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Jazz Meets 杉田誠一特集 『生活向上委員会2016+ドン・モイエ』No. 220

#98 梅津和時と生活向上委員会

「いま、ジャズ十月革命の予感。」

TIME TUNNEL

生活向上委員会 2016

YORIYUKI HARADA
DON MOYE
KAZUTOKI UMEZU

生活向上委員会大管弦楽団

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まるで、あの最もエキサイティングだった1970年代シーン=情況の「いま」ではないか?とてつもなくアクチュアルではある。
生活向上委員会をぼくが知ったのは、1975年8月11日、NYCのロフト Studio We で吹き込まれた『生活向上委員会ニューヨーク支部』(SKI No.1) である。輸入盤は、コジマ録音 (AL-10) として販売された。梅津和時は、イーストビレッジの燃えさかるバイオレンスを日本のシーン=情況を席巻すべく、鮮烈にアルバム・デビューした。
ぼくが初めてStudio We と出会ったのは、1969年。NYCロフト・ムーブメントの根拠地=ホームである。
1969年のニューポート・ジャズ祭で、おびただしいまでの生と出会ったのだけれども、サン・ラやサニー・マレイが出演したのは、驚きである。

参考までに7月3日、初日の出演者を;
ジョージ・ベンソン、サニー・マレイ、フレディ・ハバード、アニタ・オデイ、サン・ラ、フィル・ウッズ、ヤング・ホルツ・アンリミテッド、ビル・エバンス(ジェレミー・スタイグ)、ケニー・バレル。
ワァオ! これが、@ニューポート・ジャズ祭 1969 の事実なのだ。
豊住芳三郎のメッセージを持って、楽屋へサニー・マレイを訪ね、デイブ・バレルやアラン・シルバとも意気投合。
「NYCに戻ったら、必ずエルドリッジとおりのStudio We に、遊びにおいでよ。俺たちの根拠地=ホームなんだ」

ぼくの知る限り、NYCがジャズ1色に塗り替えられたのは、1972年夏。前年のニューポート・ジャズ祭で暴動が勃発し、伝統のジャズ祭は追い出され、NYCに場を移したわけ。ぼくは、毎日、アンチ・ニューポート・ジャズ祭である、ニューヨーク・ミュージシャンズ・ジャズ祭に足を運ぶ。その拠点となったのが、Studio We(コミュニティ・ミュージック・プロジェクト)。主宰は JUMA (pec)。ロフト・ムーブメントの旋回基軸が Studio We であり、ほかにサム・リバースの「スタジオ・リブビー」、ラシッド・アリの「スタジオ77」が呼応する。

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Photo @Studio We, NYC /courtesy of :梅津

梅津和時が、レコーディングで支払ったのは、2日間で300ドル。エンジニアを含めての料金である。梅津が初めて Studio We を訪れたのは 1970年。最初に演奏を共にしたのは、テッド・ダニエル、フランク・ロウ、チャールズ・タイラーであり、レスター・ボウイーやオリバー・レイクらとも Studio We で出会うこととなる。

梅津和時は、昭和24年10月、仙台生まれ。国立音大でクラルネットを専攻。演奏活動を始めたのは大学4年で、原田依幸とふたりで。生活向上委員会は・村上誠一(ts) 、松風鉱一(as) らと結成し、初出演が「キッド・アイラックホール」。

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Photo:杉田誠一 @八王子「アローン」
L:中央下=梅津                      R:左=梅津 右=原田

ぼくが初めて梅津和時と出会ったのは、1976年1月、@アローン(八王子)。当時、梅津は、生活向上委員会を離れ、ジャズ喫茶「アローン」で働いていた。当時の生向委の主軸は、松風と明田川荘之であった。梅津はといえば、原田とのDUOに専念。
梅津和時がAACMと出会ったのは、NYCである。アート・アンサンブル・オブ・シカゴのレスター・ボウイーは、「音楽的なことを含めて全てが凄かった」。
シカゴにAACM (Association for the Advancement of Creative Music) が設立されたのは1965年。リチャード・エイブラムス、マラカイ・フェイバースは、創立メンバー。パリにレスター・ボウイー、レオ・スミス、マラカイ・フェイバース、ジョセフ・ジャーマン、ロスコー・ミッチェルらが乗り込んだのは、1969年。アート・アンサンブル・オブ・シカゴは、パリで結成された。来たるべき「ジャズ十月革命」の担掌主体のひとり、ドン・モイエが参加するのは、69年。デトロイト・フリージャズの1員として渡仏したが故の出会いではあった。ドン・モイエは、AACMの「あらゆるフォルムを包摂し、創造的な音楽へと止揚する」との理念に共鳴したのだ。

梅津和時とぼくが出会った1976年1月(13〜17日)、「インスピレーション&パワーII」が日仏会館でで開催されたことも、忘れてはならない。高柳昌行、佐藤允彦、阿部薫、小杉武久、坂田明、翠川敬基、ニュー・ジャズ・シンジケート、沖至らがプロデュース。1月20日には、安田生命ホールでフリー・コンサート。梅津和時は、原田依幸、片山広明と出演している。

あの最もエキサイティングだった70年代から遠く離れて、はたして「いま、ジャズ十月革命の予感。」なのでせうか?
時代はさらに寒く...。フリ〜インプロバイズドの燃えさかる「いま」を直視したい。
*写真は雑誌「月刊JAZZ」より転載

杉田誠一

杉田誠一 Seiichi Sugita 1945年4月新潟県新発田市生まれ。獨協大学卒。1965年5月月刊『ジャズ』、1999年11月『Out there』をそれぞれ創刊。2006年12月横浜市白楽にカフェ・バー「Bitches Brew for hipsters only」を開く。著書に、『ジャズ幻視行』『ジャズ&ジャズ』『ぼくのジャズ感情旅行』他。

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