JazzTokyo

Jazz and Far Beyond

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No. 213カンザス・シティの人と音楽 竹村洋子

45. カンザス・シティ・トリップ、2015年8月〜9月

text and photos by Yoko Takemura 竹村洋子

チャーリー・パーカー・バースディ・セレブレーションに合わせ、8月25日から2週間程、カンザス・シティに滞在した。 私の身辺も様々な事が変化し、そう簡単に長期に東京を離れる訳にもいかなくなって来た。8月に入ってからの急な円安等、ネガティブな材料も多くギリギリまでどうするか迷った末の渡米だったが、今年はバード生誕95年、没後60年にあたり、カンザス・シティでバードの誕生日を一緒に祝おう、という友人達の誘いに「どうしても行きたい!」という気持が勝ってしまった!

今回のカンザス・シティ滞在は1998年以来通い続けた中でもベスト3に入る程、中身の濃い充実した滞在だった。 まず、街全体に活気があった。昨年、カンザスシティ・ロイヤルズは29年ぶりにMLBのワールドシリーズ出場を果たした。今年も引き続き元気が良く、この原稿執筆中の現在、昨年に引き続きワールドシリーズ出場を決めた。そんな事も街の活性化に大きく影響しているだろう。 ジャズシーンも活気に溢れていた。

♪カンザス・シティの街の概観について

ミズーリ州、カンザス・シティは150程の地区で成り立っている。カンザス・シティ国際空港から南へ約25km、ミズーリ川を渡ると、カンザス・シティのダウンタウンに入る。その中には、リヴァー・マーケット地区、パワー&ライト地区、18th& Vine 歴史的地区、芸術文化の中心となるクロスロード地区等も含まれる。ホールマーク本社、ショッピングセンター、2つのホテルなど有し、年間500万人以上の人が訪れるコンプレックスのクラウン・センターもここにある。高層ビル群は高速道路に囲まれたダウンタウンループ内に集中している。鉄道の拠点であるユニオン・ステーション、カウフマン・センター・フォー・ザ・パーフォーミング・アーツもダウンタウン南に位置する。 ダウンタウンの南には住宅地のウエストポート地区(チャーリー・パーカーが最初にカンザス・シティに越して来た時に住んだエリア)、高級住宅街のカントリー・クラブ地区等が広がる。スパニッシュ風の街並のショッピング& エンターテイメント・エリア、カントリー・クラブ・プラザ(以下プラザ)もここにある。プラザでは週末になると街角でジャズ、ブルース、カントリー等のアウトドア・ショウが楽しめる。毎年9月の最終末に催される80年以上の歴史を持つアート・フェアには240のアーティストと25万人の人出とライブミュージックで賑わう。又、プラザから車で5分程走ればケンパー・ミュージアムや東洋美術のコレクションを誇るネルソン・ミュージアムがある。 カントリー・クラブ地区の南に住宅地のサンセット・ヒル地区、サウス・プラザ地区、広大なUMKC (University of Missouri of Kansas City)のキャンパスが広がるブルックサイド地区、クレストウッド地区などがある。この辺りには、おしゃれなブティックやショップも点在する。 その南に、1930年代、ペンダー・ガスト知事が住んでいた大邸宅街ミッション・ヒルズ地区がある。さらに南へと住宅街は広がり、隣接するカンザス州のリーウッドへと続いて行く。この西にはカンザス州の高級住宅地オーヴァーランドパークが、東にはミズーリ州のミドルクラスの住宅街が広がる。この辺りまでがダウンタウンから約20km でカンザス・シティ在住と言われる人達の居住地域にあたる。 と簡単にカンザス・シティの概観を記したが、街はなだらかな丘のアップ&ダウンがあり、私もこの地理を地図と照らし合わせて理解するまで、かなりの時間がかかった。

私は最初にこの街を訪れて以来、プラザの近くに滞在している。カンザス・シティの友人達の居住地のほぼ真ん中にあたり、皆が私をピックアップし易い事、また、プラザにはレストランやショップ、週末のライブジャズも楽しめ、何かと便利であると共に街の変化も解り易い。 読者の皆さんには、この辺りの事を照らし合わせてレポートや写真を見て頂けると、さらに街の様子が解って頂けると思う。

