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ある音楽プロデューサーの軌跡 稲岡邦弥No. 237

ある音楽プロデューサーの軌跡 #41「内藤忠行とZEBRA」

 

 

L:英Black Lion盤 R:日Trio-Kenwood盤

写真家の内藤忠行さんを知ったのは旧CBS-SONYの伊藤潔プロデューサーの紹介だったか。内藤さんは写真家であると同時にグラフィック・デザインのセンスにも秀でていた。浜野安宏商品研究所に籍を置いていたことにもよるのだろうか?LPジャケットのアートワークではずいぶんお世話になった。ストレートの写真もあったが、多くはデザイン処理を施したものだった。そこが賛否の分かれるところだったが、ECMのプロデューサー、マンフレート・アイヒャーとは響き合うところがあり、ECM初期のキース・ジャレットやチック・コリアのアルバムのジャケットに採用されるところとなった。アイヒャーも音楽をストレートに反映することなく、必ずひとひねり加えて表現している。内藤さんはジャズの真髄に通じていたから、そのアルバムに収録された音楽のエッセンスが響いてくる処理を施してきた。例えば、セロニアス・モンクの『The Man I Love』というアルバム。英Black Lionのオリジナルはモンクの写真を使っているのだが、後発ということもあってそれなりのデザイン処理を施したアートワークだった。日本盤を出すにあたり、さらにひとひねり加えたアートワークにしようと内藤さんに依頼した。内藤さんから提案されたアートワークを見てさすがに驚いた。ピアノを弾くモンクのグラデーションのかかったブルーとバックの緋色の2色に思い切って単純化。モンクはシルエットだが独特のチャイナ・ハットとあご髭でファンにはそれと分かる。赤と青の2色で画面を分割するというジャズのジャケットでは経験したこのない大胆な配色とレイアウト。しかし、耳を澄ますと確かにモンクのピアノが響いてくる..。モンクは“バップの高僧”と言われるけれど、それ以上にコンテンポラリーだ。現代音楽の作曲家にファンが多い所以。内藤さんはそこを抽象化した。

その内藤さんがゼブラ(縞馬)にハマった。新境地を求めてアフリカに渡った渡辺貞夫に随行した内藤さんはゼブラ、しかもゼブラの「縞(しま)」にハマってしまった。動きに応じて千変万化するゼブラの「縞模様」をテーマにグラフィック展開を始めた。平面からさらに三次元の世界へ。遠くから望遠を使ってビデオを回す。熱せられた大地から立ち昇る蒸気にゼブラの縞が揺れる..。身体を擦り合うゼブラたち。微妙に変化しつづける「縞模様」。アフリカではゼブラの生態そのものがアートになり得る。同時進行していたビデオを音楽と共演させアートビデオを制作する企画が持ち上がった。音楽制作のお鉢が僕に回ってきた。動画を観ているとキース・ジャレットのソロ・インプロヴィゼーションがシンクロしてきたが、キースには断られた(キースとは、後に『日本、空からの縦断 Part2』でアートビデオを制作する機会に恵まれた)。一方、キースとのデュオのパートも考えていたジャック・ディジョネットからレスター・ボウイーとのデュオを提案してきた。映像を観たジャックは、キースではなくレスターだと主張する。たしかに、あのアーシーでプリミティヴな側面を持つレスターのトランペットはアフリカの大地に会うと考え直し、プロデューサーの蒔田耕作を説得した。内藤さんはマイルスのファンだったから(もちろん僕もマイルス命には代わりはないのだが)レスターには半信半疑ではなかったか。

 

ウッドストックのカーラ・ブレイのスタジオに着いて驚いた(ジャックの自宅はカーラの住まいからほど近い)。ジャックに「ドラムセットは?」と問うと、「これだよ」とスタンドにセットされた小さなシンセを指差す。ジャックがシンセのスタート・ボタンを押す。シンセが叩き出すポリリズミックなリズムにジャックがシンセでイントロのメロディを乗せる。いつのまにかスタジオに入ってきたレスターがテーマを吹き出す。背筋に電流が走った。内藤さんの顔がほころんでいる。デイヴィッド・ベイカーが慌ててテープマシンの操作に走る...。「どうだ、気に入ったか?」。アフリカの大地を這うようなこの懐かしくも愛おしいメロディ。人類の母なる大地、アフリカ。いつのまにか込み上げてくるものさえある。本番はほとんど一発録りだが、セフティとしてマルチも回す。ビデオのパートごとに尺を合わせてジャックがプログラミングしたリズムに乗ってレスターが即興でメロディを吹いていく。おそらく何度かビデオを観て画像の動きは頭に入っているようだ。壁際のモニターには時々視線を走らせるだけ。1パートが終わると何事もなかったかのようにバルコニーに出てタバコをくゆらせるレスター。椅子に腰を下ろしボクシング雑誌に見入る。シンセの調整に余念がないジャック。ジャックもレスターもシカゴAACMのOBだ。しかも主たる想像の場を共にECMとしている(New Directionsなど共演作もある)。僕自身はレスターと個人的に出会うのは初めてだが、ジャックとは何度か仕事をしている。信頼関係あっての作業だ。内藤さん、ベイカーとも過去の仕事を通して信頼関係が成立している。クリエイティヴな仕事をする場合、信頼関係が仕事の鍵になる。そして、この仕事の場合は、説得力のある(彼らと同じ高い創作レヴェルにある)内藤さんの映像の存在が言葉のやり取りを不要にした。内藤さんの映像が彼らの心に働きかけ、彼らの創造意欲を突き動かし、最高の成果を導き出すことに成功した。彼らは当たり前のように演奏を終え、静かに身支度を整えたが、会心の自信作と自負していることが後で分かった。帰国後まもなく、当時、ジャックが契約していたMCAから音楽をリリースしたい旨、連絡が入った。日本でのリリースも決まった (PAN MUSIC 1986)。その後、何度かジャックから原盤を譲ってほしいと連絡してきた。つい最近、ブルーノートに出演中のジャック(ラヴィ・コルトレーンとマシュー・ギャリソンのトリオ)から連絡が入った。内藤さんを連れて聴きに来いという。演奏が終わって楽屋を訪ねると、開口一番「ZEBRAの原盤を譲ってくれないか?」。

 

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残念ながら、アートビデオの最高傑作と言われる『ZEBRA』は正式にリリースされたことがない。担当プロデューサーが退職したためと言われているが、真の理由は未だ不明である。音楽だけは一人歩きし何度かCD化されているのだが。  1985年に録音が終わって4年後の1989年にゼブラの作品集『ZRBRA』が情報センター出版局から刊行された。B4変型版の240頁、大部の作品集で内藤さんのゼブラの集大成といえる。その中で内藤さんは次のようにコメントしている;私の内部で歓喜の涙が流れ出た。ゼブラはジャズと同じように聴覚的でモノクローム写真が美しい。そして、写真的実験、技法的冒険、私が本能的に探し求めてきたテーマ「視覚と聴覚の相乗」に最もふさわしいと直感したからだ。

 

稲岡邦彌

稲岡邦彌 Kenny Inaoka 兵庫県伊丹市生まれ。1967年早大政経卒。2004年創刊以来Jazz Tokyo編集長。音楽プロデューサーとして「Nadja 21」レーベル主宰。著書に『新版 ECMの真実』(カンパニー社)、編著に『増補改訂版 ECM catalog』(東京キララ社)『及川公生のサウンド・レシピ』(ユニコム)、共著に『ジャズCDの名盤』(文春新書)。2021年度「日本ジャズ音楽協会」会長賞受賞。

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