ヒロ・ホンシュクの楽曲解説 #124 R.I.P. Richie Beirach<ELM>
Rickie Beirach(リッチー・バイラーク)がこの1月26日に78歳で他界した。この世代のミュージシャンにありがちな若い頃の生活のツケが回って長く闘病生活をしていたらしい。1年半前、彼の医療費のためのクラウドファンディングに寄付をしたので、やはりダメだったか、という思いだった。

マイルスに出会う前の筆者は毎日バイラークばかり聴いていた。それは偶然購入した『Elegy for Bill Evans (1981)』、特に<Nardis>に取り憑かれたからだ。今でも最初から最後まで全員のパートを歌える。本誌No. 283、楽曲解説#72でGeorge Mraz(ジョージ・ムラーツ)を取り上げた時に細かく解説した。この演奏で一体どんな物語が展開されているかを詳しく書いたので、音源(YouTube → )と合わせてぜひお読み下さい。
しばらく聴いていなかったバイラーク目当てで購入したCDを引っ張り出してみると18枚あった。どれを聴いても懐かしい。マイルスに出会った後自分の好みがグルーヴ系中心になって、すっかり興味がなくなってしまったアルバムも多くある中で、バイラークは別格だと再確認した。録音年代順に18枚並べてみる。

今回この記事を書くに当たってバイラークの『Teaching and Learning Jazz (2022)』(ジャズの勉強) という本を購入した。すると、びっくりオマケで上記の<Nardis>の録音に関しての記述があった。それはインタープレイに関する説明なのだが、バイラーク本人もこの録音を相当気に入っていることが判明した。抜粋を意訳でご紹介する。
「George Mraz(ジョージ・ムラーツ)もAl Foster(アル・フォスター)もエヴァンスのトリオで演奏していたから、この追悼アルバムの録音は全員胸がいっぱいだったよ。」
「この録音日の前日は3人とも『Quest (1981)』の録音で一緒だったので、この日このトリオは最高の状態だったんだ。」

「自分はエヴァンスの最後の5年間、とても親しくしてもらっていたんだ。この曲(マイルスの<Nardis>)はエヴァンスのレパートリーで、彼はいつも違うアプローチで演奏していた。だから自分はエヴァンスと同じにならないよう、もっと速いテンポで演奏していたよ。」
「自分のライヴではよく最終曲にしていたんだ。ガンガン飛ばしまくってね。だけどこの録音はリハーサルもなしに、予期せず全く違う展開になったんだ。」
(再度申し訳ないが、詳しくはぜひヒロ・ホンシュクの楽曲解説 #72 George Mraz『Nardis』をご覧ください。)
「ジョージとアルと演奏すると、次に何が起こるか全く予想がつかないから最高なんだ。クラシックを演奏するのも大好きだけど、次に何が起こるかわからないスリルに惹かれてジャズに進んだんだ。」
「ジャズっていうのは、以前と違ったように演奏しようと思ったとたんに崩壊だ。だからいつだって1テイク目しか使い物にならないんだ。」
「このアプローチはマイルスの第二期黄金カルテットから学んだものだ。もちろんそれだけの実力があるミュージシャンと演奏する機会が必須だ。ガゼルの異名を取るジョージは、正確な音程で低音と高音の間を華麗に素早く飛びまくる。彼はテクニックだけでなく、人間性の高い音楽を提供する。優れた作曲家でもある彼のハーモニーとメロディーに対する理解も深い。」
「アルとはもう40年の付き合いだ。マンハッタンの貧しい下町に育った彼は素朴で暖かく謙虚で、ジャズに一生を捧げている。
Al had the time feel. He had the right hand, that feeling in his ride cymbal that just made you want to play.
彼のタイム・フィールはピカイチだ。彼の右手のライド・シンバルはこっちを演奏したい気分にしてくれるんだ。」
「アルはジョージと演奏するのが大好きだった。ジョージと作り出すタイム感が最高だったからだ。(中略)オン・トップ・オブ・ザ・ビート、オン・ザ・ビート、ビハインド・ザ・ビート、彼ら二人はお互いにどこに居るべきか知っていたよ。自分はその間にすっぽり入ると、何をやってもスイングして聴こえるんだ。」
実はこの最後のコメントには驚いた。自分が長年感じていたジャズの真髄、オン・トップ・オブ・ザ・ビート、オン・ザ・ビート、ビハインド・ザ・ビートの概念を初めてアメリカ人のアーティストから聞いたからだ。ネイティヴにとってタイム感は文化のものだから、普段考えもしないことを質問されてもわからないのだ。例えば、日本人が外国人に「何故日本人は踵から歩かないのか」と聞かれて「はぁ?」となることに似ているかも知れない。ここで気が付いた。バイラークは教育者だった。彼は2001年から独ライプツィヒのフェリックス・メンデルスゾーン・バルトルディ音楽演劇大学(Hochschule für Musik und Theater „Felix Mendelssohn Bartholdy“ Leipzig)で教鞭を取り、2014年に引退してからも死ぬまでドイツに留まった。外国人に教える立場だったからこそタイム感の分析が必要だったのだと思う。このことが筆者にとって嬉しかった。自分の考えを肯定してもらったような気分になったからだ。
今回このアルバムを聴き直して、もうひとつ特筆したいことがあったのを思い出した。それは2トラック目の<Blue In Green>の2分付近から登場するフレーズだ。ゆったりした8分音符の音列を機会的なアルペジオにし、少しずつ少しずつ盛り上げ、いきなりダムが決壊して水が流れ落ちるように音を流す。初めてこれを聴いた時思わずうるうるしてしまった。いや、何度聴いても胸が詰まる。なんと琴線に触れる演奏だろうか。2分位置でキュー出ししたこの音源をぜひお聴き頂きたい(YouTube → )。
Rickie Beirach(リッチー・バイラーク)

