ヒロ・ホンシュクの楽曲解説 #74 Kenny Garrett『For Art’s Sake』
この8月27日にリリースされたKenny Garrett(ケニー・ギャレット)の新譜、『Sounds from the Ancestors』は彼の20作目のリーダー・アルバムに当たり、久しぶりに筆者を興奮させてくれるものだった。ギャレットと言えば筆者にとってはやはりマイルスのギャレットだ。今回は通常と趣向を変え、最初にギャレットのスタイルを解説したいと思う。話がややこしすぎると思われる読者は、是非アルバムカバーを描いたRudy Gutierrez(ルーディ・グチエレス)の記述までスキップすることをお勧めしたい。
4年前、2017年9月29日にギャレットがボストン公演をするというので行ってみた。その1年前にリリースされた『Do Your Dance!』ツアーだというのでアルバムも手に入れた。当日のメンバーはピアノがVernell Brown, Jr.(フェルネル・ブラウン・ジュニア)、ベースがCorcoran Holt(コーコラン・ホルト)、ドラムがMarcus Baylor(マーカス・ベイロー)、パーカッションがRudy Bird(ルーディー・バード)だったと記憶する。実はこのドラマーのベイローはレギュラーメンバーでもレコーディングメンバーでもなかったのだが、彼の演奏にもっとも感動したことを鮮明に覚えている。ライドのスイング感が驚異的なことに加え、そのライドが実によく歌うのである。しかも始終ニコニコと楽しそうに叩くので、こっちも思いっきり楽しませて頂いた。セットリストは上記のアルバムからだったと思うが、あまりよく覚えていない。ここのところ筆者はグラスパーやシオ・クローカーを筆頭とする新しいブラックミュージックに刺激され続けているので、ギャレットの音楽が耳に入りにくくなっているのかも知れない。ただ、ギャレットと言えば、マイルスバンドで堪能させてくれた彼独特のアウトの仕方で、このライブでもそのやたらかっこいいアウトの仕方に興奮したのだけは覚えている。iPhoneでクリップを撮影した覚えがあったので探したら見つかったのでアップした。ドラムのマーカス・ベイローを是非ご覧頂きたい(YouTube →)。
ミシガン州デトロイトに生まれ、18歳でThe Duke Ellington Orchestra(デューク・エリントン楽団)から華々しくデビューし、Art Blakey and The Jazz Messengers(アート・ブレイキー&ザ・ジャズ・メッセンジャーズ)で活躍したギャレットの、Dizzy Gillespie(ディジー・ガレスピー)との映像を見たマイルスはその場でギャレットに電話して参加を要請したそうだ。ギャレットがマイルスバンドに在籍したのは、1986年からマイルスが他界するまでの5年半、マイルスのお気に入りだった。そのマイルスが見たという映像を探してみた。
ギャレット奏法の特徴
果たしてこれが正しいのか全く定かではないが、1985年11月2日のベルリン・ジャズフェスティバルの映像が時期的には相当する。この映像はスタンダードの名曲、<I’ll Remember April>でディジーに続くギャレットのソロ(YouTube→)のものなのだが、彼の特異なアウトのスタイルがすでにこの若さで確立されていることがわかる。ソロ2コーラス目の冒頭8小節を採譜してみた。
オリジナルのコード進行では最初の4小節がGメジャー、続く4小節がモーダルインターチェンジのGマイナーだ。ギャレットのフレージングを見ると彼がどういうコード進行を想定しているのかはっきりわかる。ちなみに、我々がジャズのインプロビゼーションを勉強する時もっとも大切なのは先人から学ぶボキャブラリーの消化だが、次に不可欠なのはコード進行がはっきり聞こえるフレージングを構築する能力だ。この二つが出来ていないソロを俗に「なんちゃってソロ」と呼ぶらしい。もう少し説明しよう。例えば筆者がMichael Brecker(マイケル・ブレッカー)から頂戴したテクニックに、FブルースでのソロをEリディアンのダイアトニックコード進行を使って構築するというものがある。ほぼ全ての音が喧嘩するというのにかっこいいサウンドを可能にできるのは、ボキャブラリーをはっきりさせることと、そのダイアトニックコード進行をはっきり聞こえさせるからだ。この、はっきりとコード進行が聞こえるフレージングとはいったいどういうことか。それはコードの特徴を決定する第3度音を中心としたコードトーンでフレージングを作るという意味だ。そしてドミナントかそうでないかを決定するのはコードの第7音になる。上の図に記載されたコード名とフレーズを見比べるとお分かり頂けるとと思う。
