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~No. 201ある音楽プロデューサーの軌跡 稲岡邦弥

ある音楽プロデューサーの軌跡 #4 CD『シンフォニック BUCk-TICK イン・ベルリン』のベルリン録音

text & photos by Kenny Inaoka 稲岡邦彌

「ベルリンの壁崩壊15周年」。我が国ではその軌跡を取り上げるマスコミは多くはなかったようだがが、さすがにヨーロッパ各国ではさまざまな検証が行われているようだ。壁の崩壊自体は誰もが喜ぶべき現代史の大きなターニング・ポイントであったが、東ドイツという大きな負債を背負い込んだ西ドイツの経済は頂点から一気に転落、未だに回復の兆しさえ見せない。この厳しい現実を目の当たりにした韓国では南北統一に対する熱が一気に冷めたといわれている。
われわれ3人がベルリン空港に降り立ったのは、1990年4月10日。1989年11月9日の壁崩壊からわずか5ヵ月後であった。ビクター音産のディレクター徳光英和氏と録音エンジニアのオノ・セイゲン氏、それに私。人気ロックバンドBUCK-TICKのヒット・ナンバーをオーケストラで。しかもロケーションはベルリン。このオイシイ企画に私はいつになく興奮していた。オイシイ理由は経済的にではなく、プロジェクトそのもの。それなりの予算と、音楽的裁量の自由。このふたつはフリーランスのプロデューサーにとって望み得る最高の条件に近い。
シンフォニックに、かつ世紀末的デカダンを漂わせて、というコンセプトがベルリンが選ばれた理由であったが、ベルリンのパンクバンドにBUCK-TICKを演奏させるわけにもいかず、クラシックとジャズの街ベルリンを象徴的に反映させる、ということで納得してもらった。

BUCK-TICK自らが選んだナンバーは9曲。<幻の都><ハイパー・ラブ><悪の華>などヒット曲揃い。ファンにはBUCK-TICKのオリジナル・バージョンの雰囲気が染み込んでいる。成功の過半は編曲で決まると考えていたので、アレンジャーの人選には頭を悩ませた。結果として、クラシックとともにポップスにも通じたアレンジャーの中から、千住明、上野耕路、フェビアン・レザ・パネ、山本健司の4人を選出した。いずれも以前から気になっていたひとたちで、いまだ20代、未知の可能性が魅力だった。千住は 1960 年東京生まれ。慶応の工学部から東京芸大に学び、大学院を首席で卒業した逸材であり、上野は日大芸術学部卒。戸川純らとのゲルニカでカリスマ的人気を博し、<高木ブー伝説>のアレンジで話題を呼んでいた。フェビアンは61年東京生まれ。芸大卒。しなやかな感性で和製ポップスからジャズ、クラシックまでをこなし、山本は桐朋音大出身でCMからゲーム音楽、劇伴と業界の最前線に立つ作家であった。
オケはベルリン・シュターツオパー(州立歌劇場)のメンバーを中心に組まれた室内管弦楽団。ベルリン・ジャズ祭の事務局を通じてコントラクターに組織してもらったものだ。ソロを取るのはジャズ界の個性派たち。ベルリン在住のピアニスト高瀬アキ。パートナーのピアニスト、アレキサンダー・フォン・シュリッペンバッハと連れ立ってスタジオに現れた。

