#56 『ジェイ・マクシャン・ライブ・イン 東京 1990』東京からカンザス・シティへ

閲覧回数 2,309 回

#56 『ジェイ・マクシャン・ライブ・イン・東京 1990』東京からカンザス・シティへ
『Jay McShann Live in Tokyo 1990』From Tokyo to Kansas City
text by Yoko Takemura 竹村洋子

photos: Yoko Takmeura, Used by permission of the University of Missouri-Kansas City Libraries, Dr. Kenneth J. LaBudde Department of Special Collections, courtasy of Linda McShann, Leigh Jayne McShann Lewis, Victoria Dunfee and Bill Brownlee.

JT#252で小西 啓一さんに『ジェイ・マクシャン・ライブ・イン 東京 1990』のCDレビューを、及川公生さんに聴きどころチェックで取り上げていただいたが、このCDをリリースした経緯と、CDを巡るカンザス・シティのジャズシーンの話を披露しようと思う。

2018年の2月初め、40年来の友人で現在は音楽業界を引退している渡辺 隆行氏から「ジェイ・マクシャンの1990年の日本公演のマスターテープをCD化する話を、友人の坪井君が進められそうなんだけど、又、手伝ってくれないか?」と依頼された。

1990年頃、新宿ルミネ内に『Indigo Blues at The Act』というジャズクラブが、2年間ほど『パートタイム・ジャズクラブ』としてテンポラリーにオープンしていた。現在、新宿ルミネ2の『ルミネ the よしもと』がある場所で、JRが運営する新宿ルミネと神原ミュージック・コーポレーションが共同で企画、運営していた。読者の中にはご記憶の方も多いと思う。
オリジナルの『Indigo Blues』は1988年にニューヨークの 228 W47th St .(6th~7th Ave.)、マンハッタンのほぼ中央にあるThe Hotel Edison の地下にオープンしたクラブで、マイルス・デイヴィスも所有権を持っていたようだ。
神原ミュージック・コーポレーションのスタッフは、新宿ルミネから何かあの場所に良い企画はないかと依頼され、当時話題になっていたニューヨークの『Indigo Blues』に出向き、2年契約のイメージ使用料を払い、ルミネのイベント企画部と一緒に日本に『Indigo Blues at The Act』オープンさせた。IW HERPERがスポンサーとなり、100席ほどのリラックスしたカジュアルな雰囲気のジャズクラブだった。
ニューヨーク・ヴォイセズ、セルジオ・メンデス、カウント・ベイシー・オーケストラ、リー・リトナー、ボブ・ミンツァー、ミッシェル・カミロ、エディ・ダニエルズ&ゲイリー・バートン、リチャード・ティー&スティーヴ・ガットなどが出演していた。月に1回、もしくは2回、1週間という期間の興業だった。

ジェイ・マクシャン(1916.1.12~2006.12.7)は1990年の4月、この『Indigo Blues at The Act』で4日間演奏を行なった。ベースはリン・シートン、ドラムはチャック・リグスというピアノトリオだった。当時のイベントプロデュサーだった渡辺氏はこの時、マクシャンが次にいつ来日できるか解らないし貴重なライブ演奏なので録音をしておこうと決め、使用権も取っておいた。その録音は30年近くも陽の目も見ずに眠っていた。
マクシャンは前年の1989年に『斑尾ジャズフェスティバル』で初来日し、これが2度目の来日でピアノトリオでは初のパフォーマンスだった。

冒頭に渡辺氏が私に、「又、手伝ってくれないか?」と言ったのは、このCD製作の話、実はマクシャンがまだ存命中の2005年に一度進め始めていたが、どうしてもクリアできない事情があり実現できなかったのだ。それに再挑戦しよう、ということだった。私は即座に返事をし、このプロジェクトにコーディネーターとして参加する事になった。その時、CDをリリースする事だけではなく、もしかするとカンザスシティで何か面白いことができるかもしれない、と思った。

音楽プロデューサーでもないこの私をプロジェクトに誘ってくれたのは、私自身がこの1990年のIndigo Bllues のショウに行き、マクシャン・トリオを目の前にして演奏の素晴らしさを知っていた事、2005年にデモCDを聴き演奏を再確認していた事、そして、カンザス・シティに長年通い、ジェイ・マクシャンの娘達のリンダ、ジェニー、パムと親しいので話が進められやすい、という事などの理由からだった。特に、ジェイ・マクシャン&マリアン夫婦が亡くなってからは、マクシャンの多くのことを取りまとめている長女のリンダと親しい。カンザス・シティに行った帰りには必ずリンダの住むシカゴに立ち寄り一緒に遊んでくる。次女のジェニーはカンザス・シティ在住で地元で行われるマクシャン関連のイベント等は彼女が中心となって動いている。末娘のパムはヒューストンに住んでいる。

話は少し飛ぶが、渡辺氏と私は10年ほど前に小さなビジネスをカンザス・シティで行ったことがある。渡辺氏は版画を製作するのが得意で、ミュージシャン達のポートレイトを何枚も作り、『Jazz on Wood』というタイトルをつけ、プロジェクトにした。そこにはジェイ・マクシャンやボビー・ワトソンといったカンザス・シティのミュージシャン達も含まれる。それをアメリカン・ジャズ・ミュージアムで売っていた。その時、版画を持ってマクシャンの家を訪ねた。この版画はCDカバー内に印刷されている。

私が9月にカンザス・シティ行きを決めていたのも、グッドタイミングだった。渡辺氏の友人でこのショウを録音した『T2AUDUO STUDIO』の主宰、坪井義幸氏がオリジナルのテープをリマスターしたデモCDと、契約内容をまとめて持って行くことになった。このプロジェクトは坪井氏がオーナー、プロデューサーである。

カンザス・シティのジャズシーンは今、多くの問題を抱えている。ローガン・リチャードソン、ハーモン・メハリは活動拠点をパリへ移し、ボビー・ワトソンもカンザス・シティ以外を演奏旅行している。カンザス・シティ出身のスター・プレイヤー達は地元に戻ってこない。18th & Vine ジャズ・ディストリクトにあるアメリカン・ジャズ・ミュージアムは立て直しを迫られ、現在CEO不在、Kansas City Jazz Ambassadorsも全スタッフが交替し、発行するジャズ誌『Jam』も読む所がないくらい全く面白くない。
私も、若手のミュージシャン達の台頭によって新旧合わせてミュージシャン達の勢いは良いが、その周辺のサポーター達が特におかしい、と昨年9月のカンザス・シティ訪問後にレポートした。

若い世代のミュージシャンは、大体が1980年代以降の生まれ。チャーリー・パーカーは知っていても、ジェイ・マクシャンをはじめとする、クロード“フィドラー”ウィリアムスやメリー・ルー・ウィリアムスといった、いわゆるカンザスシティ・ジャズのレジェンド達をほとんど知らない。カンザス・シティの宝であるジャズ・レジェンド達の存在がだんだん薄れてきている。その事を誰よりも危惧しているのは、マクシャンの娘達、リンダ、ジェニーとパムである。
マクシャンのCDは2003年にリリースされた『Going to Kansas City』が最後で、2010年代に何枚かリリースされているが、古い録音の復刻版がほとんどだ。

2018年9月にカンザス・シティを訪れた時、まずマクシャンの娘達のリンダとジェニーに会った。9月の第1金曜の夜で、アメリカン・ジャズ・ミュージアムのスタッフでもあるジェニーはミュージアム内のイベント会場にいた。ジェニーはイベントを運営し、シカゴに住むリンダはその手伝いに来ていた。毎月第1金曜の夜はギャラリーやクラブでも何かしらイベントをやる忙しい日なのだ。イベントが11時頃終わり、皆が去り誰もいなくなった寂しいミュージアムのホールの長椅子に私を挟んでリンダとジェニーが座り、CDリリースの話をした。事前にメールで少しやり取りをしていたので、リンダは「ジェニーがOKならOKよ。」ジェニーは「リンダがOKならOK。」と、いう具合に快諾してくれた。
そして、カンザスから日本に帰国する時に立ち寄るシカゴでリンダと細かい契約内容の打ち合わせを、ということになった。

UMKC ( University Kansas City of Missouri)、マー・サウンド・アーカイブスのサウンドディレクターであるチャック・へディックス氏は、彼は学生達と一緒に『ジェイ・マクシャン・プロジェクト』なるものを行なっている。これは、マクシャンの経歴、録音のコレクションの整理、スコア、写真からマクシャンにまつわる様々なコレクションだ。私が訪れた時、マクシャンが1990年に来日した時のワーキングビザを偶然見つけ、驚いた。
こんなことも絡めて、カンザス・シティのジャズシーンに何か新しい話題を提供できたら、と考えていた。

ライナーノートは最初からUMKCのチャック・へディックス氏に依頼する事を決めていた。彼以外にカンザス・シティ・ジャズとマクシャンのことを書ける人はいないと、確信していた。
へディックス氏のオフィスを訪ね、デモCDをプレイした。へディック氏とライブラリー 、ラ・ブッデ・コレクションズのケリー・マクエリニー氏は聴いた瞬間、「素晴らしい演奏と録音!」と感嘆の声を上げ、へディックス氏にライナーノートを依頼したところ、「僕、やるよ!」と瞬時に快諾。CDカバーに使う写真選びもスタッフのマクエリニー氏が手伝ってくれ、無償で提供してくれた。
こちら側はマクシャンが『Indigo Blues at The Act』で演奏した時にクラブが使用していたお皿にサインをした物を、UMKCのジェイ・マクシャン・コレクションに寄附をすることにした。このお皿は渡辺氏が長年持っていたもので、リンダやジェニー、へディックス氏も「ジェイはこんな事やってたんだね~!是非コレクションに加えたい。」と驚き、大喜びだった。

カンザスからの帰り道、シカゴに住むリンダのアパートを訪ねた。リンダは翌日にご主人と一緒にカンザス・シティにまた戻ることになっており、引越しの真っ最中だった。「家中ダンボールだらけよ。忙しくても大事な事だから、時間を作るから来て頂戴。」と言われシカゴのミシガン湖、レイクショアの最高の立地にある高層アパートを訪ねた。倉庫状態の部屋の中、リンダはマクシャンのデモCDを大きなボリュームでプレイし、「この演奏って、凄いじゃない?ちょっとジェイっぽくないのよね。でも、どの曲も良いわよね!」と聴きながら、契約の細かい話をした。

帰国してから、坪井氏に報告をし、早速契約書をリンダとサイドミュージシャン達に送り、すぐにでもプレスできるような状態だったが、ドラムのチャック・リグスの行方が判らず、探し出すのに苦労した。東京でのショウは30年近く前のことである。リン・シートンは現役でバリバリだが、チャック・リグスは既にリタイアしているようで、ニューヨーク、ニュージャージーのユニオンに聞いてみたり、ニューヨーク在住の知り合いのミュージシャンに片っ端から聞いたが判らなかった。最期はベースのリン・シートンの友人が探し当ててくれた。
同時にCDに入れるブックレット用にはへディックス氏が素晴らしいライナーノートを書いてくれ、スタンリー・ダンス著『カウント・ベイシー』の名訳をされた上野勉氏に翻訳を頼んだ。
こんな事をやりながら2018年の年末になり、マクシャンの誕生日1月12日が近づいてきた。

リンダとジェニーは1月12日にアメリカン・ジャズ・ミュージアムで『 Jay McShann Birthday Bush』というマクシャンの誕生日のセレブレーションを企画していた。
そこにはへディックス氏も参加し、マクシャンについて語る場面もあった。またジェイ・マクシャン・コレクションの展示も、アメリカン・ジャズ・ミュージアム内のチェンジング・ギャラリーでもあった。そこにはマクシャンの日本でのワーキングビザやサイン入りのお皿や渡辺 氏の製作した版画もディスプレイされていた。
また、誕生パーティの場で今回製作した『ジェイ・マクシャン・ライブ・イン東京 1990』を2曲プレ・リスニングとしてプレイしてくれるように頼んだ。(このCDは2016年のマクシャン関連の生誕100年に合わせてリリース出来れば良かったのだが…。)
生憎、この日のカンザス・シティはまれに見る豪雪で、あまり人が集まらなかったが、リンダは「とても素敵なパーティで満足している。」と言ってきた。

UMKCのへディックス氏は30年以上にわたり、自身が選曲、DJを務める『Fish Fry』というラジオ番組を持っている。毎週金曜、土曜の夜8時から12時(アメリカ・CST)までKCURというラジオ局で生放送される、ジャズ、ブルース、R&B、ザディコの番組だ。
https://www.kcur.org/programs/fish-fry#stream/0 )私も週末は日本で土曜と日曜の自宅にいる時は、だいたいストリーミングで聴いてる。
シンガーのデヴィッド・バッセ氏も同じように『Jazz With David Basse』というラジオ番組を持っている。(https://exchange.prx.org/series/34414-jazz-with-david-basse)この二人にデモCDを送り、彼らの番組で『ジェイ・マクシャン・ライブ・イン・東京 1990』が発売されることをインフォメーションしてくれるように頼んだ。彼らはバースデイ・パーティーのインフォメーションと一緒にCDもプレイし、3月に発売される頃までCDの事をインフォメーションしてくれた。
へディックス氏は、毎回プレイしてくれた。またデヴィッド・バッセ氏は「素晴らしいCDで、どの曲も聴く度にどんどん好きになる。」と言ってきた。この2人は新しいCDをかなり広めてくれた。

そして3月10日に日本版の『ジェイ・マクシャン・ライブ・イン東京 1990』は発売の運びとなった。日本でもジェイ・マクシャンは過小評価されているようで、マクシャンを知り、好きなジャズファンはどれ位いるか全く予想がつかなかった。
CDは基本的に日本でのみの発売なので、カンザス・シティにはリンダとジェニーに、ある程度まとまった量を無償で提供し、彼女達が好きな値段で売って良いという契約内容にした。出来上がったCDをリンダ・マクシャン、ジェニー・マクシャン、チャック・へディックス、デヴィッド・バッセ、地元ジャズ誌『Jam』の元編集長のラリー・コピトニクス氏とロジャー・アトキンソン氏、ブロガーのビル・ブラウンリー氏に送り、宣伝してくれるように頼んだ。コピトニクス、アトキンソン、ブラウンリー氏のブログは定評がある。
以下、ロジャー・アトキンソン氏のCDレビュー。https://www.livejazzkc.com/the-jazz-scene-kc/jay-mcshann-live-in-tokyo
ビル・ブラウンリー氏は『プラスティック・サックス』というペンネームでカンザス・シティのジャズシーンを10年以上に亘り書き続け、この街のジャズをサポートしている。この6月、カンザスシティプレス・クラブ・アワードをアート&エンターテイニング・レポーティング部門で受賞している。(http://plasticsax.blogspot.com

リンダとジェニーはCDリリースパーティーをやり、そこでCDを売ることを計画した。アメリカ版はまだ発売されておらず、カンザスシティのみの発売なので、『A View Into Hootie’s Blues~A CD listening party of Jay McShann Live in Tokyo(1990)』というCDリスニング・パーティを5月20日にアメリカン・ジャズ・ミュージアム内のクラブ、The Blue Roomで行う事にした。
地元FM局のラジオパーソナリティのグルーヴィー・グラント氏と ジェニー・マクシャンが司会をし、ハッピーアワーを『ジェイ・マクシャン・ライブ・イン東京 1990』を聴いて過ごす。というイベントを催した。オーディオ・クリップや過去のインタビューの映像を流したりもしたようだ。
またもや、この日のカンザス・シティは大サンダー・ストームという最悪なお天気だったようだが、それでも40人弱が集まった。
アメリカン・ジャズ・ミュージアムの臨時CEOのラルフ・カルロ夫妻 、地元紙KCStarの編集者でUMKCで教鞭もとるスティーヴ・クラスキー氏、デヴィッド・バッセ氏やビル・ブラウンリー氏、マクシャンとよく一緒に演奏していたサックス奏者の故アーマド・アラディーン夫人のヴィクトリア・ダンフィー、マクシャン同様カンザスシティ・ジャズレジェンドの故ルクマン・ハンザの娘やジャズ・ピアノ教師のトニ・オリヴァーといった人達も来ていたようだ。
「終始とても良い雰囲気で、皆、新しくリリースされたCDの素晴らしさに驚き、満員御礼とはいかなかったけど、カンザス・シティのジャズ・シーンにおけるVIPが何人か出席していたのは嬉しかった。手伝ってくれてどうも有難う!」とイベント翌朝にリンダから電話で聞いた。ジェニーからも「とても楽しく、イベントは成功だった。このCDを作ってくれ、心からお礼を言いたい。」とメールが来た。

