JazzTokyo

Jazz and Far Beyond

閲覧回数 7,427 回

Hear, there and everywhere 稲岡邦弥No. 313

#51 映画『ボブ・マーリー :ONE LOVE』

test by Kenny Inaoka 稲岡邦彌

南武線の武蔵溝の口駅から田園都市線の溝の口駅に乗り換えようと連絡デッキを歩いていたらおじさんが掲げている雑誌に目が止まった。カバーがボブ・マーリーだった。雑誌は駅周辺の立ち売りで時々目にする「THE BIG ISSUE」。立ち止まると、「ボブ・マーリーの映画が公開されるんですよ」とおじさん。早速、車中で目を通すと映画のプロデューサーを務めた長男のジギー・マーリーのインタヴューが掲載されている。
実は、数週間前に日比谷で映画「ボブ・マーリー:ONE LOVE」の試写を観たばかりだったのだ。それにしても日比谷の興行街の激変ぶりには驚いた。学校を卒業して最初に勤務した丸の内のドイツ商社。住所は丸の内でもオフィスは有楽町駅前の日比谷にあった。勤務が終わるとスバル街のジャズ喫茶「ママ」でひと息ついて隣の「ORO」でナポリタンで腹ごしらえをする。「ママ」といっても店主は小宮山という陰気なおやじ。一度、『ミンガス・ファイヴ』をリクエストしたらアタマ1曲で針を上げられてしまった。その後、スバル街一帯は地上げされて大きなビルに建て替わった。

東宝シネマズ・スクリーン5は200席、満席だった。おそらく、サイズの異なる容れ物が集まったシネコンのひとつなのだろう。配給会社が持つ数十席の試写室とはレヴェルが違う。ボブ・マーリーへの関心の高さだろうか。
映画は、ボブの生涯を追う自伝的内容ではなく、晩年(といってもボブは1981年に36歳で病死する)のジャマイカの政争に巻き込まれた銃撃事件から渡英、帰国後のONE LOVEコンサート成功まで、苦悩の日々とヒューマニティの貫徹を中心に描く。白人男性と黒人女性の間に生まれ、父親に見捨てられた母子が育ったトレンチタウンはジャマイカのゲットー。95年にNHKBSの取材に同行、現地入りした時はそれぞれ複数のボディガードと警官を帯同する物々しさだった。ボブの自立と成功の鍵はレゲエという音楽の存在。ボブのメッセージ・ソングのテーマは権利の自覚、自立と人間愛。ONE LOVEコンサートで二大政党を和解に導きジャマイカの左傾化を食い止めた。映画はイギリス人俳優を使ってアメリカで製作されたが全編にボブの歌が流れ違和感を中和してくれる。
僕自身は、旧トリオレコードがボブ・マーリーを含むレゲエ・アルバムを英トロージャン・レーベルを通じリリース、ウェイラーズの東京公演に足を運び、95年ボブの生誕50周年記念フェスのNHK BSの取材に同行、キングストンに1週間滞在、ジャマイカとボブには人並み以上の思い入れがある。それでも、ジャマイカと聞いてまず頭に浮かべるのはレゲエとブルーマウンテン(今では主要栽培地は日本のコーヒーメイカーに私有されている)、それに近年大活躍の陸上競技のアスリートたちだろうか。上映後、挨拶に立った女性のジャマイカ大使は「日本=ジャマイカ友好関係樹立60年の今年、JJパートナーシップをさらに強固なものにしましょう!」と力強くアピールした。



映画『ボブ・マーリー ONE LOVE』
監督:レイナルド・マーカス・グリーン
製作:リタ・マーリー ジギー・マーリー セデラ・マーリー
製作総指揮:ブラッド・ピット
脚本テレンス・ウィンター フランク・E・フラワーズ ザック・ベイリン レイナルド・マーカス・グリーン

2024年製作/アメリカ
原題:Bob Marley: One Love
配給:東和ピクチャーズ
劇場公開日:2024年5月17日

サントラ
https://umj.lnk.to/OneLoveOST
映画公式サイト
https://bobmarley-onelove.jp/

♪ 参考記事
https://jazztokyo.org/column/inaoka/post-21019/

稲岡邦彌

稲岡邦彌 Kenny Inaoka 兵庫県伊丹市生まれ。1967年早大政経卒。2004年創刊以来Jazz Tokyo編集長。音楽プロデューサーとして「Nadja 21」レーベル主宰。著書に『新版 ECMの真実』(カンパニー社)、編著に『増補改訂版 ECM catalog』(東京キララ社)『及川公生のサウンド・レシピ』(ユニコム)、共著に『ジャズCDの名盤』(文春新書)。2021年度「日本ジャズ音楽協会」会長賞受賞。

コメントを残す

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください