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Jazz à la Mode 竹村洋子No. 251

ジャズ・ア・ラ・モード # 20. ジミー・ラッシングのダンディズム

20 . ジミー・ラッシングのダンディズム

Jimmy Rushing’s dandyism: text by Yoko Takmeura 竹村洋子

photos: Used by permission of the University of Missouri-Kansas City Libraries, Dr. Kenneth J. LaBudde Department of Special Collections,
Library of Congress-William Gottlieb Collection

ビリー・エクスタインとジョー・ウィリアムスのファッション・センスに書いていた時に、カンザス・シティで活躍していた二人の全く違うシンガー達の事がずっと気になっていた。ビッグ・ジョー・ターナーとジミー・ラッシンッグだ。

この二人、体型もキャラクターも前出の二人とはまるで違う。パフォーマンスにおいてもジャズ・シンガーというよりブルース・シンガーとしての方が有名かもしれない。
とにかく体が人並みはずれて大きなシンガー達で、ハンサムともカッコ良いとも言えないのだが。

ビッグ・ジョー・ターナー(Big Joe Turner : 1911年5月18日 – 1985年11月24日)は、その名の通り大巨漢だった。身長が182センチ、体重が136キロ(6フィート2インチ、300ポンド)の体で叫ぶように唄い、シャウト・ブルースというジャンルを確立した。ミズーリ州カンザス・シティ生まれでハイスクールの頃には、既にカンザス・シティではクラブ・シンガーとして活動し初めて『唄うバーテンダー(Singing Barman )』として知られるようになる。カンザス・シティで活動し始めたことからもカウント・ベイシーとの共演も多かった。1960年頃からジャズ・シンガーに転向した。
1979年に作製されたブルース・リッカー監督によるドキュメンタリー映画『The Last Of Blue Devils』にも出演しており、その姿を見ることができる。
ジョー・ターナーは、スーツ1着作るのにも普通の人の倍以上の生地が必要だっただろう。『唄うバーテンダー』と呼ばれたくらいで、蝶ネクタイ姿の彼はまるでバーテンダーのような格好だ。特にもの凄くお洒落だったかどうかは何とも言えないが、バーテンダーのようなスタイルが板についている。

*ビッグ・ジョー・ターナーの装い

ジミー・ラッシング (James Andrew Rushing:1903年8月26日– 1972年6月8日)は『ミスター・ファイヴ・バイ・ファイブ( Mr. Five by Five)』として知られ、バリトンからテナーまでの音域を非常にパワフルに歌うブルース、ジャズシンガー。ジャズ批評家のナット・ヘントフも『最も偉大なブルースシンガー』と評価している。

オクラホマ・シティの音楽一家に生まれ育っている。父親はトランペット奏者。母親と兄はシンガーだった。若いころのジミー・ラッシングはピアノとヴァイオリンを習っていたようだが、これらの演奏は耳で覚えたという。1921年に学校を卒業後、ハリウッドのナイトクラブで、演奏のツナギのピアニストとして職を得る。ある日、ブルース・シンガーのキャロリン・ウィリアムズがリハーサルの後に、ジミー・ラッシングが唄うのを聴いて、その夜歌うように勧めた事がシンガーになるきっかけだった。
1927年からカンザス・シティのウォルター・ペイジ率いるバンド『ブルー・デヴィルス』で、1929年からベニー・モーテン・バンドで、1935年から48年までカウント・ベイシー・バンドで歌っていた。
ジョー・ターナーから話を始めてしまったが、ジミー・ラッシングの方がジョー・ターナーよりも10歳も先輩になる。

『ミスター・ファイヴ・バイ・ファイブ』というのは体型が縦横5フィート、身長も横幅も5フィート(約150センチ)という意味のジミー・ラッシングのニックネームで、1942年にはポピュラー・ソングにもなっている。(Don Raye & Gene DePaul作)
ジミー・ラッシング=ミスター・ファイヴ・バイ・ファイブのその丸い体型は、なんとも安心感があり、コミカルでもあり、歌わず立っているだけで絵になるチャーミングな人だ。
実は、私もこのコラムを書く前まで、この人がこんなにお洒落な人だとは思ってもいなかった。丸い体型でシャウトする歌い方が印象強く、そのファッションにまで目がいかなかった。
ステージではシンプルなスーツで蝶ネクタイか普通のネクタイ姿が多いが、この人意外や意外、と言ってはご本人に大変失礼なのだが、もの凄くお洒落な人だ。

『ミスター・ファイヴ・バイ・ファイブ』は、ただ丸くてコロコロした体型で、大きく力強く、ときにはしわがれ声で絶叫するだけのブルースシンガーではない。15年近くもの間、カウント・ベイシー・バンドのようなエキサイティングでシャウトするバンドで歌っていれば並はずれたパワーとスィング感が要求される。しかし、実際はかなり心の温かい、かなり神経質な人だったのではないかと思える程、細かいこだわりを持っていた人だ。ビリー・ホリデイの自伝『Bille’s Blues』によるとカウント・ベイシー・バンドにいた頃、バンドメンバー達がやっていたギャンブルにも滅多に加わる事なく。ミュージシャン同士の争いにも身を交わしてすましていた、そんな人だったようだ。

ジミー・ラッシングのファッションをよ〜く見ていくと、細部に非常にこだわっていた事がよく判る。タキシードにコーディネートするシャツもダブルカフスやターンナップカフス(ダブルカフスの派生形の袖口。ダブルカフスはカフスに2重に穴が開いているが、ターンナップカフスは、外側にくる折り返した袖口が斜めにカットされている)だったりカフリンクスの種類の多い事にも驚く。ポケットチーフも常にパシッと折り目正しく入れている。
カジュアルなスタイルの写真を見るとコーディネートしたネクタイの柄も細かく上品な印象のものが多い。サスペンダーや帽子、靴もシーズンに合わせて、沢山持っていたに違いない。細かいところへの気配りもさることながら、何と言っても全体のバランス感覚が非常に良く洗練されている。

ジミー・ラッシングはソフトに甘く歌う事も出来る歌手である。いつも大声でシャウトしているわけではない。<I Want A Littele Girl >は優しく楽しく、魅力たっぷりに唄い、デイヴ・ブルーベックやポール・デスモンドとも<The Yuu and Me That Used To Be>で共演して、<Fine and Mellow>も披露しているし、<You Always Hurt The One You Love>といったスタンダード曲も好んで唄っている。
そんな一面が彼のファションに現れている。ダンディーで偉大なジャズシンガーだったのだ。

*ジミー・ラッシングのフォーマルな装い

*ジミー・ラッシングのカジュアルな装い

 

*ビッグ・ジョー・ターナー:Big Joe Turner Full 1965 UK Show

*ジミー・ラッシング:Count Basie with Joe Williams & Jimmy Rushing Blues Duet

竹村洋子

竹村 洋子 Yoko Takemura 桑沢デザイン専修学校卒業後、ファッション・マーケティングの仕事に携わる。1996年より、NY、シカゴ、デトロイト、カンザス・シティを中心にアメリカのローカル・ジャズミュージシャン達と交流を深め、現在に至る。主として ミュージシャン間のコーディネーション、プロモーションを行う。Kansas City Jazz Ambassador 会員。KAWADE夢ムック『チャーリー・パーカー~モダン・ジャズの創造主』(2014)に寄稿。Kansas City Jazz Ambassador 誌『JAM』に2016年から不定期に寄稿。

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