ジャズ・ア・ラ・モード #7. チェット・ベイカーのミニマリズム
7. チェット・ベイカーのミニマリズム
Chet Baker’s Minimalism
text by Yoko Takemura 竹村洋子
photos: Printestより引用
2月といえば、ヴァレンタイン・デー。ヴァレンタイン、といえばチェット・ベイカー。ということで今回はチェット・ベイカー(Chesney Henry Baker Jr.、1929年12月23日 – 1988年5月13日)について。
2016年に公開された、イーサン・ホーク主演の映画『ブルーに生まれてついて: Born To Be Blue(ロバート・バドロー監督)』は、ウエストコーストのジャズシーンを代表する、チェット・ベイカーの自伝的映画である。イーサン・ホークが熱演しているのにも好感が持て、楽しく観た。内容がどこまでノンフィクションかということは問題ではなく、ファッションを中心に1950、60時代の文化をよく表している映画だと思う。
チェット・ベイカーの自伝的ドキュメンタリーはファッション・フォトグラファーで映画監督でもあるブルース・ウェーバーの『レッツ・ゲット・ロスト:Let’s Get Lost(1988年)』が既に知られている。
『チェット・ベイカー=白いT-シャツ』という図式が私の中にはある。
チェット・ベイカーは1950年代半ばには時代の寵児とも目されていた。
1950年代はアメリカン・カジュアル・ウエア全盛の時代だ。第2次世界大戦が終わり、戦後の混乱から経済も上向きになり始め、ティーンエイジャーは自分達でアルバイトを始め、消費し始めた。若者達が自分達の価値観で物を買えるようになると、若者を中心に新しいファッションが芽生えた。ファッション・リーダーは、イギリスでもフランスでもなく、アメリカの若者へと移って行った。
アメリカには若者のカフェ文化というのがあった。(カンザスシティの人と音楽コラム#46. チャック・へディックス氏との “ オーニソロジー ” : チャーリー・パーカー・ヒストリカル・ツアー参照) 1950年代の若者達は自分達の行きつけのカフェや遊び場を持ち、そこで独自のファッションで自己主張をするようになる。
ファッションでいうと、化合繊が真っ盛り。1930年代後半に生まれた、レーヨン、ナイロンに加え、ポリエステル、アクリル、または混紡など、合成繊維が当たり前になった時代だ。この化合繊は素材がテカテカ光り、表面がツルツルしており、それがより安っぽいと感じるのだ。良いとか悪いとかいうことではない。
話を『ブルーに生まれてついて』に戻そう。この映画、キャッチ・コピーが『ジャズ界のジェームス・ディーン』となっている。ジェームス・ディーンは1931生まれで、チェット・ベイカーの2歳年下で、二人は同世代だ。二人共、母性本能をちょっとくすぐるような甘いマスクだったり、ファッションがちょっと似ていたり、なかなか社会になじめない若者だったり、ジェームス・ディーンが若くして逝ってしまったのでチェット・ベイカーも、等ということで『ジャズ界のジェームス・ディーン』と言っているのだろうか。実はこの二人2〜3度会ったことがあるらしい。Roy Carr 著『A Century of Jazz: Da Capo press , 1997』によると、その時、お互いのファッションを意識したような記述がある。
ジェームス・ディーン(James Byron Dean、1931年2月8日 – 1955年9月30日)主演の『理由なき反抗(Rebel Without a Cause:1955年)』とマーロン・ブランド主演の『乱暴者(The Wild One;1953年)』は当時の若者達のファッションに大きな影響を与えた。
