(正確には11thテンション)と5度音両方を半音上げたスケールから派生するコードだ。ちなみに、このコードを3度音、例えばFMaj7(#5)のAから始まるドミナント♭13、つまりA7(♭13)と考えれば良いと教えると聞いたことがあるが、それは正しくない。なぜならこのコードをドミナント扱いにするとD音がアボイド音として使用不可になるからだ。Lydianモードにアボイド音を含めるとその機能が破壊されてしまう。このLydian #5モードはバロック時代から存在する。バッハやリスト、ワーグナー、マーラーなどの作品で聞かれる。ジャズのボイシングでクラシックと違う使い方を始めたのは、筆者の私見ではランディ・ブレッカーだと思う。この小節のサウンドは「7th Avenue South」仲間サウンドだと勝手に思っている。
このイカした4小節フレーズのコード進行がサラッと2回繰り返されてヘッド(日本ではテーマ)に入る。この曲は【A】【B】【C】【D】形式だが、構成がなかなかオシャレだ。まずは【A】部分をご覧頂きたい。
メロディーは単純なEメジャーのポップ調だが、コード進行はもっと奥が深い。中間点である13小節目のC#-7はEメジャーの関係調で、それを到達点としてSubVのD7をそのひとつ前に置き、最初のEMaj7とのつなぎにD#-7をD7の前に置いているが、このD#-7はEメジャーに無いコードだ。この謎は16小節目でタネが明かされる。ダウン・ビートがEメジャーにないA#音だ。イントロの4小節めに登場したB♭と異名同音であることにも留意。これはE Lydianモーダル・エクスチェンジ(モードの入れ替え)だ。ジョージ・ラッセルのリディアン・クロマチック・コンセプトで説明すると、E LydianはE Ionian (Eメジャー)より1ステップ外側にあり、現在位置よりふわっと上昇した雰囲気の効果を出す。
さらにもっと奥が深い。実はサンボーンは、このC#コード → F#コードをブルース進行扱いにして、それをこの曲のテーマ(動機)にしており、その副産物としてリディアン・モーダル・エクスチェンジを利用しているという大変凝った作りなのだ。だが聴衆にはそんな大それた企みが仕込まれているとは全く聞こえない、それがすごいのだ。
次に【B】の部分をご覧頂きたい。筆者はこの曲を最初に聞いた時にこの部分にびっくりしてそれがいつまでも耳に残った。
Eメジャーの4度コードのAMaj7と、モーダル・エクスチェンジ2度コードのF#7の共通音であるE音をオスティナートとして繰り返している、その演奏の仕方が実に味があり、また余計な装飾を入れないでじっくり歌っている。これにまいった。こんな音色でこんなフレージングで1音をじっくり聴かせることのできる奏者が他にいるだろうか。
この【B】セクションは半端な6小節で、2小節省いて【A】に戻るところもオシャレだ。【A】【B】が2回繰り返された後イントロで紹介されたコード進行が発展して4小節のInterlude(間奏)として入り、C#7とF#7が繰り返される16小節のブルース・ヴァンプが始まる。この部分でサンボーンはソロを取るわけだが、興味深いのはC#7がブルースで使われるMixolydianではなくブルースの1度コードでは絶対に使われない#9コードであり、そのサウンドが意外でむちゃくちゃかっこいい。これも最初に聞いた時に強く耳に残った部分だ。
この曲は上記のフォームが2回繰り返され、【D】のヴァンプでフェード・アウトする構成なのだが、『Love and Happiness 』はライブ動画なのでフェード・アウトはない。この録音のみエンデイングで【C】の部分が再登場し、サンボーンがインプロしまくっている。彼はこの厄介なコード進行を全く無視してEマイナー・ブルースのフレーズを吹きまくっているのだが、これが驚くほど違和感ゼロだ。ご覧頂きたい。
コード・スケールに無い音に印を付けた。pは経過音(パッシング音)、aはアプローチ音という意味で、これは全く問題ない。xはコードと喧嘩する音だ。だが、サンボーンのカッコいいブルース・フレーズの応酬はコードとのぶつかり音など全く関係なく聴衆を魅了する。これがサンボーンの魔術だ。フレーズの音使いのことではない、音色とフレーズの吹き方とグルーヴ感があまりにも凄すぎる。お楽しみ頂きたい。