ジャズ・ア・ラ・モード#53 ニーナ・シモンのユニークなヘア・スタイル

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53. Nina Simon’s hair style
text and illustration  by Yoko Takemura 竹村洋子
photos: In Vogue: Georgia Howell、 Pinterestより引用

2月21日はニーナ・シモンの生誕89年の誕生日にあたる。
ニーナ・シモンと言えば、ユニークなヘアスタイルの、強く、気高く、神々しい姿が思い浮かぶ。

ニーナ・シモン(Nina Simmon: 1933年2月21日~2003年4月21日)。ノース・カロライナ州トライトン生まれ。本名はユニース・キャスリーン・ウェイモン(Eunice Kathleen Waymon)。ジャズ、ブルース、R&B、ゴスペルといったアフリカ・ルーツのジャンルの音楽を得意としたシンガー、ピアニスト。

貧しい家庭に8人兄弟のうちの6番目として生まれ、4歳の頃ピアノを弾き始める。地元の教会でピアノを演奏して才能を発揮し12歳でクラシック・コンサート・デビューを果たす。この時、最前列に座っていた彼女の両親は、白人に席を譲るためにホールの後ろに移動させられた。ユニースは両親が前の席に戻るまで演奏する事を拒否し、それがのちの公民権運動家の関与につながった、と言っている。ユニースは地元で設立された特別教育基金からの奨学金を得てハイスクールに通った。

1950年、ジュリアード音楽院で勉強しながらもカーティス音楽学校へのオーディションでは入学申請を拒否され、大きな打撃を受ける。この時も人種偏見のために申請が拒否されたのではないかと疑う(学校側はそれを否定した) 。落胆した彼女はピアノのレッスンを受けながら、ピアノの講師をしたり、バーでピアノを弾きながら生計を立てていた。バーでの仕事はクラシック以外、ポップス、ジャズR&Bなど何でもありだった。母親にとっては『悪魔の音楽』だったジャズを娘が弾くことは許せなかった。ユニースはバーのオーナーに『ユニース・ウェイモン』から『ニーナ・シモン』という芸名を使う事を薦められ、名前を改める。『シモン』は1952年のフランス映画『肉体の悪魔』に出演していた女優シモーヌ・シニョレに由来する。新しい芸名を得たシモンはバーで活動を始め、ファンを獲得していく。

1958年に一度結婚するが結婚生活はうまく行かず離婚。
シモンはビリー・ホリデイから強い影響を受けたという。ジョージ・ガーシュインの<アイ・ラヴ・ユー・ポギー:I Love You Porgy>の録音が、アメリカのビルボード・トップ20に入る大ヒットとなった。1959年にはデビュー・アルバム『リトル・ガール・ブルー:Little Girl Blue』をベツレヘム・レコードからリリース。1960年のニューポート・ジャズ・フェスティヴァルでは誰にも真似のできない独特の歌い方で大ブレイクした。

1961年、ニューヨーク警察の刑事、アンドリュー・ストラウドと結婚。ストラウドはシモンのマネージャーになり、リサという娘を授かる。
1962年の彼女のアルバム『ナイト・アット・ザ・ヴィレッジ・ゲイト:Night At The Village Gate』ではアフリカ系・アメリカ人の要素の取り入れた曲を発表した。『ニーナ・シモン・イン・コンサート:Nina Simon in Concert』のアルバムの中、<ミシシッピ・ゴッダム:Misshissippi Goddam>という曲でアメリカの人種不平等問題に取り組んだ。これはアラバマ州で起こったバプティスト教会の爆撃に対する彼女の反抗的態度を表現し、彼女が書いた多くの人種問題に対する抗議曲の代表的なものとなっている。多くの放送局でボイコットされるも、シモンは「最初の公民権運動の曲だった」と言っている。同じアルバムの<オールド・ジム・クロウ:Old Jim Crow>はジム・クロウ法に取り組んだもので、これらの人種差別撤廃へのメッセージはシモンのレパートリーには欠かせないものとなる。
1960年代後半から1970年代にかけ、シモンはさらに精力的に人種問題に対する活動を行なう。シモンは非暴力的なアプローチではなく、アフリカ系アメリカ人が武装戦力を行使して新しい国家を形成できると信じていた。
多くの曲を書きアルバムもリリースしたこの頃の事を、「私は黒人が世界中で最も美しいと思っている。自分たちのルーツに誇りを持てるようにすることが私の仕事だった。必要だったので歌を書いた。生き生きとして人々を助けるために何かを歌うことができた。」と言っている。
シモンの政治活動にかける時間が多くなっていき、ある時から政治の歌しか歌わなくなった事が結果的にプロモーターたちに嫌われ、彼女のキャリアを傷つけることになった。

