ジャズ・ア・ラ・モード #56. ジュディ・ガーランドの『リトル・ブラック・ドレス』

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56. Judy Garland in the little black dress
text and illustration  by Yoko Takemura 竹村洋子
photos:In Vogue: Georgia Howell, Vogue America, Pinterestより引用

この数年、ミュージシャンの伝記映画が多く製作されている。そんな映画の中からミュージシャンの衣装について気付いたり、改めて調べたりすることが多々ある。
2019年にイギリス・アメリカ合作のジュディ・ガーランドの伝記映画、ルバート・グールド監督による『虹の彼方に : JUDY』もそのひとつだ。映画『オズの魔法使』のドロシー役でスターダムにのし上がり、47歳の若さで散ったミュージカル女優ジュディ・ガーランドの晩年を描いた映画で、主演のレネ・ゼルウィガーが吹き替えなしで熱唱し、アカデミー賞を始め多くの賞を受賞した。

ジュディ・ガーランド(1922年6月10日~1969年6月22日)は、1939年に映画『オズの魔法使い』で子役でデビューし、ハリウッドのスターダムに駆け上がる。その後も『若草の頃』や『スタア誕生』などで並外れた歌唱力を披露し、『イースター・パレード』ではフレッド・アステアと共演。1940~1950年代ハリウッドを代表する大スターになった。幅広いジャンルの歌、映画、舞台でも活躍したエンターテイナーで、カウント・ベイシーやメル・トーメをはじめ多くのジャズ・ジャイアンツたちと共演したジャズ・シンガーでもあった。
しかし、華やかな生活の反面、私生活では神経症や薬物依存に苦しめられ、そのことがキャリアに暗い影を落とすようになる。
1968年、ジュディが亡くなる前の年、ロンドンで5週間に及ぶライブを行うが、その時はすでに精神的にも経済的にもボロボロの状態だった。舞台に立つことさえ危ぶまれていたが、何とかやり遂げ、圧巻のパフォーマンスを披露するも、最後の失態で業界から永久追放される。

映画『虹の彼方に』はそんなジュディの晩年の様子をとてもよく描いていた。映画の中の彼女の衣装を見てふと思った。ロンドンでのジュディは煌びやかなラメ入りのジャカード素材のスーツやドレスを着ていた。晩年、そんなに次々とキラキラの衣装をとり変え引き換え着ていただろうか?ラストシーンのジュディは他のドレスとは少し違い、少しラメの入ったシンプルなデザインのブラックドレスで登場していた。
私個人の印象としては、ジュディ・ガーランドはタキシード姿で踊っているか、黒のシンプルなドレス姿の印象がとても強い。

改めて、ジュディ・ガーランドの画像を片っ端から調べてみた。やはり思った通り、黒(ブラック)のドレスを着ている姿が圧倒的に多かった。特に、1950年代後半から晩年にはいわゆる『リトル・ブラック・ドレス』の姿がとても多い。
『リトル・ブラック・ドレス』については、以前、モニカ・ゼタールンドについて書いた時に取り上げたのでご記憶の方も多いと思うが、改めてこのドレスが如何に女性たちにとって重要なアイテムであり愛され続けているのか、そんなことに触れてみたい。
そして、ファッションに無縁な男性ジャズファンの方々にも、Jazz Tokyoのこのコラムを通して『リトル・ブラック・ドレス』くらいは覚えて頂きたいと思う。

1920年初頭、女性の黒い服といえば喪服しかなかった。フランスのデザイナー、ココ・シャネルが「多くの色を使えば使うほど、女性は逆に醜くなることに、皆気が付かない。
私は黒一色の服を作ってみる。」と言って、黒一色の “晴れのドレス”を作った。1926年、ココ・シャネルの黒一色のドレスは『ペティ・ローブ・ノアール:petite robe noire(仏)』と呼ばれ、瞬く間に世界中の女性たちを魅了した。英語圏では『リトル・ブラック・ドレス:little black dress』と呼ばれ、現在ではこの呼び方の方が国際的に浸透している。略して『LBD』と言われることも多い。黒が喪服からファッションに変わった画期的なアイテムとして、今日まで女性たちに根強く支持され続けている。

