ジャズ・ア・ラ・モード #24. パット・メセニーのボーダー ストライプ Tシャツ

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24. Pat Metheny in horizontal stripe T- shirts
text by Yoko Takemura 竹村洋子
photos: courtesy of Julie Turner Ruskin, Pinterest より引用

パット・メセニーというとすぐに『ボーダーストライプのTシャツ姿』が思い浮かぶ。

パット・メセニー(Patrick Bruce Metheny:1954年8月12日~)は今や押しも押されぬ人気ジャズギタリストでカンザス・シティのアイドルだ。
カンザス・シティの郊外リー・サミットの音楽一家に生まれる。パットの最初の楽器はトランペットだった。父も祖父もプロのトランペット・プレイヤーだった。5歳年上の兄のマイク・メセニーもトランペット・プレイヤーだ。
1964年にビートルズの演奏をテレビで観てからギターに興味を持つようになった。12歳の誕生日に両親にギターをプレゼントされたのがきっかけで、後にプロのギタリストとなる。
正式な音楽教育は学校では受けていないが、家庭環境やカンザス・シティというジャズ、ブルースに溢れた街で、独学、実践でジャズを身につける。先輩ミュージシャンの家を訪ねたり、同年代の仲間と一緒に演奏したりし、15歳の時には既に地元のクラブでプロとして活動していた。
15歳の時、ダウンビートのコンペティションで1週間のジャズキャンプのスカラシップを得る。その時の審査員であったハンガリー生まれのジャズギタリスト、アティラ・ゾラーにニューヨークに招かれ、ジム・ホール、ロン・カーターに会う。
1972年にヴィブラフォーン奏者のゲイリー・バートンの元へ行き、以後、3年間活動を共にする。バートンの推薦で18歳でボストンのバークリー音楽大学の講師を務める。
初リーダーアルバムは1975年にジャコ・パストリアスと共演した『Bright Sun’s Life』。
1977年に『パット・メセニー・グループ』を結成。以後、自己のプロダクションを設立し、次々に新しいアルバムを制作、ヒット作も生み出して行く。
ジャズのみならず、ブラジルの音楽にも大きな影響を受け、ブラジリアン・パーカニストのナナ・ヴァスコンセロスとアルバムを制作したりアントニオ・カルロス・ジョビン・トリビュート・コンサートをカーネギーホールで行なったりしている。また、ジェームス・テイラーやジョニ・ミッチェル、矢野顕子、デビッド・ボウイ、ビヨークやバケットヘッドなどの幅広いジャンルのミュージシャン達と共演を行なっている。
パット・メセニーは常に飽くなき探究心で、新しい事を探求し挑戦している。その演奏が評価され、数多くの賞を受賞。特にグラミー賞においては個人、グループ合わせて1983年から2013年の『Unity Band』に至るまで12のカテゴリーで20の賞を受賞している。

そんなパット・メセニーはストライプTシャツ以外もっていないのではないかと思う程、頻繁にボーダーストライプのTシャツを着ている。
シルエットはちょっとゆったり目で幅の細いストライプから広いものまで。素材はコットンが中心だろう。ストライプ以外のものではチェック柄のシャツがお好みのようだ。ボトムは何時もジーンズだ。

ストライプには2色以上の異なる色のラインを平行させた模様のことで、『縞模様』のことだ。縦縞、横縞があり、日本では主に縦縞のものを『ストライプ』といい、横縞のものは『ボーダーストライプ』と呼ばれているが、『ボーダー』は和製英語で日本でしか通用しない。本来の『ボーダー』は『縁』『端』『境界線』の意味であり、ファッション業界においては袖口や襟周り、裾まわりなどの縁の部分を強調するように付けられた『縁取り柄』のことを『ボーダー』と呼ぶ。この縁取りが複数本になったものが日本で『ボーダー』を『横縞ストライプ』と間違って呼ばれるようになった。英語では『縦縞』を『vertical stripe』、『横縞』を『horizontal stripe』という。

そもそもこの『ボーダーストライプ』はどこから来たのだろうか?
ファッション用語では『マリンルック』というスタイルがある。マリンは『海の、海軍の』という意味で主に海兵隊員や水夫のスタイルに由来したファッションだ。1970年代頃から、男女を問わず、特に夏の定番的なスタイルとして拡がり、現在も根強い人気を持つ。セーラーカラーのジャケットやシャツ、錨やヨットなどのモチーフにしたプリント柄を使用したもの、ダッフル・コートやヨット・パーカ。裾幅の広いパンツなど。デッキシューズも欠かせない。
そして、白地にブルーのボーダーストライプのニットセーターやTシャツなどは必須アイテムだ。カラーは、文字通りネイビーブルー、ホワイト、レッドのトリコロールカラー、カーキなどが中心になる。

マリンルックというと、ルキノ・ヴィスコンティ監督映画の『ベニスに死す( Death in Venice)』を思い出す。1971年に公開されたアメリカ資本のイタリア・フランス合作映画。テーマ曲にグスタフ・マーラーの交響曲を使用し、マーラー復興の契機となったことでも名高い。静養のためベニスを訪れた老作曲家は、ふと出会ったポーランド貴族の美少年に魅せられてしまい、彼を求めて彷徨うようになる。このビョルン・アンドレセン演じる美少年タジオのファッションはまさにマリンルックそのものだ。
原作は1912年、トーマス・マンによるもので、ストーリーは20世紀初頭という時代設定だが、この頃からヨーロッパではファッションとしてのマリンルックは見られ、ストライプTシャツやセーターはファッションアイテムの一つとしてあった。

