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Jazz à la Mode 竹村洋子No. 277

ジャズ・ア・ラ・モード#45. ジャズ・ミュージシャン達によって流行したサングラス

45. Popular sunglasses by jazz musicians
text and illustration by Yoko Takemura 竹村洋子
photos:Used by permission of the University of Missouri-Kansas City Libraries, Dr. Kenneth J. LaBudde Department of Special Collections, Library of Congress-William Gottlieb Collection,
The Blue Note Year – The Jazz Photography of Francis Wolff, New Port Jazz Festival-Burt Goldblatt, Jazz A History Of Music -Geoffrey C Ward &amp & Ken Burs, Pinterest より引用

紫外線の強い季節になり、マスク同様にサングラスを着用する人達が増えてきた。
コロナ禍で世界中の人達のマスク着用は当たり前になった。欧米人にとっては相手の表情が読めない、クシャミをする位の病気だったら人前に出るな、といった様な理由で着用には抵抗があったようだ。昨春以来、これでサングラスを掛けたら本当に顔が隠れてしまい、人に会っても相手が誰だか判らなくなる・・・サングラスだってマスクと同じでは?と、ずっと思っていた。今でこそサングラスはオール・シーズン用いられるファッション・アイテムの一つとして定着しているが、本来は紫外線から目を保護するために作られたものだ。

ジャズ・ミュージシャン達にとってのサングラスはヒップなファッション・アイテムの一つでもあり、彼らはサングラスの流行に大いに貢献した。このコラムでも#11. ディジー・ガレスピーのバップ・スタイルで1950年代のバップ眼鏡の流行について触れたが、眼鏡、サングラスの歴史とスタイル、ジャズ・ミュージシャン達の好んだサングラスについて振り返ってみよう。

アメリカのメジャーな眼鏡会社は幾つかある。古いところではアメリカンオプティカル社(American Optical)、シュロン社(Shuron)、ボシュロム社(Bausch & Lomb)、タート・オプティカル社(Tart Optical)などが有名で日本でも知られているだろう。

アメリカン・オプティカル社は創業1833年で世界最古の眼鏡メーカー。アメリカの眼鏡の歴史はこの会社から始まったとも言われており、眼鏡の歴史を何度も塗り替えてきた。1874年に縁なし眼鏡を作り、1885年に耳の後ろで曲がったツルの眼鏡を考案した。それ以前の眼鏡のツルは真っ直ぐだった。1891年には金張フレームを製造。1930年代には周辺視野の拡大、改善を目的とした眼鏡『Ful-Vue』を発表。長年に亘り、パイロット達の目の快適さを追求したパイロット・サングラス(パイロット・モデル)を作り続けてきた。1969年のアポロ11号の月面着陸の際、乗組員達はアメリカン・オプティカル社のものを使用した。ファッション界には1955年に参入。現在も多くの人達に支持されている。

シュロン社は1865年創業。140年以上もの歴史を持つ老舗眼鏡メーカーで、クラシックなデザインを得意とする。ケンタッキー・フライドチキンのカーネル・サンダースの眼鏡はシュロン社のもの。

ボシュロム社はコンタクトレンズで日本人には一番馴染みがあるアメリカの眼鏡会社かもしれない。
1800年代半ばに、ドイツ移民の2人の青年ヤン・ヤコブ・ボシュとヘンリー・ロムによってスタートした。道端に転がっていた硬質ゴムのかけらに硫黄を加えて硬化させた『バルカナイト』と呼ばれる素材のフレームを作り大成功を収めた。
1923年、アメリカ陸軍航空隊の中尉が、飛行中に高い所で浴びる太陽光線により視力に異常をきたしたことから、ボシュロム社は軍よりパイロット用のサングラスの開発を依頼された。6年かかり1929年に完成したサングラスは、グリーンのレンズが使用され『レイバン・グリーン』と呼ばれた。『光学的に眼を守らなければサングラスではない』というのがコンセプトで『レイバン=ray ban』は文字通り『光を遮断する』という意味になる。フレームは『ティア・ドロップ・シェイプ』。1930年に『アヴィエーター・モデル』としてアメリカ陸軍航空隊に正式に採用され、サングラスはパイロットを象徴する存在になった。1937年に正式に『レイバン』ブランドとなる。
第2次世界大戦後、アメリカのマッカーサー元帥が来日時にかけていたのはこのモデルで、映画『トップ・ガン』のトム・クルーズも着用していた。

1999年に『レイバン』ブランドはイタリアのルックス・オティカ・グループに売却されたが、現在でもグループの主力ブランドである。1986年、アメリカ・ファッション・デザイナー協会より『世界最高級のサングラス』という称号を得ており、根強い人気を持ち、日本でもファンは多い。『アヴィエーター・モデル』以外にも『ウェイファーラー・モデル』は映画『ティファニーで朝食を』のオードリー・ヘップバーンが、『クラブ・マスター・モデル』はマルコムX、『オリンピアン・モデル』、『プレデター・モデル』は映画『メン・イン・ブラック』でトミー・リー・ジョーンズ、ウィル・スミスが着用していた。
ボシュロム社は1960年に『ボシュロム・オプティカル・カンパニー』と社名を変更。以後、光学分野に乗り出し、光学機器メーカーとなっている。

タート・オプティカル社は1948年創業、セルロイドのフレーム、通称セルフレームのデザインで一躍人気を博し、ニューヨークのマンハッタンに工場を持っていたが1970年代に廃業。『アーネル・モデル』はジェームス・ディーンが愛用していた。2016年から、ジュリアス・タート・オプティカル社(Juius Tart Optical Enreprise)として、1950~1960年代頃の風合いやデザインからインスピレーションを受けたフォルムを再現したり、数々の名作フレームの復元、新たにデザイン製を加えたコレクションの展開を再スタートしている。

ジャズ・ミュージシャン達のサングラス着用は、1940年代の第2次世界大戦下に始まり、終戦後さらにポピュラーになっていった。

1940年代始め頃、アール・ハインズ、チャーリー・パーカー、終戦後はレスター・ヤングなどを中心とし、まずラウンド・シェイプのパイロット・モデルが流行った。ラウンド・シェイプといっても完全に丸いものからオーバル(楕円)型、少し形の変形したものまでデザインのバリエーションはある。彼らがファッション性ということから着用を始めたかどうかは定かでない。チャーリー・パーカーは大量の麻薬摂取によりドロドロになった状態をステージ上で隠す為に掛けていたという説がある。パーカーがアール・ハインズ・オーケストラにいた1942年の写真が残されている。パーカーはバンド最前列の一番端におり目立たない。サングラスを掛けて陶酔して演奏していたというより、本当は演奏する格好だけで、何もせず居眠りをしていたのでは?!

レスター・ヤングについては、夜もサングラスをかけて演奏し、それは白人の聴衆に対する抵抗だったという説がある。レスター・ヤングは子供の頃から人種問題に非常に敏感だった。
1946年、アイザック・ウッダード・ジュニアというアフリカ系アメリカ人の退役軍人が、サウスカロライナ州、ベイツバーグで、トイレを使用として白人警官に殴られた事件があった。この事件は公民権と黒人自由運動の最初の火花を生み出した。警察はウッダードを投獄し、失明するまで殴打した。オーソン・ウエルズ、カウント・ベイシーらが公に抗議運動を起こすまで7ヶ月間、サウスカロライナ当局は何もしなかった。ウッダードは失明後、ラウンドシェイプのサングラスで目を覆っている。ウディ・ガスリーは1946年<アイザック・ウッダードの盲目>という曲を書いた。
そんな悲惨な事件が、ジャズ・ミュージシャン達の抗議としてのサングラス着用のきっかけになった。結果としてサングラスは売れ、当時レスター・ヤングが所属していたヴァーヴ・レコード はサングラスの普及に貢献した、とも言われている。レスター・ヤングは従軍した際に支給されたサングラスを使い続けていたかもしれない。そんな人達は数多くいたはずだ。
チャーリー・ミンガスも人種問題には敏感なミュージシャンの一人でサングラス姿はよく見られる。

