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R.I.P. ソニー・ロリンズヒロ・ホンシュクの楽曲解説No. 338

ヒロ・ホンシュクの楽曲解説 #127 R.I.P. Sonny Rollins<Airegin>

とうとうSonny Rollins(ソニー・ロリンズ)が他界した。この5月25日、95歳だった。2014年に肺線維症を原因に引退宣言をしていたので安否が気遣われていたが、その後12年間養生していたことになる。この病気の原因はわかりにくいそうだ。彼はヘロインを早い時期に断っており、自己コントロールに長け、スピリチュアルな性格から不健康な生活をしていたとは思えない。ロリンズと言えば、あの図太い音と長いフレーズと循環呼吸等、彼の肺活量は追従を許さない武器だったので本人は悔しかっただろうと思う。

Sonny Rollins(ソニー・ロリンズ)

©2026 Hiroaki Honshuku
©2026 Hiroaki Honshuku

ロリンズもマイルスやDavid Sanborn(デイヴィッド・サンボーン)同様シルエットを描きやすい。テナーを高々と押し上げて吹くロリンズの姿が特徴的だからだ。今回描いてみて気が付いたのは、サックスの横からの角度だとシルエットを左右反転しても通用するということだ。これがマイルスの横からのシルエットだと指が反転して通用しない。

全くの蛇足で申し訳ないが、カタカナ表記は実に難しいと痛感する。Sonnyはどう聞いてもソニーよりサニーに近い。数々のロリンズのドキュメンタリーでも、皆が彼をサニーと呼んでいる。反対に家電メーカーのSONYはソニーだ。創業者たちがどの国でも同じ発音になる、また他の意味を持たない新語を目指したとされている。こんなことを思うのは筆者だけかも知れないが、ジャズを学び始めた頃ソニー・ロリンズと聞いて「ロリンズ」というソニーの商品名かと一瞬勘違いした。ところで、「サニー」は「坊や」という愛称だ。ロリンズの本名はTheodore Walter Rollins(セオドア・ウォルター・ロリンズ)で、一般愛称は「シオ」だ。「坊や」という愛称から、ロリンズは年長者から可愛がられて育ったと窺われる。実はジャズ界でこの愛称を自分の名称にしたアーティストは少なくない。ロリンズの他にもSonny Stitt(ソニー・スティット)、Sonny Clark(ソニー・クラーク)、Sonny Fortune(ソニー・フォーチュン)等だ。筆者は勝手に「皆先人に育てられたからこその愛称」かな、と思ったりしている。ちなみに「クラーク」も「フォーチュン」もソニーの商品名のようには聞こえないのに、なぜかロリンズだけ困惑する。恐らく「クラーク」も「フォーチュン」も単語の意味がはっきりしているからだろう。「スティット」は「頑固者」なので、製品名になるかも知れないが、「ロリンズ」は知らない単語だったので調べてみると、「ローランド家の子孫」という意味らしい。

ロリンズはNYCハーレムに生まれた。当時のハーレムと言うと危険な印象があるが、シュガー・ヒル地区は高級住宅地域だ。すでに成功していたCharlie Parker(チャーリー・パーカー)やThelonious Monk(セロニアス・モンク)と近所付き合いだったそうだ。ロリンズの両親はヴァージン諸島からの移民だ。つまり、カリブ音楽環境だ。ロリンズの名作、<St. Thomas>は彼の母親が口ずさんでいたカリプソだそうだ。

音楽一家で、父親はクラリネット、兄はヴァイオリン、姉はピアノ。その姉の影響でピアノを習い始めたのが9歳の時。だが自分の興味はR&Bやブルースで、Louis Jordan(ルイ・ジョーダン)に魅せられアルト・サックスを始めたのが11歳。16歳の時にColeman Hawkins(コールマン・ホーキンス)に魅せられてテナーに持ち替えた。テナーでパーカーをコピーし、18歳の頃にはモンクにピアノや作曲法を習うようになった。

ドキュメンタリー『Saxophone Colossus (1986)』
ドキュメンタリー『Saxophone Colossus (1986)』

1986年、ロリンズは『Concerto for Saxophone and Symphony』を作曲し、読売日本交響楽団と公演した。残念ながらこの録音はリリースはされていないのだが、『Saxophone Colossus』という今回手に入れたドキュメンタリー映画に収められていた。これを観てロリンズの作曲能力に驚かされた。編曲はフィンランド人作曲家、Heikki Sarmanto(ヘイッキ・サルマント)で、ロリンズ単独の作品とは言えないが、ロリンズの知られざる一面を見せつけられた。曲のモチーフ、その発展方法など、実に素晴らしい。ジャズ・インプロバイザーとオーケストラの共演など、どうせ面白くないだろうと思っていた予想を大きくひっくり返された。インプロバイザーの大御所であるロリンズは譜面など読まないだろう、と思っていたこともあった。今回もうひとつドキュメンタリー映画、『Sonny Rollins: Beyond The Notes (2012)』を手に入れた。ここでロリンズはモンクにモチーフやリズムの多くのことを教わったと語っている。もちろんモンクがレッスンをしてくれるわけではない。マイルスが毎日モンクのアパートを訪れ、モンクを凝視して学んだように、ロリンズも同じことをしたのだ。ちなみに、モンクがこれを許したということは、モンクがロリンズをマイルスと同様に認めたということを意味する。

近所のJackie McLean(ジャッキー・マクリーン)、Kenny Drew(ケニー・ドリュー)、Art Taylor(アート・テイラー)や多くの台頭する若手ミュージシャンたちと演奏活動し、彼らはSugar Hill Gang(シュガー・ヒル・ギャング)と呼ばれるようになった。19歳の時にBabs Gonzales(バブス・ゴンザレス)のアルバムに参加。どんどん頭角を現し、テナー・サックスでチャーリー・パーカーのような演奏ができるすごいヤツ、という噂がマイルスの耳に届いた。翌1951年、ロリンズ21歳。マイルスの『Dig』に参加し、一躍注目を浴びる。マイルスは1954年に「第一期黄金クインテット」を始める以前はメンバーを固定していなかった。ロリンズはマイルスの数多くのレコーディングやライブに参加した。それらは『Miles Davis and Horns (1951)』、『Bags’ Groove (1954)』、『Miles Davis with Sonny Rollins (1954)』、『Collectors’ Items (1956)』などに収められている。注目したいのは、スタンダード化したロリンズの名曲、<Airegin>、<Oleo>、<Doxy>、全てがこの『Miles Davis with Sonny Rollins (1954)』で紹介されたということだ。マイルスの先見する能力の天才性がこんなに早くから現れていたのだ。

だが、なんと言っても興味深いのはロリンズの初名義録音だ。『Miles Davis and Horns (1951)』の録音日、時間が余ったのでマイルスがロリンズに「おまえのソロ・アルバムを作ったらどうだ」と言って、自作<I Know>を提供した。しかもマイルスはピアノで参加したのだ。これをきっかけに制作されたのが『Sonny Rollins Quartet (1952)』、後の『Sonny Rollins with the Modern Jazz Quartet (1956)』で、この<I Know>も収録されている。マイルスのピアノ演奏のすごさにびっくり仰天だ。

マイルスとの録音を機にモンクやBud Powell(バド・パウエル)などの重要録音に参加し、『Tenor Madness (1956)』、『Saxophone Colossus (1956)』、『Way Out West (1957)』と次々に歴史に残る名作を残して行った。