又、『フレンチ・マリン』と呼ばれるジャンルがある。フランス人、特にパリジャン、パリジェンヌが着こなすカジュアルなマリンルックのことだ。パリで生まれ育った人達は着こなしが上手なことで知られている。フレンチ・マリンでコーディネートされるアイテムはユニセックス。カラーはトリコロールカラーに、ベージュなども加わってくる。爽やかで清潔感がある事がポイントだ。

1960年にルネ・クレマン監督が撮った『太陽がいっぱい』という映画がある。アラン・ドロン演じるリプリーの恋人マルジェ役のマリー・ラフォレのホワイトとレッドのボーダーストライプの着こなしは魅力的だった。

フランスのブランドではオーシヴァル(ORCHIVAL)、セントジェームス(SAINT JAMES)、プチバトー(Petit Bateau)などのボーダーストライプのTシャツが有名だ。
オーシヴァルはフランスのリヨン生まれのブランドで1950~1960年代に実際にフランス海軍で使われていた。セルジュ・ゲンズブールとジェーン・バーキンの娘、シャルロット・ゲンズブールの出演作、『生意気なシャルロット』(1985)はオーバーサイズのボーダーストライプのTシャツにジーンズ姿で初々しく登場した。この時、シャルロットの着ているのがオーシヴァル(おそらくメンズ)だ。
セントジェームスはイギリスと交易のあったノルマンディ地方のセントジェームス市が誕生の地。水夫用のニットから始まり、コットンのボーダーTシャツを作ったブランドだ。オーシヴァルもセントジェームスもTーシャツのシルエットはボックス型で襟ぐりはボートネックが基本。ストライプは鮮やかなブルーやレッドもある。たかがボーダーTシャツと言っても日本では1万円以上する。

アメリカの『マリンルック』はどうだろうか、と映画で何か特徴がわかるような物はないかと探してみたが、今ひとつピンとくるものがない。フランク・シナトラ主演のミュージカル映画『錨を上げて(Anchors Aweigh)』(1945年)や同じくシナトラとジーン・ケリー、ジェームス・マンシンが水夫の役を演じる、元はレナード・バーンスタイン作曲のミュージカルだった『踊る紐育(On The Town)』(1949年)、また、アニメキャラクターの『ポパイ』でもマリンルックはみられるが、これらは水夫そのものを描いたもので、時代も古く、街で着られるファッションアイテムにまで昇華しておらず、いまひとつファッション性に欠ける。

ラルフ・ローレン、ブルックス・ブラザース、J.プレスなどのトラディショナル・ブランドでは『マリンルック』はよく展開され、ボーダー・ストライプTシャツもよく見られる。

ヨーロッパとアメリカには、ボーダーストライプTシャツ一つでも大きな違いがある。アメリカのブランドのストライプに関しては、マリンストライプというより、どちらかというとラガーシャツに見られる太い横ストライプの方が多い。
そして、アメリカのブランド物は、伝統的なマリンアイテムを現代にマッチするカジュアルファッションへと洗練させ、モダンなマリンスタイリングではあるが、ヨーロッパのマリンルックのような『シックさ』に欠ける。一部のブランドを除いては、シルエット、細かいディテールにもそれほどこだわりがないような気がする。
1950年代にアメリカン・カジュアルが一気に広まり、ファッションの流れが世界的にも大きく変わって行った。しかし、アメリカはヨーロッパに比べると、まだまだファッションを文化として捉える、ということでは遅れていたからかも知れない。

1980年代後半頃に、日本でもマリン・ルックの大流行があった。ボーダーストライプTシャツは有名な本場のフランスのブランドから無印良品や無名のカジュアル・ブランドでも、現在はメンズ、レディス問わずどこでも手に入る。

パット・メセニーのボーダーストライプTシャツは、ブランドにこだわっているようには見えない。もしかするとセントジェームスの物と思われるTシャツを着ている姿が時々見られるが、全般にあまり高級品ではないようだ。
カンザス・シティのシンガー、ジュリー・ターナーは10代初めの頃のパット・メセニーをよく知っている。彼女の夫であり、ドラム・プレーヤーのトミー・ラスキンと息子のギタリスト、ブライアン・ラスキンとは頻繁に演奏しており、彼女の家にも良く出入りしていたようだ。ティーンエイジャーのパット・メセニーのファッションはジーンズを基本にしたごく普通のアメリカン・カジュアルウエアだったと言っていた。
パット・メセニーという人はファッションにはトコトンに無頓着な人なのかもしれない。音楽以外の事はどうでも良いのだろう。ボーダーストライプTシャツと決めておけばステージで何を着るか迷うことに無駄な時間を使う必要もない。

ジャズ、コンテンポラリー、ラテン、フュージョンなど数多くのジャンルの影響を受け常に時代の先端を行くボーダーレスな活動をするパット・メセニーには、ボーダーストライプTシャツが一番着心地が良く、彼の音楽表現の象徴なのかもしれない。

竹村洋子

竹村洋子

竹村 洋子 Yoko Takemura 桑沢デザイン専修学校卒業後、ファッション・マーケティングの仕事に携わる。1996年より、NY、シカゴ、デトロイト、カンザス・シティを中心にアメリカのローカル・ジャズミュージシャン達と交流を深め、現在に至る。主として ミュージシャン間のコーディネーション、プロモーションを行う。Kansas City Jazz Ambassador 会員。KAWADE夢ムック『チャーリー・パーカー~モダン・ジャズの創造主』(2014)に寄稿。Kansas City Jazz Ambassador 誌『JAM』に寄稿。(2016)

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