ジャズ・ア・ラ・モード#58 カウント・ベイシーの『モンキーバック・スーツ』その2
Count Basie in the monkey-back suits Part 2

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#58. Count Basie in the monkey-back suits Part 2
text and illustration by Yoko Takemura 竹村洋子
photos : Used by permission of the University of Missouri-Kansas City Libraries, Dr. Kenneth J. LaBudde Department of Special Collections
Jazz A History Of American Music: Geoffrey C. Ward & Ken Burns,『Count Basie Swinging The Blues』より引用。

8月21日で、偉大なバンドリーダーだったカウント・ベイシーは生誕118年になる。
昨年、#49.カウント・ベイシーの『モンキーバック・スーツ』というコラムを書いた。

カウント・ベイシー(1904~1984) の口述による自伝、アルバート・マレイ著『グッド・モーニング・ブルース』の中で、若きベイシーが故郷レッドバンクから初めてニューヨークに行く前に、仕事に行く道すがら寄った古着屋のウィンドウでとても格好良いスーツを見つけて購入した、という記述がある。
「それは『モンキーバック・スーツ(the monkey -back suites)』と呼ばれ、『ピンチバック(the pinch-back)』もしくは『ジャズバック(the jazz-back)』と呼ばれてもいた。ジャケットは背中にギャザーとバックベルトがついており、シャープなデザインだった。古着なので少し繕ってあり、見えないところに当て布もしてあって、4ドル程だった。」とある。1923年の話で、ベイシーは19歳。ミュージシャンとしては駆け出しの頃で当時のギャラが一晩で3ドルか4ドルだった。

というもので、この原稿を書いた時、ありとあらゆるところを探したがベイシーのモンキーバック姿は見つからなかった。ベイシーはステージ上では舞台下手側にあるピアノの前に座り、観客に対しては体の右側を見せていることが多い。バンドの指揮をとる時は、観客に対して背を見せる。バックスタイルの写真は意外に多いのだが皆無だった。
その後も、どこかに絶対あるはず!と、どうしても諦めきれず探し続けていた。数々のジャズミュージシャンの写真集、雑誌、インターネット、ベイシー関連の映像を片っ端から見て探した。そしてこの5月、ついに見つけた!
それは1992年に発売された『カウント・ベイシー・スウィンギング・ザ・ブルース:Count Basie Swinging The Blues』というアルバート・マレイがホストになりベイシーのキャリアと人物像をまとめたレーザーディスクの映像の中、ほんの一瞬の姿だった。

ベイシーはモンキーバック・スーツ、ここでは厳密に言うと『ピンチバック・スーツ』を着てバンドと一緒に演奏していた。映像のバックには1938年2月16日にデッカ・レーベルで録音した<スウィンギング・ザ・ブルース>が流れていた。映像と音源が同じかどうか確かではないが、違ったとしてもほぼ同じ時期のものと察する。1938年というと、ピンチバック・スーツはまさに流行の真っ只中だった。
ベイシーがベニー・モーテンからバンドを引き継いだのが1935年。ニューヨークに本格的に進出したのが1936年で、その頃はバンドもそこそこ売れだし、経済状況も良くなってきた頃だ。
冒頭に述べたベイシーが最初にニューヨークに行く時に買ったスーツは、1924年で4ドルの中古品だった。このレーザーディスクの中でベイシーが着ているものは新品で、4ドルということはないはずだ。

ベイシーのステージでの装いは、同じくバンドリーダーだったデューク・エリントンが、ジャカードやサテンなどの派手なスーツを着て演奏するファッション狂いの見せびらかし屋だったのとはかなり違う。ベイシーは比較的地味で、至って普通のスーツ姿が多い。ただ、メンバーのユニフォームとは違う『ベイシー自身の私服』を着ていること、それが良い素材で丁寧に仕立てられたものであったことは間違いない。
1930~1940年代、黒人ミュージシャンであり、バンドリーダーであるベイシーは、白人の前で演奏するには、それなりにきちんとした身なりでなければならないことを心得ていたのだろう。

今回、UMKCのライブラリーが1930~1940年代のベイシーの写真を数多く提供してくれた。その一部を掲載するが、それらの資料を見ると、梳毛の無地素材のシングルブレスト・スーツが圧倒的に多い。細かいグレンチェックやピンストライプ柄のダブルブレストのスーツも着ていた様だが、控えめな印象を受ける。1930年代後半にちょっと派手なツイードのグレンチェックのスーツを着ており、これは特別お気に入り(?)だったようで、5~6年に亘って着ていたようだ。

ベイシーは気さくな人柄で、皆に好かれていた。『カウント・ベイシー・スウィンギング・ザ・ブルース』の中で、テナー・サックス奏者のバディ・テイトがベイシーを回想してこんなことを言っている。「ベイシーはリーダーぶらなかった。みんなの敬愛の的になっていた。いつもみんなと一緒にいて、ボスぶらなかった。」と。

決して特別なものは着ないが、リーダーらしく、バンドのメンバーよりは少しだけきちんとした普通のスーツを着てステージに立つカウント・ベイシー。1930年代に流行したデザイン物のピンチバック・スーツは、ベイシーのちょっとした冒険だったかもしれない。そんなベイシーに微笑ましさを感じる。

Happy Birthday Mr. Basie !

You-tubeリンクは<ワン・オクロック・ジャンプ:One O’clock Jump> ライブ・イン・ヨーロッパ。1981年。

*参考資料

・『Swinging The Blues』Musters of American Music Series @1992 East Stinson.Inc. produced by Toby Byron and Richard Saylor, A co-production of Toby Byron/Multiprises in association with Taurus Film, Munich and VideoArts Japan
・Good Morning Blues – Count Basie, The Autobiography of Count Basie as told to Albert Murray, 1985

竹村洋子

竹村 洋子 Yoko Takemura 桑沢デザイン専修学校卒業後、ファッション・マーケティングの仕事に携わる。1996年より、NY、シカゴ、デトロイト、カンザス・シティを中心にアメリカのローカル・ジャズミュージシャン達と交流を深め、現在に至る。主として ミュージシャン間のコーディネーション、プロモーションを行う。Kansas City Jazz Ambassador 会員。KAWADE夢ムック『チャーリー・パーカー~モダン・ジャズの創造主』(2014)に寄稿。Kansas City Jazz Ambassador 誌『JAM』に寄稿。(2016)

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