1970年離婚。娘リサもアメリカに残し、単身でバルバドスに行く。以後、フランスのリベリアで暫く暮らし音楽活動を休止。シャネルの香水のCMに<マイ・ベイビー・ジャスト・ケアズ・フォー・ミー:My Baby Just Cares For Me>が採用され、再ブレイクした。これを機に、オランダのジャズ・フェスティバルに出演し音楽業界に復帰するも、1980年代から1990年代にかけては精神疾患を患う。
1993年、南フランスのエクスアン・プロヴァンス近郊に住み、新たに活動を始めたが闘病生活の末、2003年に70年の生涯を終えた。
生前「私の音楽は、クラシックのピアノでもクラシックの音楽でもなく、シヴィル・ライツ(公民権)の音楽だった。政治的なメッセージを発信しなかったらもっと幸せだったかもしれない。」と言っていた。

と、ニーナ・シモンの経歴を長々と書いたが、これこそが何故あのヘアスタイルなのかをよく物語っている。

シモンはデビュー当時の1950年はショートヘアで、当時の女性たちがよくやっていたように髪をストレートにしたり、毛先をカールしたりし、ちょっとボリュームを持たせたり、おそらくウィッグだろうが、その頃の流行のヘアスタイルをした可愛らしい女性だった。

1960年代初め、ちょうど人種問題に積極的に関わるようになった頃から髪をスーパーショートにしたり、アフロヘアにしたりしている。1960~1970年代は黒人から始まったアフロヘアーが世界中の若者に流行した。その後、シモンは髪を編み込んだり、人工の毛をつけて自分の背丈よりもずっと高く頭を盛り上げたり、ターバンを巻いたりして、服よりもまず彼女の頭に目がいくほどユニークなヘアスタイルをしていた。特に、編み込んだり、高く盛り上げた髪の上に三つ編みを巻きつけるスタイルはお気に入りだったようだ。強烈なインパクトがある。

編み込みスタイルは元はアフリカの女性特有のヘアスタイルである。アフリカ系の人たちの髪はほとんどがボリュームが多く、縮れている。その髪質だからこそできるお洒落なスタイルでもある。髪を編み込むことにより特有のスタイルを作り、それを誇りとする自分たちの民族、文化、人種といったアイデンティティの象徴なのだ。
髪を高く盛る、というのは中世ヨーロッパではマリー・アントワネットが有名だ。身分の高さの象徴でもあった。マリー・アントワネットの場合、ヘアスタイルはどんどん高くなり鳥や動物の人形、花や、船の模型まで髪の中に入れ込んだりし、貴族のお遊びとしか言いようがないが、アフリカ人にとっては高さは身分の象徴以外にも、それぞれの部族のシンボルであったり、といった意味を持つようだ。

現在、編み込みのヘアスタイルは『ブレイズ(blaids)』とか『コーンロウ(cornrow)』などと呼ばれている。『ブレイズ』は髪を束に分けて三つ編みをするスタイルで、いわゆる三つ編みのお下げのこと。『コーンロウ』は頭皮に沿って直接編み込こんでいく。編み上がったスタイルがトウモロコシ(corn)に似ていることからこのように呼ばれる。ブレイズもコーンロウも地毛に人工の毛(エクステンション)をつけて、それを束ねたり、盛り上げたり、編み方により様々なスタイルが出来上がる。
全ての髪を編み込むのに半日から1日以上かかる時もある。ほとんどの人が誰かにやってもらう手間のかかるものだが、とてもファッショナブルで、中にはアートの域に達しているものもある。
『編み込みヘア』はアフリカン・アメリカンの女性たちの間では年齢を問わず、またヒップ・ホップ系ダンサーたちにも人気のスタイルでもある。ストレートな髪を持つ東洋やヨーロッパの女性たちの間でもファッションとして認知されており、トレンドヘアの一つになっている。
最近のアフリカン・アメリカンの女性たちを見ていると、アフリカ人がルーツであることを否定するかのように髪をストレートにしてブロンドにしたりする女性たちがいる一方、編み込みヘアで思い切り自分をアピールしている人達も多くいる。
テニスプレイヤーの大坂なおみ選手を始め、多くのアスリートたちがカラフルな編み込みヘアで東京オリンピックの試合に臨んでいたのが強く印象に残っている。単純にファッションとしてだけでなく、シモンと同じようにこのところのアメリカの人種問題を反映しているのかもしれない。そう言った意味ではシモンの編み込みヘアは先駆けだったと言えるだろう。