リチャード・バイラーク、通称リッチーは1947年5月23日にNYCのブルックリンに生まれた。バイラークという名前は東ヨーロッパのユダヤ系の名前だそうだ。5歳でピアノを始め、6歳からJames Palmieri(ジェームス・パルミエリ)に師事して正式なクラシック・ピアノの教育を受け始めた。6人兄弟の一人でコンサート・ピアニストのレッスンを受けられるほど財力のある家族であったと想像される。
13歳の時、マイルスの『Milestones (1958)』に収録されている<Billy Boy>を聴いてジャズに興味を持ち始める。ご存じの方も多いと思うが、このトラックはRed Garland(レッド・ガーランド)フィーチャーで、マイルスは1音も吹いていない非常に珍しいトラックだ。ちなみにパルミエリ先生はジャズが大嫌いだった。ジャズの発見に興奮したバイラークがマイルスのアルバムをレッスンに持って行って聴かせると先生は激怒したそうだ。結局18歳までパルミエリ先生に師事してテクニックを完璧に身に付けた。バークリーに1年行き、マンハッタン音楽院に編入して作曲で修士号を取得した。バイラークはLennie Tristano(レニー・トリスターノ)に師事していたこともあり、よっぽど勉強が好きなのかという印象を受けるかも知れないが、ただ単に貪欲な人なのだと思う。前述の『Teaching and Learning Jazz』にこんな一節があった。
「1967年から68年、リーブ(Dave Liebman デイヴ・リーブマン)と一緒にトランスクライブしまくったんだ。リーブがレコードに針を落として8小節で針を上げる。リーブが『書き取ったか』という。こっちは『まだだよ!』と叫ぶ、その繰り返しだったよ。」
カセットではない。レコードの時代だ。気の遠くなるような作業だ。
「マンハッタン音楽院ではバルトークのトランスクライブを散々やらされた。」
「音楽の勉強ははトランスクライブするしかないぜ。」
『Teaching and Learning Jazz』は、ジャズ教育者のMichael Lake(マイケル・レイク)との共著となっているが、実はレイクが行ったバイラークのインタビューがそのまま本になっている。興味を持ってそのインタビュー動画の数々を見てみた。バイラークの印象が全く違ったことに驚いた。レイクが「きみはいつも何かに腹を立ててるだろう。」半分は冗談だろうが、「そんなことないよ!いや、やっぱりそうかな。」とバイラークはそれを認めている。話し方も騒がしいタイプで、全てのことに自分なりの意見を主張するタイプだ。メトロノームで練習することをを否定し、マイナス・ワンも否定している。1978年にJamey Aebersold(ジェイミー・エーバーソルド)、つまり最も普及したマイナス・ワンの録音に参加したことをレイクに指摘されると、「あれは生活費のためだったよ。」と答えている。実際マンハッタンの波止場の肉体労働で生活費を稼いでいたこともあるらしい。アメリカでは成人すると親の援助がなくなるのが普通だ。
本誌No. 317、楽曲解説#106で取り上げたJamie Baum(ジェイミー・バウム)にヴィデオ・チャットしてみた。彼女は90年代にグラントを得て1年間バイラークに師事しており、その後も自分のアルバム数枚のプロデュースを依頼するなど、バイラークとは親しい付き合いをしていたので何か面白い話が聞けないかと思ったのだ。