このギャレットのソロ8小節を見ると、Gメジャー上でははっきりと長2度上のAメジャーを想定している。EコードはVコードであり、F#ーコードはVIーだ。実はここがかなりおしゃれなのだ。Aメジャーの決定音、C#はGメジャーのモーダルエクスチェンジであるGリディアンの#11音であり、ギャレットはそれを先に想定していると考えられる。言い換えれば、最初の4小節のGメジャーをまずGリディアンと置き換え、その決定音であるC#音を生かすためにGメジャーをAメジャーに置き換え、さらにAメジャーをAリディアンに置き換えてD#音を挿入し(ピックアップ48小節目)そこから派生するII7コードであるB7を50小節目に挿入して強調しているのだ。
これは何を意味するのか。一体ギャレットのこのスタイルがなぜこれほど特異なのか。ギャレットは恐らく通常のアウトではなく、ちょっとだけ違う、似て非なるアウト、または時々ハッと驚かせるアウトに命をかけているのではないか、と筆者は勝手に想像している。しかしギャレットも人の子、マイケル・ブレッカー並の半音下でのアウトも大好きだ。
マイルスバンドでギャレットフィーチャーのレパートリーの一つにMichael Jackson(マイケル・ジャクソン)の<Human Nature>がある。Aマイナー一発の単純なグルーヴでギャレットがジリジリと盛り上げ、クライマックスでマイルスが合図して終わるという趣向の曲だ。先が見えているのに毎回ワクワクさせてくれる曲で、ギャレットのパワーの持続性に実に驚かされる。ちなみに本年6月25日に発掘リリースされた『Merci Miles!』の2トラック目に収められているこの曲では、なんとマイルスがなかなか終わりにせず、ギャレットが息絶えてやっとマイルスが終わりの合図をしたというとても貴重な録音となっている。これを初めて聞いた時はさすがに驚いた。
この一発ものではギャレットも何度か半音下のアウトを見せるので、1988年11月1日に録音された『Live Around The World』から採譜してみた。トラック9分38秒の位置からだ。
ご覧の通り半音下のアウトと言っても全く通常のそれではない。Aマイナーの単純なグルーヴの上で、なんと半音下のマイナーではなくメジャーを使用している。最初のE♭では第7音が含まれていないのでドミナントと断定はできないが、A♭のVコードを想定しているのは間違いないようだ。続いて登場するのがA♭とトライトーンの関係にあるDメジャー。再びトライトーン飛びでA♭に帰還。ここから元の調性であるAマイナーに戻り一瞬ホッとさせ、AマイナーをAリディアンにモーダルエクスチェンジさせることを示唆するGの#11コードを経て、次にAーをダイアトニックのIIIーとしたFメジャーに落ち着く。ギャレット判子オンパレードと言ったところだろう。
もちろんギャレットはリアルタイムでこれだけのことを考えながらアウトしているはずはなく、恐らくこういう構築をする練習をかなり積んで来ているから身体が自然に反応しているのだと思う。筆者も学生の頃この手の練習はしこたましたが、さすがにここまでややこしいコード進行は考えたことはなかった。
Rudy Gutierrez(ルーディ・グチエレス)
実はルーディが描いたこのアルバムのジャケット画を見るまでこのギャレットの新譜にあまり興味を持っていなかった。ジャケットを偶然見て、ルーディが描いたのならば、と速攻で手に入れたのであった。筆者はこの画家の作品が大好きだ。最初に彼の作品に出会ったのは、本誌No. 248、楽曲解説#37でRoy Hargrove(ロイ・ハーグローヴ)のThe RH Factorによる『Hard Groove』を取り上げた時だ。記事ではジャケット画を取り上げなかったものの、その黄色を主体とした絵に非常に感銘した。ルーディはとても腰の低い人で、セレブリティー級の有名人だというのにすぐにFacebook上で親しくしてくれた。彼はSantana(サンタナ)やJimi Hendrix(ジミ・ヘンドリックス)や絵本などで数々の賞を受賞しており、話題のJohn Coltrane(ジョン・コルトレーン)のドキュメンタリー、『Chasing Trane』のポスターを描いたのも彼だ。