シュトゥットガルトからアルトのベテラン、チャーリー・マリアーノ。秋吉敏子のかつてのパートナーで、マンデイ満ちるの父親である。「サダオ(渡辺貞夫)は元気か?」というのが第一声であった。ベースのミロスラフ・ヴィトウスはスイス国境に近い街シンゲンから息子の運転するワゴンに乗って駆け付けた。兄の打楽器奏者アラン・ヴィトウスは祖国チェコのプラハから。解放なった旧東ドイツを祝してギターのエドウィン・ペトウスキーが。これだけのメンバーが一堂に会すと、さすがに武者ぶるいのひとつもでようというもの。プロデューサーとしてはこの時点に至るまでに精力の大半を費やす。あとは、現場の仕事。演奏者、ミキサー、ミュージカル・ディレクターに頑張ってもらうことになる。
スタジオは、その手のミュージシャンにとくに人気のHansa By the Wall。文字通り“壁”と隣り合わせの「壁際のスタジオ」であった。履歴はデヴィッド・ボウイ、イギー・ポップ、加藤和彦など。
奏者もスタッフもプロ中のプロを結集しただけのことはあり、3日の予定を2日で上げてしまった。さすがにベルリンのオケ。初見もものともせずバリバリと奏きこなす。これには、ワン・ポイント録音を得意とするセイゲン氏の手際良さも大きく寄与している。プレイバックでオケからクレイムが出たことは一度もなかった。ソロ奏者だけは万一に備えブースに入りオケと隔離した。一発勝負なので気に入らないテイクの場合は、オケを聴きながらリテイクする処置をとったが、ほとんどオケとの同録でOKとなった。

結果として4人のアレンジャーが2曲づつ(上野は3曲)腕を競うことになったが、CDに耳を傾けながらアレンジャーを特定してみるのも一興だろう。BUCK-TICKが、フランス近代派に変身したり、バロック時代に先祖帰りしたり、コンテンポラリーに装いを変えてみたり、楽しい限りである。
発売第1週にオリコンと日経エンタテインメントのアルバム・トップ100にチャートイン(オリコンは16位)、セールス5万枚を超えた時点でヒット賞をいただいたから、制作費は無事回収できたのだろう。多くのBUCK-TICKファンが小遣いをはたいてくれたのだろうが、なかには腰を抜かしたファンもいたことだろう。カバーを注意深く点検すると小さい文字で、「このCDは、BUCK-TICKからインスパイアされて、各々のアレンジャーが自由にイメージしたものであり、オリジナル・メロディに忠実でないものもあります。御了承ください。」というコメントが記されている。じつはこのアルバム、BUCK-TICKファンだけでなく、クラシック・ファンやジャズ・ファンにも聴いていただきたい隠れ異色盤と自負している。

追記:3日間の録音予定が2日で仕上がったので3日目はオフになった。若いセイゲン氏は別行動をとったので、徳光氏と僕は日中はベルリンの壁跡を見学してからチェックポイント・チャーリーを超えて旧東ベルリンを探訪した。ベルリンの壁はまだ過半が残されており、あちこちで壁の落書きを削るトンカチの音が響く。削り取った壁の破片をガラスケースに入れて観光客に販売するのだ(かくいう僕もひとつ手に入れた)。旧東ベルリンと旧西ベルリンの差は圧倒的で、あちこちに鉄骨の錆びたビルの骨組みが散見される。おそらく途中で資金が枯渇して中断したままなのだろう。路端にはボディがボール紙でできているという小型乗用車トラバントが何台も乗り捨てられている。どれもボディはひしゃげたままだ。夜はフィルハーモニー・ホールでベルリン・フィルと五嶋みどりのVコンを堪能した。みどりは1971年生まれというからまだ19才だ。世界一と謳われるオケを相手に堂々たる演奏ぶりはたいしたものだ。そうそう、ランチはアレックスとアキ夫妻の自宅に招かれ、アレックスの手料理に舌鼓を打った。

*最後の東ドイツ紙幣DM10。サイズは日本の1万円札の⅓のミニサイズ。資源の節約のためと思われる。


*初出:Jazz Tokyo #12 (2005.1.09)

稲岡邦彌

稲岡邦彌 Kenny Inaoka 兵庫県伊丹市生まれ。1967年早大政経卒。2004年創刊以来Jazz Tokyo編集長。音楽プロデューサーとして「Nadja 21」レーベル主宰。著書に『新版 ECMの真実』(カンパニー社)、編著に『増補改訂版 ECM catalog』(東京キララ社)『及川公生のサウンド・レシピ』(ユニコム)、共著に『ジャズCDの名盤』(文春新書)。2021年度「日本ジャズ音楽協会」会長賞受賞。

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