バイラークから何を学んだかと聞くと、トランスクライブを死ぬほどやらされて、そこからどんなアイデアを盗むかを叩き込まれたそうだ。また、自分のアルバムに対して細かく指示され、そこから多くを学んだ、と話してくれた。バイラークは常に色々な音楽を物色しており、真夜中に「ジェイミー、すごい演奏の映像をYouTubeで見つけたから見てみろ。」と連絡して来るような熱い人で、兄妹関係のような付き合いだったと語る。ジェイミーはバイラークとデュオで北米ツアーをしたことがあり、それはグレイハウンド・バスで移動するほど予算のないものだった。「(恥ずかしいから)グレイハウンド・バス移動のことを誰にもバラすなよ。」とバイラークはジェイミーに言っていたそうだ。リーブマンと違い、バイラークは音楽ビジネスにはあまり関心がなく、自分ではギグをスケジュールすることもしなかったそうだ。だからバス移動ツアーは受けてもそれを人には知られたくなかったらしい。本人はジェイミーとのデュオを気に入っていて、彼女に散々アルバムを作れ、つまりジェイミーにお膳立てしろと促したが、ジェイミーは自分のセプテットの運営で忙しく実現しなかった。バイラークも筆者同様ビジネスが嫌いなのか、と知ってちょっと嬉しくなった。
実は『Teaching and Learning Jazz』のこともジェイミーに教わった。バイラークは本を書くような性格ではないので、マイケル・レイクがヴィデオ・インタビューを本にしてバイラークの広く深い知識を紹介したことがとても嬉しい、と彼女は語っていた。
バイラークの音楽に関して聞いてみた。ジェイミーによると、バイラークは常に現代近代音楽やクラシック曲の研究をしており、「モチーフ」の利用と発展に重点をおいていたそうだ。なるほど!バイラークの、あのモチーフ演奏はクラシック音楽研究から来ていたのか!バイラークの演奏はすぐに彼のものとわかる。バイラーク節のような彼特有のリックとかフレーズではなく、彼の「モチーフ」の発展の仕方がはっきりとしているからだ。例えばコード進行に対して共通音を取り出し、それをモチーフとして打楽器のように使ってグルーヴし続ける。実は筆者は昔バイラークのこの奏法の真似ばかりしていた時期がある。すっかり忘れていたが、またやってみたくなった。
バイラークが独ライプツィヒのフェリックス・メンデルスゾーン・バルトルディ音楽演劇大学で教え始めた経緯をジェイミーが話してくれた。9.11同時多発テロでマンハッタンのワールド・トレーディング・センターが攻撃された時、バイラークはすぐ近くに住んでいた。マンハッタンで全てが止まったそんな時、フェリックス・メンデルスゾーン・バルトルディ音楽演劇大学からバイラークにオファーがあった。高給家付きで、好きなようにジャズ科を作ってくれ、というものだった。退職後もドイツに留まったのは、ヨーロッパでは努力せずに良いギグが入って来るからだったそうだ。バイラークは最後までドイツ語を学ばなかった。それでやって行けるのがドイツだ。筆者も経験がある。ミュンヘンのスーパーマーケットで、レジのおばちゃんに英語で話すとドイツ語で返って来るのだが、お互いにちゃんと理解できてしまうのだ。フランスやブラジルだとこうは行かない。何度誤解で失敗したことか。
ジェイミーにとってのバイラークの音楽の魅力を聞いてみた。それは、バイラークの広範囲に及ぶ音楽の知識から、瞬時にどこにでもすっ飛んで行ける能力だ、と言っていた。だから彼女はバイラークとリーブマンのデュオが一番好きだそうだ。筆者もリーブマンとは付き合いが長い。1994年に筆者のビッグバンドのツアーに参加してもらったり、筆者のバンド、Racha Fora(ハシャ・フォーラ)のセカンドアルバム、『Racha S’Miles (2015)』にゲストで数曲参加してもらったりした。バイラークとリーブマンのデュオ・アルバムは沢山持っているが、残念ながらライヴを観る機会はとうとうなかった。今回バイラークの性格が想像していたものと大幅に違ったことから、あの全く性格の違う2人がどういうステージを展開したのか、ますます興味が沸いた。そんな中、バイラークとリーブマンがジャズについて話す動画を見つけた(YouTube → )。思った通り2人とも「言い切る」タイプだ。よくまあ喧嘩もせずにあれだけ素晴らしいデュオ演奏の数々を残してくれたものだ、と感心した。ますますこの2人のライヴを観る機会がなかったことが悔やまれた。

