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カンザス・シティの人と音楽 竹村洋子No. 226

51. A Touch of Love : ジェネヴァ・プライスからの贈り物

51. A Touch of Love: A gift from Geneva Price: text by Yoko Takemura, Photo- used by permission of the University of Missouri-Kansas City Libraries, Dr. Kenneth J. LaBudde Department of Special Collections

 

♪『Organ Jazz 倶楽部』のKishiko

2016年12月のクリスマス直前、沼袋の『Organ Jazz 倶楽部』で催されるゴスペルのショウに行かないか、というお誘いがあった。普段キリスト教に縁がなくクリスマスも関係ない私だが、沼袋は自宅から近く、ハモンド-B3オルガンにも興味があり、行くことを即決した。お誘いのメールの中、「ゴスペルですが、カンザスにも通じるところがあるでしょう。」という一行にも惹かれた。

ショウはKishikoさんとサムエルというシンガーによるゴスペル・セッションだった。同じくこのショウに行かれた稲岡 編集長が Jazz Tokyo#225 にレビューを書いておられる。

ゴスペルと言っても、クリスマスにお馴染みの賛美歌からオリジナル曲まで、ほとんどが日本語で歌われ、その歌詞も非常に解り易く心に響いた。やはり、歌というのは自分が一番得意とする言語で歌うものだ、と改めて感じた。Kishikoさんの歌は、『コンテンポラリー・クリスチャン・ミュージック(CCM)』というジャンルになる。Kishikoさんの気負いのない歌は、マイルドなハモンドオルガンの音と共に、年末の慌ただしさの中、とても穏やかな気持にさせられ、楽しい夜を過ごした。

『ゴスペル/コンテンポラリー・クリスチャン・ミュージック』というカテゴリーの音楽がある事は知っていたが、生で聴いたのは初めてだった。
ショウの後で稲岡 編集長に、幾つか問い合わせたところ、「コンテンポラリー・クリスチャン・ミュージックは賛美歌のようにストレートに神を賛美するのではなく、神やキリストを『あなた』に置き換え、一見ラヴソングのように聞こえる場合もありますが、信者以外、あるいは若い信者、ビギナーにアピールするすること、あるいは時代を反映させることを目的としていると理解しています。サムエルのスタイルも今時のJ-popですね。歌詞を詳細に調べたわけではありませんが、おそらく、神やキリストを『あなたに』に置き換え遠回しに賛美している内容だと思います。」という、お返事をいただき、このジャンルの音楽についての認識を新たにした。

♪ ジェネヴァ・プライスからの贈り物<A Touch of Love>

そして大晦日の朝。お節料理の準備でバタバタしていたところに、A4サイズのパッケージがカンザス・シティから届いた。アメリカらしく差出人がなく住所だけ。何だろう?と開けて驚いた!カンザスの女性ヴォーカル・グループのワイルド・ウィメン・オブ・カンザスシティ(Wild Women of Kansas City, 以下ワイルド・ウィメン)のシンガー、ジェネヴァ・プライス(Geneva Price) からだった。中にはCD<LIVE at Pilgrim Chapel 9/26/2010>と、EP 版シングルレコード<A Touch of Love (sideA)/Together Whatsoever (sideB)>、数枚の簡単な解説、それに美しく細かい字でびっしりメッセージが書かれたグリーティングカードが入っていた。

仕事の手を休め、すぐにA面の<A Touch of Love>をターンテーブルに乗せてプレイし、キッチンに戻った。と、完全に料理の手が止まってしまった。自然体で唄うジェネヴァの声は若々しく透き通っており美しい!ちょっとポップな感じなバラードだった。解説も読まずに4〜5 回プレイして聴いた。録音にややエコーが強いという感じがしたが、デビー・ブーンやカレン・カーペンターといったシンガー達の声や歌い方が真っ先に私の頭をよぎり、70年代か80年の初期の録音だろうと想像した。
1年の終わりをこんなサプライズで締めくくれる事を嬉しく思いながら、その夜、ジェネヴァにお礼の電話をした。実は大晦日はジェネヴァの87歳の誕生日だったのだ。「私があなたのお誕生日にギフトをもらうって変じゃない?」と言うと、彼女は電話口でキャッキャとはしゃぎ、喜んでくれた。

この美しい<A Touch of Love>という曲。内容はさほど難しくはない。『イエス・キリストの愛を持って皆がお互いに触れ合うことにより、幸せを享受していこう。』といった趣旨の歌だ。

この曲は「Stations」というポール・ノヴォセル作のゴスペル・ミュージカルからの曲で、コンテンポラリー・クリスチャン・ミュージック。『イースター(キリストの復活)』を題材にした14パーツから構成されたゴスペル・ミュージカル中で歌われた1曲。1980年、ジェネヴァ49歳時、のプロ・シンガーとしてのファースト・レコーディング曲として、ナッシュビルの『Sound Emporium Studio』で録音された。(CCMはナッシュビル発祥)このスタジオは1969年に作られ、以後多くのアーティスト達の活動の場となっている。<A Touch of Love>は、その年の夏リリース以後、全米のCCMラジオステーションとKCNWというカンザス・シティ・エリアのクリスチャン対象のラジオ局で、12週間トップ20に入っていたそうだ。

