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風巻隆「風を歩く」からNo. 299

風巻 隆「風を歩く」から vol.12「のみ亭」~ ペーター・コヴァルト

text by Takashi Kazamaki  風巻  隆

新宿から中央線か総武線で15分程、「西荻」の愛称で知られる西荻窪は、駅のホームに焼鳥屋の匂いが漂っているような庶民的な町だ。吉祥寺に住むようになってからホビット村の無農薬の野菜を買いによく自転車でこの町には来ていたのだけれど、パフォーマンスの霜田誠二さんから「のみ亭」という小さな居酒屋を紹介してもらい、ときどき顔を出すようになった。「やっちゃん」と皆から呼ばれるマスターは、長髪で髭を伸ばし見るからのヒッピーなのだけれど、アジアへの旅の経験も豊富で、博識だったこともあって、カウンターに鶴見良行さんがちょこんと座っているような面白い店だった。

細長いラーメン屋のような作りで、カウンターと4人掛けの机が3つ。女の子が一人で飲みに来るようなお店で、常連も多かった。「友達の友達は、みな友達だ」というのがやっちゃんのスタンスだったので、ボクは「霜ちゃん」の知り合いというだけですぐ仲良くなり、ボクが誰か友達を連れて行くと、それだけでやっちゃんと仲良しになっていく。夏の夕方、近くの女子大に通う「しのちゃん」が来ていて一緒に飲んでいると、大分の「Music Landscape」の Tシャツを見て、「カザマキさーん、そのTシャツええなー。」というので、サッカー選手のようにその場でTシャツを交換する…、そんなこともあった。

1986年の秋頃、「のみ亭」に行くと一番奥の机に、いつも西ドイツのベーシスト、ペーター・コヴァルトがいた。その頃彼は、黒人女性ダンサーのシャロー・バンクスさんや、詩人の白石かずこさんと即興的なパフォーマンスをしていて、西荻に住む白石さんのところで起居していたのだけれど、夜になると「のみ亭」で仕事をしたり、ピンク電話で電話をかけたりしていた。ちょうどLP「DUOS」の日本盤をレコーディングしている頃で、ジャズだけではなく邦楽の演奏家達ともコンタクトを取っていたのだろう。人が集まり、話が賑やかに飛び交うなか、エビスビールをチビチビと飲みながら作業を進めていた。

「DUOS」はヨーロッパ、アメリカ、日本の3部作で、それぞれ10人の共演者とペーター・コヴァルトがデュオで即興演奏を繰り広げている。ヨーロッパ盤ではデレク・ベイリーやハン・ベニンクなどの即興演奏家や、ギリシャのクラリネット奏者、フロロス・フロリディス などが参加。アメリカ盤ではブッチ・モリスやダニー・デイビスなどのジャズミュージシャン、トム・コラ、ジーナ・パーキンスなどのロック系のミュージシャンも参加している。日本盤ではジャズや小杉武久ら即興系のミュージシャンとともに、琵琶の半田淳子、津軽三味線の佐藤通広、箏の沢井忠夫ら、錚々たる邦楽の演奏家達も名を連ねている。

そんなペーターさんにボクが、キッド・アイラック・ホールでの「音の交差点」への出演をお願いすると、二つ返事でオーケーとなり、こちらも早速チラシを作って宣伝を始める。キッドでのデュオは、ベースという楽器が演奏の中心になることを引き受けながら、音楽を作る構成力を感じさせるいい演奏になった。ボクも演奏の方向性といったものを意識しながら、作品というものへと向かっていく即興演奏になっていった。演奏が終わって楽器を片付け、記念撮影をして、いつものように沖縄料理の「宮古」で打ち上げをする。そこでペーターさんに、「すとれんじふるうつ」でのレコーディングを提案した。

このレコーディングはお客さんを入れずにスタジオ録音のような形式で行った。そこでボク達はLP片面を想定した20分ほどの演奏とともに、「方向性のある断片的な演奏」を何曲か録音していった。ここでのペーター・コヴァルトの演奏は、ジャズの感性と、即興演奏の知性を統合したような、素晴らしい演奏をしてくれた。この演奏はペーターさんも気に入ってくれ、LPを作る方向でマスタリングの作業までしたけれど、前年に出したダニー・デイビスとの「ATMOSPHERE」の在庫を多く抱えていたので、「NO TOMATOS」というタイトルまで決めていたけれど、LPの自主製作は、断念することになった。

ただ、この時のペーターさんとのデュオ演奏は、翌年ニューヨークに行った際のデモテープとしては効果抜群だったし、その後のニューヨークでのレコーディングにもつながっていく。LP「DUOS」を貫いているジャンルを横断する姿勢や、伝統音楽とも即興でコラボレーションしていこうとする姿勢は、今から考えると、当時ニューヨークから発信されていた「New Music」という音楽潮流と共通する視点を持っているのだろう。「New Music」は現代音楽のフィールドから始まったジャンルを横断するムーヴメントで、ボクは知らず知らずのうちに「New Music」のフィールドへと歩みを進めていくことになる。