コードレス・トリオ

『Way Out West (1957)』でロリンズは史上初のコードレス・トリオのアルバムを発表した。ベースのRay Brown(レイ・ブラウン)と、西海岸ジャズの代表ドラマー、Shelly Manne(シェリー・マン)とのトリオだ。つまり、当時定着していたジャズのスタイルからピアノを排除した初の試みだった。このアルバムはロリンズのユーモアが満載だ。まずジャケット写真。せっかくアメリカ西部(西海岸)に来たのだからと言って、カウボーイのコスプレを披露した。だがホルスターには拳銃も銃弾も入れられていない。その代わりテナーを機関銃のように小脇に抱えている。そして、オープニング・トラックは<I’m an Old Cowhand>という30年代のカウボーイ・ソングで、「カウボーイのフリをしているのは疲れる」という内容のコミカル・ソングだそうだ。歴史に残る名盤となったが、筆者はそれほど聴いていなかった。今ひとつレイ・ブラウンとシェリー・マンとの相性が好みのグルーヴではないのだ。レイ・ブラウンは超ご機嫌な強力オン・トップ・オブ・ザ・ビートでドライヴするベーシストだが、シェリー・マンはブラウンに対してタイムの幅を作り出すタイプのドラマーではないので、筆者にはどうもロリンズが浮いて聴こえてしまう。

コードレス・トリオ、次に『A Night at the “Village Vanguard” (1957)』が発表され、1987年にはこの完全版が2枚のCDでリリースされた。この1957年11月3日のライブ録音は昼の部と夜の部の2セット組みで、しかもメンバーが違う。昼の部はDonald Bailey(ドナルド・ベイリー)がベース、Pete La Roca(ピート・ラロカ)がドラム。夜の部はWilbur Ware(ウィルバー・ウェア)がベース、Elvin Jones(エルヴィン・ジョーンズ)がドラムだ。ともかくどちらのトリオも最高なのだ。例えば、1トラック目の昼の部と3トラック目の夜の部の<A Night in Tunisia>や、4トラック目の昼の部と2枚目2トラック目の<Softly, as in a Morning Sunrise>を聴き比べたら良い。まず昼の部のベイリーとラロカの相性は最高だ。彼らのドライヴ感の気持ち良いこと。夜の部は、もうエルヴィンのグルーヴ感で昇天だ。エルヴィンとウィルバー・ウェアとの相性も気持ち良い。このアルバムはロリンズ作品の中で筆者の愛聴盤だ。いつ聴いてもご機嫌な気分にさせてくれる。

翌1958年に発表した『Freedom Suite』が一連のコードレス・トリオの最後の作品だ。このアルバムが問題作になったのは、LP裏面に印刷された本人のライナーノーツだった。

“America is deeply rooted in Negro culture: its colloquialisms; its humor; its music. How ironic that the Negro, who more than any other people can claim America’s culture as his own, is being persecuted and repressed, that the Negro, who has exemplified the humanities in his very existence, is being rewarded with inhumanity.”
「アメリカ文化は、その言葉遣い、ユーモア、そして音楽に至るまで、黒人文化に深く根ざしている。
しかし皮肉なことに、誰よりもアメリカ文化を自らのものとして主張できる黒人たちが、なお迫害と抑圧の対象となっている。
その生き方そのものによって人間性の尊厳を示してきた人々が、非人間的な扱いを受けているのである。」
本人のライナーノーツより。

アメリカの公民権問題が爆発する10年前だ。ぜひ本誌No. 245、楽曲解説#34でアレサ・フランクリンを取り上げた記事をご参照ください。さて、この『Freedom Suite (1958)』のメンバーだ。ベースは、あのOscar Pettiford(オスカー・ペティフォード)、ドラムはあのMax Roach(マックス・ローチ)だ。なの、だが、マックスがオスカーよりオン・トップ・オブ・ザ・ビートで突っ込んでいるので、ちょっと筆者の好みと違う。誤解のないよう明記するが、これは彼らの選択だ。なぜなら、タイトル曲、<Freedom Suite>の2楽章ではしっかりオン・トップ・オブ・ザ・ビートのオスカーと、ビハインド・ザ・ビートで最高のスイング感を楽しませるマックスだからだ。まあ、それはともかく、この<Freedom Suite>ではロリンズ作曲作品の新しい展開を見た。Ornette Coleman(オーネット・コールマン)より前にこのような曲を書いていることに驚いた。ロリンズ恐るべし。

ウィリアムズバーグ・ブリッジ時代(1959年夏 ~ 1961年末)

