ヒロ・ホンシュクの楽曲解説 #121 R.I.P. Jack DeJohnette<One for Eric>
この10月26日にJack DeJohnette(ジャック・ディジョネット)が83歳で亡くなった。心不全だった。ピアニストであるディジョネットはドラマーとして功績を多々残した。ジャズの歴史の中で、どちらを向いてもディジョネットの影だらけという感があるが、筆者にとってはやはりマイルスだ。

Jackie McLean(ジャッキー・マクリーン)のクラブ・ギグをマイルスが見に来た。マクリーンはディジョネットに「そのうちマイルスからお呼びがかかるよ。マイルスとオレはドラマーの好みが同じなんだ」。Tony Williams(トニー・ウイリアムス)を見つけてマイルスに紹介したのもマクリーンだった。詳しくは本誌No. 297、楽曲解説#86でトニーを取り上げた記事をご覧下さい。1969年頃トニーが自分のバンド、「The Tony Williams Lifetime (ライフタイム)」で忙しくなった。そのトニーのサブ(日本ではトラ)として、案の定ディジョネットはマイルスに呼ばれるようになった。そして『Bitches Brew (1970)』でエレクトリック・マイルス・サウンドの鍵を握る存在だということを世に知らしめた。ちなみに、ディジョネットはトニーを敬愛しており、トリビュート・プロジェクトなどにも力を入れていた。
今回この記事を書くにあたり、NYU(ニューヨーク大学)が2015年1月31日に行った公開インタビューを参考にした。このインタビューを観るまでジャッキー・マクリーンとの経緯を知らなかった。正直言って多少なりとも驚いた。筆者はディジョネットにトニーとの共通性を全く感じていなかったからだ。トニー・ウイリアムスと言えば、オン・トップ・オブ・ザ・ビートとビハインド・ザ・ビートを自由に操る唯一無二のドラマーだが、ディジョネットはオン・トップ・オブ・ザ・ビートで捲し立てる。これに関しては本誌No. 240、楽曲解説#29でKeith Jarrett(キース・ジャレット)の「スタンダーズ・トリオ」を取り上げた時に詳しくご説明したのでぜひご覧下さい。トニー以前のマイルスのドラマーは思いっきりビハインド・ザ・ビートだった。第一期黄金クインテットのPhilly Joe Jones(フィリー・ジョー・ジョーンズ)のライドは強力なビハインド・ザ・ビートで、あれを聞いているだけで失神しそうになる。マイルスはトニーを迎え、オン・トップ・オブ・ザ・ビートを味わった。だから次はディジョネットの超人的なオン・トップ・オブ・ザ・ビートへと移行したのだと思っていたのだ。だが、マクリーンの話だと、ディジョネットはトニー同様オン・トップ・オブ・ザ・ビートとビハインド・ザ・ビートを自由に操るドラマーだということになる。
このタイム感の説明は以前本誌No. 218、楽曲解説#7において図解入りで詳しく説明したが、簡単に言うと以下の通り:メトロノームと同じ位置にあるビートが「オン・ビート」、それより先に突っ込んでドライブするビート感が「オン・トップ・オブ・ザ・ビート」、タイムに幅を持たせてゆったりグルーヴするのが「ビハインド・ザ・ビート」と言う。曲の速さとは無関係であることと、「走る」「遅れる」とは違うので注意。もうひとつ、「パルス」というのは人間が自然に感じるダウンビートのことだ。これはルバートでも存在するので、ビートと違って一定とは限らないことに留意。パルスは、レーダーやソナーのピッピッという音が速くなったり遅くなったりするものを想像すると理解しやすいかも知れない。

ともかくディジョネットの最初の録音参加アルバムを手に入れた。マクリーンの『Jacknife (1965)』だ。なるほど、1トラック目の<On the Nile>でのディジョネットはビハインド・ザ・ビートだ。これには驚いた。こんなディジョネットは聴いたことがなかった。だが、5トラック目の<Blue Fable>はディジョネット印のガンガンのオン・トップ・オブ・ザ・ビートだ。但し、ヘッドイン(最初のテーマ)はビハインド・ザ・ビートで、ラテン・ビートのセクションが入った後からオン・トップ・オブ・ザ・ビートで演奏している。
