From the Editor’s Desk #28 渋谷毅との仕事
text: Kenny Inaoka 稲岡邦彌
ギターの中牟礼貞則さんに続いてピアノの渋谷毅さんが逝ってしまった。渋谷さんは1939年生まれだから中牟礼さん (1933~2026) の5つ年少。ふたりは毎晩のように首都圏を中心にライヴ・シーンに顔を出していたから、続けざまにふたりを失った今、クラブやファンは当分ロス感に苛まれるだろう。
中牟礼さんとは三吉”3吉”功郎さんとの子弟コンビでライヴ・アルバムを制作する唯一のチャンスをいただいたが、渋谷さんとは何度か制作の現場を共有させていただいた、
渋谷さんとの初めての仕事は彼のデビュー作となったトリオ・アルバム『Dream』(1975)。鹿児島でジャズクラブ「パノニカ」を経営していた中山信一郎さんから持ち込まれたカセット音源だった。当時のトリオレコードではこれも中山さん提供の菅野邦彦のカルテット・アルバム『Live!』(1973) をきっかけにミュージシャンたちの自主録音専用のレーベルNadjaを立ち上げていたのでスムースにリリースすることができた。幸いデビュー・アルバムが好評を得たので2年後にアルバムを制作することにした。渋谷さんはライヴでないと本領を発揮できないよとの忠告もあったが、飲み仲間でもある中山さんを鹿児島から呼び監修をお願いすることで乗り切った。料理好きだった渋谷さんがアルバムを『Cook-Note』(1977) と命名し、表紙の隅に可愛いゴキブリを配するユニークなアートワークとなった。渋谷さんのオリジナルに加え、終生のテーマとなるエリントンの<I Don’t Know About You>とヘンリー・マンシーニの <Soldier in the Rain>はこのアルバムが初出である。
渋谷さんに新人ヴォーカルのデビュー・アルバムのミュージカル・ディレクターをお願いしたことが2件ある。1977年の酒井俊と1981年の沖山秀子である。酒井俊は同僚の原田和男が担当。他社と競合だったとのことでフロントに3管を配したアレンジで渋谷さんに万全を期してもらっている。『Shun』は内藤忠行が表紙写真を担当。酒井とは専属のような形で2作目はLAで現地のソウル系バンドを起用、3作目は坂本龍一がプロデュースを担当した。沖山秀子は映画界で話題を振りまいていた女優でフォト・ジャーナリストの杉田誠一の持ち込み。某メジャーにドタキャンされたとかで泣きつかれた。今度は渋谷さんに泣きついてミュージカル・ディレクターをお願いした。渋谷さんは音出し寸前にスタジオにスコアを持って駆け込んできたが、いずれも気心の知れたミュージシャンたちばかりなので、そつなくこなしてくれた。沖山は初めての経験だったが度胸と勘の良さでなんとか乗り切ってくれた。沖山が遺した唯一のアルバム『Summertime』の表紙写真は沖山の故郷・沖永良部島へロケを敢行した杉田誠一が撮影、自身代表作と自負。渋谷さんは映画関係者で埋め尽くされた六本木ピットインでのアルバム発売記念ライヴからその後のクラブ出演までしばらく沖山に付き合ってくれた。沖山はその後、録音に参加してくれた渋谷さんと中牟礼さんを従えて下北沢の名店Lady Janeに何度か出演したと大木雄高オーナーのブログにある。1977年には酒井俊に続いてもう1作渋谷さんにミュージカル・ディレクターをお願いしている。植松孝夫の代表作として名を遺している『Straight Ahead』だ。渋谷さんは植松を高く評価、同僚の原田和男が担当した。アートワークは内藤忠行が腕を振るっている。
しばらくぶりに渋谷さんと顔を合わせたのは、2022年10月9日、伊香保の World Jazz Museum 21だった。パリから帰国中のサックス奏者仲野麻紀との共演。永年の仲野の渋谷さんへの思い入れが奏功したか、想定以上の出来にすぐさま渋谷さんにCD化を申し入れ、幸いにも同意を得ることができ、『アマドコロ摘んだ春』が誕生した。
最後に出会ったのは、TVを通じてだった。6月16日、あきらめていたNHK8Kプレミアム・コンサートが放映直前に自宅のKITVでも受信できることを知った。渋谷さんが奏でるスタインウェイのコンサート・グランドはどこかよそいきの響きがしていた。シンガーソングライター沼尾翔子との共演が終わると、渋谷さんはひとりで心ゆくまでピアノに向き合っていた。50年前に録音したマンシーニの <Soldier in the Rain>や板橋文夫の <Good-bye>が流れてきた。
渋谷さんの訃報に接したのはそれからまもなくのことだった。(文中敬称略)