『リトル・ブラック・ドレス』は文字どおり、小さく黒いドレス=ワンピースだ。極めてシンプルなデザイン。ボディラインに沿ったシルエット、細身のシルエット。丈は膝丈前後からミモレ丈(ふくらはぎ)まで。襟ぐりは詰まっていたり広く開いたものまで、袖はスリーブレスか半袖が圧倒的に多いが、細身の5分、7分、ロングスリーブといろいろある。
リトルには “ちょっとした”と言った様な意味合いもある。ちょっと改まった場に着るのにも良い。
オールシーズン着られるデザイン、着る人の年齢を問わない。1枚でコーディネートが完成がするが、その時の着る人の気分でどんな色や柄とも合わせることができコーディネートがし易い。アクセサリーの使い方次第で全く違う印象にすることもできる。何を着るか迷った時などに便利だったり、という様に多くの利点がある万能アイテムなのだ。
ちなみに、日本語に『ワンピース』という言葉があるが、これは欧米では通用しない。トップ(身頃)とボトム(スカート)がひと続きになっている服は『ドレス』と呼ばれる。

1953年、映画『テイファニーで朝食を』で主演したオードリー・ヘップバーンにフランスのデザイナー、ユーベルト・ジバンシーが作ったリトル・ブラック・ドレスはとても魅力的で『リトル・ブラック・ドレス』という呼び名をさらに有名にした。
フランスの女優、ブリジット・バルドーのリトル・ブラック・ドレス姿もよく知られている。

このコラムで取り上げたジャズ・ミュージシャンで言うと、アニタ・オデイもこのドレスを着て1958年、ニューポート・ジャズ・フェスティバルに登場した。(#3. アニタ・オデイのブラックドレス)アニタは自分で選んだブラックドレスの裾に白地に黒のレースをつけているが基本はシンプルなリトル・ブラック・ドレスだ。そしてオーストリッチの羽根がついた帽子に白い手袋をコーディネートというパーフェクトな装いでステージに現れた。
他のシンガーではモニカ・ゼタールンドとアストラッド・ジルベルトがいる。(#39. アストラッド・ジルベルトの『カワイイ』’60年代ファッション#42. モニカ・ゼタールンドのエレガントな 60年代ファッション参照)
アストラッド・ジルベルトはモニカ・ゼタールンドは襟ぐりが大きく開いており、肌の露出が多い極めて大人っぽいデザイン。アクセサリーなしで着ている。どちらも1960年代始めでジュディの晩年と同じ時期になる。

リトル・ブラック・ドレスは1920年代にシャネルによって始まり、1950年代にフランスやハリウッドの女優達によって広まり、1960年代には一般の人達まで受け入れられるようになった。1960年代は、戦後人々が豊かになり、既製服の流通と共にファッションが大きく成熟した時期でもある。そんなバックグラウンドから見ても晩年のジュディがリトル・ブラック・ドレスよく着ていたことは当然のことだろう。
先に述べたジャズ・シンガーたちやジュディのリトル・ブラック・ドレスは、それ以前の華やかなロングドレスとは大きく違う、当時、最も洗練された新しいステージ衣装となった。

同じ黒一色のドレスと言っても、コーディネートや着る人により全く違う色、印象になる。アニタ・オディは華やかで大らか、アストラッド・ジルベルトは清楚で明るく、モニカ・ゼターランドは上品で軽快、ジュディからは内に秘めた活力、悲しみ、退廃の様なものを感じる。黒一色の服というのは、着るのには一番安易だが、その人の内面が一番出るごまかしの効かない極めて着こなしの難しい色の服、と言えるだろう。

現在でもダイアナ・クラール、イリアーヌ・イリアス、ソフィー・ミルマンなどを始め多くのシンガーたちが、そんな魅力的なドレスを着て歌っている。

You-tubeリンクは、1963年CBS TV制作, “The Judy Garland Show”より、リトル・ブラック・ドレスを着て〈オールド・マン・リヴァー〉を熱唱するジュディ・ガーランド。

〈Old Man River〉 1963

*参考資料
・『虹の彼方に:JUDY』2019年製作、イギリス映画
・『Anita O’Day : The Life of A Jazz Singer 』 A film by Robbie Cavolina& Ian Mccrudden、2007年製作

竹村洋子

竹村 洋子 Yoko Takemura 桑沢デザイン専修学校卒業後、ファッション・マーケティングの仕事に携わる。1996年より、NY、シカゴ、デトロイト、カンザス・シティを中心にアメリカのローカル・ジャズミュージシャン達と交流を深め、現在に至る。主として ミュージシャン間のコーディネーション、プロモーションを行う。Kansas City Jazz Ambassador 会員。KAWADE夢ムック『チャーリー・パーカー~モダン・ジャズの創造主』(2014)に寄稿。Kansas City Jazz Ambassador 誌『JAM』に寄稿。(2016)

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