説明が必要だ。ジャズはアメリカ黒人の喋り方同様ビハインド・ザ・ビートが自然だ。ブラジル音楽もビハインド・ザ・ビートだが、ブラジルのポルトガル語はアメリカ黒人のそれよりもっとリラックスしたものだ。反対にラテン・ビートはスペイン語の話し方同様オン・トップ・オブ・ザ・ビートが自然だ。だから筆者はスイングにラテン・ビート・セクションを挿入するコルトレーンの<The Night Has a Thousand Eyes>などが苦手だ。この、ラテン・ビートを挿入するというのは当時の流行りだ。先駆者のDizzy Gillespie(ディジー・ガレスピー)はネイティブのラテン・パーカッショニストに先導させていたから自然なサウンドだったが、安易に真似するとどうしてもグルーヴが壊れる。これに対しディジョネットはラテン・ビートのセクションで一旦オン・トップ・オブ・ザ・ビートに切り替えた後、スイング・セクションに戻ってもビハインド・ザ・ビートに戻さずそのまま最後までオン・トップ・オブ・ザ・ビートでイケイケだ。これの方がよほど自然に聴こえる。但し、ビハインド・ザ・ビートを聴いて気持ち良く昇天したい筆者のようなファンには辛いものがある。最後まで椅子の端っこに座って滑り落ちないように足を踏ん張っているような気分になるからだ。
このディジョネットが23歳当時の初録音アルバムでは彼の作曲作品、<Climax>がフィーチャーされている。すでに作曲家としての頭角を現している、というところか。ところで、ディジョネットがジャズ界に知れ渡ったのは、翌1966年にCharles Lloyd(チャールズ・ロイド)のグループに参加してからだ。『Dream Weaver (1966)』ではディジョネットからビハインド・ザ・ビートは全く聞こえて来ない。ディジョネットがマイルスと録音した最初のアルバムは、多分『Festival de Juan-les-Pins (1969-07-25)』だ。この頃のマイルスはかなり前衛ジャズで、ディジョネットの噛み付くようなオン・トップ・オブ・ザ・ビートがものすごい効果をもたらした。そして『Bitches Brew (1970)』でマイルス・エレクトリック・バンドが登場した。最初にご紹介した1969年の写真をご覧頂きたい。ディジョネットは前のめりの突っ込み姿勢だ。ロックビートをオン・トップ・オブ・ザ・ビートで演奏するなど通常考えられない。マイルスがまた新しいサウンドを創造したわけだ。もしかしたらディジョネットにしかできない芸当だったかもしれない。
筆者が知る限りでディジョネットが参加したマイルス作品を録音順のリストにしてみた。但し『Big Fun』などのコンピレーション・アルバムは重複するので除外した。
ちなみに、『Jack Johnson』の<Right Off>と<Yesternow>の前半でドラムを叩いているのはBilly Cobham(ビリー・コブハム)で、彼はビハインド・ザ・ビートだ。<Yesternow>の14分あたりからディジョネットに入れ替わっている。ダウンビートで刻むスネアのパターンは同じだが、コブハムがビハインド・ザ・ビートでグルーヴしていたのに比べ、ディジョネットはオン・ビートでスネアを叩き始め、キック・ドラムをオン・トップ・オブ・ザ・ビートにして仕掛けを徐々に入れ始める。18分40秒あたりから急にスイッチを入れたかのように全身オン・トップ・オブ・ザ・ビートだ。派手なパターンを叩かず音量も上がっていないので殆どの聴衆は気が付かないと思うが、よく聴いているとこれがちょっとすごい。
1972年の『On the Corner』の1〜4トラック(オリジナルLPではまとめて1トラック扱い)がディジョネットのマイルス・バンドとの最後の録音だ。但し、このトラックはハンド・パーカッション主体なので、ディジョネットも片手でパーカッションを叩いていると思われる。ディジョネット印のオン・トップ・オブ・ザ・ビートは全く聞こえず、殆どオン・ザ・ビートだ。残りのトラックのドラムはBilly Hart(ビリー・ハート)で、普通にビハインド・ザ・ビートだ。
ディジョネットの後を継いだのは、Al Foster(アル・フォスター)だ。彼もディジョネット同様オン・トップ・オブ・ザ・ビートだ。第二期黄金クインテットで、七変化のトニーに加えRon Carter(ロン・カーター)の超人的なオン・トップ・オブ・ザ・ビートでドライブするベースと、Herbie Hancock(ハービー・ハンコック)の奇抜なコンピング(日本ではバッキング)で常に緊張させられたから、もう2度とあんなバンドはやりたくない、と語ったマイルスだが、オン・トップ・オブ・ザ・ビートのディジョネットやフォスターにバックビートを叩かせてスリル満点のグルーヴを創り出したマイルスは正真正銘の刺激中毒者に違いない。恐らくフェラーリで大事故を起こすほどの無理な運転を好んだことと同レベルなのであろう。
Jack DeJohnette(ジャック・ディジョネット)

“I’ve just never doubted that I would be successful doing music, because it just feels like something is coming through me, lifting me up and carrying me, and all I needed to do was to acknowledge this gift and to use it.”
