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R.I.P. 及川公生R.I.P. / 追悼ある音楽プロデューサーの軌跡 稲岡邦弥No. 325

ある音楽プロデューサーの軌跡 #60「及川公生さんとの仕事」

text by Kenny Inaoka 稲岡邦彌

♪ 70年大阪万博鉄鋼館での出会い

及川公生さんと初めて出会ったのは1976年6月のことだった。来日中のローランド・ハナ(p)とジョージ・ムラーツ (b)のデュオ『ポーギー&ベス』を録音する目黒のモウリ・スタジオだった。ディレクターを務めるオール・アートの石塚孝夫さんの紹介だったが、これ以降数十年にわたって何度も録音の場を共有する事になる。単なるオーディオ録音にとどまらず、レーザーディスクやビデオ用の音源の録音、CD-ROM BOOKの刊行もあり、タイトロープを渡るハラハラどきどきの現場でお互いに手に汗を握ったこともある。ちなみに出会いのきっかけとなった『ポーギー&ベス』はトリオレコードから発売したが、アートワークに内藤忠行氏の写真を得てロングセラーとなり、幸先の良いスタートとなった。この時点ですでに「何も足さない、何も引かない」「良い演奏を、良い録音で」という氏の終生を通じた基本的な録音コンセプトは確立されていたものとみられる。あとで知ったことで、間接的ではあったが氏との最初の出会いは70年大阪万博の鉄鋼館だった。鉄鋼館は「スペース・シアター」と呼ばれる円形の音楽堂で天井、壁、座席下に1,008個のスピーカーが埋め込まれていた。この1,008個のスピーカーを駆使した武満徹とクセナキスの現代曲が音を360度走らせる。この複雑な音響装置をバックヤードで操作していたひとりが及川さんで私はリスナーのひとりだった。幸い鉄鋼館は万博パビリオンに保存されているということなので、今年の万博見参の際、55年振りに鉄鋼館を覗いてみようと思う。

♪ キース・ジャレットの2度の録音

及川さんとのもっとも記憶に残る仕事はキース・ジャレットの2回の録音である。87年4月、東京サントリーホールでのソロ・コンサート。スーツにネクタイ姿で現れた及川さんを見て、プロデューサーのマンフレート・アイヒャーは「音楽を楽しまなければいい録音はできないよ」とひと言。及川さんのマンフレートに対するリスペクトの表れだったが、マンフレート自身はキースの音楽にハミングで併せながらレキシコンでリヴァーブをかけていた。のちにECMからリリースされたアルバム・タイトルは『ダーク・インタヴァルス』。89年9月、NY/RCA=BMGスタジオでのキース・ジャレットと長男ゲイブリエルのパーカッションとのデュオ録音。電通のビデオ『日本、空からの縦断 Part 2』用の音源。ジャレット親子の共演記録はこれが唯一である。

©1987 Yoichi Kobayashi LtoR 及川 アイヒャー 稲岡

♪ 富樫雅彦さんとの録音も多かった

神経をすり減らしたもうひとりはパーカッションの富樫雅彦。数多い録音から4枚を選ぶと、スティーヴ・レイシー、ドン・チェリー、デイヴ・ホランドとの『Bura Bura』(1986)、菊地雅章とのデュオ『コンチェルト』(1991)、オーバーダブを使ったソロ『Passing in the Silence』(1993)、菊地雅章、ゲイリー・ピーコックとのトリオ「Great 3」による『ライヴ・セッション』『スタジオ・セッション』(1994)。大好きなレイシーとチェリドン(富樫流呼び方)を得た上にホランドのドライヴするベースにすっかりご機嫌、91年結成の4ビート・ユニット「JJ Spirits」につながったと聞いている。菊地がからんだ2枚はスタジオに一触即発の雰囲気が漂い、『コンチェルト』では双方がメンターと仰ぐDr.ジャズこと内田修先生にお目付役を依頼、こと無きを得たが、1994年の『スタジオ・セッション』ではついに富樫さんがキレ、職場放棄する一幕があった。その証拠となるテイクが<峠の我が家>で、富樫が抜けた菊地とゲイリーがデュオで演奏している。1993年のソロは山中湖のスタジオに2泊3日で合宿、富樫さん自身の口から壮絶な過去を耳にする貴重な体験ともなった。

♪ 加古隆、山下和仁など映像がらみの録音

映像と絡んだ仕事ではジャレット親子と同じシリーズの『浮世絵 Blue & Red』(電通)のために加古隆が山中湖でのスタジオでソロで綴ったのも及川さんの録音である。このときは加古さんが持ち込んだベーゼンドルファー・インペリアルが湖畔の湿気を吸い込んだため、初日の録音をすべて2日目に録り直すトラブルがあった。ピアノ(木製の筐体)は呼吸していることを実感した体験だった。映像がらみではもう1枚、ラリー・コリエルと山下和仁のギター・デュオによるヴィヴァルディ『四季』の全曲録音。ラリーはオベーションでピック、山下はクラシック・ギター。渡辺香津美が編曲に参加した大きなプロジェクトでコンサートの一発録音。プレイヤーも録音も緊張を強いられたが無事完成、1984年、パイオニアからレーザーディスク『ギター・オデッセイ』としてリリースされた。この録音が山下に気に入られ、以後しばらく山下の録音は及川さんが担当したという。