今回彼の特別な好意で数々の作品を送って頂いたので、是非お楽しみ頂きたい。
ついでにミニ・インタビューにも付き合ってくださった。紙面の関係上要約してお伝えしたいと思う。
筆者は常々彼のパワフルなスタイルと、それを生み出した彼の才能に感銘を受けている。例えば黄色を主体とした色使いとか、歪めた線を用いた表現だとか、人物の特殊なポーズだとか、小さく挿入される第三者などのコンセプト等だ。一体どうやってこのスタイルが形成されて行ったのかとても興味があるので聞いてみると、とても素敵な答えが返って来た。
「『ラウンド・ミッドナイト』って映画の一場面でデクスター・ゴードンがファンに言ったセリフがぴったり合うんだ。それは、『スタイルってのは木に生ってるものじゃあないんだ。だからそれを摘むことで得られるというようなものじゃあない。スタイルってのは身体の中で成長する木だと思えばいい。』同じように、ぼくのスタイルはぼくという人間を表現するということでありたいと思う。ぼくはプエルトリコ系だから、まずアフリカ、それとヨーロッパの原住民、それに加えてタイノ族(注:カリブの原住民)の文化も混ざっている。そういう文化を全てインスピレーションにして自分を表現したい、ということだと思う。」
「自分の作品には音楽からの影響がもっとも強いんだ。妻のDK Dyson(DK・ダイソン)は歌手として、また作曲家として活躍しているし、幸運なことに数多くのアルバムカバーの仕事でたくさんの素晴らしい音楽家たちとも知り合えた。全ては自分が13歳の時に始まったんだ。ニューヨークのアパートで毎晩聴いた音楽さ。今までに聴いたこともないようなサウンドに聞き入ったものだ。1970年のことだった。謎のサウンドが頭の先からつま先まで攻めて来るんだ。そのサウンドは時には暗かったり、明るかったり、洗練されているが受け入れやすく、なぜか自分に強く訴えかけて来る。アフロ・キューバン、ロック、ブルース、ジャズ、そしてアフリカ音楽、色々あったが、そこには背筋を凍らせる「泣き」があった。時には美しく、時には喪に服し、時には明るく歓喜に満ちる。この曲では戦士の叫びかと思うと、次の曲はロマンティック。この「光」対「闇」に震撼され続ける中、サンタナ(Carlos Santana)の『Abraxas(1970)』に出会った。彼のギターはまさにこの「泣き」の究極的なものだった。そして、Mati Klarwein(マティ・クラーワイン)のこのアルバム画がぼくの人生を変えたんだ。」クラーワインと言えばご存知の方も多いかと思うが、あのマイルスの『Bitches Brew』や『Live-Evil』のジャケットを描いた画家だ。
ルーディはこのアルバム画のような作品が制作できるようになることを目標に努力を続け、2002年にとうとうサンタナから仕事を依頼された。それが『Shaman』で、ルディーは一躍注目を浴びることとなる。
今回のギャレットのアルバム画は50センチ四方のアクリル板に2週間かけて描かれたものだそうだ。彼の描く人物の多くは歪んだポーズを取っており、その様子が非常にユニークなので制作過程を聞いてみた。特にギャレットは他の作品よりかなり歪んでいるので興味を持ったのだ。写真を切ったり貼ったりしてインスピレーションを沸かせ、次にコンピュータに取り込んで歪ませて構図のアイデアを構築し色を決めて行くのだそうだが、過程はかなり即興的だと語る。ある程度方針が決まってから実際の作画作業に入るが、行程中に変化して行くことも多々あるそうだ。
このアルバムで一番好きなトラックは、という問いの答えはギャレットのソロピアノで始まる7トラック目のタイトル曲、<Sounds from the Ancestors>だった。「ギャレットのホーンが翼となって現在から永遠の過去へと、そして故郷へと旅をする、その雄大な有様からインスピレーションを受けた。」と語ってくれた。ジャケット画右にいる少女は、ギャレットの耳元に聖なるサウンドを吹き込む精霊だそうで、ギャレットがホーンを通して先祖のストーリーを語るそのガイドをしているのだそうだ。
“We are served with the reminder of the magic that we all contain with our acknowledgment of the ancestors, allowing us to be used as vessels!”