「自分が音楽で成功するだろうということを一度も疑ったことはなかったよ。運命のようなものを最初から感じていた。自分の才能を認識して、その自分の才能を使えばいいだけだったのさ。」
1942年8月9日にシカゴに生まれたディジョネットは、育ちもシカゴだ。両親はアフリカン・アメリカンだが、ネイティヴ・アメリカンの血も混ざっている。(『Music for the Fifth World (1993)』はディジョネットがインディアンのルーツに戻った作品なのだそうだ。)彼の母親、Eva Jeanette DeJohnette(エヴァ・ジーネット・ディジョネット、旧姓Wood)は、あのブルースの名曲、<Stormy Monday (ストーミー・マンデー)>の作者だ。ディジョネットの叔父にあたるRoy Wood(ロイ・ウッド)はシカゴで著名なDJであり、ミュージシャンとの交際が広かった。T-Bone Walker(T-ボーン・ウォーカー)とも親しく、母親は本人に請われてこの曲を$50で譲渡したそうだ。現在の$670相当(およそ10万円)だ。絶対音感を持って生まれたディジョネットは4歳からAntoinette Rich(アントワネット・リッチ)にクラシック・ピアノを師事し始める。彼女は初の女性のみの交響楽団の創設者として知られている。

高校の頃にはピアノでブルースやダンス・パーティーのギグをして小銭を稼いでいた。WKCR-FMの別件インタビューによると、DJの叔父はレコードの蒐集家としても知られており、ディジョネットは叔父のコレクションを聴き漁って育った。そんな時出会ったのがMilt Jackson(ミルト・ジャクソン)の『Opus de Jazz (1956)』に収録されている<Opus de Funk>で、Hank Jones(ハンク・ジョーンズ)、Eddie Jones(エディ・ジョーンズ)、Kenny Clarke(ケニー・クラーク)にしびれ、急にジャズに興味を持ったそうだ。ちなみにこのアルバムは、ここでフィーチャーされているFrank Wess(フランク・ウエス)のフルート演奏が我々ジャズ・フルーティストにとっての必修項目的なアルバムだ。ところが、ディジョネットもインタビュアーも、誰がフルートを演奏していたか覚えていない。ディジョネットは、わざわざこのフルートがカッコいいと言っているのに、誰だか思い出せない。あゝジャズ・フルートって本当に存在感が薄いのだ。悲しい。
ジャズに興味を持ったディジョネットはジャムセッションを徘徊するようになる。シカゴには演奏する場所やジャムセッションをする場所が朝の6時からあるそうだ。夜のギグを午前4時に終えて、数時間の睡眠でジャムセッションだったらしい。なんと羨ましいことか。ピアノに加えてドラムも叩き始めたのは、もっと演奏の機会を増やしたかったからだったそうだ。毎日4時間ピアノの練習をした後に4時間ドラムの練習をした、と言うので高校は殆どサボっていたようだ。この後Sun Ra(サン・ラ)にドラマーとして雇われる。
NY大学のインタビューアーであるシュローダー教授が面白い質問をした。「ジャック・ディジョネットって誰?と言われている状態から、あれがジャック・ディジョネットだ、と言われるようになったそのブリッジを渡った(境界線を跨いだ)のはいつですか?」と聞いたのだ。それに対してディジョネットは、「コルトレーンがシカゴに来たギグを見に行ったんだ。自分が頻繁に演奏していたクラブで、そこのオーナーがコルトレーンに、こいつに叩かせてみろと言ってシット・インさせてもらったんだ。満員のお客さんで最高だったよ」。「コルトレーンのバンドにシット・インするなんて、緊張しなかったんですか?」という問いに対して、「コルトレーンのレコードに合わせて散々練習していたし、曲は全て知っていたから全く緊張しなかったね。あの夜自分の自信が完璧になったと感じたよ」。ディジョネット、20歳前後の話だ。ハービー・ハンコックなどが「常に謙虚でいなければならない」と言うのに反し、やけに傲慢な発言だと誌面上受け止められるかも知れないが、ディジョネットの不思議は、これが全く傲慢に聞こえないのだ。黒人特有の英語のアクセントもなく、非常に温和な話し方をする。だから過激な発言をしても嫌味がゼロだ。仁徳、というものだと思う。