イベント後、私にはおまけでNPRラジオ局の番組でパーソナリティをも務めるブラウンリー氏から彼の番組のゲストとして出演、スカイプを使ってのインタビューのオファーが来た。「今、マクシャンのCDをリリースする意味は?」ということを強く聞かれ、「ジェイ・マクシャンはジャズの歴史を語る上でもとても重要な人。多くの人達がカンザス・シティのジャズ・レジェンド達の存在を忘れかけている。マクシャンだけでなく、カンザスシティ・ジャズの継承をきちんとやっていくべき。」というような話をした。この原稿がアップされる頃にはオンエアーされているだろう。

日本ではCD発売から3ヶ月経つ。私達が、当初思っていた以上に良い評判で売れている。カンザス・シティではイベントのあった5月20日がアメリカでの発売となった訳で、まだ始まったばかりだ。リンダとジェニーはこれからCDを売り始める。また、アメリカ盤をリリースできるように音源の使用権を買ってくれる人を現在探しているところだ。

カンザス・シティに通い始めてから20年余、多くの友人達と一緒に本当に良い時間を持つことができた。その恩返しのような気持ちで軽く始めた事で、CDのプロモーションやバースデイ・セレブレーションやリスニング・パーティ等についてマクシャン・ファミリーを少しサポート出来、カンザスの人達も一緒に喜んでくれたことを大変嬉しく思う。スタートした昨年2月から発売まで様々な事があり、とても楽しい1年間だった。
この様な機会を与えてくれた日本とカンザス・シティの友人達、そしてジェイ・マクシャン・トリオ、へディックス氏がライナーノートに「旅人からの贈り物、素晴らしいプレゼント」と書いているが、まさにその『最高のギフト』をくれたジェイ・マクシャンには心から敬意を評し、感謝している。

『ジェイ・マクシャン・ライブ・イン東京 1990』は、カンザス・シティだけでなく、全世界の特に若い世代のミュージシャン達に聴いてもらいたい。カンザス・シテイのジャズのエッセンスが詰まっている。理屈抜きに楽しいアルバムだ。Kansas City Jazz LIVES !(2019年、6月8日記)

♬関連リンク

https://jazztokyo.org/column/kansas/post-4746/

https://jazztokyo.org/column/kansas/post-3455/

https://jazztokyo.org/column/kansas/post-36814/

竹村洋子

竹村洋子

竹村 洋子 Yoko Takemura 桑沢デザイン専修学校卒業後、ファッション・マーケティングの仕事に携わる。1996年より、NY、シカゴ、デトロイト、カンザス・シティを中心にアメリカのローカル・ジャズミュージシャン達と交流を深め、現在に至る。主として ミュージシャン間のコーディネーション、プロモーションを行う。Kansas City Jazz Ambassador 会員。KAWADE夢ムック『チャーリー・パーカー~モダン・ジャズの創造主』(2014)に寄稿。Kansas City Jazz Ambassador 誌『JAM』に寄稿。(2016)

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

↓ ロボットでないかお知らせください。 * Time limit is exhausted. Please reload CAPTCHA.

%d人のブロガーが「いいね」をつけました。