LtoR 及川 調律師 加古 稲岡

♪ ローマ法王の謁見演奏を録る

ユニークな録音では、作曲家でシンセサイザー奏者 西村直記のローマ法皇ヨハネ・パウロ2世の謁見演奏のライヴ録音。西村の出世作「如来寂音」(にょらいしずね)を演奏するため、ソリストとしてテノールの鎌田直純、箏の吉崎克彦、尺八の田辺頌山、女性コーラスがバチカンに馳せ参じた。帰国後、スタジオでストリングスをオーバーダビング、『スペース・オデッセイ』(Polystar)としてリリースした。ローマ法皇のメッセージと謁見演奏を録音するというのは実に稀有な体験ではあった。1日のオフを利用して。及川さんとふたりでツアー・バスでナポリとポンペイを訪ねた。ポンペイのベスビオス噴火の遺跡巡りもこれまた稀有な体験だった。ローマではチームワークの乱れから置き引きに遭うなどの被害もあったが、バチカンとポンペイの体験はそれらをはるかに上回る衝撃として脳裡に深く刻み込まれている。

♪ グラミー賞受賞デイヴィッド・ベイカーとの競作

及川さんが秘かにライバル視していた録音エンジニアがいる。ニューヨークで活躍していたデイヴィッド・ベイカーである。共に、ラジオ局出身でジャズの一発録音を信条としていた。この二人が競作したアルバムがある。藤井郷子オーケストラの『ダブル・テイク〜月は東に日は西に』(EWE)である。99年10月、まず及川さんが桶川で藤井郷子オーケストラ東京を録音、翌月、藤井がNYに飛び、デイヴィッドを使って藤井郷子オーケストラNYを録音、EAST&WESTの2枚組CDとしてリリースした。デイヴィッドは1998年、シャーリー・ホーンのアルバム『I Remember Miles』(Verve)でグラミー賞を獲得、多忙を極める存在となったが2004年、心臓発作のため58歳の若さで急逝した。僕はデイヴィッドとも何度も仕事の場を共有しており、及川さんも亡き今、このふたりのレジェンドの唯一の競作盤をなんとか改めて陽の目を見させたいと念願している。

♪ 菊池武夫とコラボしたスタンダード・シリーズ

フリーやインプロのように予測不能の展開がないという点で及川さんの肝を冷やさせなかった録音もあった。電通に提案して実現したスタンダード・シリーズ3作である。自分が存分にスタンダードを聴いてみたかった3人、峰 厚介、向井滋春、タイガー大越にお願いした。彼らにとって初めての「プレイズ・スタンダード・セッション」。それぞれが気心の知れたメンバーを集めたが、タイガーには僕の希望で日野皓正さんにゲストで参加してもらった。及川さんがいつになくリラックスして卓の前にすわっているのが見てとれた。もちろん、スタンダードということで気を抜いていたわけではないが。JazzTokyoの初代オーナーだったADの大江旅人の尽力でデザイナーの菊池武夫とのコラボが実現、アートワーク用の撮影では全員がタケオキクチのジャケットを着用した。リリース・コンサートでもジョイントの功労があったが、諸般の事情で実現できなかったのが悔やまれる。

♪ 及川録音の奥義が詰まったCD-ROM BOOK「サウンド・レシピ」

最後に、僕が編著を担当した及川さんの著作 CD-ROM BOOK『及川公生のサウンド・レシピ』(1998 Unicom) について触れておきたい。この本は、及川さんが数あるジャズ録音の中から33作を厳選、スタジオ編とライヴ編に分け、録音の秘法を惜しみなく公開したものである。CD-ROMでは、マイクやセッテイングについて写真や図面で紹介、日野皓正や渡辺香津美などのミュージシャンのインタヴューも収録、発売当時「ミキサーズ・バイブル」として大きな話題となったもの。なかでもジャズ・ミュージシャンの本格的な録音を8チャンネルで収録、自らミキシングを体験できるなどCD-ROMの機能をフル活用。及川さんも自身の講義で教材として積極的に利用していた。この著書を通じ現場でのミュージシャンとのやりとりも含め、及川さんの録音の真髄を改めて次世代に伝えるべきではないかと考えている。(文中敬称略)

稲岡邦彌

稲岡邦彌 Kenny Inaoka 兵庫県伊丹市生まれ。1967年早大政経卒。2004年創刊以来Jazz Tokyo編集長。音楽プロデューサーとして「Nadja 21」レーベル主宰。著書に『新版 ECMの真実』(カンパニー社)、編著に『増補改訂版 ECM catalog』(東京キララ社)『及川公生のサウンド・レシピ』(ユニコム)、共著に『ジャズCDの名盤』(文春新書)。2021年度「日本ジャズ音楽協会」会長賞受賞。

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