ヒロ・ホンシュクの楽曲解説 #75 Steve Coleman『Menes to Midas』
前回の楽曲解説でケニー・ギャレットの特異なアウトのテクニックを解説したところ、読者から色々な質問を頂いた。その返信の中でSteve Coleman(スティーブ・コールマン)を引き合いに出したことがきっかけで、今回は彼の音楽を掘り下げてみたいと思う。
筆者が初めてコールマンに出会ったのは1980年代の終わりだった。当時筆者はDave Holand(デイブ・ホランド)に師事しており、ホランドの勧めでコールマンのライブを見に行った。その時の様子は本誌No. No. 232、楽曲解説#21でジェリ・アレン(Geri Allen)を取り上げた時に触れたのでご覧いただきたい。ジェリもコールマンもカサンドラ・ウィルソン(Cassandra Wilson)も痺れるほどかっこよかったその光景が未だに忘れられない。コールマンにはFive ElementsやM-Baseなどの形容詞が付き、それがバンド名なのかコンサートのタイトルなのか当惑した。のちにFive Elementsというのは編成のコンセプト、M-BaseというのはOrnette Coleman(オーネット・コールマン)のHarmolodics(ハーモロディクス)同様、音楽哲学だということを知ったが、実態はわからないでいた。今回調べているうちにコールマン本人によるM-Baseの記述が見つかった。これがなかなか洒落ているので、ここにご紹介する。
M-Base
M-Base.comからの転載(筆者訳)
- M-Baseではないもの
- コンピュータ関係の略語
- 音楽のスタイル
- M-Baseで演奏すると看板をあげているミュージシャンを扱う評論家のための道具
- 会費を取る組織
- ギグを増やすための看板
- 変拍子を演奏することを正当化するための道具
- ウィントン・マルサリスや彼の音楽を嫌っているということを宣伝するための道具
- コードやコード進行を無視する弁解の道具
- M-Baseであるもの
- M-BaseとはMacro – Basic Array of Structured Extemporizationsの略語(注:Macro=複数の一連の工程を一つのコマンドで履行すること。Basic=基本形。Array=並べて置かれたもの。Structured Extemporization=体系化された即興。)体系化されたものと即興という二つの要素を用いて、音楽を通して自分が経験してきたものを表現するという意味になる。実際のゴールは、現時点で自分が体験していることを表現し、集合体として(注:バンドとして)お互いに会話をするための音楽的言語を構築すること。
- 以下かなり哲学的な記述になるので、筆者が要約する。英語が苦でない読者には是非元の記事をお勧めする。M-Baseとは、音楽の創作活動に於ける、発展過程に対する考え方だ。音楽はその音楽家の人生経験から生まれ、また、それに制約される。経験を増やせば制約も減る。言い換えると、経験に基づいてその時点で世の中をどう見ているのかを音楽で表現することで、全く違った経験をすれば世の中の見方も当然変わり、それを音楽で表現する。
- M-Baseは西洋音楽ではなくアフリカ音楽に起因する。例えば西洋音楽の4分の4拍子や、それに対する変拍子などというコンセプトはない。むしろアフリカ音楽に存在するスピリチュアルな部分や、特異なリズムやメロディーを発展させることに焦点をおく。
- 最後にコールマンは、音楽は演奏者のバックグラウンド同様、聴く人もそれぞれのバックグラウンドによって受け止め方が違うということを力説している。
筆者のスティーブ・コールマン
前述の通り筆者がコールマンの演奏に出会ったきっかけは、我が師デイブ・ホランドの『Triplicate』だったその理由は、筆者がホランドに師事し始めた1988年にリリースされた新譜であったからだ。この二人にディジョネット(Jack DeJohnette)を加え、コード楽器不在のトリオ演奏なのに飽きさせないこのアルバムを何度も聴いた。もちろんホランドにレッスンで教わることが満載されているという理由もあった。ちなみにサックストリオと言えばJoe Henderson(ジョー・ヘンダーソン)トリオのボストンライブも強烈な印象だった。それと忘れてはいけないのが、George Garzone(ジョージ・ガゾーン)率いるFringeというサックストリオ。ボストンで51年間毎週月曜演奏しているのに全く飽きない。彼らは会場の電気を落として、暗闇で演奏する。コード楽器なしでトリオが成立するのはサックスだけのような気がする。フルートフキとしてはちょっと悔しい。
話を戻す。ホランドの勧めで行ったコールマンのコンサートは全てがカッコよく、すぐに購入したアルバムが『World Expansion(1987)』、シビレまくった。変拍子なのにご機嫌に踊りまくれるファンクビートの上で、殆ど十二音技法のような、ジャズで聴いたことのないようなモチーフの発展がともかく新鮮だった。新譜が出る度に毎回新しいアイデアと期待通りのグルーヴの気持ちよさに酔った。筆者が好きだったアルバムは以下の通り。
ここまで来てコールマンは変化を見せる。『Rhythm In Mind(1992)』だ。これはそれまでのファンクアルバムではなく、自分がシカゴで育った時のアイドル、テナー奏者のVon Freeman(ヴォン・フリーマン)やデイブ・ホランド、さらにTommy Flanagan(トミー・フラナガン)やKenny Wheeler(ケニー・ウィラー:日本ではホイラー)を迎えてのジャズアルバムなのだ。当時それほど聴いてはいなかったアルバムだが、今回改めて聴いてみて、なるほど、このフリーマンというテナー奏者は、コールマンにどう影響を与えたのかスタイル的に謎ではあるもののなかなかグッと引きつける演奏をする。コールマンのスイング感もご機嫌だ。1曲目の<Slipped Again>はコールマンの元雇い主、Thad Jones(サド・ジョーンズ)の曲でご機嫌なスイングだが、さて、2曲目のコールマンのオリジナル、<Left Of Center>が筆者にとって問題となった。今まであったエキサイティングな変拍子のファンクビートやカサンドラのヴォイスがなくなって、しかも1曲目のようなご機嫌なスイングビートでもないので筆者には物足りなくなってしまったのだった。続く『The Tao of Mad Phat(1993)』ではっきりとコールマンの次のステップが確認出来る。以前同様バックビートを主体にしているものの、コード進行の概念がだいぶんと削がれている。この2年後の『Def Trance Beat(1995)』ではアフリカのリズムが取り入れられて面白いものの、何度も聴いたという覚えはなく、『Genesis & The Opening of The Way(1997)』からもっと大きな室内楽編成に進展して行き、その頃から筆者はコールマンから離れてしまった。
マッカーサー・フェロー
コールマンは2014年にマッカーサー・フェローという、俗に言う「天才賞」なるものを受けている。この賞は、アメリカ人がアメリカで創作活動していることに対し今後の研究基金として与えられるもので、匿名の推薦が集められ、本人は突然電話が来るまで推薦されていることすら知らないというもので、コールマンも御多分に洩れずいたずら電話と思ったらしい。金額は7,200万円相当で、金額もそうだがこの賞を受賞した名誉が大きい。対象の創作活動は芸術にとどまらず、科学の分野でも知名度が高い。ジャズ系で受賞した筆者が思いつく名前は、まず筆者の師、故George Russell(ジョージ・ラッセル)を筆頭にOrnette Coleman(オーネット・コールマン)、Cecil Taylor(セシル・テイラー)、Steve Lacy(スティーブ・レイシー)、Anthony Braxton(アンソニー・ブラクストン)、Ran Blake(ラン・ブレイク)、Max Roach(マックス・ローチ)、Gunther Schuller(ガンサー・シュラー)、John Zorn(ジョン・ゾーン)などが思い浮かぶ。この面々からもわかる通り、かなり学術的な創作活動を続ける、商業的な成功からは近くない者たちに与えられている。M-Baseのコールマンがオーネットやラッセルと同席する理由がわかる。コールマンはその他にも10の賞や奨学金を受けており、それを使ってバンドごとインドを訪れてリサーチするなどの活動の記録がある。
1956年シカゴ生まれのコールマンが音楽を始めたのは彼が14歳の時、バイオリンを始めたその年にアルトサックスに持ち替えている。ここから3年間音楽理論を学ぶところから普通ではない。チャーリー・パーカーに魅せられインプロビゼーションを学びたいと思い、地元で活躍する前述のヴォン・フリーマンなどをアイドルそして追いかけたらしい。大学を卒業した1978年、22歳のコールマンはヒッチハイクでNYCに移動。ジャムセッションに出向く数ヶ月を過ごし、ようやっとサド・メル楽団に職を得る。ここからSam Rivers Big Band(サム・リバース楽団)やCecil Taylor Big Band(セシル・テイラー楽団)などで重宝に使われるようになったそうだ。何せちゃんとした音楽教育を受けているので、初見は強いし楽器のコントロールも抜群だ。
演奏で家賃を払うには困らない収入を得ていたが、コールマンはトランペッターのGraham Haynes(グラハム・ヘインズ)とバンドを組み、ストリートで演奏を続けM-Baseの構想を煮詰め、ドイツのJMTレーベルから『Motherland Pulse(1985)』と『On the Edge of Tomorrow(1986)』のリリースに到達する。前者はまだデイブ・ホランドの影響が強いECM系のジャズのサウンドだが、後者ははっきりとコールマンが目指す新しいファンクの体型ができている。明確な記述はどこにも見当たらないが、このアルトとトランペットをフロントに置いた5人編成をFive Elements(ファイブ・エレメンツ)と呼んでいるのだと筆者は理解する。この形態は現在も継続されている。
ここから筆者がお気に入りの一連のファンクアルバムが続くが、どうやらコールマン本人はさらに前進したいと西アフリカの音楽を研究し始め、1993年の終わりからガーナにリサーチ旅行をする。前回ご紹介したケニー・ギャレット同様、ヨルバ(Yoruba)文化を起因とする南北アメリカ大陸へ流出した音楽をキューバ、プエルトリコ、ブラジル、ハイチへと辿る旅が始まる。このあたりからコールマンのプロジェクトはファイブ・エレメンツから離れ、Renegade Way、Steve Coleman and The Secret Doctrine、Steve Coleman and The Mystic Rhythm Society、Steve Coleman and The Council of Balance等々多岐にわたり、筆者としてはこのあたりで見失ってしまった。
この後2000年には、あの世界的に電子音楽で有名な仏IRCAMの招聘を受け、コールマン本人が勉強したコンピュータ言語を使用し、即興演奏のために開発された「Rameses 2000コンピュータ・ソフトウェア・プログラム」の委託を受ける。プログラミングは独学だそうだ。2013年には2年間演奏活動を停止して研究活動に専念したそうだが、ここでは詳細を控える。
スティーブ・コールマンの音楽
筆者にとってスティーブ・コールマンとは、ともかくカッコいい奏者だ。まず音が魅力的だ。実に豊富な音色を使い分け、そしてあのタンギング。彼のタンギングから生み出されるタイム感のグルーヴは実にエキサイティングだ。それに加えてコールマンのテクニックはピカイチで、次から次へと湧き出るアイデアを演奏できる力を持っている。蛇足だが、練習すれば練習するだけテクニックが実になるというのも才能だ。羨ましい限りだ。
コールマンの音楽で驚異的なのはあの変拍子の扱い方だ。本誌No. No. 232、楽曲解説#21でジェリ・アレン(Geri Allen)を取り上げた時にも書いたが、筆者が初めて見た80年代終わり頃の彼のコンサートは、4拍子の曲で始まり、次の曲は5拍子、次は6拍子・・・ついに11拍子の曲まで行くと今度は10拍子、9拍子・・・最後に4拍子の曲で幕を閉じた。しかも曲間中断なしだ。こんな変拍子の嵐の中、全員がノリノリに踊っているから驚きだ。コールマンが書く曲にはいつもキャッチーなモチーフがベースになっており、書く曲書く曲よくこれだけ新しいアイデアがあるものだと感嘆する。しかもほとんどが強烈な変拍子だ。バンドに対する要求も半端ではないはずだ。
前述のように1992年頃ゴリゴリのファンクビートから離れ始める。誤解を招かないよう説明するが、コールマンの音楽は一貫してバックビートだ(オンビートの裏にアクセントがあるという意)。だから現在もファンクビートに聞こえるかも知れないが、実は同じではない。現在のはジャズファンクで、タイトにパターンを繰り返してグルーヴするファンクと違い、バックビートを軸に自由にインプロビゼーションを交えている。コールマンは踊れる音楽から離れ、コード楽器を捨ててコンテンポラリー即興アンサンブル的な方向に進んだ(2010年『Harvesting Semblances And Affinities』)。アンサンブルを大きくし、ハーモニーを譜面で固定する必要があったのかも知れない。
