JAZZ meets 杉田誠一 #108「CuniCo x ケミー西丘」

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text & photo by Seiichi Sugita 杉田誠一

ぼくが CuniCo (vo)と初めて出会ったのは、2018年4月15日@Bitches Brewであった。 その夜は、ただただ匠としか言いようのないフェイク・シンガー、小濱邦子が企画する「水墨庵」。その聴き手として来ていたのがCuniCo 。小濱の歌と朗読が終わったとき、小濱の紹介でCuniCo が歌ったのは「包丁お定のモリタート」である。 作詞作曲は、黒テントの佐藤信。芝居で歌ったのは、安田南。「モリタート」とは、ジャズのご存知スタンダード「マック・ザ・ナイフ」である。 まずは、安田南「お定のモリタート」を聴きながら、南について書いておこう。 1960年代末〜70年代初めにかけて、ぼくは、南とかかわっていた。まずは、その名前が、脳裏に深く饒舌に突き刺さってきたのだ。あっけなく崩れ去った解放砦=安田講堂の南に、すっくと立つ安田南というイメージが、現実的に、目の前にあった。 そこは、いソノてルヲの自由が丘「5スポット」。 南の恋人が、コンポラ写真の雄 中平卓馬。ぼくは、当時近所に住んでいたので、時々ふたりは泊まりにきた。 実は、中平卓馬の記憶を消してしまったのは、南である。まさに、南は、「阿部定」を生きた女では、あったのだ。 CuniCo が歌う「包丁お定のモリタート」を聴き終わるや、たちまち、あの最も長くて熱くエキサイティングだった時代の空気が、さやけく甦る。 CuniCo は、あの空気をともに呼吸した世代ではない。 ましてや、実際の事件があった年、1936 (昭和11) 年に生まれていようはずがない。おそらくは、ぼくより20年は下の世代であろう。 ところが、どうだ。CuniCo は、いま、ここで、すぐれてアクチュアルに、「阿部定」を生きているではないか。 ぼくは、CuniCo に賭ける決意を固める。

表現とは、生きることにほかならない。 ❶まずは、歌の基本をまなぶこと。 ❷歌伴ではなく、ともにインスパイアしあえる共演者を見つけること。 ❶は幸いなことにすぐ決まり、末永くご指導いただけることとなる。 ❷は、紆余曲折いろいろあり、やっと落ち着く。ケミー西丘にである。ケミーは、シャンソン・ピアノの第1人者。
CuniCo は、もともと小劇場の役者であり、その延長線上でシャンソンを歌っていた。 最終的に、シャンソンの第一人者、ケミー西丘に決まったのは、いわば必然である。 ケミーとは、40年以上のかかわりあいになり、夫君 故・尾山修一とは、50年以上もの付き合いになる。尾山は、バリバリのフリー・ジャズ奏者(tsほか、マルチ・リード)。 尾山修一との出会いは、横浜ジャズシーンの大先輩 故・安井太郎(as) の三ツ沢の自宅であった。朝まで3人で「ジャズとはなんぞや?」と、喧々がくがく飲み明かす。まだぼくが雑誌『ジャズ』を創刊する(1969年)以前のこと。 安井太郎は、現在の中華街入口「ウインドジャマー」をホーム=根拠地としていた。

当時、大由鬼山(尺八)は、兄(b)とともに、その前にあるクラブ「ストーク」で、夜毎アメリカ兵相手にジャズを演奏していた。まだ、あのベトナム戦争の最中である。 直木賞を受賞した五木寛之『海をみていたジョニー』のモデルとなったのが、「ストーク」である。 くしくも、大由鬼山は、現在、都山流大師範。ジャズ、演劇シーンでワールドワイドに大活躍。ここ半年にわたり、CuniCo とステージを共にしている。 さて、尾山修一は、あの野村芳太郎監督『砂の器』の作曲で知られる菅野光亮(pf) との出会いを通して、フリーを血肉化する。菅野は、60年代末、沖至(tp) らと東欧に楽旅したことでも知られている。 尾山修一は、菅野光亮の生前中は、共に毎週月〜金のTVK昼帯に出演していた。

その後、尾山修一は、保土ヶ谷アートセンター中心とした集合住宅に居を構え、20年間、アートセンターをホーム=根拠地として、ケミー西丘と、果敢にフリー・ジャズ活動を続ける。代表作は、尾山修一/ケミー西丘 x 白石かずこ』である。 この間、5年間は、Bitches Brewにおいて、尾山修一/ケミー西丘は、レギュラーであった。もちろん、ケミーもフリージャズのピアニストとしてである。 最も長く定期的に持続したのは、「詩とジャズの会」。コーディネイトは、詩人 中上哲夫。中上との出会いは、はるか東銀座「OLEO」にまで遡る。
ケミー西丘にオファーを出したのは、同じく半年前になるけれども、心良く引き受けていただく。 CuniCo との共演が進んだある日、ポツンという。 「あのフリー、クリエイティブな行為は、きっぱり封印して、ありうべきピアノに徹します」。 もちろん、単なる歌伴に徹するということではない。歌手の内なる表出衝動を引き出しつつもその枠内で自己表現も行為する稀有な逸材である。 なお、「包丁お定のモリタート」にCuniCo が生きるきっかけとなったのは、安田南ではない。 唄:新井純 /pf:林光 である。


CuniCo’s world 2019 初夏

2019/6/9(日)
渋谷・並木橋 L’atlier・ラトリエ
12:30 open/13:00start
3,000円
CuniCo (vo, 語り)
ケミー西丘 (pf)
大由鬼山 (尺八)
杉田誠一 (写真)

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杉田誠一

杉田誠一 Seiichi Sugita 1945年4月新潟県新発田市生まれ。獨協大学卒。1965年5月月刊『ジャズ』、1999年11月『Out there』をそれぞれ創刊。2006年12月横浜市白楽にカフェ・バー「Bitches Brew for hipsters only」を開く。著書に、『ジャズ幻視行』『ジャズ&ジャズ』『ぼくのジャズ感情旅行』他。

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