#33『ニュールック』のエラ・フィッツジェラルドとマリリン・モンロー

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33.『New look 』in Ella Fitzgerald and Marilyn Monroe

text by Yoko Takemura 竹村洋子
photos : Library of Congress-William Gottlieb Collection, Pinterestより引用

『ファースト・レディ・オブ・ジャズ』こと、エラ・フィッツジェラルド(Ella Jane Fitzgerald、1917年4月25日 – 1996年6月15日)のファッションについては過去2回取り上げた。(#13. 女王達のファッション:エラ・フィッツジェラルドとサラ・ヴォーン#21.普段着のクィーンとキング:エラ・フィッツジェラルドとルイ・アームストロング)
私個人の勝手な印象から言わせてもらえば、エラについては彼女自身がファッションについて特にこだわりがあった様には見受けられず、その時代時代の流行の服を着せ替え人形の様に着せられていたという印象が強い、と書いた。
改めて、エラのファッションを見直してみて、彼女が最も輝いていた時期に最先端のファッションに身を包んでいたことにスポットを当ててみる。

1950年代に大流行した『ニュールック』のエラである。

第2次世界大戦後の1947年2月、パリの春夏コレクションでクリスチャン・ディオールが新しいスタイルを発表して世界中のファッション業界、女性達に、大きな影響を及ぼした。それは、アメリカのライフ誌よって『ニュールック』と名付けられた。
なだらかな肩に細く絞ったウエスト、長いミモレ丈(脹らはぎ丈)のたっぷりとしたボリュームのスカートが特徴。シルエットはフィット&フレアで、数字の『8』に似ていることから『8ライン』とも呼ばれた。ローブ・デコルテ(肩を広く露出したスタイル)のパーティードレス、アフタヌーンドレス、テイラードスーツなど、いずれも女性の豊かなバストを控えめに強調しつつ、ウエストを絞ったスタイルだった。

ディオールの『ニュールック』は何が『ニュー(new)新しい』なのか?厳密に言うと、『ニュールック』は西洋の女性の過去のファッションのリバイバルでもある。
欧米では16世紀以降、19世紀後半まで女性の服の基本形は、コルセットでウエストを細くし、そのウエストの細さを強調するフィット&フレア・ラインの服だった。ウエストの細さが女らしさの象徴だったのだ。解りやすいところでは、フランス王妃マリー・アントワネット(1774~1792)の肖像や、映画『風と共に去りぬ』で、南北戦争時代(1861~1865) のスカーレット・オハラがドレスを着る際、黒人メイドにコルセットで目一杯ウエストを絞ってもらうシーンがあるのをご記憶の方も多いと思う。

1900年のパリの万国博覧会以降、女性の開放や活躍の場の広がりと共に機能性を求められた近代社会に相応しい服が求められるようになって来、ウエストを解放した服が流行った。
1947年のディオールの『ニュールック』は、そんなファッションの流れとは逆行するものであり、また、1930年代の大恐慌から第2次世界大戦(1939~1945)と暗い時代に求められたストイックなファッションとも全く違うものだった。装飾を排除したごくシンプルなデザインのフィット&フレア・ラインで女性らしさを強調した、画期的なデザインだったのだ。特に戦争から解放された女性達には全く新鮮なスタイルであり、『平和のシンボル』とも言われ、1950年代には世界中に広がって行った。

1950年代のエラ・フィッツジェラルドというと、17歳でデビューしてから約20年経っており、30代。1940年代から所属していたデッカ・レコードを離れ、ソロでジャズ・シンガーとしての地位を確立し始めた頃だ。1956年にノーマン・グランツの設立したヴァーヴ・レコードに移籍し、デューク・エリントンやルイ・アームストロングといったジャズ・ジャイアント達との共演も増え、優れたアルバムを残している。
ノーマン・グランツが始めたジャズ・アット・ザ・フィルハーモニック(JATP)のツアーにも参加し始めていた。グラミー賞にも何度か輝き、シンガーとしても一人の女性としてもすでに円熟期に入っていた。
私生活では2度目の結婚相手であったベース・プレイヤーのレイ・ブラウンと1952年に離婚。1957年にノルウェー人と婚約するが婚約解消、と波乱万丈。

