Jazz meets 杉田誠一 # 追悼 龍村 仁
text by Seiichi Sugita 杉田誠一
「キャロル」「ガイア・シンフォニー」のドキュメンタリー監督、龍村仁さんが2023年1月2日、老衰=自然死のため、「神の園」に召されました。享年82。
つつしんでご冥福をお祈りいたします。合掌。
龍村仁さんは、1940年兵庫県宝塚市に生まれる。1963年京大文学部美学科卒、NHK入社、1974年退社。
なお、ぼくが龍村仁さんとかかわったのは1974年前後です。
その日、 NHKの試写室に呼ばれたのは、ぼくと三宅一生さんだった。
初めての「キャロル」は、ノーカットの1時間もの。カットされた30分は、矢沢永吉初めメンバー全員が、川崎市の「在日」であるという部分である。
試写後、近くのパスタ屋で食事し、ゴールデン街へ。一生さんがパリから帰るとまず羽田からまっすぐ立ち寄る店だそう。何とその近くのアパートに龍村さんは住んでいた。
ぼくたちは、明け方近くまで飲みかわしたのだけれども、「キャロル」については、全く話題にしなかった。
ただたったひとつだけ、龍村さんが強調していたことがある。
「絶対に辞表は出さない。クビになるまでただただハンストを続けるだけ」
キャロルが結成されていたのは、1972~1975年。
龍村さんがNHKを退社するのは、1974年。
ぼくたちは、始発前の都電の線路上で別れる。冷たく光る線路の向こう側が龍村さんのアパートだった。「今度千葉へ行ったみませんか?」と龍村さん。
その後、共通の友人、フィールド・ワーカーと3人で不思議なドライブを。千葉はずれの半島の海沿いには、何故か知らない黒い鳥の群れがたむろしている。地元の人によると、こんなことは初めてとのこと。実はそのドキュメンタリーも視聴したのだけれども、タイトルすら失念してしまった。