(しつこいようで申し訳ないのだが、筆者は本当に1992年までのコールマンの音楽が好きなのだ。今どのアルバムを聴き直しても興奮は新鮮だ。どのメンバーも泣くほど難易度の高いコールマンのカッコいい譜面を余裕の演奏で聴かせてくれる。当然そのメンバー達はその後成功している。ジェリ・アレン、カサンドラ・ウイルソン、デイビッド・ギルモア(David Gilmore)、グレッグ・オズビー(Greg Osby)、ロビン・ユーバンクス(Robin Eubanks)、レジー・ワシントン(Reggie Washington)、マーヴィン・スミティ・スミス(Marvin “Smitty” Smith)等だ。コールマンの音楽は決め事が多いがフュージョンではない。決定的な違いは、踊れる、ということだ。こんなに変拍子だらけで、フリー・インプロビゼーションなのに、だ。あゝなんてカッコいいのだろう。)
5人編成のFive Elementsに戻ってのスタジオ録音は、2013年の『Functional Arrhythmias』からのようだ。ただし、それ以前もツアーは同じメンバーの5人編成だったようだ。アメリカの評論家たちはSteve Coleman And Five Elementsのライブをテレパシー演奏と呼んでいる。コールマンは完全に自由な即興演奏と緻密に書かれた高度なテクニックを要求される譜面との共存を目指しているようで、曲の進行はテレパシー並のコミュニケーションで進めて行く。グループの各メンバーとコールマンの付き合いは長い。ドラムのSean Rickman(ショーン・リックマン)もベースのAnthony Tidd(アンソニー・ティドゥ)も1999年から。トランペットのJonathan Finlayson(ジョナサン・フィンレイソン)は2001年からのようだ。20年以上バンドとして活動していればテレパシー演奏も可能なのであろうと思う。Five Elementsなのに5人目だけは入れ替わる。後述する。
『Live At The Village Vanguard Volume II (Mdw Ntr) 』
昨年、2021年10月29日にリリースされたこのアルバムは2018年のライブ録音で、久しぶりにエキサイトさせてくれるものだった。その理由は入れ替わった5人目のKokayi(コカイー)のラップがむちゃくちゃカッコいいのだ。ちなみにコールマンとの初コラボレーションは1994年だったそうだが、資料は見当たらなかった。
この5人目にKokayiが参加する直前の5人目はギタリストのMiles Okazaki(マイルス・オカザキ)で、その模様は1年前である2018年にライブ録音された『Live At The Village Vanguard, Vol. I』に記録されている。彼のスタイルはグルーヴというよりテクスチャーで、コールマンの選択理由が理解できる。オカザキの直前の5人目は、Jen Shyu(徐秋雁)という台湾系アメリカ人の歌手で、中国語の発音でインプロビゼーションするなど新鮮さがあったが、やはりコールマンの意図はテクスチャーだ。それに対しコカイーのフリー・インプロビゼーションスタイルのラップのグルーヴがすごく、筆者を思いっきり興奮させてくれた。コールマンはまた一歩前進したようだ。
コカイーがビレッジ・バンガードに出演した最初のラッパーだそうだ。1989年に亡くなったマックス・ゴードンを継いで店を経営していた未亡人のロレイン・ゴードンは出演者に対する好き嫌いがはっきりしており、ラッパーなどを入れて大丈夫なのだろうか、と関係者は神経質になっていたらしい。すると本番が終わると彼女は席から立ち上がってコカイーにハグし、あなたはなんと素晴らしいの、これからも活躍してね、と声をかけて来た。残念なことにその数週間後にロレインは95歳で他界したのだそうだ。
このアルバムでもうひとつ特筆すべきことがある。タイトルにあるMdw Ntrだ。これは古代エジプトの象形文字のことらしく、それが譜面同様に並べてあり、それにインスピレーションを受けながらそれぞれの曲を進行させたのだそうだ。本アルバムのジャケットにもこの象形文字が反映されている。
<Menes To Midas>
調べたところ、このタイトル、<メネスからミダス>のメネスは初代のエジプトの王、ミダスはギリシャ神話の王で、ミダスは触るもの全てを金に変える力があったのだが、その力を後悔して放棄し、アポロンに耳をロバの耳にされてしまうなどあまりハッピーな話ではないようだ。コカイーのラップは筆者には詳細まで聞き取れないのだが、どうもミダスと金のことだけを歌っているようだ。
楽曲解説に入ろう。まずアルトのソロで始まる。この曲はセットのオープニングで、どうもコールマンはアルトソロから入る曲を必ず入れるようだ。もちろんすぐに強烈なビートに入るのだが。まずはイントロを採譜してみた。