<ELM>
リッチー・バイラークは実に多くの名曲を残している。思い当たるものを書き出してみる。<ELM>、<Leaving>、<Pendulum>、<Snow Leopard>、<Sea Priestess>、<Rectilinear>、まだまだいくらでもある。だが、やはりなんと言っても<ELM>の素晴らしさと言ったらない。このキャッチーなメロディと至極のハーモニーは歴史に残るだろう。
リーブマンはいつもライヴ録音でこの曲を「リッチーがZbigniew Seifert(ズビグニエフ・ザイフェルト)を偲んで書いた曲」と紹介している。ザイフェルトとは、バイラークが親しくしていたポーランド人バイオリン奏者で、1979年に32歳で他界したそうだ。だが、<ELM>が書かれたのはその2年前、1977年だ。初録音が『ELM (1979)』なので、恐らく録音時に追悼の意を込めたと思われる。このタイトルの「ELM」はバイラークが住んでいた「エルム通り」のことだ。「エルム通り」と言えば、『A Nightmare on Elm Street (1984)』という大ヒットしたホラー映画を思い出す。邦題は『エルム街の悪夢』だった。ホラー映画嫌いの筆者でもあのキャラクター、フレディをよく覚えている。バイラークの「エルム」と、Queenの「フレディ」と引っ掛かっていて迷惑な映画だと思った。話は外れるが、ご存じの通りアメリカでは全ての道に名前がついている。しかも奇数番地は左側、偶数番地は右側と決まっているので非常に便利だ。GPSがなかった頃、紙の地図でも迷子になることはなかった。エルム通りとはニレの木が立ち並んでいる道という意味なので想像し易い。ちなみに、アメリカで最も多い道の名は「セコンド・ストリート」だ。この理由は、殆どの「ファースト・ストリート」が改名されているからだ。「ワシントン通り」、「センター通り」、「メイン通り」、「エルム通り」、等々。「サード・ストリート」以降は産業地帯を示唆するところも面白い。
さて、このバイラークの名曲<ELM>、出だしの左手の和音に強力なキャラクターがあり、これを聞いた途端にこの曲だとわかるほどすごいのだが、実は謎満載だ。バイラークはこの曲を何度も録音している。ソロで、デュオで、トリオで、カルテットで。さらに「Quest」のレパートリーでもあった。今回はオリジナル録音を解説する。
まず、この強力な第一テーマであるイントロをご覧下さい。

このGマイナーの曲の最初のコード、市販されている譜面にはF#dim7/Gと記載されているので、本人はそのつもりなのかも知れないのだが、G音がペダルになっているのでディミニッシュ・コードが次のGマイナーコードに解決できない。ディミニッシュ・コードとは2組のトライトーンから構成されており、どうしても解決したいという最も不安定なサウンドのコードで、バッハもオルガン曲で多用した。第一番目のトライトーン、F#音とC音はGメジャーに解決したいサウンド、2番目のA音とE♭音はGマイナーの関係調であるB♭メジャーに解決したいサウンドだ。また、F#ディミニッシュ・コードはGマイナーのドミナント、D7(♭9)コードの代理コードでもある。そして、ドミナントであるD7コードには主調音であるG音を含むことができない。なぜならG音を含んだ途端にF#音という導音が破壊され、Gに解決できなくなるからだ。これは理論レベルの問題だけでなく、耳が受け付けないのだ。
それでは一体このコードは何か。まず、バイラークのヴォイシングにF#音は含まれていない。実はこれはGマイナーの2度コードであるA -7(♭5)の展開形なのだ。F#音を含まないこのコードには解決したいサウンドを持たないのでG音の存在が気にならない。ここでもうひとつ言及したいのは、このオリジナルの録音に限ってバイラークは3小節目と7小節目のGマイナー・コードを弾かずにA -7(♭5)コードを8小節間弾き続けているのだ。ベースソロになって初めてGマイナー・コードを挿入している。これ以降の録音では筆者の知る限りこのようなコード進行を使っていない。この録音の時に何がバイラークにそうさせたか。それは恐らく自由が欲しかったのではないか。メロディーのB♭音と左手のA音とぶつかる部分が数箇所あるが、全く気にならない。その理由は左手が規則正しく繰り返すパターンになっており、2階建ハーモニーになっているからだ。実に美しい。ヘッド(日本ではテーマ)の前半の採譜をご覧下さい。

