JazzTokyo

Jazz and Far Beyond

閲覧回数 51,888 回

特集『ECM at 50』ある音楽プロデューサーの軌跡 稲岡邦弥No. 260

ある音楽プロデューサーの軌跡 #51『増補改訂版ECM catalog』
The 50th Anniversary

text by Kenny Inaoka 稲岡邦彌

2019年11月23日16:40 佐川急便を介して版元・東京キララ社から『増補改訂版ECM catalog』の見本誌が届いた。関係者延べ20数名による足掛け4年の成果を手にした瞬間である。ずしりと重い。重量1070g。厚さ 34mm。製本の限界に挑戦したものの、ゆうメール(冊子小包)の規格;厚さ3cm以内、重量1kg以内をいずれも超えてしまった。物理的限界超えは、内包されたプロデューサー マンフレート・アイヒャーのエネルギーの膨満によるものだろう。
『増補改訂版』の企画が持ち上がったのは2016年の4月だったが、『増補改訂版』刊行の主な理由は初版の在庫切れが長らく続いていることと、ECMの早い制作ピッチにより増え続ける未収録の新譜にキャッチアップすることだった。

執筆者の選定を経て、原稿依頼が始まったのは企画会議からおよそ半年後のことだった。初版執筆者11名の中から5名の執筆者に引き続き参加願い、新たに5名の執筆者に参加願うことになった。担当アルバムは初版と同じく基本的には自己申告制をとった。つまり、自分が紹介したいアルバムを選んで申告する方式である。new series に限っては、基本的に初版で助っ人として途中参加願った相原穰さんを中心としたが、複数のジャズ系のアルバム担当者からもnew seriesの執筆希望が出て、ECMをジャズ系、new series系分け隔てなく聴く風潮をたいへん心強く感じた。
テキスト(紹介文)執筆にあたっての初版と増補改訂版のいちばん大きな違いは増補改訂版が扱うアルバムはすべてが新譜だということだった。つまり、初版で扱うアルバムの過半はリリースから相応の時間が経過しており、執筆者がLPやCDを所有し聴き込んでいるのに対し、増補改訂版に収録するアルバムは新譜が中心で、その多くの音源やデータを改めて用意する必要があったことである。しかし、初版の実績を高く評価したECMは増補改訂版の編集にあたってはきわめて協力的で、音源を始めカバーとブックレットのデータを保存した専用サーバーへの自由なアクセスを許可してくれたのだった。ECM自身の出版物の制作進行が被った初版編集の際はデータの提供がほとんどなかったため、カタログに掲載したジャケットはすべて日本で直撮りする必要があり、これが大変な作業だった(ジャケットの撮影は、完全コレクションを謳っていた表参道の「月光茶房」の協力の下、茶房をサテライト編集室のように使わせていただき行われた。今さらながらオーナー原田正夫さんのご協力に感謝する次第である)。

「増補改訂版」の編集にあたっての難関は校正と校閲であった。校正は主にデータ関係。データは初版以来、アルバム・カバーに記載されているデータは原則としてすべてカタログに収録することになっている。近年は、北欧関係に加えて東欧諸国のミュージシャンの録音が増えており、言語も多岐にわたる。校正にあったてはウェブを通じ各国語のアルファベット表などを参照しながら行うことが多かった。データの参照元はECMから提供されたアルバム・カバーとブックレットだが、必ずしも一致しない例がないわけではない。ECMの公式ホームページも同様である。執筆者から早々に入稿いただいたテキストについてはミュージシャンの表記の確認である。人名の表記については、当然ながら初版出版の際のルールを踏襲した。つまり、1)すでに日本国内で市民権を得ている表記を使うこと。2)できる限り原語に近い発音を併記すること。この人名の表記については、僕が1972年に初めてECMと原盤供給契約を結んだ時に始まる悩みの種である。カタログ契約に先立って4タイトルの単発契約をした際は、プロデューサーのアイヒャーに発音をカセットテープに録音してもらった。カタログ契約後は、各国の大使館に電話をかけ、文化担当官に発音を確認してもらった。最近は、Googleの発音を参考にすることも多い。また、来日するECM系のミュージシャンに直接確認することも試みた。東京JAZZで来日したベースのアリルド・アンデルセン(彼の母国での発音はアーリル・アンデシェンに近い)にノルウェーのミュージシャンをひとりひとり発音してもらったことがあるが、半分はそのままでは日本語では表記ができなかった。カタログでは、ひとりのミュージシャンの表記について、初版での表記、複数の執筆者間での表記の整合性をとらねばならない。校閲の例で言えば、「〇〇年のアルバム」と書かれている場合、その〇〇年が執筆者により録音年かリリース年かの確認も必要であり、〇〇枚目のアルバムと書かれている場合は、リーダー作なのか参加作なのか、あるいはECM以外はどうなのか、このあたりは校正・校閲の責任者、前島千代恵さんの手を相当煩わせルことになった。ちなみに、前島さんは初版以来の担当だが、すでに退社している身でありながら今回の「増補改訂版」の校正・校閲を引き受けていただいた。初版の改訂を含め余人の手に負える作業ではなかったことは事実であり、DTP責任者の加藤有花さんとともに感謝の念を捧げたい。

発行:東京キララ社、発売:河出書房新社であった初版に変わり、「増補改訂版」では発行、発売ともに東京キララ社になった。つまり、東京キララ社が自ら取次に取引口座を持つに至ったのである。中村保夫社長によれば、『ECM catalog』の出版実績が取次に認められたため、ということだが、これが事実であれば、この出版不況のなか、1冊5000円のカタログ出版を引き受けていただいたことに対するせめてもの恩返しになったのではと思う次第である。

1キロを超えるこの大部のカタログを手にして思うことは、カタログに収録されたジャズからクラシックまで多岐にわたるジャンルのアルバムをヨーロッパ、アメリカそして日本でほとんどひとりでプロデュースしつづけてきたマンフレート・アイヒャーという男の底知れぬ知力と、気力、そして体力である。音楽プロデューサーとして少しは同種の作業にかかわってきた人間として 1500タイトルを優に超えるアルバムの制作、それも高度な水準を維持しながら、が文字通り超人的な偉業であることをあらためて認識するのだ。このカタログはその偉大な男の正確な軌跡を綴るべく心がけた。



*関連記事
https://jazztokyo.org/column/post-9374/

稲岡邦彌

稲岡邦彌 Kenny Inaoka 兵庫県伊丹市生まれ。1967年早大政経卒。2004年創刊以来Jazz Tokyo編集長。音楽プロデューサーとして「Nadja 21」レーベル主宰。著書に『新版 ECMの真実』(カンパニー社)、編著に『増補改訂版 ECM catalog』(東京キララ社)『及川公生のサウンド・レシピ』(ユニコム)、共著に『ジャズCDの名盤』(文春新書)。2021年度「日本ジャズ音楽協会」会長賞受賞。

コメントを残す

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください