JAZZ meets 杉田誠一 #113「ルイ・アームストロング」

閲覧回数 14,010 回

photos & text by Seiichi Sugita 杉田誠一
photos at Newport Jazz Festival 1970 (July 04)©1970 Seiichi Sugita 杉田誠一

1970年7月4日、米独立記念日、ぼくはロードアイランド州ニューポートにいた。高級リゾート市の郊外にフェスティバル・フィールドはあり、その日は昼も夜も、70歳の誕生日を迎えたルイ”サッチモ”アームストロングにあてられた。
楽屋を訪れて驚いたのは、サッチモがガリガリに痩せ細っていたこと。ガンのため、主治医より演奏活動は止められているという。
「今日だけは、特別に出演OKをもらったのです。だけど、トランペットは、絶対に吹くなってことで、ペットは持って来なかった。持ってくれば、吹かないわけにはいかないものね。ハンカチだけは持って来た(笑)」
と、真っ白な歯を見せる。”サッチモ”とは「がま口」のことである。そこへ、「おめでとう!ブラザー!!と、ディジー・ガレスピーもやって来る。
まさか、その翌1971年7月6日、天に召されると、誰が予想しただろう?

サッチモは、1901年8月4日(7月4日生まれの定説が後に出生届け通り8月4日生まれに訂正された)、ニューオーリンズ生まれ。少年時代、クリスマスの夜に酔っ払って父親のピストルを持ち出し事故を起こし、少年院に入所。その少年院の神父(ジャズ祭の司会者ノーマン・オコーネルか?)が、更生のためにサッチモにトランペットをプレゼントしたのがきかっけで、トランペットに夢中になる。
その年ぼくは、NYCに滞在後、初めてニューオーリンズを訪れる。「欲望という名のバス」に乗って。フレンチ・クォーターへ行くと。「ルイ・アームストロング博物館」があり、様々な楽器の中に少年院時代に初めて吹いたトランペットと出会えます。
「プリザベイション・ホール」では、毎日ディキシーではなく、本物のニューオーリンズ・ジャズを楽しめる。
「聖者が街にやって来る」だけは、リクエスト料が5ドルと、お高い。
さて、ニューポートのステージでは、ニューオーリンズをはじめ、次々と旧友のミュージシャンたちがお互いのジャズを繰り広げていく。そして、ラスト・ステージは、ゴスペルの女王マヘリア・ジャクソンとのデュオ。
ニューオーリンズの江灯街が閉鎖され、職を求めて、サッチモやマヘリアは、ミシシッピ河を北上し、禁酒法下のシカゴに落ち着く。マへリアは美容師だったときく。禁酒法が解かれると、ミュージシャンたちは、ニューヨークへ移動。マヘリアとはいえば、シカゴの教会でゴスペルの大スターに。
ラスト・ステージは、商業カメラマン、バート・スターンの名作『真夏の夜のジャズ』(1959) をすぐれてアクチュアルに彷彿とさせるものとなった。
「ピース!」
聴衆は総立ちでサッチモの誕生日と、ジャズ70年の歴史を心から祝う。
まぎれもなく、ジャズでは20世紀のアメリカが創出した、ほとんど唯一の「アート=エンタテインメント」である。かつて一度も経験したことのない熱いものがじわじわと込み上げ、不覚にも涙する。
サッチモが残した名曲を1曲だけ選ぶとすれば、「この素晴らしき世界」であろうか。実はこの曲、サッチモが死去してから大ヒットとなった。
そのきっかけとなったのがバリー・レビンソン監督「グッドモーニング・ベトナム」(1987) である。実在した従軍DJの話。明け方、若き米兵たちがトラックで戦場へと向かって行く。誰もが無言である。DJが語りかける。
「グッド・モーニング、ベトナム!この戦争は、間違っている。みんな必ず生きて、また会おうぜ!『この素晴らしき世界』のために」。
もう、2本ほどサッチモが出演している映画に触れよう。
アーサー・ルービン監督『ニューオリンズ』(1947) には、ビリー・ホリデイが女中役で、サッチモが執事役で出ている。おそらく、両者が一緒に出ている作品は他にないはず。
もう1本はやはりメルヴィル・シェイベルソン監督『五つの銅貨』(1959)。ぼくが中三のとき大感動する。42歳でゴルフを始めた時、ゲンを担ぎマーカーは銅貨だった。
実をいうと、1976年、電通/SONYのTVCFの製作にかかわったことがある。NYのフィルハーモニー・ホール楽屋で背伸びしてペットを吹く黒人少年ほか全5点のモノクロ・スチール写真が使用され、4クール流れたのだ。音楽は、ルイ・アームストロングの「セントルイス・ブルース」、商品はオーディオ・コンポーネント。
ナレーションがふるっている。
「この曲が作曲されて、カーネギー・ホールで演奏されるまでに33年かかった」。
今年、2021年はサッチモが死去して50年、生誕して120年となる。
ジャズは、リロイ・ジョーンズがいうように、「変わっていく同じものとして」。
永遠に生き続けていく。
曲がりなりにも、ジャズに生きてきて、深謝したい。




 

杉田誠一

杉田誠一 Seiichi Sugita 1945年4月新潟県新発田市生まれ。獨協大学卒。1965年5月月刊『ジャズ』、1999年11月『Out there』をそれぞれ創刊。2006年12月横浜市白楽にカフェ・バー「Bitches Brew for hipsters only」を開く。著書に、『ジャズ幻視行』『ジャズ&ジャズ』『ぼくのジャズ感情旅行』他。

コメントを残す

%d人のブロガーが「いいね」をつけました。