まず、2小節目と7小節目のG-は弾いていないので括弧に入れた。ピアノソロでもG-コードは弾いていないが、右手のインプロヴィゼーションは明らかにGマイナーを意識している。次に赤線で示した巧妙なメロディーをご覧頂きたい。前述したペダルのG音とぶつかるF#音が次の小節のF音に向かって解決感を出している。ハーモニーはA-7(♭5)の上にD7が乗っかっている2階建だ。ちなみに4拍目のC#は続くD音に対するアプローチ音なのでスケール外だ。次に後半をご覧頂きたい。展開形のコードでコラールのように展開して行くのだが、だんだんとコードの書取りが難しくなる。その理由はバイラークのヴォイシングが毎コーラス一定していないからだ。

まず❶の11小節目だ。インプロヴィゼーションや他の録音を聴くと、この小節は単純にGマイナーコードだ。ベース音がB♭なのでB♭Maj6コードと考えれば良いだろう。だがバイラークはヘッドで#5音であるF#音を入れている。そのため市販の譜面にはB♭Maj9(#5)とあるが、メジャー#5コードなら#11音であるE音の付随が必要になる。そうしないと第4音と第5音の間に増2度の音程が出来て民族音楽のようなサウンドになってしまうからだ。実際にバイラークはE音ではなくE♭音を使用している。また、他の録音ではこのF#音を入れていない。つまり、このF#音は理論外のおしゃれ音だ。この彼のハーモニーのセンスに惹かれるのだ。ヘッド演奏に限りこの小節の後半にE7(#9)コードが入る。続くE♭Majコードに対するSubV7コードなのだが、理論上では説明できない#9テンションであるG音が3度音のG#音とぶつかるようにヴォイシングされ、さらにメロディーは思いっきりコード外のE♭音だ。ぶつかっているのになんの違和感もない。バイラーク実におしゃれ。
次に❷の13小節目だ。この曲の第一テーマであるA -7(♭5)コードに、なんとB音がヴォイシングされている。ここまで一度もB音は登場していない。このB音がヴォイシングされているマイナー7♭5コードはちょっとしたクセモノだ。なぜなら、このロクリアンコードの第2音は♭2、つまりB♭音でなければスケールが成立しないからだ。だからこのヴォイシングのコードは3度下のコードのルート抜きと考える。つまりF7(#11)のF音抜きだ。コード名というのは使用スケールを初見で読む相手にはっきりと伝える必要があるので、A -7(♭5)と書けば誰もB音を考慮しない。F7(#11)/Aと書けば全く同じヴォイシングで第2音はB♭ではなくBナチュラルと瞬時に伝えられるというわけだ。だが、ここでは敢えてA -9(♭5)と記載した。その理由はバイラークの意図がはっきりしているからだ。説明する。
ここで初めてB音を入れて第一テーマのA -7(♭5)からの発展を提示し、最後のEマイナーへの転調の準備をしているのだ。このEマイナーとはGマイナーのモーダルインターチェンジだ。つまりこのGマイナーの曲をGメジャーにモーダルインターチェンジし、そのGメージャーの関係調であるEマイナーに飛んだということだ。だから頭に戻ってもなんの違和感がない。バイラーク恐るべし。
さて、この最後のEマイナー・コード、ベースソロからGメジャーに変更される。つまり、GマイナーからGメジャーにモーダルインターチェンジする転調が完結し、ヘッドアウト(最後のテーマ)はなんと同じメロディーがGメジャーで演奏される。だが、このメジャーに転調した中でヘッドインのマイナー・コードもしっかりと挿入され、魔法のようにメジャーとマイナーの間を彷徨う。バイラーク、素晴らしすぎる。コード進行を比較した。

最後に『Ballads (1986)』からソロ・バージョンをご紹介する。ジェイミーが言う通り、どこにでもすっ飛んで行けるバイラークのヴォキャブラリーの素晴らしさを是非お楽しみ下さい。

















