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風巻隆「風を歩く」からNo. 318

風巻 隆 「風を歩く」から Vol.30 ブッチ・モリス ~「Nuyorican Poets Cafe」 

text by Takashi Kazamaki 風巻 隆

1984年、87年とニューヨークで生活しながら音楽活動をしたなかで、ボクは多くのミュージシャンと共演を続けてきた。その多くは、当時ニューヨーク発の「新しい音楽 (New Music)」として注目されていた、トム・コラ、サム・ベネット、ジョン・ゾーン、エリオット・シャープ、ジーナ・パーキンス、ネッド・ローゼンバーグといった日本でもその活動がよく知られたミュージシャンや、あるいは、ポール・ハスキン、クリス・コクラン、ダグ・ヘンダーソンといった個性的な、若手のインプロヴァイザーが多かった。そうしたミュージシャン達と「A-MICA」や、「KNITTING FACTORY」というスペースでライブを行ってきた。

ただ、84年にビリー・バングとの共演をはたして以来、87年にはデニス・チャールズ、ダニー・デイビス、ウィリアム・パーカーという、ジャズにルーツを持つ黒人のミュージシャンともまた、少しずつ共演を重ねていた。帰国間際の10月には、「KNITTING FACTORY」でコルネット奏者のブッチ・モリスとデュオで演奏し、天気の悪い中、その界隈で有名なストーンさん夫妻や多くの聴衆がかけつけてくれていた。ジャズのイディオムから離れ、フレージングではなく剥き出しの音を投げかけてくるブッチさんの演奏に、ボクも、リズムや構成といったものから離れ、風や川の流れといったタイコで合わせた。

ジャズのミュージシャンというよりはむしろ、知的なインプロヴァイザーといった雰囲気のブッチ・モリスは、細身のジーンズの上に、ジャケットをラフに合わせるといったオシャレでスタイリッシュな面もあって、そのきさくな性格や、誰とでも分け隔てなくつきあえる懐の深さで、多くのミュージシャンから、白人・黒人のコミュニティーを越えて信頼を集めるニューヨークにおける、音楽のリーダーの一人だった。1990年、3年ぶりにニューヨークへ訪れ、ブッチさんに電話すると、イーストヴィレッジのはずれにある「Nuyorikan Poets Cafe」というところで一緒にライブをやろうと、トントン拍子に話が決まる。

ニューヨークの東3丁目のBストリートとCストリートの間、古いレンガ造りのアパートが立ち並ぶ雑然とした、さびれた街並みのなかに、レンガ造りの古い倉庫を改装したようなカフェがポツンとあって、手書きの文字のシンプルな看板が入り口の上に掲げてある。「THE Nuyorican Poets Cafe」。スペイン語でニューヨークのことをNueva York(ヌエヴァ ヨーク)という。プエルトリコ出身の詩人、ミゲール・アルガリンを中心に1975年頃から詩のムーヴメントが起こり、スペイン語と英語をミックスしたNuyorican (ヌヨリカン)という言葉が生まれる。ニューヨークにいるプエルトリカンという意味の造語だ。

映画「ピニェロ」で半生が紹介されたミゲール・ピニェロらと初期の「Nuyorican Poets Cafe」が誕生し、移転、改装による長期閉鎖の中でピニェロの死があり、その悲しみを乗り越えるようにカフェが復活をとげたのが1989年10月のことだったという。当時、そんな前史を知る由もなかったが、ミゲールという人の底抜けの陽気さや、詩人としてのプライド、そして何より、若くて名もないものに対する深い愛情のようなものははじめて会ったときにも伝わってくるものがあった。ブッチさんとカーレは旧知の間柄でもあったので、ブッチ・モリス、カーレ・ラールとのトリオによる自主公演のライブが決まった。

5月17日、「May Wind」というタイトルをつけたブッチ・モリスとのライブは、May Storm とでもいうような悪天候にもかかわらず、地元のキャフェの常連といったお客さんも多く集まるなか、とても和やかな雰囲気で行われた。休憩の前の1部の後半に、それまでカウンターの中でじっとボクらの音楽を聴いていたミゲールがステージに歩み寄り、マイクをとって自作の詩を朗読しはじめる。それにブッチ・モリスが続き、ボクとカーレも合わせて演奏をはじめる。ミゲールの詩は、読むというよりは歌うといったようなもので、この店は、こうして詩を朗誦するために作ったカフェだということがわかった。