♪ショップのスクラップ&ビルド

今回の滞在で、私は3年前までとは違う『街の活気』を感じた。ショップやレストランが充実しており、新しく出来たビルやリノベーションされた公共施設にも以前とは少し違った活気を感じた。ほとんどの友人達は、私の意見に対し「良くも悪くもあるわね。」と言う。「ロイヤルズが貢献してる事もあるかもしれないけど、確かにこの1〜2年で皆わりと買物をしに外に出る様になったかもしれない。」と言っていた。 プラザは大きく変わっていた。ここには、日本でもグリーティング・カードで有名なホールマーク社傘下のデパート『Halls』があった。この店が閉店していた。このデパートは小型ながら、カンザス・シテイの高級所得者層をターゲットにした素晴らしい品揃えの店で、一般庶民にはショウルーム的な店だった。『Halls』はダウンタウンのクラウンセンター内にもあった。その両方が閉店したのにはがっかりだった。友人達も皆、「目の保養をする所がない」と残念がっているが、実際にはそれだけの消費をする顧客(アメリカの1%の富裕層)のニーズをカバーする店を維持できなくなっての閉店となった様だ。 クラウンセンター内の『Halls』は子供達を対象にした水族館になっていた。 『Halls』が閉店した後のプラザには、新しい店が増えていた。コンセプチュアルな生活提案型の店のショップが目立ち、品揃えも充実していた様に思う。『Halls』に変わって『HMK』という小さな店がオープンしていた。グリーティングカードを中心にキッチン用品、生活雑貨、インテリア用品、ベビー用品などを扱うギフトショップ。店に入ると店員が「クッキーをどう?」と持って来てくれる楽しい店だ。庶民の手が出る価格帯を設定している。 その他、日本茶と茶器を扱う店、テーブルウエアやインテリアグッズと洋服を一緒に扱う店、香りとバスグッズやベッド関連用品の店、また日本でもおなじみのファスト・ファッションの『Forever21』や『H&M』等も繁盛している様子だった。 庶民が楽しく現実的に買える商品をきちんと品揃えする店が多く、そんな店に平日の昼間も、観光客だけでなく地元の人も多く入っていたように思う。シーズン的に夏物最終バーゲンと秋物が立ち上がっており、見るべき物が多かったかもしれない。 プラザを歩くと、まだ改装中の店舗も所々にあった。店の新陳代謝も激しいのだろう。

このプラザ周辺から街の中心部は、最近土地が値上がりしており、多くの人達がカンザス・シティ中心部から南の方へ移動して来ている、と聞いた。人の移動と共に、新しいレストランやショップもこの2年程の間に随分増えた様だ。 ただ、現実には景気は回復しているとは言えず、消費をするのは、未だ病気の心配をする必要のない若い正規雇用者、若いダブルインカムや子供のいないのカップル、2008年のリーマンショック以前にきちんと収入があった年配の人達だという。『一般の中流階級層の節約指向は変らず、ケーブルTVの契約をやめたり、電話は携帯で充分、と家の電話をやめたり、クレジットカードの使用は出来るだけ控えるとかして、健康保険にかかるお金を何とかやりくりしてるんじゃないの?』と親しい友人の1人は言っていた。

♪スーパー・マーケットに“食”の新しい流れを見る

海外でスーパー・マーケットに行くのは大きな楽しみの一つだ。スーパーには地元ならではの物がある。アメリカのスーパーと言えば、『Walmart』や 『K- Mart』が有名だが、ここ数年の友人達のお気に入りは『Target』と『Whole Foods Market』だ。『Target』は『Walmart 』に次ぐ、全米で第2番目の規模を誇るディスカウント・チェーン店で約1800店鋪ある。とにかく何でもありトコトン安く品質もそこそこだ。 『Whole Foods』は自然食品、オーガニック食品を主として扱う『グルメ・スーパーマーケット』として全米中心に430店舗程ある。オリジナル商品も含めパッケージデザインも洗練されており、私も滞在中にホテルで食べるものや、スパイス類等を買って日本に持ち帰っている。

今回、「日本にはない珍しい食品が買える店に連れて行って欲しい」という私のリクエストに友人夫婦が答え、『Trader Joe’s』というスーパーに連れて行ってくれた。 『Whole Foods』も『Trader Joe’s 』も日本に店はないが、おしゃれなエコバッグがアマゾンなどで販売されており、若い人や主婦層に人気がある。私もそこから『Trader Joe’s 』を初めて知り、是非行きたいと思っていた。 『Trader Joe’s』それほど新しい店ではない。始まりは1958年ロサンジェルスに第1号店がオープンする。最初はコンビニエンス・ストアだったようだ。他のコンビニとの競争激化によって店が次第に大型化し、扱う商品も増えて行き、’60年代後半に現在の店鋪形体になった。現在は『グルメ・スーパーマーケット』に分類され、全米に457店舗ある。ここ数年、この店の勢いがとても良い様だ。カンザス・シティではミズーリ州側とカンザス州側に1店舗ずつある。両店とも開店して3年以内だ。 食料品とアルコール中心の品揃えで、安く品質の良い商品が売り。オーガニック・フードやベジタリアン・フードもある。オリジナルの冷凍食品の品揃えがとても充実している。パッケージからして、『ただレンジでチン!』という感じはしない。パイの皮は何処よりも美味しいらしい。友人が「洋梨のタルトはここで買ったらもう自分で作る気がしない」と言っていた。アルコールも1本2〜3米ドルの安いワインが人気だそうだ。 私はクッキーやナッツ類を買い込んだ。また、スパイス類が豊富で、サフランが日本の3分の1の値段という安さに驚き、小さい瓶をいくつか買った。友人達と1時間程ショッピングを楽しんだ。 スーパーにある食品を見ながら、なるほど『グルメ・スーパー』。アメリカ人の食生活がだいぶ変って来ている様子を感じた。

この店で初めて、カンザス州とミズーリ州には1930年代の禁酒法の時代からの慣習が今でも強く残っている事を知った。私達はミズーリ州のワード・パークウエイという所にある『Trader Joe’s』に行った。友人夫婦はカンザス州のオーバーランド・パークに住んでいる。友人が「カンザス州じゃアルコールが買えないから!」両手にワインとビールを抱えてカートに放り込んだ。 ’30年代禁酒法の時代、カンザス州カンザス・シティでは、当然アルコールは手に入らなかった。当時の民主党のミズーリ州知事のペンダーガストが禁酒法を破り、ミズーリ州カンザス・シティではアルコールが解禁だった。その結果、街が栄え、カンザスシティ・ジャズが生まれ発展した。 現在も、カンザス州の大半は禁酒郡(ドライ・カウンティ)だそうだ。地方行政当局が酒類の販売を禁止したり、制限している郡が、特にプロテスタント系の人達が多いアメリカの南部中心にこの2015年にも未だ残っている、という話を聞いて驚いた。それでも最近はカンザス州も大分規制が緩和されて来て、日曜でもアルコールが手に入る様になって来たようだ。「カンザスとミズーリはバイブルベルトに位置していて、まだまだ人種の問題も多いけど宗教色が強いから安心、という人達もいるのよ。」とある友人が言っていた。別の敬虔なカソリックの友人は、「プロテスタントだってお酒ガンガン飲むわよ。皆ミズーリに買いに来てるじゃない!それで、銃をガンガン発砲しているのよ!」と大笑いしていた。アメリカの表と裏だろうか?

♪レストランに見る“食”の変化

今回、レストランでの“食”もかなりレベルが上がり充実していたと感じた。 このコラムには、「カンザス・シテイは食べるものがとても美味い所」と、何度も書いた。滞在2週間中はほぼ毎日、ランチとディナーは外のレストランで友人達と一緒に食べた。友人達は皆テイストが違って好みのレストランがある。不思議な事に毎回の滞在で、同じレストランに違う人と一緒に行った事は一度もない。 それだけレストランが豊富にあるという事だが、私の舌に合わず嫌な体験をした事も一度もない。今考えると、これは凄い事だと思う。私は量は食べないし、脂っこい物も極力避けている。そんな私を友人達は毎回、色んな所に連れて行ってくれ、しかもほとんど味に裏切られた事がない。 量が多くて残した事はあるが、それも友人達が家に持ち帰る。

コラム#42の『ハーモン・メハリ(tp)の東京滞在記』で、彼が如何に食べる事に執着しているか、という事を書いた。私はあの時、若いハーモンだけが特別に食に感心があるという事はなく、きっと私が行っていない3年間の間に何か変化があるはず、と思っていた。そして、ハーモンのバックグラウンドとカンザス・シティの食文化の変化に興味を持っていた。 ハーモンと東京で過ごした時に、カンザスのレストランの話になった。彼に、どこに行った事があるか?と聞かれて答えたところ、「そこそこの所に行ってるじゃない!今度来た時には、僕が一番良いと思う所に連れて行ってあげるよ!」と約束して帰った。

ハーモンとはランチ1回、ディナー1回を一緒にした。ランチは『Grand Street Cafe』に行った。ここは以前にも2回行った事があったので、期待通りだった。サーモンのムース仕立てを食べた。とてもヘルシーなランチだった。 ディナーはダウンタウンのクロスロード地区の西にある『novel』というレストランに行った。ハーモンはシェフを良く知っているらしい。彼が「特別!」というだけあり、文句なく素晴らしいディナーだった! ハーモンはスターターに『ハマチの刺身風』とメインに『リコッタチーズのニョッキ』、デザートに『ピーチのラズベリーソース、ヘーゼルナッツかけ』をオーダーし、私はメインに『ホタテ貝のソテー、チリソース』とサイドに『オクラのフライ』。デザートに『チョコレート・ケーキ(ほとんど生チョコ)バーボン・キャラメルソースがけ』をオーダーし、シェアした。これにパンがつき、ワインのシャルドネを1グラスずつでお腹一杯。素材はすべて新鮮。味はマイルドで、塩分もきつくなく大変美味しかった。 全体に全く脂っこさもなく、デザート以外カロリー控えめ。 デザートだけはちょっと凄いボリュームだったが、残さず全部食べた。トータルで1人40米ドル弱。消して高くない。レストランは緑豊かで静かな住宅街に近いエリアにある小さな店。カジュアルで少し暗い照明で30席程だが、平日の夜7時過ぎ、満席だった。 『Grand Sreet Cafe』も『novel』もリーズナブルでヘルシー。量も適量だった。 私は『novel』の様な所で毎晩食事をしていた訳ではないので、誤解の無きように!

アメリカ人はサラダランチがとても好きだ。 私もランチはほとんどサラダが中心だった。 『ニュー・アメリカン・キュイジーヌ(new American cuisine)』というカテゴリーの料理がある。『ニュー・アメリカン・キュイジーヌ』は’80年代頃からカリフォルニアで生まれた。そもそもアメリカ料理というのは、開拓民から様々な人種や民族が溶け合って出来たものだ。そこには生き残る為に必要なエネルギーと栄養がたっぷり含まれる。’80年代頃からシェフ達が自分達の料理に新しいレパートリーと革新性を取り入れ始めた。と同時に他国の料理技術(特にフレンチ)を取り入れ始める。この頃、アメリカ全土で健康意識が最高潮を迎え、食に関してもより健康的で自然なものが求められる様になって来た。そして、地産や旬の素材にこだわった食材に注目する様になった。(ザカットより引用) その後、この流れは徐々に広がって行き、最初はアメリカン&フレンチのミックスだったのが、アジア、地中海、ラテンアメリカ等、とさらに広がっていった。最初は高級レストランから始まった動きが現在ではカジュアルレストランにまで及ぶ。はっきりした定義はないが、基本的にはヘルシーな料理でプレゼーテションも美しい。’80年代から現在に至るまで、シェフの世代交代もあり、このカテゴリーの料理もどんどん変化している様だ。 ハーモンと行ったレストランも含め、ここ数年私が行ったレストランは、バーベキュー、ソウルフード、イタリアンを除き、ほとんどがこのカテゴリーに入る。それだけアメリカの人達にも認知された料理スタイル、という事だ。また、アジアの醤油や胡麻といったスパイスを使った料理は日本人の口に合うだろう。だから私は2週間日本食を全く食べなくても平気なのだと思っている。(ちなみに、カンザス・シティには日本食レストラン、と呼べるとところはほとんどない。)

もう一つ新しい発見があった。滞在先のすぐ近くに『Jax Fish House 』というシーフード・レストラン&バーがオープンしていた。ここへは日曜の夕方、ハーモン・メハリと彼のトリオが演奏していたので立ち寄った。明るくモダンな店内には、山盛りのオイスターと魚介類がディスプレイしてあった。カンザス・シティはアメリカのど真ん中で内陸にある。ここにこれだけの、アメリカ東部と西海岸で穫れた魚介類がある、というのはかなりの輸送技術の進歩がある、と察する。私が『novel』で食べたホタテ貝が美味しかったのも、素材がフレッシュだったからだ。 数年前までは、カンザス・シティで魚、と言えばサーモン、白身のティラピアやキャットフィッシュ位しかなかった。これは食のレベルを上げる大きな変化だろう。

勿論、バーベキューを始めとする伝統的なアメリカ料理やハンバーガーだって健在である。チャック・ヘディックス氏夫妻の家で振る舞われた庭にあるグリルで焼いたステーキはとても美味しかったし、シンガーのDJ スウィニー夫妻がオーヴァーランド・パークで始めた『Hayward’s Pit BBQ』のチキンやビーフはとても美味しく、全く脂っこくなかった。

♪ 活気があったジャズシーン

私はチャーリー・パーカー・セレブレーション後10日程滞在していたが、ジャズシーンには 期待を遥かに上回る活気と変化があった。 ジャズシーンに於けるトピックはいくつかあった。ヴォーカリストのアンジェラ・ハーゲンバックが、『ジャズ・アリス(Jazz Alice)』というミュージカルをプロデュースしていることが話題になっていた。これはルイース・キャロル原作の『不思議の国のアリス』のジャズバージョンで、全曲ジョン・コルトレーンの曲にアンジェラが詩をつけたもの。アンジェラ始め、地元のジャズ・ミュージシャン達が出演している。私はプレミアは見られなかったが、評判がとても良い、と聞いている。 又、ラリー・コピトニック氏が、地元ジャズ誌Jamの新編集長に就任した。50才代後半のジャズが好きで好きでたまらない人だ。彼はジャズ・ブロガーでもあり、彼のブログの視点の面白さには定評がある。新編集長の元に誕生した新 “Jam第1号”はチャーリー・パーカー特集。こんな事もこの街のジャズシーンを活気づける要素となっているだろう。

ミュージシャン達は?と言えば、3年前に初めて会った若手のミュージシャン達が着実に力をつけてきていた。3年前、彼らは若いミュージシャン同士で演奏していたが、今回はベテラン達と一緒に演奏している場面に何度も出会った。ベテラン達も若手のエネルギーを吸収してか、非常に良く溶け合い、ジャズシーン全体が底上げされていると感じた。 5月に東京に滞在したハーモン・メハリ(tp、28才)は、地元ではやはり本領発揮、という所だろう。彼の演奏は4回聴いた。若いメンバー達と一緒に『Majestic Restautant』というレストラン兼ライブハウスでスタンダードを中心に演奏してしていた時、彼の状況判断力は非常に優れている、と感じた。どんな客が何を欲しているか瞬時に判断し、その場の雰囲気にあった曲を演奏する能力に秀でている。そんな事も含めてカンザス・シティでは高く評価されているのだろう。 ハーモン・メハリはいくつかの演奏スタイルのユニットを持っている。ヴァイブラフォーンのピーター・シュランブ(vib、27才)は幼馴染み。この2人に同世代のベースのベン・リーファー(29才)もしくはピアノのマット・ヴィリンジャー(26才)を加えたユニットで2回違う場所で聴いた。このユニットは素晴らしかった。2カ所ともレストラン&バーだったので、スタンダードナンバー中心。特にヴァイブのピーター・シュランブの繊細かつパワフルなプレイは圧巻だった。ハーモン・メハリに「このグループで日本に来たら、注目される事間違いないわよ!」と言ったが、これは冗談ではない。本人達もそれを強く望んでいる。

ドラムのブライアン・スティーバー(26才)はハーモン・メハリ、ベン・リーファー(b. 29才)らと一緒に『Majestic Restaurant』で聴き、随分大人っぽく落ち着いついてきたと感じた。彼は『Louie’s Wine Drive』というレストランの地下がライブ・スペースになっている店で、ベテラン陣のスタン・ケスラー(tp)ボブ・ボウマン(b)ロジャー・ワイルダー(p)と一緒に見事に溶け合った演奏をしていた。ブライアンは「こういう凄い人達と演奏出来る様になって、とても嬉しい!」と言っていた。

長年の友人のデヴィッド・バッセ(vo. ds)が、『カンザス・シティで一番良いビッグ・バンドのショウ』と言って『the Broadway』という2年程前に出来たクラブに連れて行ってくれた。 『ニュー・ジャズ・オーダー・ビッグ・バンド(New Jazz Order Big Band)』という、35才になるクリント・アシュロック(tp)が率いるビッグバンドだ。バンドはデヴィッドがこの街で一番、と言うだけあり、最高にスイングして楽しかった。演奏する曲は、ほとんどがスタンダードナンバー。リーダーのクリント・アシュロックはアレンジもするが、サド・ジョーンズやサム・ネスティコ、フランク・フォスター、チャーリー・ミンガス等のアレンジ曲もやっていた。このバンドがカンザス・シティに於いて意味があるのは、2年前に56才で亡くなったバリトン・サックス奏者でカンザス・シティ・ジャズ・オーケストラのリーダーだったケリー・ストライヤーの意志を受け継ぐバンドでもあるからだ。ケリー・ストライヤーのアレンジも多い。(クリント・アシュロックは現在、カンザス・シティ・ジャズ・オーケストラのリーダーも務める) 私が行った日は、アシュロックの体調が悪く、リード・トランペットのアーロン・リンシュチャイド(tp、31才)がリーダーを務めていた。彼は、ボビー・ワトソン門下生で、ハーモン・メハリとも仲が良い。礼儀正しく楽しい青年で、トランペットにも勢いがあり非常に好感が持てた。若いリーダーの元、若いミュージシャン達が大音量でスイングするのを目の当たりにするのは、本当に気持が良い。 このバンドでベースを務めていたジェラルド・スパイツはもはやボブ・ボウマンと並ぶカンザス・シティ一番のベース・プレイヤー。かつて、ジェイ・マクシャンと一緒に頻繁に演奏していた。若いミュージシャン達の中、ベテランのジェラルドの確実でスイングするベースにリードされたリズムセクションが、このバンドの音をより厚みあるものにしていた。ドラムのマット・リーファー(30才)は先に述べたベン・リーファーのお兄さんだが、全くタイプが違う。 このバンドを聴きに行ったのは祝日明けの火曜日。バンドメンバー18人に観客は何と5人。リクエスト曲を次から次に演奏してくれて、何とも贅沢な夜だった。

マーク・ローリーのピアノ・トリオの美しい演奏には息を飲んだ。彼は35才で、もはや中堅の域に入ってきている。 カンザス・シテイには優秀なピアノ・プレイヤーが多い。(勿論、ピアノだけではないが)ジェイ・マクシャンの長女のリンダは、現在シカゴ在住。私は毎回カンザスへ行く時は必ず帰りにシカゴに寄り、彼女と遊んで来る。数少ないジャズの事を語り合える親しい女友達の1人である。彼女は、カンザス・シティ・ピアノ・サミットを何処かでやりたい、とずっと言い続けている。ジョー・カートライト始め、ロジャー・ワイルダー、エヴェレッタ・フリーマン、エヴェレッタ・デヴァン、ブラム・ワインナンス、マイク・ニング等々。マーク・ローリーもここに加わる。 マーク・ローリーは新しくリリースしたCD『Waltzes and Consolation 』でウエスト・ロンドン大学のジャズ・スタディ部門の名誉学位をもらった。 この時、一緒に演奏していたベースはボブ・ボウマン、ドラムはジョン・キジラルムト。 ボブ・ボウマンの演奏の素晴らしさは、チャーリー・パーカー・セレブレーション最後の コンサートの事でも記した。昨年、夫人のサンドラを亡くして以来、つらい時期を過ごしているだろうが、彼の唄うベースプレイにもため息がでる。サンドラを追悼したCD『Song For Sandra』の評判もとても良い。

