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~No. 201ある音楽プロデューサーの軌跡 稲岡邦弥

#5 阪神淡路大震災被災支援活動〜CD制作とフェスティバル
CD『Rainbow Lotus~A Big Hand for Hanshin』& World Music Festival in Kobe

text by Kenny Inaoka 稲岡邦彌

♪ お年寄りのネットワ-ク「ベル・ボックス」
阪神淡路大震災 (1995年)から10年。天災による被害者総数6,432人。その後、現在に至る死者は500人を超す。いわゆる一人暮らしのお年寄り(マスコミ用語でいう独居老人)の人災による犠牲者だ。10回忌を迎え、多くの識者のコメントが紹介されていたが、もっとも心に響いたのは建築家の安藤忠雄。「この10年間は街や建物の復興に費やされたが、これからの10年間は人心の回復に使われるべきだ」。現場を知る人の言葉である。

それは1本の電話がきっかけだった。電話の主は群馬県美麻村遊学舎の吉田比登志。韓国のパーカッション・アンサンブル「サムルノリ」のワークショップ主催者だ。「神戸の被災者の人心疲弊が激しい。音楽による癒しが必要である」。神戸に入ったのは3月中旬。震災から2ヵ月後だった。吉田を訪ねたボランティア基地「がんばれ神戸!元気村」で一人の男から声を掛けられた。

“バウさん”こと吉田和尚代表(四万十川カヌー教室主宰)の右腕として「元気村」の現場を仕切っていた“スターン”草島慎一。学生時代はアルバイトとしてジャズ・イベントの手伝いをしてくれた。東京農大を出て有機野菜の販売会社に就職。得意先の見舞いに派遣された神戸の被災状況に打ちのめされ、職を捨てボランティア活動に専念している。

彼らの実態調査によれば、緊急なメンタル・ケアを必要としているのは架設住宅に収容された身寄りのないお年寄りと受験生。大学受験を間近に控えた受験生は、家屋や家族を失い喪失感が激しく錯乱状態にある者も少なくないという。お年寄りとはコミュニケーションが必要。役所に取り付いだものの「老人との世間話は役人の任にあらず」と拒否され、ネットワークを構築してボランティアが対処することとなった。数十台のパソコンを提供したのはアップル・コンピュータ。回線提供はNTT。お年寄りの身上調査でデータベースを構築、緊急コールに対してデータベースを基にコミュニケーションを図る。お年寄りの首からは緊急コ-ル用のボタンが。24時間対応のこのシステムは「ベル・ボックス」と呼ばれた。

<h6>♪ ベネフィットCD『レインボー・ロータス~Big Hand for Hanshin』<h6/>

亀山信夫 まず、僕が選んだ1枚、稲岡さんがプロでュースされた阪神淡路大震災被災者へのベネフィットCD『レインボー・ロータス』から始めたいと思いますが・・・。

稲岡邦弥 ああ、それは、それは。

亀山 いやぁ、本当に感動的ですね。いろんな音楽家の想いというか、人類が持っている本来の音楽とは「こういうことか」と教えられた気がしました。

稲岡 ありがとうございます。実際に世界中から肌の色に関係なく「同じ人間同士じゃないか」という思いからの行動ですし、そういった音楽家の社会性に僕自身が動かされたという面もあるのですよ。

亀山 そこで、プロデューサーである稲岡さんからお話をうかがって、音楽の根っこに近づきたいと思ったんです。この企画のそもそものきっかけはどういうところからですか?

稲岡 このCDの共同プロデューサーで、ニューヨークのピアニスト兼プロデューサー、オスカー・デリック・ブラウンに、神戸在住の秋山美代子さんという僕との共通の友人がいるんです。その秋山さんとの連絡が震災以来とれなくなって、彼は非常に心配して何度も僕に電話をしてきました。また、他のアメリカ、ヨーロッパ、それにアフリカなどのミュージシャンたちからも気遣う電話やファックスが相次いたんです。

亀山 まさに世界中から...。

稲岡 ええ。セネガルのユッスー・ンドゥールが去年の夏来日して(秋山さんがユッスー専属の衣装デザイナー兼カメラマンでした)、そのあと秋にECMが25周年を記念するコンサートを東京、名古屋、神戸で開いて、帰ってまもなくの出来事でしょ。まさに神戸のジーベックホールでも3回演奏している。そういうミュージシャンを中心に、まるで自分のことのように心配しまして...。

亀山 で、CDを作ろうということに?