その詩の意味はよくわからなかったけれど、その詩の抑揚は、一緒に演奏するのに充分なほど音楽のように響いていたので、そのミゲールを交えたセットは、この日の一番のハイライトになった。ブッチ・モリスの情動というものを極端に抑えこんだようなクールな演奏、ミゲールの何でもありで繰り出す声の圧倒的な存在感、ミュンヘンから来たバルト三国にルーツを持つカーレのギターやサンプラー、東京からやってきたタイコ叩きのボクの4人がそこに一緒にいる不思議さと、そんなクロスカルチュアルなイベントが、場末のカフェでごく日常的に繰り広げられるニューヨークの懐の深さを思った。

5月31日には、この「Nuyorican Poets Cafe」で、ニューヨーク在住のトロンボーン奏者・河野優彦、ベースのウィリアム・パーカー、コントラベース・クラリネットのポール・ハスキン、当時ニューヨークに長期滞在していたベースの吉沢元治、そしてカーレ・ラールとボクでセッションが行われた。ベースのウィリアム・パーカーは、ニューヨークの新しいジャズを指向するグループのリーダーのような存在で、自主的なコンサ-トを企画したり、多くのミュージシャンとオーケストラを組織したりしていた。河野優彦もまた、彼の下で演奏の機会を得、ジャズに軸足を置いてニューヨークで活動を続けていた。

ダウンタウンの「New Music (新しい音楽)」というとロックに軸足を置いたミュージシャンが多く活動するなかで、ブッチ・モリスやウィリアム・パーカー、トロンボーン奏者のジョージ・ルイスなどは、ジャズのコミュニティーのなかにいながら実験的な活動を続けていた。そうした革新的なジャズ・ミュージシャンへのリスペクトというものを、ボクもカーレ・ラールも持っていて、「Nuyorican Poets Cafe」での二つのライブは、そうしたボクらの気持ちを形にしたものだった。河野優彦とウィリアム・パーカーとは2年後、92年にはレコーディングセッションを行い、CD『Floating Frames』を後にリリースすることになる。

フリージャズというスタイルが形骸化するなかで、ジャズ・ミュージシャンがその頃試みていたのは、コンポジションの導入であったり、オーケストレーションへの試みだった。ブッチ・モリスは、その後、ベースの吉沢元治の招きで1992~93年、Conductionという即興演奏を指揮するプロジェクトで来日し、東京・四谷「P3 art and environment」で、ワークショップやコンサートを行う。ジャズや若手の邦楽ミュージシャンを集めたその企画は、ジョン・ゾーンのゲームピース「COBRA」とともに、東京の即興演奏シーンの裾野を広げ、即興演奏がジャンルを横断し、音楽の新しい形を作る可能性を示していた。

ミゲール・アルガリンは、1992年に『時はいま TIME’S NOW/YA ES TIEMPO』という詩集を野上明氏の翻訳・解説により日本で出版している。今回、「Nuyorican Poets Cafe」の来歴は、この本を参考にさせていただいた。映画「ピニェロ」はレオン・イチャソ監督で2004年に公開。ラップやヒップホップを生み出したロアー・イーストサイドのストリート文化の伝説的な吟遊詩人のドラマチックな生涯とのことだ。「Nuyorican Poets Cafe」は現在改装工事中ということで、さまざまな活動を変わらず続けているようだ。最後に、ミゲールの本の冒頭にある「日本の読者の皆さんへ」という詩を紹介します。

そう、私は情熱を語ります。
そう、私は歴史を語ります。
そう、私は愛するときに短絡します。

そしていいえ、
私は地球のどんな所でも嫌いな所はありません。
そしてそう、
私は自分がみたことがあるものは好きです。
生きているものも死にかかっているものも
そしていいえ、
私は自分が見たことがないものは憎みません。
どうして?
世にあるすべてのものは日常生活の雑事をするために
生きているのです。

ミゲール・アルガリン
(訳:野上明、刊:朝文社)

風巻隆

Kazamaki Takashi Percussion 80~90年代にかけて、ニューヨーク・ダウンタウンの実験的な音楽シーンとリンクして、ヨーロッパ、エストニアのミュージシャン達と幅広い音楽活動を行ってきた即興のパカッショニスト。革の音がする肩掛けのタイコ、胴長のブリキのバケツなどを駆使し、独創的、革新的な演奏スタイルを模索している。東京の即興シーンでも独自の立ち位置を持ち、長年文章で音楽や即興への考察を深めてきた異色のミュージシャン。2022年オフノートから、新作ソロCD「ただ音を叩いている/PERCUSSIO」をリリースする。

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