ジェネヴァは、<A Touch of Love>をとても軽快に歌っており、宗教的な匂いはほとんど感じさせない。彼女がカンザス・シティのユニティ・テンプル(Unity Temple)という教会の日曜礼拝で唄っている事は知っていたが、私は彼女の歌はワイルド・ウィメンのショウ以外で聴いたことがなく、解説を読んだ時、『Organ 倶楽部』で聴いたKishikoさんのパフォーマンスと同じ CCM とはすぐに結びつかなかった。
単純にポップ・バラードというのでもなく、音楽のカテゴリーを超えた純粋な歌という感じがし、稲岡編集長の「CCMは信者以外、あるいは若い信者、ビギナーにアピールするすること、あるいは時代を反映させることを目的としている」と言われた意味が理解できたような気がしている。
このギフトの事をフェイスブックに投稿した直後、早速ワイルド・ウィメンのメンバーであるロリ・タッカーがコメントし、次々に友人達がメッセージをくれたが、カンザス・シティの友人達の中でもこのレコーディングを知る人は皆無だった。

♪ カンザス・シティ・レジェンド、ジェネヴァ・プライス

ジェネヴァ・プライスは 1930年12月31日カンザス・シティ生まれの87歳。彼女は幼少の時から様々なアートに触れ、織物や陶芸に造詣が深いアーティストである。
音楽が溢れる家庭に育ったが、正式に音楽の教育は受けてはいない。お父さんはダニー・シェイクスピアといい、カンザス州パーソンズを拠点に活動していた黒人バンドの先駆けだった『ザ・ロイヤル・ルースター(The Royal Roosters) 』というグループのドラマーだった。このバンドについては、バック・クレイトンの著書『ジャズ・ワールド(Buck Clayton’s Jazz World -1986)』に写真と共に記載がある。
ラジオからは常に音楽が流れ、通りを歩けばジャズが聞こえるカンザスシティという街が彼女をシンガーにしたと言うが、『遅咲きのシンガー』だと自分で言っている。「歌うことがずっと好きだったわ。メリー・ルー・ウィリアムスは私のお母さんのお気に入り、エラ・フィッツジェラルド、ジョセフィン・ベイカー、エセル・ウォーターズ、ビリー・ホリデイなんかが好きでよく聴いていたわ。教会に行っていたから、マリアン・アンダーソンやマヘリア・ジャクソンも勿論大好きだった。でもヴォイス・レッスンなんかは、やろうとも思わなかった。いくつかのマイナーなイベントがある時に引っ張り出されて歌ったりしたもの...でもそんなに真剣にやってたわけじゃないの。」と言う。

結婚後、子供が小学校に通うようになった頃、ジェネヴァは専業主婦だった。1960年代半ば、PTA 絡みの活動に参加していた彼女は、貧乏な牧師に「幼稚園を作りたいのだけど、そこで先生をやってくれないか?」と依頼される。そして、当時カンザス・シティの最下層の人達、働く両親を持つを小学校入学前の子供達を預かる場所と幼稚園が一緒になったプレ・スクール・プロジェクトに参加した。これはカンザス・シティ・ミズーリ学区の幼年初級教育の先駆けだった。そこで彼女はまず、『子供達のために唄うこと』を始めた。
ジェネヴァはマイク・メセニーが編集長だった頃の地元ジャズ誌JAMのインタビュー(2000/2001, Dec/Jan)で、こう答えている。「私達は子供達のために全ての事柄を歌にし、物語を作って詩に託しました。これは、たとえ子供達が音楽を演奏することに加わらなくても、聴く立場を知る事にとても役立つと思っています。子供達には初期教育がとても重要です。子供達が目と耳を傾け始める頃、全ての事柄は大きなインパクトであり、それが子供達の知識の始まりなのです。後に、その瞬間は音楽の基礎となるのです。子供達は先入観を持たず、ただ興味深く知識を求めているのです。」
ジェネヴァは、教会関連や子供達の集まるようなイベントでは、率先して唄っていた。ある時、彼女の友人の作曲家とのミュージカルのディレクター二人が、彼女のシンガーとしての才能を見出した。その友人達の勧めと説得により、『真剣に』唄うことを始めたジェネヴァは、その後、多くの合唱隊、コンベンションや会議の場や地元のラジオ局の番組になどに出演し、歌手としてのキャリアを積んでいった。プロデビューは彼女が40歳を過ぎてからだ。