86年の正月には、東京・山谷の玉姫公園で「越冬コンサート」が行われ、ボクは、韓国ルーツの歌い手さんの、みらんさんとデュオで出演した。山谷争議団と同時代音楽とのコラボ企画で、鉄道の枕木を焚火にし、路上生活者に炊き出しや音楽を提供する。そもそも暖を取りに集まっている路上生活者が、音楽にそれほど多くの関心もないのはあたり前で、バンドの歌や演奏が始まっても、ワサワサしていることが多い。みらんさんとボクがステージに上り、ボクがタイコを叩き始めても、そのワサワサした雰囲気は変わらず、それはそれで仕方のないことだと、ボクは半ばあきらめかけていた。

ボクとみらんさんとの演奏は、決め事もなく、ボクが即興で音を出しはじめ、ある程度気持ちが高ぶってきたところで、みらんさんが歌いだし、ボクはその歌を伴奏していく。彼女は何を歌うかを決めていないことも多く、いつ歌が立ち上がってくるのか、一緒にいるボクもわからない。ただ、その透き通るような声が響き、歌が始まると世界が一変した。あのワサワサしていたノイズが全くなくなり、多くの人達が彼女を注目しているのがわかった。彼女は韓国の歌を韓国語で歌う。声の力、歌の力というものがあるのだろう、彼女の歌が終わると、大きな拍手と歓声が玉姫公園に沸き起こったのだった。

そんな話を、泡盛のロックを飲みながら「のみ亭」のやっちゃんにすると、ウチでもやってよという話になる。みらんさんと知り合ったのは渋谷のアピアという、弾き語りのシンガーソングライターが多く出演しているライブハウスで、そこのマスターが元住吉で小さな飲み屋をやっていて古くからの知り合いだった。アピアに出演していた「火取ゆき」さんという歌い手さんとボクはときどきコラボをしていたのだけれど、その火取さんの友達として紹介されたのがみらんさんだった。歌と即興のコラボというのも難しく、火取さんとは主に彼女の曲をボクが伴奏するという形をとって、デュオを継続していた。

ただ、みらんさんとは歌と即興が対等にコラボするやり方だったので、彼女がその気になるかが一番の問題で、まず、彼女を「のみ亭」に連れて行き、そこでやっちゃんの友達になり、彼女が「のみ亭」を気に入ることが大切になる。幸い、顔合わせはうまくいき、やっちゃんも、みらんさんもご機嫌でライブの話が決まる。あとはボクがチラシを作って、やっちゃんが常連に宣伝し、ぼくも「のみ亭」によく顔を出しては宣伝に心掛ける。狭い店でライブなど無謀かとも思えるけれど、ここを会場に神蔵香芳さんというダンサーと公演したこともあるぐらい、この店は面白い事のためなら何でもありなのだった。

この頃、山谷では「山谷(やま)~やられたらやり返せ」というドキュメンタリー映画の撮影が進み、この映画に収益をカンパするという目的で、同時代音楽が企画し、多くのミュージシャンが集まって「鳥の歌 1986→山谷」というライブが都立家政の「スーパーロフトKINDO」で行われ、ボクはそこではじめてサックスの梅津和時さんと共演する。パフォーマンスの霜田誠二さんも当初は出演予定だったので、「のみ亭」のやっちゃんは友達を連れて見に来てくれた。演奏の後、ボクが梅津さんと歓談しているとやっちゃん達も加わって一緒に記念撮影すると、その写真は長く「のみ亭」に掲げられていた。

86年、10月、ペーター・コヴァルトはコジマ録音で小杉武久、ダニー・デイビスとのトリオで録音し、FMPからLP「Global Village Suit~improvised」というアルバムとして87年にリリースする。おそらくこのとき同時に、小杉さんとのデュオと、ダニーさんとのデュオも録音したのだろう。だから、このジャンルを横断するトリオも、LP「DUOS」の日本盤も、何でもありの「のみ亭」の奥のテーブルから生まれてきた作品なのだ。「New Music」という音楽潮流は80年代から90年代はじめまで続き、コンピュータやサンプラーとともに新しい音楽を構想していくことになるけれど、日本ではあまり知られてはいない。

海外に長期間滞在し、ジャンルを横断して新しい音楽のあり方を構想していくのも「New Music」の潮流の動きの一つで、ペーター・コヴァルト、ジョン・ゾーン、ブッチ・モリスらがこの頃次々と来日し、それまで即興演奏の経験もないような邦楽のミュージシャンや、ロック・ミュージシャンなどとも共演を重ね、即興演奏の裾野を広げてくれた。86年のペーター・コヴァルトも、霜田誠二や粉川哲夫とパフォーマンスをするなど、ジャンルの壁を取り払うような活動もしている。LP「NO TOMATOS」がリリースできなかったのは残念だけれど、ペーターさんがボクに残してくれたものは、とてつもなく大きい。

風巻隆

Kazamaki Takashi Percussion 80~90年代にかけて、ニューヨーク・ダウンタウンの実験的な音楽シーンとリンクして、ヨーロッパ、エストニアのミュージシャン達と幅広い音楽活動を行ってきた即興のパカッショニスト。革の音がする肩掛けのタイコ、胴長のブリキのバケツなどを駆使し、独創的、革新的な演奏スタイルを模索している。東京の即興シーンでも独自の立ち位置を持ち、長年文章で音楽や即興への考察を深めてきた異色のミュージシャン。2022年オフノートから、新作ソロCD「ただ音を叩いている/PERCUSSIO」をリリースする。

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