ジェームス・ディーンのマクレガーの赤いスイングトップ、白いT-シャツとジーンズにリーゼントのヘア、というスタイルはアメリカン・カジュアルの永遠の定番になった。ジーンズは19世紀、鉱夫の作業着だったものを1870年にヤコブ・デイビスという仕立て屋がリーバイス・ストラウス社から仕入れたジーンズに銅のリベットでポケットの端を補強したのが始まりだった。リー・クーパーは1940 年代後半頃からカジュアルウエアとして、大量に製造し始め、50年代にはアメリカの若者に定着して行った。ジェームス・ディーンはリーヴァイスのジーンズ、Lee Riders101 を愛用していた。
T-シャツはマーロン・ブランドやジェームス・ディーンが着用し始めたことが流行の始まりと言えるだろう。現在ではシーズンレスにカジュアルアイテムとして定着しているT-シャツも、それ以前は肌の上に直接着用する下着だった。それが、カジュアル・スタイルのトップスに昇格したのもこの頃からだ。そして60年代から70年代にかけてどんどんポピュラーなアイテムになっていった。
『ブルーに生まれてついて』は1966年から始まるのでチェット・ベイカーはT-シャツだけでなく、様々なカジュアル・ウエアを着て登場している。笑っちゃうくらい、安っぽく、野暮ったい合繊の開襟カラーのシャツ(今ではオープンカラーと呼ばれる)を着ている。チェット・ベイカーは、お金がないけどお洒落はしたい、とは深読みしすぎかもしれないが、そのカジュアル・スタイルは当時は新しいアイテムだった。バードランド出演時などのフォーマルなシーンには黒いアイビー・スタイルのスーツ(白いシャツ、細いネクタイ)に身を包んだ姿も洗練され、なかなか良かった。
映画の中でチェット・ベイカーもジーンズに白いT-シャツ姿で登場するシーンはあった。映画の設定は1960年だからT-シャツもかなりポピュラーになっていた頃だと思う。HanesのT-シャツだろうか?
私は、冒頭に述べたチェット・ベイカーの白いT-シャツスタイルが、1950年代の数ある本物の彼の写真や映像の中でも一番素敵でクールだと思う。
あるチェット・ベイカー大ファンの友人と、チェット・ベイカーのファッションの話をしていたら、「チェット・べイカー・シングス(1954年)のアルバム・ジャケットの半袖サマーセーターに尽きるだろう!」と言われた。それはウィリアム・クラクストンの撮ったサマーセーターを着た姿だ。この『サマーセーター』という呼び方も古くさい。今では『サマーニット』と呼ばれるのが一般的だ。その友人は、学生時代、新宿三峰で半袖の白のサマーセーターを買い、ジーンズをコーディネートして大学に行き、周りの人達にそのファッションを褒められたようだ。チェット・ベイカーが着ていた半袖のサマーセーターは、この時代のニュー・アイテムであり、意味があるのだが、これはまた別の機会に述べることにする。
確かにチェット・ベイカーはセーターも生涯に及んでよく着ていたようだ。黒のシャツスタイルもスーツもとても似合う。麻薬に身を滅ぼし、生活保護を受けていた時期もあるようだが、基本的にかなりお洒落な人だっだと思う。
でも、私の中では、全く個人的好みかもしれないが、絶対的に『白いT-シャツ』なのだ。きっと1枚のT-シャツを選ぶのも、かなりこだわったと思う。比較する事でもないが、ジェームス・ディーンのそれより、ずっとモダンで洗練され、大人っぽく、素敵だ。
私は、チェット・ベイカー自身の中にある何か一筋通ったものを、彼のT-シャツ姿から感じる。それは彼の演奏、歌を聴いた時に感じるものと同じものだ。T-シャツ1枚のチェット・ベイカーがセクシーでクールだと感じる。彼のビブラートの少ないその奏法と唱法の原点を見るようだ。
無駄なものはない、彼のミニマリズムなのだ。
*チェット・ベイカー<My Funny Valentine>”Chet Baker in Tokyo” – 1987
*ブルース・ウエーバー監督<Let’s Get Lost>
*イーサン・ホーク主演<Born to be Blue>
*ジェームス・ディーン主演<理由なき反抗:Rebel Without a Cause >