ルバートで演奏されているが、はっきりと5拍子だ。短調のフレーズを長二度ずつ上げて、この曲のトニックであるCマイナーまで上行するのだが、最初Cマイナーから始めずに、その長三度下のA♭マイナーから始めるその意図は、おそらくC Aeorianのサウンドが意図に反するからなのだと思う。続く解説でこの意味がお分かり頂けると思う。次にベースラインである第一テーマをコールマンが演奏始める。それににじり寄るようにアンソニーのベースが入り、パルスが設定される。採譜した。
やはり5拍子だ。通常の3+2ではなく2+3でコード進行を表している。小節後半の3音、根音であるGが不在で音列的にはG7の代理コードであるD♭7のようにも見えるかもしれないが、コードの決定音である3度音のFが不在だ。反対にGコードの決定音であり、Cに対する導音であるBが存在するので、これはGコードと判断し、A♭はテンション♭9、D♭は♭5音と判断する。♭5音はテンションではなくコードトーンの変化音なので、残りのテンションである13thも♭13にする必要があり、全ての変化可能な音を処理するのでAltered表記になる。なぜ13thがあり得ないかと言うと、♭13のE♭ではなく13thのE音だとすると♭5であるD♭との間に増二度の音程が生成され、スケールとして機能しなくなるからなのだ。
さて、コールマンのインプロビゼーションが始まる。ペンタトニック・スケールの嵐だ。B♭マイナー・ペンタトニックから始めるが、EのペンタトニックやG#マイナー・ペンタトニックなどに自由にアウトを挿入している。そう、コールマンのアウトは、前回ご紹介したケニー・ギャレットやマイケル・ブレッカーと違い、アウトのコード進行を想定するのではなく、モードを移調しながらアウトしているのだ。
コールマンはソロから第二テーマに移行する。これが、なんと、9拍子なのだ。しかもベースラインのダウンビートからきっちり始めている。コールマン恐るべし。第二テーマを採譜した。
この第二テーマはモードだ。C Locrianのペンタトニックだ。ベースラインである第一テーマはC Harmonic Minorモード(和声的短音階)であり、完璧に喧嘩する。ベースラインのGに対してのG♭、Bに対するB♭だ。C Locrianペンタトニックの音列をご覧頂きたい。
この第二テーマをコールマンが繰り返し、それにジョナサンが加わるとショーンのドラムが大迫力のフィルを入れてグルーヴを始める。え?え?え?誰のビートとも合っていない。よくよく数えると、ドラムはなんと4分の9拍子だ。つまり第二テーマを2回繰り返したところでドラムパターンの1サイクルが終わる、という設定だ。譜面をご覧頂きたい。
ドラムが入る前は、第一テーマは9回、第二テーマは5回繰り返したところでダウンビートが合った訳だが、ドラムのおかげでダウンビートが合う位置は第一テーマ18回、第二テーマ10回、ドラムパターン5回の位置だ。驚異的なのは、誰一人として一糸乱れていないのだ。特にベースのアンソニーだ。筆者は同じパターンを繰り返してグルーヴし続けることができるミュージシャンを心底尊敬する。並大抵の才能でできることではない。誰だっておかずを入れたくなるだろうし、グルーヴを壊さないおかずを入れられる技術とセンスをもつ者は実に少ない。ちなみに同じパターンを繰り返してグルーヴし続けるスタイルの先駆者は、やはりマイルスバンドのMichael Henderson(マイケル・ヘンダーソン)だ。初めて聞いた時、あゝこんなベーシストと演奏できたらどんなに素敵だろうか、と思ったものだ。
ソロセクションの先発はコールマンだ。C Locrianペンタトニックを使ってガンガン行く。コールマンのアウトの概念は、やはり面白い。非常におしゃれな織り込み方をする。ご覧頂きたい。
ご覧の様に全てモードで移動している。面白いのは同じモードを移調しているのではなく、モードの種類自体も入れ替えている。実際にこの4分10秒の部分を聴いて頂けるとお分かり頂けると思うのだが、このテンポでこれだけ目まぐるしく動くと、おっ、何かかっこいいフレーズ出したな、程度にしか気がつかないかも知れない。そして二段目でいきなりチャーリー・パーカーのビバップフレーズが飛び出す。思いっきりカッコいい。
ちなみにコールマンはこのフレーズをしっかりと全員のダウンビートから始めている。こんなにずれたビートの嵐なのに、誰一人として見失っていないのだ。一体この人たちはどんなリハーサルをしているのだろう。全ては即興で進められ、合図はテレパシーのみだと言うのだ。人間業ではない。ともかくカッコいい。そう、コールマンの不思議は、以前面白くないと思ってあまり聴かなかったアルバムでも、どんな曲が入っていたっけ、と思って久しぶりに聴くと、やはり聴いてしまうのである。多分それは、彼の音楽のアイデアの面白さもあるが、なんと言っても彼の音楽は必ずグルーヴしているからなのだと思う。