ベテラン勢の中で特に元気が良かったのが、先に述べたスタン・ケスラー(61才、tp、fl)だろう。彼はカンザス・シティ中の様々なミュージシャン達と組み、コンスタントに仕事をこなしている。UMKCで教鞭を執る事も含め、最も忙しいミュージシャンの1人だ。 彼はブラジリアン・ミュージックを演奏するグループ『The Sons of Brasil 』のリーダーでもある。このグループの活動は長く、25年になる。リーダーのスタン始め、ベテラン揃い。ドラムのダグ・アウワォーターはUMKCで教鞭も執り、自らブラジルに何度も足を運びブラジリアン・ミュージックを研究している。キーボードはロジャー・ワイルダー。ギターのダニー・エンブレーはカリン・アリスンのバックで来日経験がある。ダウンタウンのクロスワード地区の野外ステージでの金曜の夜のショウには、多くの人達が集まり、ホットなブラジリアン・ナイトだった。

長年、カンザス・シティに通っていながら、一度も会うチャンスがなかったミュージシャンが何人かいる。ロニー・マクファダンもその一人だ。 ロニーはヴォーカリストであり、トランペット&フリューゲルホーン・プレイヤーでタップダンサー。息も切らさず唄って吹いて踊る。唄うのはジャズのスタンダードナンバー、R& B、とそのレパートリーは広い。ジョニー・マチスの<That’s All>、ナット・キング・コールの<Unforgettable>、ヴァン・モリスンの<Moon Dance>、チャーリー・パーカーの<Ornithology>、ジェームス・テイラーの<You’ve Got A Friend>からジョニー・マンデル作曲の<Time For Love>などなど。特にライオネル・リッチーの<Easy>で聴かせたロングブレスの後、すぐフリューゲルホーンを吹き、タップを踊る、その息の長さと体力には驚異だった。真のエンターテイナーだ。パーフォーマンスのスタイルが革新的な訳ではないが、非常に質の高い、ロニー・マクファダンのスタイルとして確立したものだ。リーウッドの『Sullivan’s Stake House』という所で、ドノヴァン・ベイリー(ds)とアンドリュー・オウェット(p)と一緒のショウだった。

ヴォーカリストのジュリー・ターナーが、彼女の息子のブライアン・ラスキン(g)のグループで3曲唄ってくれたのは感激だった。 ジュリーは、今年の1月1日にジュリーは52年連れ添った夫でドラム・プレイヤーだったトミー・ラスキンを失った。彼女は未だ深い悲しみの中にいる。渡米前に「カンザスに来るのだったら、絶対会いたい!」というメールをくれた。 息子のブライアンも親譲りか、巧いプレイをし、彼のグループの演奏はとても楽しい。ジュリーはトミー亡き後、ほとんど人前で唄う事はない。ジャズクラブ『The Phoenix 』でブライアン・ラスキンのグループが演るから来て欲しい、と言うジュリーの誘いに、アーマド・アラディーンの未亡人のファニー・ダンフィーと一緒に行った。ジュリーもファニーも私の最初のカンザス訪問からの友人達だ。そこで再会を喜びあってお喋りをしていたら、ジュリーは急にブライアンの横に立ち 唄い始めた。<Alone Together><Save That Time>と<a Blues >彼女は決して声量のある歌手ではないが、そのハスキーヴォイスと抜群のスイング感は相変らず魅力的で、まさにプロフェッショナル。特に<Save That Time>はトミーが亡くしてから人前で初めて唄うバラード、と言っていたが集まった人達の涙を誘った。この時の事をフェイス・ブックに投稿したところ、大反響を呼んだ。 このショウにハロルド・オニール(p、NY在住)の弟のチャールズ・オニール(tp)がシットインしており1曲演奏した。お兄さんのハロルドの陰に隠れてはいるが非常に優秀なトランペット奏者だ。

7月前に心臓のバイパスを6本も作る大手術をした、オルガン&ピアノ奏者のエヴェレッタ・デヴァンは、未だ体が回復していないが「良いリハビリになる!」と演奏活動に復帰している。 エヴェレッタの主治医は大のジャズファンで、手術中ずっとエヴェレッタのCDをプレイしていたそうだ。 アメリカ1%の富裕層が集まるクラウンセンター内のレストラン&ラウンジ、『the American』で美しいピアノをイアン・コルベット(ts)とケント・ミーンズ(vib)というグループで気持良く聴いた。 この人も『Tokyo Dome Hotel』で3ヶ月ピアノを弾いていた来日経験組だ。

