上原基章の「ジャズ事始」第2回 ピアニスト南博 Hiroshi Minami
text & photo by Motoaki Uehara 上原基章
ジャズの入口は人によってさまざまに分かれている。人はどこからジャズの「迷宮」に入り込んで行ったのか?第2回は筆者の40年近いジャズ盟友でピアニストの南博の<事始め>を聞いていく。彼との出会いは1980年代半ば、早稲田大学モダンジャズ研究会の1回上が彼だった。当時のダンモ研にはプロ志望者が様々な大学から集まっていたが、1年時からジャズ業界の仕事を手伝わせてもらっていた筆者は「プレイヤーとしてプロになれるのは彼だけだろうな」と感じていた。昨年秋、20代後半から30歳前後にかけてバークリー音楽院への留学資金を稼ぐために銀座の高級クラブでハウス・ピアニストを務めていた時の数奇なエピソードをまとめた青春譚『白鍵と黒鍵の間に』(小学館)が映画化され、コアな音楽ファンの間で話題になった南は、いかにしてJAZZと出会ってしまったのか?
―――最初にジャズを認識したのって、いつの頃でした?
M:実は結構遅いんだよ。高校2年の時に作曲をやっている友達からキース・ジャレットの『フェイシング・ユー』を借りて聴いたのが最初の出会い。音楽学校だったけど、その頃はブリティッシュ・ロックばっかり聴いてた。The Whoとかストーンズとか。
―――学校でクラシックを学ぶ傍らブリティッシュ・ロックばかりを聴いていた少年にとって、いきなりのキースはどんな印象でした?
M:これはあくまでも当時の感想なんだけど、あのアルバムがどこかしらロックっぽく聴こえたんだよね。なぜかザ・バンドの影響を感じたりもして。とにかくシンプルにかっこいいと思ったんだよ。レコードを貸してくれたのが作曲やってる奴だったんだけど、「この譜面どこで売ってるんだ?」って尋ねたら、すごいバカにされてさ。「即興」の概念は知ってたけど、全編にわたってアドリブで演奏出来るなんて思ってなかったんだ。それで「いや、これはインプロビゼーションと言って演奏者が自由にプレイしているんだ」って聞かされて、思考が止まるくらい驚かされた。
―――まさにコペルニクス的価値観の逆転でしたか!
M:それまでクラシックの先生にここは間違いだとかフォルテだとかピアニシモだとか言われてきたのに、ジャズなら好きにピアノを弾けるんだ!と知ってしまった訳で。それに、ある意味ジャズは僕にとって「現代的」音楽だったんだよ。例えばベートーベンのソナタを聴く時は「哲学者のシーラーが」とか「フランス革命が」とかの講釈がくっ付いてきて、「そんなのオレには関係ねーよ!」って憤っていた。挙句それで先生とケンカになったんだよ。昔の音楽学校なんてとにかくコンサバだったから、アイツはジャズが好きらしいってバレて、「南くん、ジャズに興味を持っているのか?やめなさい!あれは黒人しか出来ない音楽なんだから」って言われて。オレもあの頃はトンガっていたから「でも先生だってドイツ人じゃないのにクラシックやってるじゃないですか?ベートーベン弾くのにシラーがどーのこーのと言われても実感ありません!」って正直に言ってやったんだよ。そこからもう高校はドロップアウト状態(笑)。
―――最初に自分の意思で選んだジャズのレコードは覚えてますか?
M:最初に買ったのはエバンスの『ワルツ・フォー・デビー』だったかな。ジャズ喫茶(明大前の「マイルス」)に行くとよくかかっていたから。
―――じゃあ、ジャズ・ピアニストの道に進もうと思ったのはいつ頃なんですか?
M:とにかく譜面通り弾くことが苦痛でしょうがなかった。ジャズなら即興で好きに演奏できるみたいだから、自分にはそちらの方が向いているなと思ったし、その方が現代と向かい合えると思った。それが高校2、3年の頃。
―――ライブにも行くようになっていましたか?
M:田園コロシアムのLIVE UNDER THE SKYでVSOPを聴いたのはよく覚えている。明らかに当時の自分にとってクラシックよりも「面白い!」と感じたんだよね。何が面白いのかはよく分からななかったけど。
―――ジャズ・ピアノを弾こうと思い始めた時、意識したピアニストは誰かいましたか?
M:当時はクラシックの教育に「洗脳」されていたから、こんなに自由に弾いていいんだという驚きが最初にあったので、先ずはジャンルとしての音楽を知ろうと思ったんだよね。だから原点のラグタイムから時代を追って順々に聴いていった。
―――その中でこんなスタイルで弾いてみたいというのはありましたか?
M:ハンプトン・ホーズだね。
―――山下洋輔さんと一緒ですね!
M:ハンプトン・ホーズは何より分かりやすかったんだよ。クリーンな音の響きも好きだったし。実は貞夫さんが書いた『ジャズ・スタディ』も読んでみたんだけど、この通りにやってもハンプトン・ホーズみたいには弾けないなって感じて(笑)。だからハンプトン・ホーズは随分コピーした。他にもハービーやチックやエバンス、とにかく色んなピアニストのソロ譜を頑張って起こしましたよ。当時は今みたいにスコア集が出版されていなかったから。
―――プロになろうと意識したのは東京音大に入学してダンモ研に入る前?
M:うーん。決心というよりそれしか道が思いつかなかったんだよね。音楽高校をドロップアウトして、浪人生活を経て音楽大学に入り直した身にとって人生のチョイスはそんなに無いじゃない。
―――選択肢が限定されていたということですね。自ら退路を断つというか。
M:その時点でそもそも断つべき「退路」自体が無かったからね(笑)。で、ジャズを習おうと思って菅野邦彦さんを尋ねて「教えてください」ってお願いしたら「この世界はまずボーヤからやらないとダメだ!」って言われて仕方ないからボーヤしてたんだけど、全然ジャズは教えてくれない。で、菅野さんにくっ付いて旅に出た時に出会った<FIZZZ>ってバンドのマネージャーに「キーボードが抜けたから来てくれ」って言われて西荻窪の「アケタの店」に出たのが音大の3年くらいの時で、それがプロとしての<事始め>だったね。
自分の経験的に感じているのは、ジャズのプロ・ミュージシャンは成りたいと努力して成るものではなく、気付いたらいつの間にか成っていて後戻りができないタイプの方がアーティストとして確立するということ。それはもしかしたら南博という存在を通じて学んだことかも知れない。さて、次の<事始め>はどんなストーリーを聞くことができるだろうか?
南博 最新アルバム WYP Trio『scenes』(Airplaneレーベル AP1102)
南博:Piano
座小田諒一:Bass
服部正嗣:Drums
1.Gelsomina(フェリーニ『道』テーマソング)
2.Valencia(冨樫雅彦)
3.My Way(フランク・シナトラでお馴染みの名曲)
4.Turnaround(オーネット・コールマン)
5.Bird in Berlin(南博)
6.Nonchalant (映画「白鍵と黒鍵の間に」エンディング曲)
映画『白鍵と黒鍵の間に』公式サイト
https://hakkentokokken.com