ジェネヴァは2000年に結成された『ワイルド・ウィメン・オブ・カンザスシティ』のメンバーとして、マイラ・テイラー、ロリ・タッカー、ミリー・エドワーズと共に地元のクラブやイベントで歌い続けている。リーダー格だったマイラ・テイラーは惜しくも2011年に94歳で他界したが、このグループはマイラ亡き後も3人で活動を続けており、カンザス・シティにはなくてはならない存在だ。
彼女の声は若い頃より、ずっと低音で深く太くなっている。90歳に近くなった現在、彼女の18番、キャブ・キャロウェイの『ハリハリハリホ〜!』で有名な<Minnie the Moocher>や<Stormy Weather>を、背筋をピンと伸ばして朗々と唄う時、それは観客を吹き飛ばす程の勢いがある。

また、ジェネヴァはカンザス・シティのユニティ・テンプル(Unity Temple) のソリストとして50年以上、毎日曜礼拝で唄っている。ユニティ・テンプルは非常にユニークな教会で、キリスト教を始め、どんな宗教、宗派を問わず多種多様な宗教の人達を受け入れる。(Templeというのはキリスト教以外の本堂)1889年にファウンデーションが設立され、長い歴史を持つ教会である。

私がジェネヴァに最初に会ったのは、ワイルド・ウィメンのコンサートで 2005年。その後、彼女らと徐々に親しくなっていったが、特にジェネヴァとの関係は特別だ。
私はカンザス・シティに滞在する時は毎回、万難を排して彼女と過ごす時間を作る。彼女の歌を聴く時以外、一緒に食事をし、たわいのない話をし、2〜3時間一緒に過ごし「またね!」と言って別れる。彼女は私の母とほぼ同じ年齢だ。時に母親以上の顔になるが、いつも笑顔で子供のようにはしゃぎ、どうやったらあんな風にチャーミングに美しく歳を重ねていけるのだろうか、といつも思う。「私の人生を振り返ってみると、2つの事に感謝しなくちゃって思うのよ。一つは、”歌う才能が与えられたこと”。もう一つは、”その才能を使うチャンスを与えられたこと。”」と言っている。

 

彼女に「ファースト・レコーディングの CCM の事を書きたいのだけど。」と頼んだら「なんて、エキサイティングなの!私の古い過去がどんどん整理できて嬉しい!これで、色んな物が躊躇なく捨てられるわ!」と言って喜んでいた。私に対する不義理を謝り、「来年はもっとちゃんとやることを約束するわね!」とも言っていたが、彼女は何年も3ヶ月程に1回はメールやハンドライティングの手紙をずっとくれており、常に十分ちゃんとやっているのだ。

ジェネヴァは乳癌サーバイバー歴が今年で57年になる。カンザス・シティの乳癌サポートグループから数年前に表彰されている。
『Organ Jazz 倶楽部』で聴いたKishikoさんも甲状腺癌から見事に復帰している。偶然、ということではなく、何か彼女らに共通しているものがあるような気がしてならない。それは『強さ』とか『前向きな姿勢』というような簡単な言葉では言い表す事はできない。優しさ、謙虚さ、地道な努力、決して諦めない事、運をつかむ力、感謝、そして愛する事...クリスチャンかどうかという事ではなく、この二人のシンガー達から見習うべき事が山程ある。

年の瀬に、彼女たちの歌に心打たれたのは偶然ではない気がしている。
2016年は災害、テロからオリンピックまで、いつもの年よりさらに本当に色んな事があった。個人的にも身の回りが慌ただしく変わった。この原稿が公開される頃、アメリカには新しい大統領が誕生しているはずだ。先行きが不透明な 2016年の年の瀬から新年にかけ、世界中の多くの人達が大きな不安を抱えているに違いないと察する。
私もそんな一人ではあるが、私の元に届いたサプライズ・ギフトは、新しい年に向け大きなモチベーションになった。

(2017年1月10日)

関連リンク

* <A Touch of Love>

*Jazz Tokyo No.225: Live Evil #26 Kishiko クリスマス・ゴスペル・セッション
https://jazztokyo.org/column/live-evil/post-11674/

*Jazz Tokyo :カンザス・シティの人と音楽・#27. マイラ・テイラー&ワイルド・ウィメン
https://jazztokyo.org/column/kansas/post-11804/

*Wild Women of Kansas City : カンザス・シティ市長、スライ・ジェームスとの掛け合い  <Kansas City>@Midland Theater , Kansas City

竹村洋子

竹村 洋子 Yoko Takemura 桑沢デザイン専修学校卒業後、ファッション・マーケティングの仕事に携わる。1996年より、NY、シカゴ、デトロイト、カンザス・シティを中心にアメリカのローカル・ジャズミュージシャン達と交流を深め、現在に至る。主として ミュージシャン間のコーディネーション、プロモーションを行う。Kansas City Jazz Ambassador 会員。KAWADE夢ムック『チャーリー・パーカー~モダン・ジャズの創造主』(2014)に寄稿。Kansas City Jazz Ambassador 誌『JAM』に2016年から不定期に寄稿。

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