#65 リッチー・バイラークとの仕事
text by Kenny Inaoka 稲岡邦彌
リッチー・バイラークとの付き合いは1973年に始まり、数十年続いた。きっかけは、同僚のディレクター原田和男が付き合いのあったサックスのデイヴィッド(デイヴ)・リーブマン。ふたりは後にグラミーを取るエンジニアのデイヴィッド(デイヴ)・ベイカーを交え共に研鑽を積み、コルトレーンを追いかけてヴィレッジ・ヴァンガードに通い詰めた仲だった。
初めてリッチーの生を聴いたのは1973年6月。スタン・ゲッツ・カルテットでの来日。椅子に腰掛けてリラックスして吹くゲッツはともかく、リッチー、デイヴ・ホランド(b)、ジャック・ディジョネット(ds)のリズム隊のイキの良さに耳を奪われた。すぐトリオでのレコーディングを申し込んだものの果たせず、デイヴとジャックのデュオで『Time & Space』を制作した。ちなみに、このトリオは20年後の1993年2月、NYで録音の宿願を果たした。
リッチーの来日実績は多いが、なかでもソロでの来日が群を抜いている。ジャズだけでなくセミ・クラシック的扱いも多く、水戸芸術館 (1997.9.23)、世田谷美術館、高知県立美術館 (1998)、岡山市美術館、八ヶ岳高原音楽堂など。なかでも、武満徹氏が音楽監督を務める八ヶ岳高原音楽祭には2年にわたって招聘され、初年度はクラシックのクラリネット奏者リチャード・ストルツマンとの共演、翌年(1993年)は武満氏と「ジャズとは何か?」というタイトルでレクチャー・コンサートが行われた。質疑応答のあとで武満氏がみずからリクエストしたのはリッチーの自作曲〈エルム〉だった。この模様はNHKBSが放映した。武満氏はリッチーの音楽性を高く評価しピットインのライヴにも顔を見せ、アルバムにもエッセイを寄せている。
日本人ミュージシャンとの共演も多く、日野皓正とは2回の録音(『ZaL』『Ayers Rock』)と数回のライヴ、富樫雅彦とも4度の録音(『Tsunami』1976, 『カフな』,『Ayers Rock』1981)、『Freedom Joy』)と数回のライヴを経験している。特に富樫雅彦とは1987年の映像作家 飯村隆彦の『エアーズロック』への音楽制作で共演以来富樫の信頼を得て、富樫が1997年に自身のレーベルTrialレコードを立ち上げた際には真っ先に声がかかり、須坂市のメセナホールで記念すべき第一作『Freedom Joy』のライヴ録音に臨んだ。
1975年10月にデイヴ・リーブマンとの双頭ユニット「ルックアウト・ファーム」で来日した際には、タブラのバダール・ロイをリーダに立てたアルバム『Ashirbad』を録音したが、リリースに際し油井正一氏とスイングジャーナル誌上で「ジャズか否か?」を巡ってちょっとした論争が起きた。バダールはマイルスのバンドでも活躍した優れたタブラ奏者であった。デイヴとはデュオで『Omerta」(1978)を東京で録音、後に双頭カルテットQUEST(クエスト)を組んだ際にはNYでアルバムを録音、来日も果たした。
スケジュールの都合で録音に立ち得なかった作品にリッチー、ジョージ・ムラーツ(b)、アル・フォスター(ds) とのトリオによる『Elegy for Bill Evans』(1981) は名盤の誉れ高く、何度もリイシューされている。もう1枚はフルートのジェレミー・スタイグとのデュオ『Leaving』(1981)、これはこちらで企画を立てリッチーのロフトをスタジオ代わりに録音、かろうじて立ち会うことができた。
ユニットで来日したなかでのハイライトは、1987年7月読売ランドで開かれた Select Live Unbder the Sky ’87の「トリビュート・トゥ・ジョン・コルトレーン」だろう。フロントは、ウェイン・ショーターとデイヴ・リーブマン、ピアノにリッチー・バイラーク、ベース エディ・ゴメス、ドラムス ジャック・ディジョネットだった。〈Mr.PC〉、〈After the Rain〉〈Naima〉〈india〉〈Impressions〉とコルトレーンゆかりの曲が演奏され、その模様はライヴ収録されビデオとCDでリリースされた。
なお。このプロジェクトに限っては自分はオーディエンス、リスナーの一人に過ぎなかった。
最後に、勝ち気なリッチーがみせたヒューマンなひとコマを。1999年だったが、ジプシー・ヴァイオリンのグレガー・ヒュープナーとのデュオでアルバム『ニューヨーク・ラプソディ』(徳間Japan)をリリースした翌年、デュオで来日した。高知の安芸市を訪れた時のこと。市内でコンサートを開いてくれたピアノ教師の女性に自分が教えている山の上の小学校に行って欲しいと懇願される。小学生と父兄を相手に数曲演奏したあと、子供たちが〈だんご3兄弟〉を演奏してくれとせがむ。教師が用意した譜面でリッチーとグレガーが伴奏、小学生が声を張り上げて〈だんご3兄弟〉を大合唱。ホッとしたのも束の間、今度は先生が校歌の譜面を差し出す。またまたリッチーと小学生の共演。大合唱が山に響いていったのだった。「こんなファンキーな仕事を入れるのはケニーしかいないよな」と苦笑しながらも満更ではなさそうなリッチーだった。
リッチー・バイラーク (1947~2026) 、デイヴ・リーブマン (1946~)、デイヴィッド・ベイカー (1946~2004) の3人からは長い付き合いを通して学ぶところも多く、それだけに心臓発作によるベイカーの早世は悔やまれたが、それにに続く今回のリッチーの死によってぼっかり空いた心の穴は埋めようがない。