稲岡 いいえ、最初は「ぜび、出かけて行って慰めてあげたいからコンサートを組織してくれ」という話だったんです。ですが、外国からいくつもバンドを呼んでコンサートやるのは、現実的には非常に難しい。それで、オスカー・ブラウンといろいろ相談しているうちに「じゃあ、我々はレコード・プロデューサーでもあるからCDを作って、それを聴いてもらおう」「一般の人にもそのCDを買ってもらって、その収益金を義援金として使ってもらえれば素晴らしいじゃないか」って、そういう提案をミュージシャンに返したら、一も二もなく協力するということで、音源を提供してくれたんです。

亀山 本当に、愛情に満ちた現実的な行動ですね。なんか、行動自体がもう「音楽してる」って感じ...。

稲岡 いや、まさしくそうですよ。被災地の人に聞くと、あたりは滅茶苦茶だし、家族はてんでんばらばらだし、消防車のサイレンの音とか、パトカーの音が四六時中鳴り響いてるし、それに炎の音とかビルの崩れる音とかそういう音が耳について眠れないっていうんです。ミュージシャンは、そういう人たちにとって食事とか家、毛布、お金、それも非常に大事だが、音楽が精神面に果たす役割の大きさを熟知しているんですね。

亀山 なるほど...。それにしてもすごいメンバーですね。全部で21曲。

稲岡 ええ。2枚組で。1枚目がジャズ系、2枚目がワールドミュージックとポップスという構成です。中にはザイールのミュージシャンもいるんです。自分たちの国も風土病などいろんな問題を抱えているんですが...。

亀山 そういう状況にもかかわらずですか?

稲岡 ええ。で、聞いてみると、ザイールという「国から」日本という「国へ」という感覚ではなくて、同じ地球に住む「人から」困っている「人へ」という感覚なんです。

亀山 ああ、そうか、そうか、まさしく国境がない。人間同士という。いい話ですね。

稲岡 『レインボー・ロータス』というタイトルはオスカー・ブラウンが付けたんですが、「レインボー」は7色の虹。つまり、国や肌の色に関係なく集まっているという意味で、「ロータス」は蓮の花ですが、インドでは復興とか発展を意味するんです。

亀山 まさに、このプロジェクトを象徴するタイトルですね。そういえば、参加ミュージシャンが40数人、国数で7ヶ国。

稲岡 あ、それもレインボーですね。それからハービー・ハンコックが非常に良いことを言っています。「我々はこういう災難がないと助け合わなかったり、同じ地球に住んでいることも忘れているが、普段からそういうことに気付くべきだ」と言うんですね。

亀谷 なるほど。それにしても、実際どのようにまとめられたんですか。すごく大変だったでしょう?

稲岡 リリースするための権利の解放が大変でした。そういう意味で、いろんなマネジメントとかレコード会社とか、他にはそういう人たちの好意も1曲ごとにあるんです。それに録音した状況が各曲全部違うわけです。

亀山 たとえば、ゲイリー・ピーコックとラルフ・タウナーはライヴですよね...。

稲岡 ええ。ベースとギターのデュオです。相当に経験を積んだベテラン・ミュージシャンの典型的なインタープレイのね。

亀山 非常にスリルがあって...。それに曲がいいじゃないですか。

稲岡 マイルスとかビル・エヴァンスで有名な<ナーディス>を、非常にレヴェルの高いところでまったく自由自在にやり合っていますね。だけど、通常ECMはこういう曲はCDにしないんですよ。

亀山 ええっ!どうしてですか?

稲岡 スタンダーズというグループもありますが、ECMの場合、CDになるのは基本的にはオリジナル作品なんです。だからこういう曲は普通はライヴでしか聴けないわけですよ。この演奏もECM25周年記念コンサートからです。

亀山 それは貴重ですね...。あと、キース・ジャレットのソロとか。とにかく一級のミュージシャン揃いですが、同じような考え方ですか?