ディジョネットはあのAACMのメンバーだった。AACMとは、「Association for the Advancement of Creative Musicians」、つまり「クリエイティブなミュージシャンたちをサポートする協会」というシカゴのNPOで、初代会長のMuhal Richard Abrams(ムハル・リチャード・エイブラムス)がジャムセッションの場を与えていた。本誌編集長によるAACMに関する記事があるので、ぜひご覧下さい。そのムハルがディジョネットにNYC進出を勧めた。NYCに着くとすぐにギグにありつけた。シカゴで演奏したことがあるNYのミュージシャンたちにディジョネットの名前は知れ渡っていたし、ピアノ、ドラム、どちらでもOKということも周知だった。Eddie Harris(エディー・ハリス)のバンドでピアノ担当だったが、レギュラーのドラマー、Harold Jones(ハロルド・ジョーンズ)がツアーに行けないということで自分がドラマーとして参加することになった。ツアーの後エディが「おまえはドラマーとしてやって行ったら大成功するよ」と言ったことから将来の決意をしたのだそうだ。
『Audio-Visualscapes (1988)』

筆者がアメリカに移住したのが1987年1月7日。同年5月9日に、ルームメイトのマーク・バートン君に連れられてバークリー・パフォーマンス・センターに行ったのが、ディジョネットの「Special Edition (スペシャル・エディション)」の『Irresistible Forces (1987)』ツアー公演だった。まだ筆者がジャズのジャの字をようやっと覚え始めた頃の話だ。メンバーは以下の通り。
- Jack DeJohnette(ジャック・ディジョネット):ドラム&キーボード
- Mick Goodrick(ミック・グッドリック):ギター
- Greg Osby(グレッグ・オズビー):アルト&ソプラノ
- Gary Thomas(ゲイリー・トーマス):テナー、フルート、クラリネット
- Lonnie Plaxico(ロニー・プラキシコ):ベース
- Naná Vasconcelos(ナナ・ヴァスコンセロス):パーカッション&ヴォーカル(上の写真では不在)
正直に言うと、音楽的に惹かれたわけではなかった。ディジョネットが片手でドラムを叩き、もう片手でキーボードを弾くその姿と、憧れていたミック・グッドリックの仰け反りながらの演奏姿勢などが今でも目に焼きついている。だが、なんと言ってもゲイリー・トーマスにやられた。彼はハーモナイザーを使っていた。丁度その頃リリースされて大反響を呼んだEventide H3000 Ultra-Harmonizerを使用していたと思われる。貧乏学生でレコードが買えなかったので、『Irresistible Forces (1987)』を持っている友人を探してダビングさせてもらったが、ジャズを勉強しはじめの筆者にとってはいまひとつ入り込めなかった。確かこのアルバムではまだハーモナイザーも使用していなかったと思う。次の作品、『Audio-Visualscapes』が翌年発表されたが、筆者はすでにこのバンドのことを忘れていた。その頃にはミック・グッドリックとビリヤード友達になっていたから、本人からこのアルバムのことを聞いたと記憶するが、タイトルからして興味をそそられないと思ったことを覚えている。『オーディオ・ヴィジュアルスケープ』というタイトルは、環境音楽か瞑想音楽のような印象を筆者に与えたのだった。