まだまだ、このコラムに書きたいミュージシャンは大勢いる。今回会えなかったミュージシャン達も沢山いる。

♪ “食”と“音楽”について

こんなミュージシャン達が演奏する場は、ジャズクラブとレストラン、もしくはバーだ。 カンザス・シティに純粋なジャズクラブは現在10件ほどしかなく、すべてが常時オープンしている訳でなはい。2年程前に『the Broadway』と『Green Lady Lounge』というジャズクラブがオープンし、ミュージシャンの活動の場は増えたが、その経営は難しい様だ。

先に“食”のレベルが上がって来ている、と言う事を書いた。 “食は文化なり” という。 これ程質の高い “食” と “音楽” が密接に存在する都市がカンザス・シテイの他にあるだろうか? 私がジャズを聴きに行ったレストランは、何処も料理や飲み物が大変美味しかった。『Majestic Restaurant』、『Chaz』、『Jax Fish House 』、『the American 』然り。『Louei’s Wine Drive 』もリーウッドの『Sullivan’s』オーヴァーランド・パークの『j.gilbert’s』も。ジャズのあるレストランは、まだいくつもある。 ミュージシャンの大半は、ほぼ毎日レストランかバーで演奏している。勿論ミュージックチャージはない。カンザス・シティの人達は音楽を聴きに行くのではなく、まず食事をしにレストランへ行くというのが現実なのだ、と友人が言っていたが、その場にある “音楽” を楽しんでいるのも事実である。私の友人達に関して言えばまず音楽が先にあり、そこで食事が出来ればする、というスタンスだった。

あるレストランで、ハーモン・メハリのグループが非常に良い演奏しているにも関わらず、音響効果が全くないのに気づいた。その事を同行したJam編集長のラリー・コピトニック氏に尋ねたところ、『ここでの音楽は食事のBGMだから、大音量だとダメなんだよ。』という答えが返って来た。言われてみれば、それもそうだがもったいない話だ。ロニー・マクファダンのように、レストランでも大音量で大パフォーマンスをするケースもある。レストラン内でも演奏スペースのあるところは別室、という様な所もあり、色々な演奏スタイルがあるが、いずれにしても 『美味しい料理に質の高いライブ演奏の音楽』というのは、何とも贅沢な文化である。 残念ながら、東京にはカンザス・シティにあるようなジャズのライブがあるレストランはほとんどない。

“食” は人間の生活にはなくてはならないもの。が、“音楽“は必ずしもそうではない。 カンザス・シティにおいて、 “食” のレベルが上がって来てる事と “音楽”、特にジャズシーンに活気がある事と直接どう関係があるかどうかは解らないが、片方のレベルが上がればもう片方も上がる、といった相乗効果がある様な気がしてならない。 カンザス・シティは ニュー・オーリンズやシカゴ、ニューヨークと同様、ジャズを発展させた4大拠点の一つだ。この街は ジャズ、ブルースを始めとする “音楽” が 、街のアイデンティティを形成する重要なファクターとなっている。 ジャズを含む “音楽” は人々を支える “食文化” と共に、大きな文化の柱になっている。 この街の人達が、真に自分の住む都市のその文化に誇りと自信を持っているのならば、“音楽” も“食” も高いレベルに作り出して行く努力はするだろう。勿論、ジャズに関して言えばカンザス・シティは『ジャズの故郷』の一つであるのだから当然と言えば当然かもしれない。 昨年、ワールド・シリーズ出場を果たしたカンザスシティ・ロイヤルズは、この街の人達がそんな誇りを持ち続ける事に、一役買ったかしら? と、そんな事も今回の滞在で考えた。 (2015年10月24日記 )

竹村洋子

竹村 洋子 Yoko Takemura 桑沢デザイン専修学校卒業後、ファッション・マーケティングの仕事に携わる。1996年より、NY、シカゴ、デトロイト、カンザス・シティを中心にアメリカのローカル・ジャズミュージシャン達と交流を深め、現在に至る。主として ミュージシャン間のコーディネーション、プロモーションを行う。Kansas City Jazz Ambassador 会員。KAWADE夢ムック『チャーリー・パーカー~モダン・ジャズの創造主』(2014)に寄稿。Kansas City Jazz Ambassador 誌『JAM』に2016年から不定期に寄稿。

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