「全ての人は先祖の存在を認識することで(自分たちの中にある)マジックの存在を思い起こさせられ、媒体となる能力を与えられる。」と語ってくれた。
『Sound from the Ancestors』
“Sounds from the Ancestors examines the roots of West African music in the framework of jazz, gospel, Motown, hip-hop, and all other genres that have descended from jùjú and Yoruban music.” “It’s crucial to acknowledge the ancestral roots in the sounds we’ve inhabited under the aesthetics of Western music.” – Kenny Garrett
「このアルバム『先祖からのサウンド』は、ジャズ、ゴスペル、モータウン、ヒップホップなどの、Jùjúやヨルバ(注:ナイジェリア音楽)の流れを汲む音楽を用いて西アフリカ音楽の起源を考察する。西洋音楽の精神を引き継ぐ我々が、そのサウンドの起源を認識することは重要なことなのだ。」 ケニー・ギャレット
このアルバムの最初のトラックを聴いて驚いたのは、メロディがいきなり<かごめかごめ>に聞こえてしまったことはさておき、この10分近くのトラックの4分半の位置がヘッドアウト(日本語でラストテーマ)で、残りの5分半は長いアウトロが淡々と変化なく演奏されるのだ。最初何が起こっているのかわからなかったが、これがだんだんと、じわじわ来る。しばらく聴いていると、一体どうやって終わるのだろうなどという俗っぽい疑問も消えてしまうほどだった。最後1分20秒でチャントが距離を置いて入り、もうトランス状態だ。そしてフェードアウト。驚いたことに最終トラックである8トラック目で全く同じことを繰り返すのだ(実際テンポを比べてみると8トラック目の方が微妙に遅いが、わざわざ比べてみなければわからない程度)。1トラック目で長いアウトロを聴いていたのでもう驚かないが、1トラック目との唯一の違いはチャントが入らない。しかしもともと距離を置いたチャントだったので違和感は全くない。ギャレットのサックスを使ったパーカッションの模倣のみだ。アルバム評の中にはギャレットのパワフルな演奏を期待して失意を示すものもあったが、筆者はこの新しい冒険に拍手喝采を送りたい。筆者がこのアルバムを聞き続けたその理由がこの曲だからだ。
曲のタイトル<It’s Time To Come Home>は、外で遊ぶ子供達に戻るよう呼びかけているという意味で、キューバのピアニスト兼作曲家であるChucho Valdés(チューチョ・バルデース)の影響を受けたアフロ・キューバン・ジャズの曲だと本人は説明する。メロディーのハーモニーを歌っているのはJean Baylor(ジーン・ベイロー)、チャントはナイジェリアのBatá drum(バタドラム)も担当しているキューバ人のDreiser Durruthy Bombalé(デレイセル・ドゥルティー・ボンバレ)だ。実に味のある歌い方をする。
続く2トラック目、<Hargrove>はお察しの通りRoy Hargrove(ロイ・ハーグローヴ)に捧げた曲で、冒頭ですぐにR.H. Factorのサウンドと認識できるが、続くセクションはなぜかWeather Reportになっている。しかも第2テーマは、何とコルトレーンの<A Love Supreme(至上の愛)>だ。ロイの役にMaurice Brown(モーリス・ブラウン)を迎え、R.H. Factorでロイがやっていた2ホーンの絡みソロを再現しており、興味深い。このアルバムにはもう1曲トリビュートがある。Art Blakey(アート・ブレイキー)に捧げた<For Art’s Sake(アートの名誉のために)>だ。今回はこの曲を楽曲解説に取り上げたわけだが、その前にもう1曲特筆したいのが6トラック目の<Soldiers of the Fields / Soldats des Champs>だ。この曲のタイトルの意味は、ジャズの存続のために戦う戦士とフランス軍と戦うハイチの戦士のことだそうで、マーチがテーマになっている。ドラムのRonald Bruner Jr.(ロナルド・ブルーナー・ジュニア)が演奏するスネアに対峙するようにLenny White(レニー・ホワイト)がスネアのみで参加しており、これがともかくすごいのだ。是非ご一聴頂きたい。