ドキュメンタリー『Sonny Rollins: Beyond The Notes (2012)』より
ドキュメンタリー『Sonny Rollins: Beyond The Notes (2012)』より

さて、ロリンズは翌年夏に休業宣言をした。名声を得たのに自分の演奏に満足がいかなかったのが理由だ。『Freedom Suite (1958年2月録音)』の次のアルバム、『Sonny Rollins and the Contemporary Leaders (1958年10月録音)』が休業前の最後のアルバムとなった、それを聴くとロリンズの思いが窺われる。このアルバムではロリンズが完璧にテクニックに走っているのだ。常に7割以下の力で余裕のサウンドを楽しませてくれるロリンズが、このアルバムでは9割の力で吹いているように聴こえる。つまり、追従を許さない至極のテクニックを得たロリンズは、そのテクニックに振り回され始めたということなのだと思う。それに気が付いて練習し直そうと軌道修正するロリンズの意志の強さに驚かされる。

誰にも迷惑をかけないウィリアムズバーグ橋の上に毎日出かけ、1日中、時には13時間練習し続けたそうだ。その練習とは、全ての曲を完璧に消化するということだったようだ。完璧に消化して自由になる、ということなのだと思う。ロリンズはこの橋の上の練習を公表していなかった。1961年の夏に橋を偶然通りかかったMetronome誌の記者であるRalph Berton(ラルフ・バートン)が、「ジャズ界から姿を消したソニー・ロリンズが、橋の上で何時間も練習を続けている」という記事を書いて大騒ぎとなった。ロリンズはこれに対し、「橋の上に一生いたかもしれない。しかし、現実の世界に戻らなければならないと思った」と語っている。そして、復帰後第一作目が、その名も『The Bridge (1962)』だ。このアルバムは筆者も気に入っている。なんと言ってもJim Hall(ジム・ホール)のコンピング(伴奏)が半端なく素晴らしいのと、これ以降ロリンズの重要な相棒となるベースのBob Cranshaw(ボブ・クランショウ)のグルーヴの素晴らしいことと言ったらない。

ロリンズの謎

恐らくロリンズを否定する者など一人もいないだろう。あの誰にも真似できない音色とグルーヴ。延々と湯水の様に溢れ出すインプロビゼーション。しかも聴き手を飽きさせない魔法。だが、筆者がコードレス・トリオ以外をあまり聴いていなかったのには理由がある。それはロリンズはいつも独りで演奏しているような印象を受けてしまうからだ。クランショウだけは長年の専属ベーシストだが、その他のメンバーは全く固定していない。なんのためにピアノを入れているのか。なんのためにトロンボーンを入れているのか。なんのためにヴィブラフォンを入れているのか。ロリンズのバンドでは、ベースとドラム以外の楽器がいてもいなくても良い様に聴こえてしまう。だから筆者にとってはコードレス・トリオの方が純粋に楽しめるのだ。興味深いのは、ロリンズはインタビューなどで聴衆との繋がりを最も大切にしていると語るが、自分のバンドメンバーに関して語ったことを聞いたことがない。それにしても、このコードレス・トリオのフォーマットを継いだアーティストは少なくないが、ロリンズの域に達した録音は未だにないと思う。Joe Henderson(ジョー・ヘンダーソン)のコードレス・トリオのライブをこのボストンで見た時はそのカッコ良さに痺れたし、筆者がジャズを始めたきっかけになったGeorge Garzone(ジョージ・ガゾーン)率いる「Fringe」もコードレス・トリオで、毎週聴きに行っても飽きないが、ライブでその場の興奮を分かち合うのとアルバムを家で聴くのとは違う。『A Night at the “Village Vanguard” (1957)』に匹敵するコードレス・トリオのアルバムがこれから登場するだろうか。いや、1枚だけある!後述する。