それが、当時のルームメイトだったカーラちゃんが聴いてるカッコいいアルバムが『Audio-Visualscapes』だと知って、思いっきりびっくりしてしまった。速攻でダビングさせてもらって、テープが伸び切るまで聴いた。1トラック目の<PM’s AM>は『Irresistible Forces (1987)』のタイトル・トラックだった<Irresistible Forces>同様、今ひとつディジョネットの目指しているものの理解に苦しんだが、残りのトラックが全てカッコいい。しかもディジョネットのオン・トップ・オブ・ザ・ビートのドラミングがイケイケでカッコいい(この頃の筆者はまだマイルスを知らない)。15分前後のトラックも3つある二枚組のアルバムだ。特筆すべきは、グレッグ・オズビーの作曲作品が2曲フィーチャーされている。これが、まあカッコいい。特に3トラック目の<Master Mind>は2つの4小節フレーズを8分強延々と繰り返し、各ソロが絡み合って来る。これぞ「スペシャル・エディション」の醍醐味、と言ったところだ。
だが、筆者のお気に入りはなんと言っても5トラック目の<The Sphinx>だ。これはOrnette Coleman(オーネット・コールマン)の曲だ。この曲、何がすごいって、それはロニー・プラキシコのベースだ。ここでの彼はなんと、ディジョネットよりもオン・トップ・オブ・ザ・ビートでドライブしているではないか。人間業ではない!面白いもので、普段ディジョネットのオン・トップ・オブ・ザ・ビートのライドで椅子の端っこ気分なのに、ベースがこれだけオン・トップ・オブ・ザ・ビートだと全てOKな気分になる。あゝ気持ち良い。4トラック目の<Slam Tango>ではオズビーとトーマスの見事な絡みソロを楽しませてもらったが、この<The Sphinx>ではひとりずつのソロをみっちりフィーチャーしてくれている。ハーモナイザーの使用も非常に趣味が良い。オズビーもすごいが、やはりこのゲイリー・トーマスには完璧にやられる。凄すぎる。当時コピーしようとして断念したが、再び挑戦したいものだ。
<One For Eric>
今回取り上げたのはこのディジョネット作曲作品だ。「エリックに捧げる」とはもちろんEric Dolphy(エリック・ドルフィー)のことだ。ディジョネットは膨大なプロジェクトに参加しており、「著名なアーティストの中で共演録音したことがないのはコルトレーンくらいでしょう。共演したかったのに果たせなかった人はいますか?」とシュローダー教授が聞いた時、ディジョネットはエリック・ドルフィーと即答した。おそらくこの曲にはそんな想いが籠っているのかも知れない。ちなみに、この曲はスペシャル・エディションのデビューアルバム、『Special Edition (1980)』のオープニングトラックでもある。だが、演奏は全く違う。

『Audio-Visualscapes (1988)』の演奏と『Special Edition (1980)』収録トラックとの大きな違いは、こちらではヘッドを2倍以上遅くし、あのオン・トップ・オブ・ザ・ビートのディジョネットが思いっきりビハインド・ザ・ビートでグルーヴしているではないか。初録音のイケイケの演奏と違い、この演奏を聴いていて色々なことに気がついた。ちなみに、この曲はピアニストとしてのディジョネットではなく、ドラマーとしての彼の作品だと思う。奇抜な仕掛けだらけなのだ。ジャズ・ドラマーの書く曲には変拍子やポリリズムが多く飽きることも多々だが、ディジョネットの音楽はそんな次元ではないということをこの曲で思い知った。『Special Edition (1980)』での録音は単にオーネットの影響を受けた作品だと聞き流したが、今回遅いテンポのシャッフルとして聴くと、フレージングがズレまくっていることに気が付いた。採譜した第一テーマをご覧頂きたい。赤で示した音がそれぞれのフレーズの頭だ。

この第一テーマが7小節と半端なことと、このFのブルース・スケールのフレージングとコード進行の位置から、どうしても4分の4拍子に聞こえないので書き換えてみた。

これでスッキリした。こう書いてなければ(感じなければ)『Special Edition (1980)』での速い演奏は、少なくとも自分には無理だ。それにしてもこれだけ変則フレージングなのに全く自然に流れる。これはオーネットの天才性からディジョネットが学んだものなのか、それともディジョネットの作曲能力がすごいのか、この先もっと研究してみたいものだ。