エラは1950年代、『ニュールック』を好んで着ていた。彼女は体型的に大柄であるためにディオールのニュールックそのものとはいかないが、1950~1960年代に明らかにその影響を受けたと思われるドレスを着ていた。エラには付き人とメイドがいた。彼らの提案かエラ自身のチョイスかどうかは定かでないが、エラも一人の女性。やはり流行の服を着たかったのだろう。
彼女の一番お気に入りのスタイルだったのが、写真最初の2枚の無地のシフォンのドレスだ。半袖、七分袖、長袖とほぼ同じデザインで何種類か持っていた。胸元が広く開いており、上半身は体にフィットし、ウエストはマーク。ボトム部分はボリュームがあるミディ丈のフレアスカート。袖は透けるシフォン素材で、無駄な装飾は一切なく、ディオールの発表したデザインに非常に近い。デザイナーはエラの大柄な体型にギリギリまで妥協せずフィット&フレア・ラインのドレスをよく作ったと感心する。
この時代は素材はもう化合繊のポリエステルが使用されていただろう。特にエラは、いつも汗だくになって唄う。シルク素材だと、扱いやメインテナンスが面倒だ。エラはこのスタイルのドレスをとても気に入っていたようで、この頃、様々な場面で着ている。

ステージ衣装ということもあってか、彼女自身の好みがちょっとフェミニンだったせいか、多少刺繍などの装飾を施したものも見られるが、決して大袈裟ではない。余計なアクセサリーもつけていない。

第2次大戦後、アメリカはファッション業界も既製服の大量生産の時代の消費社会に入る。パリのクチュールそのままの物ではなく、さらに一般の人達に受け入られられる様に、服の作りも変えるが求められて来る。アメリカの『ニュールック』はディオールが発表したものを基に、さらに取り扱いやすい素材や、シンプルなデザインにしたり、軽い作りにしたり、気心地の良さを追求して行った。エラの着ている『ニュールック』もそんな流れに乗ったものだった。

そして、当時、アメリカにおけるファッション・リーダーは何と言ってもハリウッドを中心とするショウビジネス界のセレブリティ達だった。
マリリン・モンローは1950年代、セックスシンボルとして最も人気のあった女優でシンガーでもあった。映画『7年目の浮気(The Seven Year Itch)1955で地下鉄からの風でスカートがまくれ上がるマリリン・モンローが着ていたフィット&フレア・ラインのドレスも、エラのドレスと同様に1950年代の象徴でもあった。

エラとマリリン・モンローの接点はドレスだけでは無い。彼女らの関係をご存知の読者も多いだろう。

1954年11月に取られたマリリン・モンローとエラの有名なツーショットがある。マリリン・モンローは既にスーパースター。エラの約10歳年下だが、エラの熱烈なファンだった。マリリン・モンローとノーマン・グランツがハリウッドの高級白人専用のナイトクラブ『モカンボ』のオーナーのチャーリー・モリソンに掛け合い、黒人のエラを出演させた話は有名だ。この『モカンボ』出演以降、エラは小さな黒人専用のクラブで歌うことはなくなった。後にエラは「マリリンには大きな借りがある。」と言っている。写真は『モカンボ』で撮られたものである。

この時エラが着ているイヴニングドレスは、座っているのでスカート部分の分量が定かではないが、フィット&フレアのニュールックから派生したドレスだったのではないかと思う。

エラは「私は、自分が魅力的な女性じゃない事を解っているの。多くの人達の前に出て唄うことはそう簡単な事じゃないのよ。本当にうんざりさせられるのよ。でも、神様が私に『唄う』という才能を与えて下さった。それはちゃんと使わなくちゃいけない、って思ってるの。だから、そこに立って唄い続けるのよ。」と言っている。

魅力的じゃないなんてとんでもない!37歳にしてこの貫禄。豊かで知性と品格に満ちた堂々とした姿。マリリン・モンローとのツーショットは、まるでお母さんと娘のように見える。

エラが『ニュールック』で歌っているヴィデオはほとんどなく、唯一見つけられたものは音質、画像も決して良くないが、エラの様子が窺える。

<How High The Moon>1958

< Mack The Knife >1960

*参考文献
Ella Fitzgerald, A biography of the First Lady of Jazz: Stuart Nicholson著 1993
In Vogue: George Howell著 1975

竹村洋子

竹村洋子

竹村 洋子 Yoko Takemura 桑沢デザイン専修学校卒業後、ファッション・マーケティングの仕事に携わる。1996年より、NY、シカゴ、デトロイト、カンザス・シティを中心にアメリカのローカル・ジャズミュージシャン達と交流を深め、現在に至る。主として ミュージシャン間のコーディネーション、プロモーションを行う。Kansas City Jazz Ambassador 会員。KAWADE夢ムック『チャーリー・パーカー~モダン・ジャズの創造主』(2014)に寄稿。Kansas City Jazz Ambassador 誌『JAM』に寄稿。(2016)

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