*現代の編み込みスタイル

シモンはターバンもよく使っていた。ターバンは頭に帽子を被りそこに布を巻いていくもので、中東、アフリカ、インドで用いられている。イスラム諸国では宗教的敬虔さの象徴であり、イスラム世界のアイデンティティを示すものでもある。アフリカの女性たちは部族の柄物ドレスと合わせてよく用いており、その姿は美しい。

ファッションとしてのターバンは1960年代にエスニック・ファッションの一つのアイテムとして洗練されたものが流行した。イヴ・サンローランを始め、多くのオートクチュール系のデザイナーがコレクションで発表した。またこの頃、頭を高く盛るヘアスタイルも流行し、シモンにも多少の影響は見られる。

しかし、1960年代半ば以降のニーナ・シモンのターバン・スタイルや高い頭は、あくまで『アフリカ人』だった。

ターバンに関しては、人類学者であるエル=アミン・ナイームという女性が『ビューティフル・ラップド』という組織を設立している。彼女は頭を覆う慣習を持つグループを呼び集め、毎年イベントを開催している。そこには国や宗教を超え、様々な異なるバックグラウンドを持つ女性たちが集まり、意見交換、交流の場となっている。

人間の体は気候や風土に合うように作られており、頭から足の先まで人種、民族、宗教、文化的背景などにより皆違い、それぞれ意味があり、それはヘアスタイルや衣服やアクセサリーにまで表れている。
『髪は女性の命である』とよく言われる。編み込みヘアやターバンは、幼い頃から人種偏見と戦い続け公民権運動や人種差別撤廃を訴え続けたシモンにとり、彼女のルーツがアフリカであること、そしてその美しさを讃えるにふさわしいスタイルであることは間違いない。

*You-tubeリンクは<ミシシッピ・ゴッダム: Mississippi Goddam>、1965年7月、フランス、アンティーブでのライブとシャネルNo.5のCM<マイ・ベイビー・ジャスト・ケアーズ・フォー・ミー:My Baby Just Cares For Me~ Chanel No.5>。ニーナ・シモンを知らずとも、この歌が、フランス人のココ・シャネルが作り出した香水のCMに使われたことはシモンにとって大きなパワーになっただろう。この曲を耳にした女性は数多いはずだ。

<ミシシッピ・ゴッダム: Mississippi Goddam>、1965、7月、フランス、アンティーブ

<マイ・ベイビー・ジャスト・ケア・フォー・ミー:My Baby Just Cares For Me> Chanel No.5 CMソング

*ビューティフル・ラップド、HP
https://www.beautifully-wrapped.com

*参考文献
・In Vogue: Georgia Howell
・I Put A Spell On You: The Autobiography Of Nina Simone: 2003
*ドキュメンタリー映画『ニーナ・シモン魂の歌:WHAT HAPPENED MISS SIMON?』A film by Liz Garbus, @radical media LLC

竹村洋子

竹村 洋子 Yoko Takemura 桑沢デザイン専修学校卒業後、ファッション・マーケティングの仕事に携わる。1996年より、NY、シカゴ、デトロイト、カンザス・シティを中心にアメリカのローカル・ジャズミュージシャン達と交流を深め、現在に至る。主として ミュージシャン間のコーディネーション、プロモーションを行う。Kansas City Jazz Ambassador 会員。KAWADE夢ムック『チャーリー・パーカー~モダン・ジャズの創造主』(2014)に寄稿。Kansas City Jazz Ambassador 誌『JAM』に寄稿。(2016)

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