第二テーマの【B】はゴリゴリのシャッフル・ビートだが、なんと7拍子。単純なフレーズを起承転結で並べているところが新鮮だ。ここでのディジョネットのビハインド・ザ・ビートが、普段と反対なだけにやけに気持ち良い。ご覧頂きたい。

続く第三テーマの【C】で思いっきりひっくり返った。ご覧頂きたい。ここがこの曲の目玉だ。

まず、13小節目は第二テーマの【B】を発展させたかと思いきや、半端な8分の11ビート(4分の4+8分の3、言い換えると4+1.5=4分の5.5ビート)の短い【インターリュード(間奏)】が捻りまくっている。【C】が15小節目から始まり、大展開する。導入部分のインターリュード部分が恐ろしく半端なので、15小節目が半拍食っているのかどうか即座に判断できなかったが、ディジョネットがシャッフルのグルーヴを維持して感じているので食ったのではないとすぐに理解した。つまり、食っていたとすると、インターリュード部分は5.5ビートではなく、6ビートだったということになり、実際そう感じて聞き流した聴き手も多いと思う。
赤で示したベース・ラインはプラキシコの正確な採譜ではないが、プラキシコもディジョネットもこのように感じて演奏しているのは明確だ。つまり、8分の9拍子から1ビート欠けた、というパターンだ。【B】は4分の8ビートから1ビート欠けていた。【インターリュード】では8分の12拍子から1ビート欠けていた。この1ビート欠けた、というのがこの曲のテーマなのだ。
もうひとつこの【C】セクションに特筆すべきことがある。【C】以前は88BPM、つまり4分音符で毎分88ビート、8分音符に置き換えると176BPMだ。【C】に入るとディジョネットが思いっきりレイドバックしているので、テンポが遅くなったように聞こえるが実は8分音符ビートを維持したメトリック・モジュレーション(metric modulation)で、付点4分音符が約58BPMになる。これが新しいパルスだ。言い換えると、テンポが変わって聞こえても8分音符のビートは同じテンポで一貫しているのだ。ディジョネット恐るべし。
さて、この後ヘッドがもう一度繰り返されるのだが、2度目はオリジナルの『Special Edition (1980)』同様速いテンポだ。この移行にも仕掛けが施してある。前述のようにヘッド1回目の最後、【C】のパルスは付点4分音符58BPMだった。それを今度は2分音符に置き換えている。正確には116BPMだが、それより気持ち遅い110BPM2分音符ビート(つまり4分の4を220BPM)で演奏している。ちなみに、オリジナルの『Special Edition (1980)』は頭からもう少し速い280BPMだったので、ここでの220BPMでの演奏は明らかにパルスの維持を意図している。考え抜かれた編曲だと言えるだろう。
ヘッド2度目の【C】が延長されてソロ・セクションに入る。短いオズビーのフィルが入った後でトーマスのハーモナイザーを利用したソロがじっくり始まる。この2+⅔ビートという変拍子シャッフルで、まあトーマスのグルーヴ感のすごいこと。続くギターソロは、同じシャッフル・セクションでもコードがA/Gに転調している。グッドリックのソロもむちゃくちゃカッコいい。ギターソロが終わると【C】セクション最初のC/B♭コードに戻って間奏とし、その後いきなり速いスイングが始まり、オズビーのイケイケ・ソロを堪能させてくれる。その後で、なんと、トーマスのフルートソロになる。これがすごい。カセットを聴き潰した頃にこのフルートソロを聴きまくった覚えが全くない自分にも驚いた。今回何度も何度も聴いてしまった。コピーしなくてはなるまい。
この曲最後にディジョネットのドラムソロが入る。彼の音楽的なドラミングを再確認した。ぜひお楽しみ頂きたい。
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