稲岡 そうです。キースの演奏はNHK基本的には未発表作品、もしくはリミックスです。ただ、坂本龍一の曲はたいへん大掛かりですから、CDと同じですが。

亀山 それにしても、このCDのための、オリジナル録音作品が10曲ですから、すごいですね。

稲岡 ええ。それにライヴ録音あり、スタジオ録音あり、録音地も日本、アメリカ、ばらばらなんですよね。

亀山 あらら、大変だ!でも2枚通して聴いてもまったく違和感がないんですよ。

稲岡 質の高い音楽はジャンルを超えて感動を与えてくれますから、通して聴けると思うんです。それにマスタリングにもだいぶ気を使いました。

亀山 ああ、そうでしょうね。どちらでなさったんですか?

稲岡 ニューヨークのソニー・ミュージック・スタジオです。

(芸術現代社「Sound Stage」1996年1月号より抜粋転載)


<h6>♪「ワールド・ミュージック・フェスティバル・イン・神戸」<h6/>

 

世界各国のミュージシャンからの心の贈り物としての2枚組CD『レインボー・ロータス』が完成、ポリドール(当時)のJAZZディレクター五野洋の肝いりで発売が決定、胸をなでおろした。サンプルを携え神戸「元気村」を訪ねたところ、「CDプレイヤーを失った被災者が多いので. . . .」。ワールド記念ホールの復興第1回記念イベントの企画模索中に出くわし、「ワールド・ミュージック・フェスティバル・イン・神戸」を開催することになった。巨大なホールに高校生5,000人を招待する大イベントである。デザイナーとして参加していた古賀賢治(CYA)が中心となり義捐金の大募集がスタートした。結果として、ハービー・ハンコック・トリオ、菊地雅章トリオ、渡辺香津美=小曽根真デュオ、オスカー・デリック・ブラウン・ユニット、ロックのニッケルバッグなどなどさまざまなミュージシャン、グループの参加が続々決定、予想以上の豪華ラインナップによるイベントへと発展、司会の悠雅彦がこの複雑なプログラムを見事にさばいた。このとき、地元の高校を代表して出演した甲南高校のビッグバンド、「甲南ブラス」にゲスト参加、聴衆の高校生に大きなパワ-を与えたのがボーカルの小林桂であった。母親のジャズ・ボーカリスト、村上京子が神戸出身ということもあり特別出演したのだが当時彼はまだ高校1年生であった。このセットは1回限りの高校時代の思い出にということで、大阪の音楽学校キャットのスタジオ提供を受け、後日、ミニ・アルバムを制作した。1,000枚限定の小林桂のデビュー・アルバム『17 歳のジャズ~テイク・ザ・Kトレイン』(Big Hand)である。録音は一発録りの名手及川公生が担当した。

この原稿をまとめるにあたり、久しぶりにスターン草島の携帯を鳴らした。山形県鶴岡市議の彼を捕まえたのは小千谷であった。大震災の直後、小千谷に入り、神戸の経験を生かし即座に「中越元気村」を立ち上げたという。神戸元気村代表の “バウさん” こと山田和尚も時を同じくして駆け付け基地が完成した。バウとスターン、船の舳先(へさき:船首)と艫(とも:船尾)。いつもながら、見事なタッグチームである。(文中敬称略)

追記:1996年8月、アレクサンダー・フォン・シュリッペンバッハと高瀬アキがベルリン・コンテンポラリー・ジャズ・オーケストラを率いて来日した折り、神戸の被災地を訪れ野外で鎮魂と激励の演奏を披露、新神戸オリエンタル劇場と東京・中野ZEROホールで収録された演奏がCD『Live in Japan 1996』として Disk UnionのDIWレーベルからリリースされた。また、3回忌では西村直記と高野山御詠歌隊The Monksが宮本光研作詞、西村直記作曲、谷本祥龍補作の鎮魂歌「天地嘆買う」他を詠唱した。


初出:JazzTokyo #38  (2006.1.15)
*山田和尚・元神戸元気村代表は2015年1月急性心不全のため逝去されました。享年63。

稲岡邦彌

稲岡邦彌 Kenny Inaoka 兵庫県伊丹市生まれ。1967年早大政経卒。2004年創刊以来Jazz Tokyo編集長。音楽プロデューサーとして「Nadja 21」レーベル主宰。著書に『新版 ECMの真実』(カンパニー社)、編著に『増補改訂版 ECM catalog』(東京キララ社)『及川公生のサウンド・レシピ』(ユニコム)、共著に『ジャズCDの名盤』(文春新書)。2021年度「日本ジャズ音楽協会」会長賞受賞。

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