<Airegin>

筆者がジャズの勉強を始めた時のアイドルはWes Montgomery(ウェス・モンゴメリー)だった。まだマイルスを知る前だ。フルートでウェスのフレーズをちょこちょこコピーして、あの素晴らしいタイム感を身に付けたいと思ったものだ。『The Incredible Jazz Guitar of Wes Montgomery (1960)』のオープニング・トラックの<Airegin>には完全にノックアウトされた。あのカッコ良さに痺れまくったものだ。次に聴いたのはHubert Laws(ヒューバート・ロウズ)の『In the Beginning (1974)』に収められていたこの曲だ。情けないことに、筆者はこれを全く素通りした。フルートでジャズをやりたいと思ったのだから、聴かなくてはいけないと思って手に入れたカセットだったが、自分はこのようなフルート・ジャズには興味がない、と決めつけてしまったのだ。今聴き直すと、このヒューバート・ロウズの演奏はとんでもなくすごいことがよくわかる。当時却下した自分の若気の至りが情けない。今からでもロウズのフレージングをコピーしてみなければなるまい。

次に出会ったのがThe Manhattan Transfer(マンハッタン・トランスファー)の『Vocalese (1985)』に収められているこの曲だった。まあ、それのカッコいいこと。マンハッタン・トランスファー・バージョンのオリジナルがあると聞き、当然Lambert, Hendricks & Ross(ランバート、ヘンドリックス & ロス)の『The Swingers! (1958)』も聴いた。そして、マイルスに出会い『Cookin’ with the Miles Davis Quintet (1956)』に収録されているこの曲に痺れた。

おや?ロリンズ作のこの名曲、本人の演奏は一体どこにあるのだ?なんと、前述の『Miles Davis with Sonny Rollins (1954)』に収録されているトラックのみなのだった。『Bags’ Groove (1954)』に収録されているのは同じ録音だ。恐らくマイルスがロリンズの持っている譜面を見ていきなり録音するぞと言ったのだろうが、ロリンズは自作曲なのにヘッド(日本ではテーマ)をちゃんと吹いていない。ロリンズがこれ以後2度と演奏していないというのに、マイルスがレパートリーにしたのでこの曲がスタンダード化した。ちなみにこのタイトル、「Airegin」とは「Nigeria(ナイジェリア)」を逆にしたものだ。英国に対し脱植民地運動を起こしていた当時のナイジェリアにロリンズはインスピレーションを受けた。何かのインタビューで、「黒人意識を導入する試みだった」と語っていたのを思い出す。それにしても、この録音でのマイルスのタイム感は昇天ものだ。いつ聴いても意識が薄れる。もちろんロリンズのソロも素晴らしい。こんな若い頃から5〜6割の力で余裕の演奏をしているようだ。しかもスラーとタンギングを巧みに使い分けてグルーヴするテクニックをすでに消化しているところがすごい。

ちなみに、もうひとつ筆者のお気に入りの録音がある。Scott Colley(スコット・コーリー)の『This Place (1997)』だ。このアルバムはロリンズのコードレス・トリオ編成で、テナーが筆者の大好きなChris Potter(クリス・ポッター)、ドラムがBill Stewart(ビル・スチュワート)だ。そして、彼らはこの曲を、なんと、5拍子で演奏している。これがむちゃくちゃカッコいい。このアルバムは、ロリンズのコードレス・トリオを超えた1枚だと筆者が勝手に信じているアルバムだ。ロリンズを継承しながら新しいサウンドを生み出すことに成功している。それは、この3人にしか出来ないアイデアの嵐だからだ。ぜひご一聴頂きたい。このトリオは『The Magic Line (2000)』をリリースしていると今回知ったので、手に入れなくてはならない。

さて、この曲は【A】【B】【A】【C】形式だ。興味深いのは【A】の部分だ。ロリンズのオリジナル・バージョンとマイルスが『Cookin’』で録音したバージョンの2つがスタンダード化している。ウェスはマイルス・バージョンを採用し、ランバート、ヘンドリックス & ロスはロリンズのオリジナル・バージョンを採用している。並べてみた。