<For Art’s Sake>
軽快なGoGoビートのドラムパターンから始まる。最初キックドラムの位置がDnB(ドラム・アンド・ベース)だと思っていたが、もしかしたらそうではないのかも知れない。むしろアフロ・キューバンのクラベに近いのだ。いや待てよ。ハイハットはスイングビートだ。だからラテンには聞こえない。全く新しいグルーヴ感なのか、または筆者が知らないカルチャーのグルーヴなのか。
筆者の限られた知識に基づくソンクラベなどとはパターンが微妙に違うので自信はない。しかもこのキックドラムのヒットにはフラムが入っているので最初クラベには聞こえなかったのだが、後半ドラムソロになるとキックドラムのパターンがクラベのようにはっきり聞こえて来るのだ。読者の皆さんはどうであろうか。
次にイントロが始まり思いっきりのけぞる。Rhodes(ローズ・ピアノ)でゲスト参加しているJohnny Mercier(ジョニー・マーシアー)のイントロのメロディーが思いっきりコード進行と喧嘩するのだ。上記のドラムパターンと合わせてご覧頂きたい。
最初の小節はダイアトニックだが、問題は次の小節だ。BMaj7コードに対するC音、さらにDMaj7コードではB♭、C、E♭と大喧嘩だ。次にヘッドが始まり、ギャレットの意図がはっきりする。
テーマ(日本語で主題)はFマイナーペンタトニックなのだ。五音音階であるペンタトニックはブルースを含め多くの民族音楽で使用されており、強力な統一性を保持しているのでハーモニーと喧嘩しようが全く関係ないのである。おそらく一般の聴衆にはこの音の衝突が気にもならないのではないかとも思う。これがギャレットのアウトの美学だ。
ヘッド(日本語でテーマ)のテーマを4回繰り返した後4小節のブリッジが入る。俗に言う【B】セクションだ。採譜した。
ここでいきなりA、C#という#系のリディアン#5コードが登場する。メロディーとの喧嘩はここに来て究極に至る。実に神秘的で美しい。この後テーマの2小節フレーズを2回繰り返し、さらにメロディーなしのコード進行のみを2回繰り返してヘッド1コーラスを完結する。
続くはインターリュード(間奏)だ。ここでFマイナーペンタトニックから外れる。コード進行もメロディーと喧嘩しない。但し最初のコード、F/Bというリディアンコードのみ#11音をベースに持って来ることによりFコードのCと短9度の音程を生成して不協和音を醸し出していることに注目したい。意図は続くインサイドな運びに移る前のアンカー(つなぎ部分)だ。
続いて2回繰り返されるテーマのメロディーはフェルネル・ブラウン・ジュニアのピアノのみで、ギャレットは冒頭でマーシアーがRhodesで弾いたラインを再現する。周到に考え抜かれているという感じだ。ソロセクションに入ると筆頭はフィルネルのピアノソロ、これがむちゃくちゃスイングしていてかっこいい。インターリュード部分ではピアノソロのバックグラウンドでマーシアーがこのキャッチーなメロディーパターンを弾いているのが実にかっこいい。続いてギャレットのソロはフィルネルと違い完璧にFマイナーペンタトニックだ。このピアノソロとの対比が実に効果的だと思う。
インターリュードで今度はギャレットがメロディーを吹き、マーシアーのRhodeソロが始まるのだが、これがまたかっこいい。スイング感がもう涙もの。このマーシアーのソロから徐々にRonald Bruner Jr.(ロナルド・ブルーナー・ジュニア)のドラムソロに移行し(このはっきりしたソロのバトンタッチでないことがまた洒落ている)、興奮の大炸裂。彼はギャレットのレギュラー・ドラマーとして長い。このアルバムの中で筆者がこのトラックに興奮しまくっている理由がお分かり頂けるであろうか。余談だが、こういう曲を聞くとつくづく思うのが、単調なパターンをポケット(おいしいタイムの位置)できっちり繰り返しているのにゴリゴリにグルーヴし続ける演奏者たちの超人性に感嘆する。お楽しみ頂きたい。