1940年代後半になると、サングラスの素材、デザインにさらに変化が出てくる。それまでメタルフレーム、象牙や鼈甲素材が主流だったが、アセテートやセルロイド素材の『セルフレーム』が登場してきた。
セルフレームのサングラスに飛びついたのがディジー・ガレスピーだった。ガレスピーは、最初はサングラスではなく普通の眼鏡を掛けていた。それは後にセルフレームの通称『バップ眼鏡』と呼ばれるようになった。初期のバップ眼鏡はまだフレームも太くシェイプも丸いが徐々に洗練されたデザインになって行く。そしてガレスピーはサングラスも身につけるようになった。
ガレスピーは「一番の大嘘は、ビバッパーはワイルドな服を着て、夜でもサングラスをかけているということだね。(中略)夜にサングラスをかけた覚えはないね。俺は目には神経を使うんだよ。目が見えないと楽譜も読めないしね。」と言った、とビル・クロウは『ジャズ・アクネドーツ』の中に書いている。
デザインはウエリントン型(やや台形のシェイプ)、ボストン型(ウエリントン型より少し丸みがあり、柔らかい印象になる)が当時の最先端で画期的なデザインだった。これらのデザインは、現在に至っても、フレームやツルの太さやレンズのバランスが良く、クラシックで知的、洗練された印象に見えるモデルとして人気がある。その後、オーヴァル型(楕円形)、レクタンギュラー型(長方形)など新しい形も登場してくる。『バップ眼鏡』は白人、黒人を問わず一般の人達にも幅広く受け入れられ、1950年代から1960年代後半までこの大流行は続いた。現在、セルフレームはセルロイドからプラスティック製に変わっている。
ジャズ界のファッション・リーダー的存在であるマイルス・デイヴィスやソニー・ロリンズはじめ、セロニアス・モンク、ハワード・マギー、マックス・ローチ、ハンク・モブレイ始め数多くのバップ・ミュージシャン達、特にブルーノート・レーベルの多くのミュージシャン達が挙ってこのタイプのサングラスを着用していた。当時、流行したアイビー・スタイルのファッションにも相性が良かったのだろう。

ジェリー・マリガンやチェット・ベイカーといったウエスト・コーストのミュージシャン達にも人気があった。彼らがかけると、クールな印象が一層増すような気がする。チェット・ベイカーはレクタンギュラー型が生涯、気に入っていたようだ。

マイルス・デイヴィスに至っては、この時期、殆どプライベートな場面でしか着用していないが、その数と種類は相当なものだ。微妙にデザインの違うものを幾つも持っていた。マイルスはファションについて、他人にあれこれ指示されるのに我慢ならなかった様だ。自分に何が似合うかをよく知っていたマイルスは、TPOに合わせ、当然ブランド物のサングラスを沢山持っていたに違いない。

サングラスは1960年代後半から1970年代に至っては、ロックやファンクといったエレクトリックを駆使したサウンドの台頭により、またファッション自体の多様化と相まり、さらにデザイン性が重要視されるバラエティ豊かなファッション・グラスとして流行していく。
1970年以降のマイルス・デイヴィスはこの頃になって『レイバン』の『アヴィエーター・モデル』をファッション・グラスとして使用し始めた。日本でも日野皓正が掛けていた。
またマイルス以外にも、ソニー・ロリンズやハービー・ハンコック等のサングラスの変遷も非常に面白い。女性ジャズ・ミュージシャンのファッション・グラスも含めて、また別の機会に取り上げてみようと思う。

You-tubeリンクはジャズでないが、1946年に起こった悲しい事件を、現代の女性シンガー、アンジェラ・イースターリングが歌う〈アイザック・ウッダードの盲目〉。
<Isaac Woodard’s Eyes> Angela Easterling

*参考文献
・ジャズ・アネクドーツ:ビル・クロウ(村上春樹訳)
・American Optical, Tart Optical, Shuron, RayBan各社ホームページ
・African American History

竹村洋子

竹村 洋子 Yoko Takemura 桑沢デザイン専修学校卒業後、ファッション・マーケティングの仕事に携わる。1996年より、NY、シカゴ、デトロイト、カンザス・シティを中心にアメリカのローカル・ジャズミュージシャン達と交流を深め、現在に至る。主として ミュージシャン間のコーディネーション、プロモーションを行う。Kansas City Jazz Ambassador 会員。KAWADE夢ムック『チャーリー・パーカー~モダン・ジャズの創造主』(2014)に寄稿。Kansas City Jazz Ambassador 誌『JAM』に2016年から不定期に寄稿。

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