【A】部分比較
【A】部分比較

ご覧のように、違いはかなり大きい。まず1小節目をご覧頂きたい。メロディーが完璧に違う。これが何を意味しているのか。譜面からはわかりにくいかも知れないが、実はロリンズのオリジナルのメロディーはアップビートではなくダウンビート、つまりスイングし辛いのだ。言い換えると、ロリンズのオリジナルの第一モチーフの到達点は2小節目のG♭音、つまりダウンビートだ。マイルスはこれを嫌って、到達点を1小節目最後のG音の位置にずらした。つまり、スイング感に必要な「喰い」を入れたのだ。このロリンズのダウンビート重視は4小節目と8小節目にも表れている。

次に赤囲み部分をご覧頂きたい。これはもう作曲しなおしている域だ。ロリンズは4小節目を5小節目に対するジャンプボードとして配置しているが、マイルスは同じフレーズを1小節ずらして、最初のモチーフを「コール」とし、3小節目をその「レスポンス」に変更している。やはり4分音符が並ぶオリジナルのダウンビート重視を嫌ったのだと思う。もうひとつ、マイルスはこの曲をオリジナルより速く演奏したかったのだと思う。ロリンズのオリジナルを速いテンポで演奏するとスイング感が出ないからだ。

次に【B】と【C】を見てみよう。

【B】【C】部分比較
【B】【C】部分比較

ご覧のようにこちらの違いは非常にわかりやすい。赤矢印で示したように、ロリンズのダウンビート重視のメロディーを全てアップビートで喰うように変更されているだけだ。ひとつ興味深いのは、ロリンズはテーマの頭である【A】【B】【C】それぞれの1拍目のみアップビートにしている。これは演奏しにくい。始まりは喰うかダウンビートか、どちらかにしなくては区切りが付かない。始まりがアップビートなのは、ブラジル音楽では常套手段だが、ジャズではスイングしにくいということだ。【A】部分ではロリンズのオリジナルとマイルス・バージョン両方普及しているが、【B】と【C】はマイルス・バージョンのみが普及している。そう言えばロリンズのもうひとつの名曲、<Oleo>もむちゃくちゃダウンビートの曲だった。もしかしたら、これはロリンズお得意のジョークなのかも知れない。謎の多いロリンズである。

最後に筆者の大好きなウェス・バージョンをお楽しみ下さい。


追記:この記事公開直後に、アムステルダムを拠点にヨーロッパで活躍する、筆者も尊敬するピアニスト兼本誌コントリビューターの小橋敦子さんから、「『Sonny Meets Hawk! (1963)』と『Now’s the Time (1964)』もすごいですよね〜」とのメッセージが入った。今朝あわててこの2枚を入手したところ、もう顎落ち状態。ロリンズをちゃんと聴いていなかったのがバレバレだわ〜😅。「ロリンズは独りで演奏しているように聞こえる」の部分を撤回しなくてはならない。ここに改めてお詫びと訂正です。

ヒロ ホンシュク

本宿宏明 Hiroaki Honshuku 東京生まれ、鎌倉育ち。米ボストン在住。日大芸術学部フルート科を卒業。在学中、作曲法も修学。1987年1月ジャズを学ぶためバークリー音大入学、同年9月ニューイングランド音楽学院大学院ジャズ作曲科入学、演奏はデイヴ・ホランドに師事。1991年両校をsumma cum laude等3つの最優秀賞を獲得し同時に卒業。ニューイングランド音楽学院では作曲家ジョージ・ラッセルのアシスタントを務め、後に彼の「リヴィング・タイム・オーケストラ」の正式メンバーに招聘される。NYCを拠点に活動するブラジリアン・ジャズ・バンド「ハシャ・フォーラ」リーダー。『ハシャ・ス・マイルス』や『ハッピー・ファイヤー』などのアルバムが好評。ボストンではブラジル音楽で著名なフルート奏者、城戸夕果と双頭で『Love To Brasil Project』を率い活動中。 [ホームページ:RachaFora.com | HiroHonshuku.com] [ ヒロ・ホンシュク Facebook] [ ヒロ・ホンシュク Twitter] [ ヒロ・ホンシュク Instagram] [ ハシャ・フォーラ Facebook] [Love To Brasil Project Facebook]

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